バスティーユ地区の男
魔導列車に揺られて三時間。
すっかり眠りについていたリリを起こし、終点であるフルーレ駅で降りた。
降りる人は栄太しかいない。それ以前に他の人々は皆、フルーレ駅よりも前に降りてしまった。ただでさえ危険なバスティーユ地区に隣接しているのだから、特別な用事でも無ければ近付きすらしないだろう。
駅の構内も人の数は少なく、駅員がまばらにいるだけだ。
栄太は駅の構内をぐるっと見回った。
人が少ない以外に変わったことはないようだ。
栄太は駅を出て、フルーレの街を歩いて見て回る。
怠そうにしながらリリも活気のない街並みに若干の興味を抱いているようだ。
「こりゃあ重症だな。」
どれだけ歩き回っても人っ子ひとり見当たらない。
もうこの街には誰も住んでいないのかと思ってしまうほどだ。
でもそんなわけないことは知っている。
もちろん他の地区に移り住んだ人も大勢いたが、フルーレ地区には今でも住人はいる。
ここは私たちの故郷だ!と言って避難命令をことごとく拒否し、住み続けている人々が。
「でも見た限りでは魔物の影響は出てないみたいだな。」
「時間の問題じゃろうな。気分によって攻めるか攻めないかを決めているからのぉ、魔物共は。」
そろそろバスティーユ地区に向かおうかと思ったが、移動手段が徒歩しかない。それはさすがに面倒だ。バスティーユ地区の直前まではどうにか車で行きたい。
リリにも意思を確認したが、徒歩など論外だという。車で無ければ行かないと駄々をこねた。
面倒な奴だな、とは思わない。俺も同意見だし。
乗り捨てられたのであろう車が道に放置されている。
調べてみるが、動く気配はない。鍵すらないのでエンジンは掛からないし、錆びついたボディを見ると、やっぱ無理だろうなと諦めがついた。
歩くしかないのかと栄太は小さな絶望感を抱き、一度溜息をついたが、次に視界に入ったのは真っ黒の車が一台走ってくる光景だった。
黒い車は徐々に速度を落とし、栄太の目の前でピタッと止まった。それはもう見事なまでの正確さで。
運転席から出てきたのはスーツを着た黒縁眼鏡の男で、見た瞬間に一般人ではないと栄太は察した。
どうやら車に乗っていたのはこのスーツを着た男一人らしい。
薄い笑みを浮かべながら男は栄太に話しかけてきた。
「君はどうしてここに?」
「•••••••••ここにいちゃいけないのか?」
男は完全に栄太よりも年上だ。しかし敬語を使おうとはまるで思わなかった。何かそうさせない男の不気味さがあったのだ。
「いやそうではないんだけどね?ただ珍しいなと思ったんだ。」
「あんた誰だ?」
「ああ、そういえば名乗ってなかったね。僕は時原 誠一郎。ソレイユ国防軍第一支部に務めている。階級はまあ一応少将だ。」
栄太は態度を変えない。そこまで馬鹿正直に生きていない。この時原 誠一郎と名乗った男が嘘をついている可能性を考慮に入れなければならない。
それを栄太の表情から悟ったらしく、時原は少し噴き出す。
「まあそうは言っても信じる馬鹿はいないか••••••えっと、これで信じてもらえるか?」
時原はバッジを見せる。それは間違いなく国防軍少将の証であるバッジだった。
「それがあんたのもんだっていう証拠はない。でもそんなことはどうでもいい。俺に何の用だ?」
「それはこっちのセリフだよ。どうしてここに?率直に言うと君のような少年が一人でここを訪れるなんてことはあり得ない。だから声を掛けたんだよ。」
確かに時原の言うようにバスティーユ地区に隣接するこのフルーレ地区に少年が一人で訪れているのは奇妙な光景だろう。他の支部の軍人は積極的に来たいとは思わないのに、何故少年が?という感じか。
「バスティーユ地区に行きたいんだ。」
栄太は顔色を変えずに、それが何を意味しているのか理解した顔で言った。
意外にも時原は栄太の言葉に驚きをあまり示さなかった。大方の予想はしていたのだろうと思う。
「バスティーユか。何のために、と聞くのも無粋だね。ただ申し訳ないが、一般人の少年をバスティーユに行かせることはできないよ。」
「一般人じゃない。俺は一応軍人だ。国防軍第三支部の。」
そう言って栄太はバッジを見せる。最も階級が下のバッジだ。
