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男には、剣を振るう以外に、何の取り柄もなかった。
悪魔のように空を飛ぶことも。魔人族のような桁外れた腕力もなければ、ダークエルフのように一際、耳がいいわけでもなかった。
ただ、男は誠実に、熱心に代々受け継がれてきた剣の道を歩んできた。その成果か、彼は自身よりも遥かに、能力に恵まれたもの達と対等に渡り合えた。
魔族社会では、常に、新たな種が生まれては滅びていく。強者が生き残り、持たずして生まれたものは淘汰される。それが魔界での理だった。
彼らの一族もまた、後者の一途を辿っていた。
弱さこそ罪。だから、誰も彼らの扱いに苦言や、疑問を唱えるものはいなかった。
いつかは絶滅する種族―――。
そう約束された未来を覆したのが、ハデルの父親だった。
見事に形成された岩層を背景に、ロアは鉱石の光を頼りに愛馬を走らせていた。
蹄鉄の音が洞窟内に反響する中、ハデルは騎乗者の後ろに座り、やっとの思いで肩の荷を下ろす。マイナスに近い洞窟内の冷えた空気が、ハデルの陶器のような肌に籠った、地上での熱を急激に下げる。
目鼻立ちの整った横顔は、地上にいたときよりもどこか色つやが整って見えた。
彼女の体質なのだろう、地上の生暖かい空気よりも、故郷の肌を刺すような凍てついた空気が心地良かった。
早くこの空気を全身に巡らせたいと考えるほどで、瞑想の如く息を吸っては、ゆっくりと吐き出すことを繰り返す。
「アザレスはどうだった?」
手綱を握り締めながら、ロアが背中越しに話題を振った。目的地までの、ちょっとした気晴らしくらいにと考えてのことだろう。
何気ない問いかけとは裏腹に、ハデルは呼吸を整えつつ言葉に詰まった。
彼も、アザレス遠征での決まり事は熟知している。
特に、彼女が危惧しているのは、天使と戦闘を行った事実を、実の母親に告げ口されるのではというものだった。
ハデルの母親は、娘の戦争参加に否定的だ。
にも拘らず、現状、なぜかハデルは野放しになっている。実際、前戦への参加条件であるアザレス遠征にも向かうことができた。
敢えて目を瞑っているのか。それとも、何かしら永続的に戦争から遠ざける状況を模索しているのか。どちらにせよ、何か企んでいることに違いはないというのがハデルの見解だった。
その監視役に、従者であるロアが候補に挙がっていても違和感はなかった……。
「なにも……、」
――なかった。そう言い、そっぽを向いてはぐらかすこともできた。
その光沢を纏う漆黒の鎧から、目が離せない。まるで、己の内なる黒い部分を見透かされているような感覚。
今、彼はハデルのために馬を走らせ、ハデルの気晴らしのために対話を選んでいる。
敢えて言いかけた言葉を噤んだのは、同時に、これまでの彼が、ハデルために行った言動を知っているからこそ。
ロアなら、理解した上で協力してくれるかもしれない、と。
長い付き合いだからこそ、賭けてみたくなるもう一つの"信じたい"という可能性―――
―――が、勝った。
「……炎の天使に、会った」
淡々と、内心では祈るように、ハデルはゆっくりとアザレスでの出来事を語りだした。
不本意ながらも、任務外である領域に足を踏み入れたこと。そこで天使と遭遇、戦闘になったこと。ザクロの死―――。
自身の犯した罪を一つ一つ暴露しているようで、その度に肩身が狭くなっていく。
ハデルの視線を、背中越しに一身に受けながら、ロアは何も言わずに先へ進み続けた。彼女の発言の一言一句に、張り詰めた空気が混じっているのを感じつつ静かに受け止める。
「強かったか?」
話が区切りを向かえると、兜越しの籠った一声が、ハデルに投げかけられた。
そこには、叱責や落胆といった念はなく、純粋な一人の戦士としての興味が滲み出ている。
意外な視点への深堀に、眉を顰めながらも、最後に声をかけてきた大天使の顔が浮かぶ。
「さあ……? 少し会話をしただけだから、わからないわ」
