春編37話「遅い」
『――……来た』
いち早く事態を察したシルフィーを連れて、そっと街道へと向かう。口に出たのは慣れた言葉で、聞かれたとしてもその意味は誰も分からないだろうし問題ない。
唯一その意味を理解する彼はというと、今はここにはいない。
まだ暗い街道を一人、駆ける。
◇──◇──◇──◇──◇
モンテディオス王国の軍勢が見える頃には、辺りは白み始めていた。何やら冒険者パーティーが合流している。
あいつらはわりと最近この国に来たやつらか。モンテディオス王国で活動していた頃からたまに絡んで来て鬱陶しかったけど。何でわざわざグラティア王国まで来たのかと思えば、そういう事か。どうせ情報でも売ってたんだろう、くだらない。
軍勢の後方にある数台の馬車からは、森で改造魔獣を見た時と同じ臭いがして不快だ。
腐敗した何かと人工物の薬品が入り混じってたあれは間違いようがない……。いつもは穏やかなシルフィーの耳がぺたりと下がり、牙を剥き出しにしている様から間違いはないだろう。
シルフィーの耳がまたピクリと反応する。そしてトゥーリと向かい合って何かを確認している。
『どうしたの?』
尋ねてもトゥーリが目を泳がせて迷っている。
『いや……シルフィーが言うには、だけど!森で裁定が始まったんだと』
裁定、それは守護獣による裁き。悪しき者から魔法を簒奪すること。
彼が怒りをぶつけるとしたら……きっとそういう事なんだろう。向こうも同じような事態が起きている。
『森で、ということはリシアンの仕業かな?』
他にそんな事を仕出かす人はいないだろうし。それならこちらも大丈夫かなと思って一言告げる。
『シルフィー、この国を脅かす者に裁きを』
『ウォォォォーーーン!』
遠吠えが響き渡る。その音は前方にしか届かない。
一人、二人と膝をついていく様子を見る。冒険者もそこらで崩折れているが、こいつらも関与していたという事だろう。
シルフィーの裁定はその遠吠えで効果が発動する。この事を、この国の人は誰も知らない。
影から影へと潜って渡る特殊な魔法で誰にも気が付かれぬよう、幌で覆われていた馬車の前までやって来た。そのまま幌を切り裂くと檻の中には思った通り、改造魔獣がいた。
濁った目はもう正気を失っている。これはもう取り返しがつかない。せめてもと、森では使わなかった魔法を展開する。雷属性の魔法は……誰にも言ってない。
電気を帯びた毛が逆立っているが、これ以上は苦しまずに済んだはずだ。もう一台の馬車も同様に……。
魔獣を屠る事には特に感慨はない。生業だしそんな事で悩むのは今更すぎる。それでも、彼ならどうしたのかなと少し考えるくらいには……辺境の地に自分は染まってきているらしい。
魔獣の開いたままの目は、一段と暗くなったようだ。これ以上もう何も見なくて済むように、その瞼を閉じるように触れる。バチッと小さく音を立てて、痛みが刺すが……それでも事切れた魔獣に安らかな眠りを願うだなんて、焼けが回ったなと思う。
無駄に時間が取られてしまった。これ以上いると勘付かれる可能性が上がる。その前に、今来た道へと引き返す。
途中、グラティア王国の騎士と冒険者が向かっているとシルフィーが言うから道を変えながら街へと戻る。何事もなかったかのように、冒険者たちの元へと合流した。
「どうしたの?」
近くにいた冒険者にそれとなくどんな様子なのかを聞いてみる。
「急襲との情報だ!西側の街道に集まれと騎士団からの情報があった。森側はまだ不明だってよ」
森側はもう大丈夫だと思うけどなと思いながら、彼の話を聞く。
「ルカは街側だろ?反対方向だから早く持ち場に戻れよ!」
そう言い残して慌ただしく走り去るのを見送る。
麓も、混乱こそないが張り詰めた雰囲気が漂っている。拠点となる館付近ではそれが顕著だった。
「リシアンが!まだ何処にもいなくて!」
トゥーリは簡単にそう訳したけれど、あの服装は医官かな?顔を蒼白にして、騎士に必死に訴えている姿があった。その必死さに、思わず少し近付いてしまう。
