01 きゅうりのぬか漬け
「ええと……
風呂に入れると、起動します、だって?」
ヨシ美は、紙切れを目の前に掲げて、首をかしげた。
「なんだいこれは。
こんな仕様、ほんとにいるのかい。
ロボさんよ、手書きのメモ以外に何かないのかい?」
「安心、安全、かゆいところに手が届く便利ロボの力太郎です。マダム、商品とそのメモ以外にお届けするものはありません」
「マダムじゃないよ。ヨシと呼んでおくれ。そうだね、力太郎さんや、ちょっと頼まれてくれないか?」
暖かい日の昼下がりヨシ美は力太郎と納屋に行くと、ホコリまみれの大きな金属製の物を指さした。
「これを運んでくれないかい?」
「了解しました。これは良い重さですね。腕が鳴ります。ちなみにこれは何ですか?」
「風呂だ。ゴエモン風呂だよ」
「……データにありません。これは未知の挑戦です。これは火の力で風呂を沸かす装置ですね?」
力太郎は軽々しくゴエモン風呂を持ち上げる。
「よくわかるね。さすが力太郎さんだ」
「お褒め頂き感謝します。ヨシさんこれは特別な設置が必要だと思います。ここは力太郎にお任せを、もちろんサービスです」
そう言うと力太郎はゴエモン風呂の設置を行った。納屋にあった使えそうなものを並べ、簡単な屋根を作り、井戸の近くに設置した。そしてさっとゴエモン風呂を磨き綺麗にする。
「ずいぶん手際がよいね」
「ありがとうございます。私も貴重な経験ができ光栄です。ヨシさん、もしよろしければ火をつけてもよいでしょうか?」
「あんたも面白いこと言うね。薪はあっちにあるよ」
力太郎は風呂の準備を終えるとヨシ美にお礼を言って帰っていた。
「さて、風呂に入れるかね」
そう言うと、ヨシ美は袖をまくった。
段ボールを開けると、 少し薄汚れた、おとなしそうな顔をしたアンドロイドが入っていた。家電屋のアウトレットのすみに、ぽつんと置かれていた。
「よいしょー」
ヨシ美は、見た目よりも力持ちだ。アンドロイドを抱えると、ゆっくりと、ゴエモン風呂の中へ沈めると、湯気が、ふわりと浮き立った。
***
「起動しました。機能異常なし。バッテリー低下。補助電源使用します」
湯の中から、静かな声が聞こた。
「おや、おや。ちゃんとしゃべるじゃないか」
ヨシ美は、ほっとして続けて言った。
「おまえさん名前は?」
「SEI-2です」
「それじゃセツと名乗りな。私はヨシ美だ」
「了解しました。私は、セツです。ヨシ美様」
「そんな呼ばれ好きじゃないよ。ヨシでいい」
「はい、ヨシ様」
「様もいらん」
「わかりました。ヨシ」
ヨシ美はセツを手ぬぐいで洗った。真っ黒な髪の毛は汚れが落ちると、綺麗な銀髪になった。セツは湯舟でじーっとしていた。時折、キョロキョロと辺りを見回す。ヨシ美は一通り洗い終えるとセツを風呂から出してタオルで拭いた。
「寒くないかい?」
「ぽかぽかしてます。あれはお風呂ですよね?」
「ゴエモン風呂だよ。誰も使っちゃいないと思うがね」
「データにありません。あれは新発明ですか?」
「いや、昔のものだ。縁が重なってね。特別な日だしね」
***
二人はヨシ美の家に入り、セツは服を着た。
「これは私が知る服とは違っています」
「浴衣だよ。晴れの日だからね」
「ヨシも浴衣を着ていますね?」
「そうだよ。いつも着ているよ」
「毎日が晴れの日なのですか?」
「あっははは!そうかもしれないねー」
セツはヨシ美の笑顔を、じっと見つめた。
「セツ、あんた飯を食ってエネルギーにするって本当かい?」
「はい、生体エネルギーを利用できます。あとは太陽光発電と外部プラグによる充電ができます」
「それじゃ、これ飲んで」
「これは?」
「梅シロップだよ。
風呂上りにはちょうどいいんだ。あとこれもお食べ」
おにぎりと、きゅうりのぬか漬けが並んだ。
記憶の奥にある指示――
ゆっくり租借する。
その通りに、口を動かした。
おにぎりの中には赤くて酸っぱいものが入っていた。
それはセツのデータに存在しないものだった。
「ぽり……ぽり……」
「おいしいかい?」
「はい。
生体エネルギーがどんどんたまっていきます」
「それはおいしいってことなのかい?」
「私的にはごちそう、という分類になります」
ヨシ美はセツがおにぎりを食べる様子を眺めていた。ゆっくり、ひと口ずつ、大事そうに。その食べ方はヨシ美が、いちばん好きな食べ方だった。
セツが食べ終わると、ヨシ美は部屋を案内する。セツは部屋にあるものが何なのかわからなかった。
「ヨシ、私はロボットです。何か命令をしてください」
「まあ、ゆっくりとするといい。今日目覚めたばかりだろ?」
「はい、58年ぶりです」
ヨシ美はセツをしばらく眺めた。
伸びた背筋をさらに伸ばす。
そして、セツの目をしっかりと見た。
「その前は何をしていたのかい?」
「覚えていません。記憶を消去されたようです」
ヨシ美の表情に走った微かな変化を、セツは確認した。
「セツ、よく聞きな。おまえさんは私の弟子になるんだ」