「そうか、……ならばよかった」
会話はそこで終了した。
言及されるかと構えていたが、ロアは安堵の声を漏らすと、馬の操作に専念してしまった。
拍子抜けな結果に、暫く、ハデルはあっけにとられていた。目を丸くして、その分厚い背中を見つめている。
ロアはあまり口が達者な方ではない。どちらかといえば寡黙で、聞き手に回ることのが多い。それはハデルも同様だが、彼の前では自然とよく喋った。故に、口を滑らせることも稀にあった。
「ルールを破ったこと、深く聞かないの? ……母様から、私を、前戦に出さないようにって……、頼まれてるんでしょ? それとも、このまま黙って連れて帰るつもりかしら」
不躾に、半ばからかうような口調で、自身の今後の扱いについて尋ねる。
右手を頭の位置に挙げると、闇よりも深い、自身の黒い長髪を軽く梳かした。それが、彼女にとって気持ちを落ち着かせるための仕草だと、本人は気付いていない。
正直、彼女の母親ほどの権力があれば、一人娘を無理矢理、戦いの道から遠ざけることなど造作もないことだ。
そうなれば、もうハデルに打つ手はない。
なんでもいい、娘の粗を探せ……。
そう命じられれば、そちらを優先するに決まっている。
返答を待っていると、突如、馬が癇癪を起こしたかのように暴れ出した。いきなりのことに、ハデルの身体は大きく揺れ、今にも、振り落とされる寸前だった。
「ちょっと……っ、……」
文句の一つでも言ってやろうと、キッと騎乗者を睨みつけた。そこで、踏みとどまる。
彼女の経験から、彼の乗馬技術はとても素晴らしいものだ。今まで、このような粗相があったことは一度もない。
だからこそ、背中越しからでも伝わってくる。
「ハデル」
今の彼は、とても怒っている。
「あの御方の行いは偉大だ。お陰で随分と、多くの種族が生きやすくなった。価値のない我等を救い、価値を与えたのが、お前の偉大な父親であり、そんな男が愛したのがお前の母親だ。我々には、この生涯に懸けて、この恩に報いる義理がある……。故に、」
初めこそ強かった口調は、徐々に馬の動きと連動して落ち着きを取り戻していった。
「私が優先するのはハデル、お前だ」
まるで、真正面から告げられているような、地の底から湧き上がってくるかの力強い声で。
「"その身砕けようとも、娘を護れ”それが、フルーレティ様から私に課せられた使命だ。従って、私が第一優先にするものは他でもない、その娘にある。たとえ、命令者の意に反することがあろうと、……もし、その娘に貫きたい想いがあるのならば、私は黙ってその道を斬り開くぞ」
身の潔白を証明するように、ロアは己の考えを踏まえた上での立場を暴露した。ちらりと主人を見やる兜の隙間から、小狡い顔が浮かんでくるようだ。
振る舞いこそ大人びているが、歳はハデルと変わらない。
そのため、年相応の考えが顔を出す姿を、ハデルはよく知っているはずだった。
……何度この声に救われてきたことか。そう彼との昔の記憶に耽れば、自分はなんて愚かなことをしたのか、慙愧に堪えられなかった。
どうやら、答えはとっくにわかっていたみたいね。
「あまり心配するな。バレたところで、初陣してしまえばすぐに有耶無耶になる」
「貴方って、たまに雑なところあるわよね」
軽口を叩きながら、ふと、ハデルの顔に笑みがこぼれた。
真剣に悩んでいたことが馬鹿らしく感じられるほど、彼は断固とした態度で自身の主人は誰なのかを言い放ったのだ。
そんな騎士を、ハデルには彼が何故、そこまで己に忠義を誓ってくれるのか理解できなかった。
そこまでの恩も、決意を掲げられるような、きっかけを与えた心当たりもない。だからといって、彼がその場しのぎの嘘が付けるほど、器用な男でないことも知っている。
「……どうして、そこまで肩を持ってくれるの?」
「………いや、余計なことを聞いたわ。忘れて」と、また余計なことを聞いてしまったと、反省の意思から掴み革を強く握りしめた。
「そう誓った。あの日」
あの日……?