時原もこれは予想外だったようで、大きく目を見開いていた。
「そうか、君は軍人か。で、バスティーユに魔物狩りにでも行くのかい?」
「ああ、まあそんなところだな。」
栄太は心の中で面倒なことになったなと舌打ちしたい気分だった。
危険だから止めなさいと言われても強行してバスティーユ地区へと進むことは決めているが、後々の対処が厄介な気がしてならない。
「なら手伝おう。バスティーユ地区まで案内してあげるよ。車に乗って。」
時原の対応に肩透かしを食らった栄太はリリに視線を向けると、リリは軽い口調で言い放った。
「案内してくれるって言うんならお言葉に甘えるのがいいじゃろう。」
栄太は何か裏があるとか考えたりもしたが、そんなことを考えてもどうしようもない。選択肢はそれしかないのだから、この流れに身を任せてみようと決心する。
黒い車の後部座席に乗り込む。
さすがは少将だと思うくらいに高級感溢れる車内だった。丁度良いふかふかのシートは魔導列車のそれとは比べものにならないほどフィットして、過ごしやすい。
静かなエンジン音が鳴り響き、車が発進する。
乗り心地は最高。栄太が今まで乗ったどんな車よりも素晴らしかった。
車に乗ってからおよそ十分は静かな時間が車内には流れていた。栄太からも話さないし、意外にも時原も黙ったままだった。
時原が口を開いた時には街並みの様子も走り始めた時とは少し変わっていた。
コンクリートに包まれた場所から緑も多くなった住宅地のような場所へ。
「そういえば君の名前を聞いていなかったね。」
「相楽 栄太。」
「栄太君か。栄太君は第一支部が壊滅状態に陥っているのは知っているかい?」
「バスティーユ地区の奪還に失敗したんだろ?それで多くの兵士を失った•••••••••」
「そうだね。バスティーユ地区奪還作戦は失敗。それも地区内に足を踏み入れてすぐのところでほとんどの部隊が全滅したんだ。」
「魔物のレベルが想定を超えていた。」
全滅したのが何故なのか、栄太は言い当てる。というよりもそれくらいしか理由がない。
軍の人間も馬鹿ではない。綿密な調査をして、ある程度の予測を立てていたに違いない。それでも勝機を見出せなかったのは魔物のレベルが予想を遥かに超えていたという理由しか考えられない。その想定外が何故起こったのかは知る由もない。
加えてその事実を熟知しながらも第二支部はバスティーユ地区の奪還を成功させることはできなかった。それはソレイユ全体に暗い影を落とした。
もしかしたらソレイユ全体が魔物の手に落ちるのもそう遠くないのではないか、と。
「第一支部が考えていたバスティーユ地区の魔物はオオゴブリンやキラーラビット、強くてもアーマーリザードくらいだと想定していたんだ。ただそんな生易しいものじゃなかった。バスティーユ地区には最低でもミノタウルスやデスウィングといった上位級の魔物が跋扈していた。あれは絶望的な光景だったよ。君もそれを知ってて、バスティーユに行こうと思ってるんだろ?」
「ああ、もちろんだ。それを知ってるからこそ行くんだよ。」
栄太が言い放つ淀みない言葉に恐怖の色は感じられない。時原は相楽 栄太という人物が本気でバスティーユ地区で何かをしようとしているのだと思った。それが何なのかは分からない。聞こうと思えば聞けるが、おそらく彼は何も言わないだろう。
一人で何ができるのか。いや逆に考えて一人で何をしようとしているのか、非常に興味を持った。
「すごいね、君は。怖くないのかい?バスティーユ地区に入ることが。」
「全然。むしろ楽しみだ。」
バスティーユ地区には上位級の魔物がゴロゴロいるだろう。そしてそれを統べる存在が必ずいる。
栄太はその存在が非常に気になっており、出来れば接触したいとも思っていた。
それがバスティーユ地区へと侵入する理由だ。
「興味深いね、君は。僕が君くらいの年齢の時は魔物に怯えて生きていたね。」
「それが普通だろうな。」
「君は普通ではないと?」
「さあ、それは分からない。」
栄太は自分が普通ではないと内心では思っている。ただそれを感じているかどうかなんてはっきり言うと、どうでもいいことだ。
本来、そんなことは第三者が決めることで、自分で決めるようなことではないだろう。
