76 ジェニファの悩み
その日、寮に戻ると、マリちゃんは既に王宮から戻ってきていた。今後のことについて、嬉しそうに話す。
「月に二回、星の日に王宮に行って治療院のお手伝いをすることになったの」
「星の日に?お休みが一日潰れてしまうじゃない」
「いいの。見習いっていってもお金はもらえるし。それで、シホちゃんにお願いがあるんだけど、王宮に行かない週末に、ターンおじさまに魔素術を習いたいんだけど、シホちゃんからおじさまに話してもらえないかな。勿論私も直接お願いするけど、今度の星の日には王宮に行くことになっているから行けそうになくて」
「わかった。父さんに話しておく。でも、何で今更魔素術なわけ?マリちゃん、十分にできるじゃない」
「あのね、本当は王宮に行くのはもう少し先にしようって言われてたの。
王宮にも不埒な輩はいるから、もっと魔素術を磨いて自分の身を守れるようになってから来るようにって。でも、そこをお願いして行かせてもらうようにしたんだよ。ただ、条件として、魔素術は身につけておけって」
「ああ……。でも、それなら魔素術より体術なんじゃない?普通に人間相手に身を守るくらいなら、もうマリちゃんはできるでしょ」
「体術……。それって、おじさまは教えられる?」
「どうだろう。高原の民にも独自の護身術はあって、全員が習うことにはなってるけど、父さんが人に教えられるほど得意とはきいたことはないなあ」
「シホちゃんはできる?」
「一応できるよ。でも、人に教えられるほどかっていうとそうでもない。第一、高原を出てから稽古を受けてないし。時々父さんと型くらいはやるけど、それだけじゃ十分じゃないよね」
「どうしたらいいんだろう……」
「体術なら、騎士とか護衛の範疇だから、会長さんにお願いして誰か紹介してもらったら?」
「……そうなんだけど、でも、今回の王宮の件、おじいちゃまたちにも秘密にしていて」
「んー、それって親にも秘密にしてるってこと?」
「勿論。あの人たちに知られたら全部台無しにされるわ」
「未成年なのに、手続きとかいろいろ大丈夫なの?」
「事情が事情だから、王宮の方で後見人をつけてくれるって」
何だか配慮が行き届いているなあ。
「親に秘密にしているのはわかるけど、何で会長さんたちにまで秘密なの?」
「……今はもう、おじいちゃまよりも伯父様の方がいろいろなことに影響力が強くて、おじいちゃまだけに話しても伯父様の耳に入ることになる可能性が高いの」
「で、伯父さんの耳に入ったら伯母さんの耳に入るだろう、と」
マリちゃんは頷いた。
私は考えた。騎士とか護衛とか、そういうのは貴族にきけば話が早いのではないか。
翌朝、朝食のときにジェニファに相談しようと私は考えていた。が、食堂に現れたジェニファは暗い表情をしていて、そんな話をいきなり持ち出すことはできいなかった。
「おはよう、ジェニファ。どうしたの、眠れなかったの?」
「おはよう、シホちゃん。……あのね、昨日、魔法で通信がきて、従者は家の方で話し合って決めるからって言われたの」
私とマリちゃんは顔を見合わせた。とりあえず、朝食が載ったトレイをそれぞれ受け取り、食堂の隅のテーブルに三人で陣取る。
「ジェニファは、タロスさんに従者になってほしいと思ってたんだよね?それが駄目になったわけじゃないんでしょ?」
マリちゃんがそっと訊ねるが、ジェニファは首を横に振った。
「駄目なの。兄様がはっきり、女性の従者をつけるって言ったから。……多分、兄様の女性の知り合いの中で誰か腕前のいい人にお願いするんじゃないかしら」
「でも、魔素術を使える知り合いなんてヨハンの知り合いにそうはいないんじゃないの?」
「もしかしたら魔法使いでも治癒術を使える人を連れてくるのかもしれない」
魔素術は誰でも使える可能性がある。貴族で魔素術も使える者は少ないが、魔素術の一種である治癒術だけは身につけている魔法使いもたまにいる。
とはいえ、平民の魔素術師が使う治癒術の方が断然効果があると私は思うのだけど。
朝食の時間はジェニファを慰めることに終始し、マリちゃんに体術を教えてくれる人を紹介してもらえないか、ジェニファに訊ねることを忘れてしまっていた。
私は、また今日の部活の時間にお願いすればいいか、と考え直した。ジェニファと昼食時に食堂で会うことは最近は難しくなっていた。ジェニファが宴の出席者に選ばれてから魔法科の友人が増え、それらの生徒たちと行動を共にすることが多くなっていた。
その日、私は魔法部に行くことになっていた。近々魔法部がマツカサリュウの世話のためにテッサ山脈の向こうに行くことになっているとかで、その打ち合わせのために魔法部に顔を覗かせるようにとファラーグ先輩に言われていた。魔法部は先生から、私がラヴィの世話をできるよう、手助けをするように言われているとのことだった。ジェニファも多分部活には来ているだろう。
その日の授業が終わり、私は魔法部の部室に向かった。