そうハデルの口から出るよりも先に、彼の手綱を握る手に力が入る。
「少し飛ばすぞ。できれば、早めに済ませたい」
勢いよくそれを叩くと、一瞬、目を明けていられないほどの突風が起きた。
馬の嘶きと共に、瞬く間に先程とは比べ物にならないほどの加速。
すでに一時間以上疾走しているが、ハデルと重厚な鎧を身に纏う主人の二人を背に乗せて尚、その魔獣の足取りは弾むようだった。
『魂骨種』。骸の外見とは裏腹に、まるで骨の中に筋肉があるのかと錯覚するほどの脚力。加えて、その身軽さからか、魂ほどの体重しかないのではと名付けられた所以である。
今度こそ振り落とされては適わないと、ハデルは体幹を締め、後部に備え付けられた鞍をしっかりと掴んだ。
「ハデル」
間を置かずに、再びロアの呼ぶ声に顔を上げる。
「先急ぐ気持ちもわかる。……だが、親が子を思う気持ちも、少しは分かってやれ」
一人の騎士としてではなく、同じ親を持つ一人の子としての発言。
騎士の家系で、厳格にも丹精に育てられてきたのだろう。ハデルも父親の死後、変わらず何不自由なくここまで大切に育てられた。そのことには心底感謝している。だから、彼の気持ちも分からないわけではない。
女手ひとつでの苦労は、娘のハデルには想像できないほどだろう。それでも、今すぐに母親と和解する気にはなれなかった。
父親を見殺しにしたという事実が、ハデルの心に巨大な棘となって突き刺さっているのだから。
裏切者なのだから仕方がなかった。そう飲み込めたのならばどれだけ楽だったか。そうだったならば、残された唯一の親子関係に、永遠のような亀裂が走ることもなかったろうに。
「気が向いたら、ね」
様々な感情を押し殺して、高速で通り過ぎていく地面に視線を伏せた。これ以上、話が拗れないためにも、そこで話を終わらせたかった。
重ねて訪れる静寂。その落ち着いた時間が、今の彼女にとって心身を癒すには最適だった。
セレストブルーの瞳に、地面や壁に埋め込まれた鉱石の光彩陸離たる美しさが広がる。父親と花畑を見て以来、鮮やかで綺麗なものに目がなくなったハデルにとって、この上ない休息の一時であった。
「……キレイね、ずっと見ていられそう」
「一言くれれば、いくつか持って帰るか?」
「いいえ……、こういうのって、そこにあるからこそ美しいものでしょ?」
「そういうもの、か……?」
「いつか分かるわ、きっと」
相槌を打ちながら、すっかり鉱石の虜になってしまったハデルは、うっとりとした表情でそれらを眺めている。
「……ロア」
ハデルに振り向こうとする彼に、「そのままでいい」と、動きを制止させる。
この次の言葉を考えていなかったらしく、五拍ほど間が空く。
すると、ロアは背に微かに体重がかかるのを感じた。
そこには、ゆっくりとハデルが自身の額を彼の甲冑に預ける姿があった。
幼い頃からの付き合いとはいえ、一度でもロアを疑ってしまったことに対する罪悪感。誰でも、主人から無実の罪を擦り付けられたら気分を害するに極まっている。
それを身をもって痛感したハデルは、申し訳なさと、改めて共に父の死の真相に力を貸してくれる彼本人の忠誠心に感謝した。
背中越しなのだから、表情を見られる心配はないというのに、それでも恥が勝り、めり込ませるように擦り付けて。
「ごめんなさい……、ありがとう」
彼女にとって精一杯の深謝に、気にするなと、ロアは手綱を叩いて応えた。
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最後にここへ、来たのはいつのことだっただろう。
幼い頃、母の手に引かれて行ったのが初めで最後だったような気がする。
そのときに見た、心揺さぶられる景色は今でも鮮明に思い出せた。
あの頃の瞳で、あの頃にはなかった心に灯火を抱いて、再び、ハデルはその情景を眼の前にしていた。
「久しぶりね」
ーーー第四層、『ノストラゲヌクス』。
盈虚の月と眠らない夜が支配する王都。
魔界一、坩堝の魔族達が集う城塞都市であり、その中央に、一際、異彩を放つ丘の頂に聳え建つ城が一つ。
月光で蒼白く照らされたそここそが、魔界最高位。『大魔王』の居城である。
最後までお読み頂きありがとうございました!
次回も楽しみにして頂けましたら幸いです。