「エルシア様は表に出ることはなりません!」
その近く、髪を振り乱して貴人を止める侍女の姿を見てそれ以上近付くのをやめた。
よく出来てはいるが、あの髪は鬘だな。焦げ茶の髪から尖った耳先がちらりと見えてはまた隠れた。
「私に出来ることがあるなら何だってするわ!私が……私の姿が見えたらモンテディオスの騎士たちだって分かるはずだもの」
イヤイヤをするよう身を捩り、チェーンが長いのだろうネックレスが揺れている。
「……そのネックレス」
医官の顔色がいよいよ悪い。俺も見たことがあるけれど、あれはリシアンのだよね。
なるべく貴族とは関わりたくないんだけどなぁと思いながらも、歩みを進める。
「リシアンは、無事です。心配しないで」
医官の手にはリシアンの耳飾りがあって、その意味を彼から聞いているので心配するのも納得だった。
「あの?貴方は……?」
青褪めた顔に気の毒になる。
「彼の友人です。従魔から、彼が無事だと言う事は聞きました。だから大丈夫」
シルフィーを見て、ハッとしたということは銀影狼だということにすぐに気が付いたんだろう。
力が抜けたようにその場に座り込んだ医官はリシアンの身内か何かだろうか?兄がいるとは言っていたけれど、雰囲気が随分と違うし判断に悩む。
場の雰囲気が少し変わったからだろうか。少しずつ落ち着きが戻ってくるのを感じ取る。
「エルシア様、戻りますよ?」
そう声を掛けている侍女と少しだけ視線が合う。人差し指と小指は立てて、残りの指を全部くっつけるハンドサインをして見せる。
面白いように侍女の顔色は変わって、半ば強引にその場を離れていったのがおかしくて笑う。
昔、弟にしてみせた「狐」を意味する二人だけの秘密。あんなに慌てるなんて、あの子もまだまだだなぁと思った。
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傷付いた異形の、改造されたお蚕さんに白玉もちは少しも怯むことがない。
そしてするすると糸を紡いでいく姿は何だか……。
『ドゥイェリパ……』
そう呟いて、白玉もちを見守る精霊たち。
「おい、そのドゥイエリパ?って何を意味するのか教えろ」
一番近くにいたのを手っ取り早く捕まえる。わたわたと周りの精霊たちがそんな俺を止めようとするけど、嫌な予感しかしねぇんだよ。
『スノウモスルァー、ドゥイェリパ』
風乃がスノウモスルァーをしっかりと指さしてそう言う。
『ジニャタミャーモチィ、ドゥイェリパ』
分かった?というように首を傾げるのは止めろ。何となく分かったけど、分かりたくはない。
「……白玉もちって、守護獣なわけ?」
それでも一応とばかりに確認はしてみる。
『『ルイニャー!』』
そうだよ!じゃねぇんだよ!知ってたな?!お前ら、知ってて白玉もちの世話を俺に押し付けてきたんだな?
だから、あんなにも過保護に育て……気が付いたところでもう遅い。
これは聞かなかった事にしてもいいだろうか。誰も見てないしセーフ判定ってことにここは一つ……。
俺が悩んでいるうちに、何かが終わったらしく白玉もちがこちらへと寄ってくる。そして定位置とばかりにポケットに潜り込んでこようとするけど、もうそこに収まるサイズじゃない。
改造されたお蚕さんは……翅はボロボロだけど、元の姿を取り戻していた。
その目に敵意はもうない。
結界から出て来た森の仔たちが、近寄ってもその身を預けるだけでもう長くはないんだなということは察した。
森の仔たちはしきりにこちらに何かを伝えようとしているけど、よく分かんない。とりあえず拝むのに似た仕草はやめてほしいところ。
「リピニャア、ただいまー!」
弾丸のように飛び込んで来たのは、火乃だった。
「ちょっと、お前……遅い!色々と遅い!」
ぎゃあぎゃあ言い合っていて、その背後にいる人物には全く気が付かなかった。
「やぁ、魔王伯。何が遅いのかおじさんにも分かるように教えてくれはしないか?」