魔法部の部室は魔法科の棟の最上階にある。普通なら魔素術科の生徒が足を踏み入れることのない場所だが、もう私などは慣れたものだった。普通に魔法科の棟に入っていく。
とはいえ、あまり魔法科の生徒たちを刺激したくなかったので、生徒に一番出くわさなくてすむだろうと思われる外階段を通ってそこから魔法科棟の最上階に入る。
その階には魔法部の部室しかなく、普段廊下に人気はないのだが、その日はなぜか人が滞留していた。
どうしたのだろうと思いながら部室の入り口に近づくと、張りのある声が私に掛けられた。
「シホ・アリス・ゼン、やっと来たか。待っていたぞ」
アンリウォルズ先輩が、クロウの義兄と一緒に、部室の入り口を塞ぐように立っていた。部室の中に入っていたファラーグ先輩とガリエス先輩が心配そうにこちらを見ている。
「あの、私に何か用ですか」
「うむ、話があってな。ファラーグ、どこか部屋を借りられるか」
「あ、はい、どうぞ」
ファラーグ先輩が魔法部が管理する部屋のうち一番奥の部屋を手振りで示した。
アンリウォルズ先輩とクロウの義兄は堂々と魔法部の部屋の中に入っていった。私はその後ろ姿を呆然と見送っていたが、私がついてきていないことに気付いたアンリウォルズ先輩が振り返り、私に言った。
「何でそこで止まっている。ついて来ないか」
どうして私がついてくるのが当然と思っているのか、と思いながらも私は渋々ついていった。と、私のすぐ後ろをガリエス先輩がついてきた。
「先輩?」
「一年生一人で三年生二人を相手に話をするのは避けた方がいい」
「あー、それは俺も同感。俺らもついていくよ」
ファラーグ先輩も言う。このやりとりは三年生二人の耳にも入っていたらしい。アンリウォルズ先輩は少し呆れた様子で、クロウの義兄は片方の眉をあげてみせていたが、何も言わなかった。
結局、部屋には五人で入った。ジェニファがいれば良かったのになあ、と思ったが、ジェニファはまだ部室に来ていなかった。まあ、仕方がない。
「それで、一体何の用なんですか」
全員が席に着くなり、私はアンリウォルズ先輩に訊ねた。アンリウォルズ先輩は朗らかに言った。
「宴の従者の話だ。お前は誰も連れていかないときいたが」
「ああ、そうですね。それが何か?」
「まだ宴の内容がわかっていないが、一人で行くのはやめた方がいい。今まで従者なしで参加した者で生きて戻ってこられた者はいない」
「あー、知ってますよ。調べましたから」
「それなのに連れていかないつもりなのか」
アンリウォルズ先輩が呆れた様子で言う。私は肩をすくめて見せた。
「そもそも、従者なしで宴に行った例がそもそも少ないんですよ。その人たちがたまたま死んだだけかもしれないし、やってみないことには」
「だが、それでもし帰ってこれなかったら」
「まあ、そのときはそのときですよ。平民で、まだ成人したてで背負うものもそうないから、貴族家の当主が死ぬのと比べると大したことじゃないかもしれないですよね」
なるべく明るい面をみるようにと思って言ったのだが、一同は険しい表情をしていた。特に、ガリエス先輩の眉間には深い皺が刻まれている。
「そんなに軽く言うな。君には家族も友人もいるだろう」
「まあそうですけど。でも、宴の出席者に選ばれたときから生きるか死ぬかの話になるなんてのは最初からわかってた話ですし。今更ですよ、そんなの」
ため息まじりに言うと、ガリエス先輩は顔を両手で覆った。何でそんなショック受けた感じになるかなあと思って私は先輩を見ていた。
そんな私にアンリウォルズ先輩が力強く言った。
「アリス・ゼン、そういう考え方は良くない。確かに宴の出席者に選ばれた時点で死の可能性は色濃くなるが、君のような考え方だと、帰ってこられるものも帰ってこられなくなる」
「どういう意味ですか」
「要は気の持ちようということだ。同じに絶望的な状況にあっても、生きようという意思が強い者が帰ってこられる」
「別に、生きたくないと思っているわけじゃないですよ」
「だが、死んでも仕方がないと思っている。そういう態度は、魔を傍に置きやすくする」
「まさか、そんな」
私は鼻で哄った。高原で生まれ育ち、魔は相容れないもの、拒絶すべきものと骨の髄までたたき込まれた身だ。魔を傍に置くなんて、あり得ない。
だが、アンリウォルズ先輩は真剣な様子を崩さなかった。
「少なくとも、あれらを積極的に拒絶する、というところまではならないということだ。アリス・ゼン、君は自分の態度を考え直す必要があるぞ」
私はアンリウォルズ先輩を睨みつけた。何でそこまで言われないといけないんだ。
しばらく部屋を沈黙が支配した。それを破るように、ファラーグ先輩が明るい声で言った。
「それで、先輩方は何のご用で?アリス・ゼンさんが従者を連れていかないことを確かめに来られたのがその用件ということでいいんですか?」
「そうだな。もしそれが本当だったら、私を従者として連れていくように言いにきたんだが」




