52、アパート
ドアノブが回転し、扉が開いた。
ノックもせずに入ってくるなんて、強盗でもなければその家の住人以外に考えにくい。
――戻ってきてくれた、自分を選んでくれたのかもしれない。
江夏は、そんな風に思ったのだが、アパートに入るなり、秋川あきひとはこう言った。
「きいてくれ江夏。あんじぇらが戻ってきたんだ!」
「…………そっか、よかったね」
「その様子じゃ知ってたんだな。何だよ、たち悪いなぁ、あんじぇらの居場所知ってたんだったら、教えてくれても良かったのに」
「へぇ、そうだったんだ」
「ああ。これで、俺、なんとか生きる気力が湧いてきたよ!」
「そっか」
「今まで、ありがとうな、江夏」
「……ううん」
「それじゃあ、俺は、出てくから!」
「…………」
「またな!」
「…………」
扉の閉まる音がした。
いざとなったら、何も言えなかった。あんな元気な秋川を、長い間みたことがなくて、嬉しいやら悔しいやら憎いやら嬉しいやら悲しいやら泣きたいやら泣きたくないやら。
これでもかってくらいに、こんがらがった配線のようだった。
頭を掻いた。
自分の言葉や自分の無言に、果たして価値があるのかと思って、何も伝えられなかった。
ただ、秋川が駅方面へ元気に歩き去っていく景色を、その振り返る気配さえ見せない背中を、アパート二階の窓から眺めているしか出来なかった。
と、そんな時に来客だった。元気にインターホンが鳴り響く。
扉を開けてみると春木すばるが居た。
「よっ、元気なさそうだな、江夏」
「あぁ、なんだ、春木くんか」
「どうした。秋川が戻って来たとでも思ったのか?」
「いや、ないない」
「そうか。ま、仕方ないよな。柊あんじぇらのものってだけで、あの制服をすっげぇ大事にしてたもんな。絶対あれ、匂いかいだりしてたんだぜ、あんじぇらの匂いだハァハァとか言いながら」
「ああ、してたね」
「ええっ!? まじかよ、気持ち悪いなあいつ。冗談で言ったのに、まさかマジでやってるとは」
「それで、春木くんは何の用なの?」
「なんか冷たいもの言いだなぁ。一人になりたい気分ってとこか? なんなら、気晴らしに海の見える場所にドライブでも――」
そんな風に、ちゃきっと車のキーをちらつかせたが、
「いかない」
「そうか。ま、とにかく、言いたいことは何かっていうとな、もうさ、わかってると思うけど、おれ、春木すばるは、江夏なつみのことが、好きなんだ」
「ごめんなさい」
「ちょ、即答かよ」
「秋川のことが好きなの」
「どっかで妥協しないと、うまくいかないぜ」
「じゃあ、春木くんが諦めればいいじゃん」
「嫌だよ、勝手なやつだな」
「ね、みんな、勝手だよね」
「まあ、でもそれが、人間なんじゃないか」
「じゃあ、あたしも人間。勝手にさせてもらうね。好きでいてくれるのはすごく嬉しいけど、あたしが好きなのは、やっぱ秋川だけだから。これがあたしの幸せだから」
「そんなもんが幸せなもんか。もうちょっと大人になれ、なつみ」
「お断り。あと、どさくさに紛れて下の名前で呼ばないで。秋川にも呼ばれたことないんだから」
春木すばるは江夏なつみから顔を逸らす。
「ああ、もう、見てらんねぇよ」
彼は震えた声でそう言って自らの手のひらで両目を覆い、天を仰いだ。
「でも、多くの何かを助けられたとしたら、ハッピーかなって、思うよ」
「バカだな」
「知ってる」