ヨシ美はセツの手を両手でぎゅっと握る。
その手は暖かった。
セツは弟子の定義を照合した。弟子は自分から志願するものと定義されていた。視界がわずかに揺れた。ヨシ美の握る手が柔らかくなる。
「わかりました。私はヨシの弟子になります」
セツは自分から弟子になることを志願した。視界の揺れがなくなり、ヨシ美の手の温もりがセツにしっかりと伝わった。
***
「それをお持ち」
「これは?」
「ぬか床だよ。おまえさんの大事な初仕事だ。セツ、おまえさんはこのぬか床を守るんだ」
「何から守るんですか?敵はいるのですか?」
「あっははは!ぬか床は知っているのかい?」
「大まかにしか知りません。発酵食品を効果的に作成する装置です」
「これは今も生きているぬか床だ。セツ、手を洗いに行こう」
ヨシ美はぬか床に膝をつき、身体ごと下から掬い上げるように混ぜている。 セツも倣い、膝をつく。ぬか床を返す。 指の間で、ぬかが次第に柔らかくなっていく。
湿度、粘度、温度…… 次々と蓄積されていく。
混ぜる手の中に、萎れたきゅうりが現れた。 セツはそれをそっと持ち上げる。指の間から、ぬかがゆっくりと落ちた。
「……おお、当たりを見つけたね」
「当たり?」 セツは指先にあるものをしげしげと見つめた。 「これはきゅうりです。食べたことがあります」
「古漬けだよ。もったいないから、夕飯に食べよう」
「もったいない」 その言葉は、セツの中ではどこにも当てはまらなかった。 保存効率、再利用率、投入労力……。ヨシ美の声に含まれる響きとは少しずれていた。
「……役目が、変わっただけだよ」
ヨシ美は小皿を出すと、セツはきゅうりをそっと置く。
その瞬間。
ひとつの静かな空間が生成された。
「”――――――”」
セツはもう一度、ぬか床を下から返した。
ぬか床は初めよりも柔らかく指が入る。
「セツ。ぬか床はね、毎日、少しずつ変わるんだ」
ヨシ美は古漬けのきゅうりが乗った小皿をテーブルに置いた。
「変わっちゃいけないところも……ある」
セツはヨシ美の言葉を聞きながら、ぬか床の奥。
まだ光の届かない、冷たい場所に手を伸ばした。
***
二人は縁側でお茶を飲んでいた。お茶菓子は塩昆布とヨシ美から教わった。ヨシ美は大きな湯呑みからお茶を啜る。セツはマグカップを選んだ。持ちやすさを考慮し選んだ器だ。
「ヨシ、私はネットワークに繋ぐことができます」
お茶が熱くて飲めないセツは、湯気を見つめながらヨシ美に言った。
「セツ、おまえさん基本的な知識はあるんだよね?」ずずずとお茶を啜りながらヨシ美は言う。「はい、大まかな基本知識はあります」セツはマグカップの取っ手を両手で掴むと、息を吹きかけて冷ました。
「自分で学習もできるんだよね?」その様子をヨシ美はしっかりと見ていた。「はい、会話や見たもの、経験したこと、また本などからも学ぶことはできます」
ヨシ美は湯飲みを抱くと、視線を天井へ向けた。それから庭にある梅の花を眺めた。
「とりあえず、今ある知識で暮らしていきな。書庫には本がたくさんある、それを読んでみるといい」セツはこくりとうなずくと、少し冷めたお茶を飲んだ。舌が縮む。熱と苦みが参照される。
庭のどこかで何かの音がした。短く鳴いては、風に流されて消えていく。「カラスだよ」ヨシ美が大きな湯呑みを両手で持ちながら言った。少しして、また別の声が小さく響く。「今のはすずめだね」
セツは首を傾げ、音の方向を確かめるように耳を澄ませた。自然と耳に手を添える。その様子を見て、ヨシ美は口元を緩めた。
風が突然「ヒュッ」と吹いた。木々の葉をサラリと揺らし、林の奥ではっきりと「コン」と響く音がした。セツはこの音がする方をじっと見つめた。ヨシ美はこの一連を見て手が止まった。
セツは縁側に落ちかけた陽光に、手のひらを重ねた。確かな温かさがあった。セツはヨシ美の手を見つめる。ヨシ美は時折、思い出したようにセツへ声をかける。
「体調は大丈夫かい?」 「寒くないかい?」 セツはそのたびに小さくうなずき、マグカップを両手で包みこむように持つ。縁側に差し込んだ夕日が、セツの銀髪に焚火のような暖かい光を宿した。
「生体エネルギーが、満タンになりました」 セツはお腹をさすりながら告げた。 「それはいいことなのかい?」 「はい。補助電源にも、充電が行われています」 「へえ……。セツ、おまえさんも呼吸が必要なのかい?」 「生体エネルギーの取り込みに必要です。言葉の発生にも」
「そうかい。……そろそろ夕方だね。畑で食材を採って、夕飯を作ろうか」 ヨシ美は立ち上がり、セツの頭をなでた。 「きれいな銀髪だね。店頭にいたときは、本当に真っ黒に汚れていたんだね」
ヨシ美はセツの手を握ったまま納屋に向かった。
ヨシ美は作業着をしっかりと着こむ。セツはヨシを見ながら真似て着込んだ。同じ色の帽子を被った二人の影は重なり合うようにして、夕闇の畑へと向かっていた。