たわいもない話をしながら栄太が乗った車はフルーレ地区の最南端であるレンズという街へ入る。ここからはいつ魔物が出てもおかしくない危険区域だ。本来ならば立ち入りは全面禁止で、たとえ軍人であっても上からの許可が無ければ立ち寄ることすら禁止されている場所だ。
そんなバスティーユ地区への入り口で車はゆっくりと速度を落とし、停止した。
「これ以上進むのは禁止されているんでね。」
「軍部に忠実なんだな。」
「お金を貰ってる立場だからね。そりゃあ言うこと聞くよ。」
「まあここまで送ってくれただけでありがたいよ。どうも。」
栄太はそう言って車から降りた。それに続いて時原も車から降りる。
気温が低いわけではないのに何故だか肌寒さを感じる。これは魔物の軍勢が近くに存在しているからだろうか。
こりゃあフルーレ地区に魔物が進行してくるのも時間の問題かもしれない。
「無事に帰ってこれたら色々と聞かせてもらえると嬉しいな。」
「本気で言ってるのか?」
「うん、もちろんさ。君なら無事に帰ってきそうな気がしてならない。」
「あんた、変わってるな。」
普通は無謀だから止めとけ、とか言う気がするが。
「それは君の方だろう?」
二人は共に微笑を浮かべる。
時原は右手を前に出した。握手を求めているのだと栄太はすぐに理解した。
拒否する理由もないし、時原という人物に対しての警戒心も最初よりかは薄れたのを自覚していたので、栄太も同じように右手を出して、握手をした。
そのあとすぐに時原は車に乗り込んだ。エンジン音が風の音しか聞こえない場所に響き渡る。
時原が運転する車が遠ざかっていくのを少しの間見送ってから栄太は前を向く。
野生の草花が道路に生え渡り、街並みも廃れているのが分かる。
もちろん周りには人の姿は見られない。時が止まったかのような空間がそこにはあった。
「こっからは歩くしかないな。我慢しろよ、リリ。」
「ふぅ、仕方ないのぉ。」
溜息をつきながらもリリは文句を言わない。実際ここまで送ってもらえるとは到底思っていなかったので、ラッキーとさえ思っている。
黙々と歩き続けて一時間ほどで薄っすらと前方に巨大な門が見えてきた。間違いなくあれはバスティーユ地区へと続く道だ。
走り出したい衝動を抑えて、周囲の状況を確認する栄太。未だに魔物の姿を視界に捉えていない。
しかしそれは人間の五感の能力を持ってしてのこと。
「リリ、魔物の気配はあるか?」
「いや、この周辺はないみたいじゃ。ただ、あの門の奥には濃密な気配がするがの。」
「何匹いるか、なんてのは分からないか?」
「明確に答えられないほどにはいるの。」
分かりきっていたことだが、突きつけられると深刻さを否応もなく理解してしまう。
人間の敗北。その姿が透けて見えてしまう。
栄太はそんな想像を吹き飛ばして、足を踏み出した。
リリの言った通りで門の外には魔物の姿は無く、一度も襲われず、遭遇することすらなかった。
でもここからはそうもいかない。
栄太は深呼吸をしてから、これまでにないほど周囲の警戒を怠らない。
門をくぐってからすぐに若干空が薄暗くなったような気がしたのだが、気のせいだろうか。張り詰めた気持ちが原因なのかもしれない。
恐怖はない。それでもある程度の緊張はする。
「マスター、前方にミノタウルスを二匹確認した。」
「お、ようやくお出ましか。」
ビル群の中でドスンドスンと足音を立てて、進行しているミノタウルスの姿を栄太の肉眼は捉えた。
目を血走らせて、まるでこのバスティーユ地区を見回っている兵士のように動いている。
栄太はうまく建物の陰に隠れながら着実に進んでいく。
バスティーユ地区はソレイユでアルカトラズに続いて二番目に広い地区なので大規模な街並みがあるのが言うまでもない。というよりも自然的な部分はほとんどない。森や山なんて以ての外。そんななかで身を潜めるには、コンクリートジャングルでの経験が大切になってくる。
唸り声が響く。ミノタウルスがすぐ側にいる。栄太は隙を見て錆び付いた車の陰まで移動する。
「楽しくない隠れんぼじゃの。」
リリが栄太に向かって言った。
