02 朝粥 ひなまつり
朝日が刻々と早くなる。
その日も、セツはフトンで朝日が上がるのを待っていた。
「ヨシ、おはようございます」
「おはよう」
セツは台所の鉄瓶からマグカップにお湯を注ぐと、こたつに座った。
湯気を眺めながら、一口ずつお湯を含む。 胸の奥から腹へと、熱が静かに降りていく。内側に溜まった熱が、やがて指先や足先へとゆっくり溶け出していった。
「ヨシ、いつも何を書いているのですか?」
「これかい?まあ日記みたいなもんだよ。字がうまくなりたい気持ちもあるからね」
セツがちらりとヨシ美の手帳を見る。
文字列が記録ではなくヨシ美を映した波形のようだった。
「おまえさんも書いてみるかい?」
そういうとヨシ美はピンク色の手帳をセツに渡す。
セツは手帳を眺め、開き、ページをめくる。
いっしょに渡されたペンを握るがページを開いたままだ。
無意識でマグカップに口をつける。だが、そこにはお湯がなかった。
その様子を見ていたヨシ美は、少しだけ間をおいて言った。
「そろそろ、朝飯にしようかね」
朝は粥だ。それとぬか漬け、梅干し、最近は卵焼きが付いている。そして粥の変化に気づいた。
「最近の粥の粘質が上がっています」
セツが記憶を参照しながら言った。
「嫌いかい?」
「おいしいです。それぞれに違いがあります」
今日の粥は冷めにくい。セツは卵焼きを箸で切り、口に運んだ。
ぬか漬けのきゅうりをコリコリと食べながら粥を食べる。
ちょうどよい温度になった。粥はいつもよりゆっくりと身体に入る。
「セツ、今日はお雛様を飾ろうと思う。セツもいるし、久しぶりに飾ろうと思う」
「おひなさまとはなんですか?」
「飯を食ったら見てみようか」
***
二人は納屋で掃除をしていた。「おひなさま」はだいぶ奥にあるようだった。ついでだしと、二人は掃除を始めた。
「セツ、これを頭につけな」
ヨシ美は三角の布を差し出した。
セツが頭にのせると、ヨシ美は自分の髪を包むように布を結び、そのまま何も言わずにセツの布も結んだ。
「髪をね。汚さないようにするんだよ」
納屋には、セツのデータには存在しない物が多かった。
大きな木の器とハンマー。
持ち手がある石の二枚の円盤。
木でできた大きな鍋。
半分に割られた竹。
乾いて色の抜けた草の束。
そして大きな石がところどころに置いてある。
どれも用途が一つに定まらない。ただの「物」が、人の手に握られることで初めて「道具」に変わる。そのあわいにある、名付けようのない形をしていた。
セツは自分の手を、その古びた道具の「手」に重ねた。 使い込まれた柄を握りしめると、じっくりとその重みを確かめた。 セツは、くすんだ色を布でこする。 しかし、染み付いたくすみは、落ちなかった。
ヨシ美は迷いなく身体を動かしている。
手を止めず、視線も落とさず、必要な物だけを拾い、余分な物は脇へ寄せる。
セツはそんなヨシ美の動きを少し遅れてなぞり、同じように埃を払い、同じ場所へ物を置いた。ヨシ美はそんなセツを見て、何も言わなかった。
***
いろいろな箱を居間まで運んだ。セツは一つ一つ運ぶが、ヨシ美はいくつか重ねて箱を運ぶ。
「さて、運び終えたね。私は納屋を少し整理するから、セツは箱から全部だしておくれ」
セツが箱を開けるとそこには小さな箱がたくさん入っていた。他の箱には紙に包まれた何かの骨組みやライトや布があった。セツは膝をつき、丁寧に小さな箱をこたつの上に並べていく。
一通り作業を終えると、セツは小さな箱を開けてみた。
未定義の匂いが、ふわりと立ちのぼる。それは甘くも苦くもなく、乾いた木箱や古い布の匂いのようだ。
かつて自分が入っていた段ボールが、セツの脳裏に浮かんだ。
紙の包みをゆっくりと開ける。
そこには浴衣を何枚も着ているヒトガタがあった。
「私はセツです。あなたはだれですか?」
セツはヒトガタに聞いてみたが返答はなかった。
ヒトガタの目にはセツが映っていた。
慎重にそのヒトガタを取り出し、こたつに並べていく。
すべて並べると、セツはゆっくりと息を吐いた。
***
セツはヨシ美といっしょに、雛人形を飾った。
「それはお内裏様。こっちは五人囃子だよ」
ヨシ美は一つひとつ説明しながら、丁寧に並べていく。 二人の手によって、ひな壇が少しずつ賑やかになっていった。
「これはなんですか?」 セツが指さしたのは、4色の丸いもの。
「それはあられ。雛あられだよ。お供えものなんだ。ひな祭りは、おめでたい”晴れの日”だからね。ごちそうを作らないといけないねぇ」
ひしもち、白酒、ちらし寿司、はまぐりのお吸い物。 ヨシ美が作る予定の料理をゆっくり数え上げると、「セツにも手伝ってもらうからね」と付け足した。
セツのお腹からグーっと音が鳴る。
その様子を見て、ヨシ美は笑った。
「さて、まずはお昼にしようか」
お昼ごはんは、温かいお蕎麦だった。 セツは箸とスプーンを使い、小さなお椀に分けて口に運ぶ。 ヨシ美は一味をぱらりとかけて、ズズッと音を立てて蕎麦を啜った。
***
次の日の朝、セツは手帳を開いた。 昨日のページに「雛人形セットアップ」と記録し、3月3日の欄には「ひなまつり」「ごちそう」と、一文字ずつ確かめるようにゆっくりと書き込んだ。
パタン、と手帳をしまうと、マグカップに残っていたお湯をぐっと一気に飲み干した。
「朝飯にしようか」
台所からヨシ美の声が聞こえると、セツは「はい」と短く応えた。エプロンの紐をキュッと結び、彼女は台所へと向かった。