彼女の声は栄太にしか聞こえない。彼女の存在自体が栄太にしか認識できていない。インビジブルの魔法によって。
「ミノタウルスごときなら殺るのも簡単だが、騒ぎを聞きつけて何が寄ってくるのかわからない今、あんまり派手なことはしないようにしたほうがいいだろう?」
「十くらいの数なら問題ないぞ?」
「十匹以上、下手したらもっと来るかもしれないからな。我慢しとけ。」
リリは渋々、好戦的な雰囲気を和らげる。
妖精であるリリと人間である栄太の生命力は桁が違う。妖精が一万だとしたら、人間は十くらいだろう。
リリのやりたいことに全て付き合えば、栄太の身体が持たないのは目に見えている。
まあ今の栄太には必要不可欠な力をもらってはいるので、文句は言わないが。
ミノタウルスが通り過ぎ、栄太の視線の先に魔物の姿は無くなった。
「ふう、少し落ち着いたみたいだな。」
栄太は道路に出て、周囲のビル群を見上げる。魔物に支配させる前は繁栄していたのだろう。多くの人々の生活が失われ、その人々はどうなったのだろうかと栄太は柄にも無く思いを馳せる。
栄太自身、故郷を失っている。
元々、彼はソレイユ生まれではない。
ソレイユから遠く離れたクロスランド出身だ。クロスランドは大量の魔物に支配されたのでなく、一匹の魔龍によって全てを滅ぼされた初めての国だ。
何もなす術なく、ただただ逃げ惑っていたあの頃。いやあの当時に年を重ねていたとしても何もできなかったであろう。
だが今は違う。魔物を殺す術を身に付けた。故郷を滅ぼしたそいつを殺すためだけに栄太は生きてきた。
「んじゃ、遠慮せず進もうか。」
そんな風に思ったのもつかの間、突如として真横のビルが一棟、爆発音を上げて吹き飛んだ。ビルの瓦礫が栄太の立っている場所へと降ってくる。
急な展開にさすがの栄太も驚きを隠せない。
「リリ、魔物の気配は!?」
「あったら言っておるわ。わしの心覚でも捉えられない存在など聞いたことがないぞ。」
すっかり消え失せたビルの場所には煙がもくもくと漂っている。その中に薄っすらと人影らしきものが確認できた。栄太は咄嗟に腰にある剣を抜く。
それは栄太が使用する魔導器の一つである漆黒の長剣、オプスキュリテ。
さすがに魔導器なしでバスティーユ地区に足を踏み入れる度胸はない。というよりもそんなことをするのは自殺しにいくようなものだ。
「•••••••••何かいるぞ。」
「おかしいのぉ。やはり、わしの心覚には反応はない。」
人間や魔物ならば絶対にその存在を知覚することができるリリの心覚が役に立たないことなど初めてのことだった。
自分が知らない未知なる相手か。
恐怖はない。ただこれ以上ないほどに警戒心を抱いていた。
「お、やっぱいたか。人間。」
煙が晴れて、そこにいたのは男だ。人間の。
「あんた、誰だ?」
栄太の問いに男は一度口角を上げる。
「人間ごときが俺に話しかけるとは。くくく、呆れてものも言えない。」
不気味で不思議な感覚。まるで魔物と対峙しているかのような生命の冷たさを男からヒリヒリと感じる。
こいつはやばい。直感で感じ取った栄太は人間としてはかなり優れていると言えるだろう。
「マスターよ、こいつは危険じゃ。わしらが対峙した何者よりもな。」
「ああ、分かってるよ。」
見た目は人間なのに、漂う雰囲気は魔物のように鋭い。
「へぇ、妖精持ちか。初めて見たぜ。」
男はインビジブルで透明化しているリリの存在に難なく気付いたようだ。
「わしのことも見えてるようじゃ。おい!お前、何者じゃ?人間でも魔物でもない存在など聞いたことがないが?」
「俺が人間じゃないと分かるのか?やっぱり妖精の心覚は侮れないな。」
妖精についての知識もあるらしい。突然の危機に栄太はどうするか、頭をフル回転させる。
解決方法というほど立派なものではないが、唯一この難関を乗り越えることができる方法が一つだけ。
「リリ、用意しろ。」
「正気か?マスター。」
「それしか方法がないんだ、仕方ないだろ?逃げ切れるとは到底思えない。」
「まあ••••••そうじゃが。」
「それに俺はこんなところで立ち止まってられないしな。」
「話し合いは終わったか?」
栄太とリリを見ながら男はつまらなそうに言った。
待ってくれるくらいには親切なのか?と深刻さとは無縁なことを考える。
「ああ、終わったよ。お前をぶっ飛ばすってことに決めた。」
「くくく、人間ごときが生意気な。」
ひと笑いしてから男はまるでロケットの如く栄太に向かって飛んできた。
その速さは今まで経験したことのないものだった。気付けば男の手には剣が握られている。
空気を切り裂き、そして今栄太の体さえも引き裂こうとしている。しかしその寸前で栄太は長剣でその一撃を受け止める。
腕の筋肉が千切れた、と思う。それくらいの激痛が襲ってきた。
態勢を崩しかけた栄太は咄嗟の判断で死ぬほど我慢しながらも、その激痛を表情に出さない。いや我ながら凄いと思う。
「やるじゃねぇか、人間。俺の攻撃を受け止めた奴はお前で三人目だ。」
「そ、それはどうも。」
返答するのも苦慮するくらい頭がズキズキする。
「第一魔法陣展開!!!」
栄太の足元に魔法陣が展開され、そのまま体に吸い込まれていく。
「遅いぞ、リリ。」
「すまんの、マスター。奴のスピードが予想以上だったのでな。」
男はリリが付加した魔法が対象者の身体能力を格段に上昇させるものだと即座に気付いた。
その付加魔法を見てもなお男に焦りは見えない。
「妖精、何故人間に協力する?お前は魔物だ。ならば魔物側につくべきだろう。」
「それはわしの勝手じゃろ?お前にとやかく言われる筋合いはないわ。」
人間を辞めた動きで栄太は男に攻勢をかける。
その連続攻撃を華麗に躱して見せる男に思わず栄太は感嘆の声を漏らす。
こんなこと考えてる場合じゃないけど、こいつは今までの何者よりも強い。間違いない。
そんな栄太の肌で感じた確信をリリもよりいっそう感じていた。遥か上の強者だろうと理解していたが、そのまた遥か上の力を持つ生物だったのだ。
剣術の腕も相当だし、初めての負けるかもしれない相手。
リリは気を引き締める。
「マスター、次の段階に進むぞ!出し惜しみしてる場合じゃない!」
「ああ、頼む!」
攻勢をかけたつもりが、逆に相手の動きに翻弄されつつあった栄太もなりふり構ってられないと腹をくくった。
「第二魔法陣••••••展開。」
新たな魔法陣が栄太の足元に展開される。体に吸収されていくのは先ほどと同じだが、魔粒子が体から発散されていくように漏れ出している。大量の魔力を直接体内に取り込んでいる形だ。元々人間に魔力を宿す器官はない。魔法を使う人間は人間ではないのだ。そんな弱い生き物である人間が魔力を取り込めばどうなるか••••••ただでは済まないのは分かりきってることだろう。
「後々のことは任せたぞ、リリ。」
「うむ。存分に戦え、マスター。」
栄太は魔導器オプスキュリテは発見されている全種の魔力を保有しており、全属性の技が使用できる反則級の魔導器だ。そして尚且つ、貴重なのは漆黒の長剣という名声のように黒魔導の剣技を扱える神話レベルの武器だ。
「これからは••••••そう簡単にはいかないぜ?」
栄太がニヤリと笑うと男も楽しげに笑い返してくる。
「お?ようやく楽しめるのか?さっきの動きじゃつまんなすぎてなぁ。」
男の動きのキレ、速度全てが変わる。こんな生命体に人間が敵うわけないと心の奥で自覚する。
だが、今の栄太が勝てないとは思わなかった。
魔導器オプスキュリテが黒い刀身をよりいっそう暗黒に染める。
周囲の空間を消し飛ばす、黒魔導の剣技が炸裂する。今まで、その場に存在していたビルの瓦礫の山は跡形もなく消え去り、何もない平地だけがそこにはある。
「ちっ、外した。」
栄太の視線の先には後方に飛び去った男の姿が。
「その魔導器、普通じゃねぇみたいだな。」
空間を消去する暗黒の力が猛威を振るう。
隕石が落ちたかのような穴が地面にぽっかりと空き、死闘だったことを伺わせる。
ぜえぜえと荒く息をしながら栄太は長剣を男に向けている。
「俺が人間ごときに負けると?」
一瞬で仕留められる、そう思っていた。しかし今、その人間は目の前にしっかりと二本足で立っている。類を見ない存在だと男は認識した。
人間など男にとって虫のような存在、弱者である。そんな相手に手こずっている自分に苛立ちを覚えていた。
そしてその感情の揺らぎは動きにも表れてくる。
栄太の最速の攻撃が男の頬を掠める。即座に離脱しようとする男を吸い込むように空間が切り取られる。ヤバいと思ったのもつかの間、男の右腕右足が消し飛んだ。
血飛沫が舞うこともなく、まるで最初から右の手足が無かったかのように綺麗に切り取られていた。
男が痛みを感じている素振りを見せないのがまた不気味であるが、片方の手足を消すことができたので、栄太が負ける可能性は低くなった。それは客観的に見てもそうだろう。
「油断しちまったな。まさかここまで強いとはな、人間ごときが。」
「人間を舐めるな。地獄で反省しとけ。」
不安定な状態でしゃがみこむ男に向けて栄太は話を聞く間をなく長剣を振りかざした。
今度は血飛沫が舞い、男は倒れ、そのまま動かなくなった。
「死んだ、か?」
「分からん。こやつはわしの心覚に引っ掛からなかった輩じゃ。油断はできん。」
といってもどう見ても死んでいる。これで生きているのだとしたら、もはやどうしようもない。
栄太は体が急に怠くなるのを感じた。緊張がふっと解けたから、という理由もあるが、付加魔法の影響が一番強いだろう。
「ちっ、俺もそろそろ限界かもしれないな。」
「仕方ないのぉ。休めるところを探してみるか。」
そう言って、リリは目を閉じて、心覚を研ぎ澄ませる。
一瞬のことだった。リリはすぐにこっちだと言って案内し始める。
どれくらいの距離があるのか聞きたかったが、聞いたところで行き先を変える気はないため、黙ってリリについていく。
限界だと感じながらもおよそ一キロ近くの距離を歩いた。自覚する限界なんてそんなものなのかもしれない。
リリが案内したのは廃墟になった家屋。周囲に点在する廃墟の中では一番まともで、何よりも寝室のスペースがそのまま残されていた。崩れ落ちてくる心配もないし、一休みするには好都合の場所だ。
栄太はさっそくベッドに横になり、眠りにつく。リリはそんな栄太に呆れながらより強固に周囲の警戒をする。
そんななかで、ふと窓の外を見やると、ミノタウルスが巡回している姿が確認できた。
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真っ暗な視界の奥に赤や緑や黄がごちゃ混ぜになった塊が所々に見えている。それはくっきりとした明快なものではなく、薄っすらとした漠然なものだ。
これは何なのだろうと、思考を巡らせていると、いきなり頭に強い衝撃を覚えた。
「レックスか。何だ?」
「何だ、じゃない。お前、人間に負けたのか?」
レックスという鋼のような屈強な肉体を持つ男が真っ直ぐ強い視線で仰向けに倒れている男を見ている。
「カリファとあろう者が無様だな。」
「け、何とでも言え。」
倒れた男、カリファという名の男は起き上がろうとするが、思うように身体が動かないのか、小刻みに震えるだけだ。
栄太が間違いなく絶命に追い込んだにもかかわらず、消された命の炎は灯火となって点火される。
徐々にではあるが、血だらけの体が再生し、右腕右足も再構築され始めていた。
それはこの世のものとは思えない不可解な光景だった。
しかしその場にいる二人の男には自然なことのようだ。驚きもせずに身体が再生するのを待っている。
「それにしても真面目な話、お前がここまで追い込まれるとはな。久しぶりじゃないか?」
「同じ魔人になら何度も殺されたが、人間は初めてだ。あんなにも粘り強い人間なんか見たことねえ。まあ、妖精持ちだったから、一概に人間だけの力ではねぇがな。」
「ほう、妖精持ちか。人間に妖精が力を貸すなど聞いたことがないが。」
レックスは唸るように考え込む。が、答えは出てこない。しかし同時にその人間への興味がふつふつと湧いてくる。
珍しい小動物を見つけたかのような感情だろう。
「楽しそうだな、おい。」
「そう見えるか?まあ確かにその人間に興味が湧いたってのは事実だが•••••••••」
人間ごときにか?とカリファは冗談半分でレックスの言葉を聞き流したが、普通の人間には絶対に芽吹かない強い殺意をあの男に抱いているのは確かだった。
(ちっ、俺も興味を持っているのかもしれないな。)
そんなことを考えているうちにカリファの身体はほとんど構築を終え、元通りになっていた。