一章 * 裏での出来事 《王宮にて 2》
教育でもないししつけでもない、ただの暴力だと強く威圧的に諌められ、王子は青ざめている。
黙っておけと執事長と何度も殴られた執事は口止めされたが若い執事の顔を見れば誰だってただ事ではないと察するし、それを国王や皇太子が見過ごすわけがない。
特に上皇はそう言ったことに厳しく、今回も直ぐに王子を呼び出している。そして諌められ、その鬼気迫る祖父の姿に、王子は震え上がり縮こまり、それこそ王子としての威厳も何もない姿をさらす。
「その執事はエレノーワ付きとして移動させる。そもそもエディアスには解雇する権限はないし、暴力を振るった時点でエディアスに何かを決める権限など何一つない。すまないな、仕事を増やしてしまうがエレノーワの執事長と話をして直ぐに彼を移動させてあげてくれ。それと怪我が完全に治るまでは休暇をとらせ、その間の給金も全額保証する。治療には薬草でも治癒師でも惜しみなく使ってその費用も全てこちらに請求するように。ああ、それとは別に見舞金を出す、ご家族も心配しているだろうから、彼の実家には事情を全て話し、納得してもらえるまで謝罪をするよう文官にも動いてもらう。可能であれば、口外しないよう話をつけられるようにはするが、エディアスが完全に悪いからな。‥‥世間の噂としてまた広まっても、無理に消そうとする必要はない。事実は事実、それであれの評判が下がっても自業自得なのだからな」
執事長は上皇の言葉にただ一礼して了承の意思を示す。
自業自得。
この言葉をここ数年、執事長は何度も聞いている。自分の監督不届きを含め止められない、発見が遅れる事を咎められても仕方ないと腹をくくってきたが、彼は一度も上皇や国王から責められたことが無いことに不安を感じている。
(やはり、王子は‥‥)
脳裏を過る過去にあった王家の実話。
十代以上前、その当時の王室は子供に恵まれ三男二女と大変賑やかな兄妹だったという。
ただ、四番目に生まれた三男の王子がいわゆる問題児であった。
女遊びが激しく公務に遅刻するのは当たり前、すっぽかすことも度々、建国記念の大きな晩餐会を娼婦と過ごしたせいで大遅刻したこともある。
女が遊び以外に散剤することはなかったが、それでも酒臭いまま公務に携わり仕事にならず途中退場、大事な外交で居眠り、とにかく王子としての威厳はおろかマナーもまともにこなせない人物だったらしい。
結婚してもそれは変わらず、数年で妻が愛想を尽かして離婚もしている。
そして父親や祖父が下したのは王位継承権の永久剥奪である。
万が一皇太子と次男に何かあって男子が三男だけになっても、彼には継承権は決して回らず次の継承権を持っていた、当時は長女の第一王女に継承されるというものだ。そしてその第一王女と妹の第二王女に何かあっても、彼は王にはなれない。血筋から相応しい人が選ばれるというものだ。
そして、王位継承権の永久剥奪とはそれ以上に本人に辛い事実を突きつける。
王家の事業に一切関われずそこから生まれる利益は一オルドも貰えないのだ。ある一定期間の猶予は与えられ、その間に資金を作りそれを使うことは可能だが、その期間を過ぎると王家からはほとんど援助を受けられなくなる。つまりは民間人とほぼ同じ立場になる。
(このままでは王位継承権の剥奪‥‥しかし、王子は焦る様子もなく)
執事長の不安を募らせるのはそこだ。王子がもしその可能性に気がついていないとしたら王子としてあまりにも無知だが、そうではない気がしてならないのは彼に仕える人々の中で最も経験のある執事長としての勘なのかもしれない。
そもそも、この王子は王族としての教養を嫌い、自分のルールに従って動く。そのため真面目に公務をこなすことは少ないし、与えられた事業も側近として彼に仕える文官に丸投げだ。自分で事業を立ち上げそれを運営していくような知識も才能もない。自分は王子、その地位だけが彼の財産と言ってもいい。
それなのに、羽振りがいい。目の届かない所で国王にでも小遣いを貰っているというなら分からなくもないが、エディアス王子の普段の言動を見れば可能性として限りなく低い。
誰が、どこまで気がついているだろう?
文官に丸投げの事業から生まれる利益を超える金銭の流れがあるのでは?と、執事長はそう思っていて、一度その事を皇太子に秘密裏に進言したことがある。
その時皇太子が顔を強ばらせ青ざめたのを今でもはっきり覚えていて、彼は忘れられずにいる。そしてそれから一度もその事で皇太子から話をされていないことも。
(何か証拠を集め終わり、すでに動いていらっしゃるのか‥‥。それとも、まだ何も‥‥。どちらにせよ、そう遠くない未来、王子、あなた様はこの私の憶測を受け入れることになってしまいます。今ならまだ、なんとか。‥‥ですからどうか、改心なさり、王子として皆に望まれる生き方を‥‥)
そして、呼び出された。
また王子が何かを仕出かしたため、それについて把握しておくように詳細を聞かされる、そう思っていたのに。
執事長ガルシアは冷静を装いつつ衝撃で息をするのも忘れそうになった。
「君は何があっても見てみぬフリをしてくれ。探るようなことはしないように。今後エディアスが不審な動きを見せた場合、それがあまりにも目につくような時だけいつものように諌めてくれるだけでいい、私たちに報告することは避けてくれ」
―――エディアスは王家の名を汚すような重大な犯罪に手を染めている可能性がある。―――
あまりにもあっさりと、冷淡な口調で国王が言ったので、執事長は一瞬理解が追い付かず普段は決してしない、それはどういうことかと問うような目をしてしまった。
「報告に来ることでエディアスに近い人間が君の動きを監視することになるかもしれない。君は状況によっては罪を着せられる可能性がある。エディアスの身の回りをまかせられているからな、あれなら逃げ道の一つとして利用する価値を見いだすだろう。それでは困るのだ、君には正真正銘の白でいてもらわなくては守りきれないから」
「‥‥あの。失礼を承知で申し上げます」
「なんだ?」
「仮にもご子息様でございます、そのような疑いがあるにしても、今なら止められるのではないでしょうか?」
「止められない」
「え?」
「もうそういう次元ではないんだよ」
執事長はみるみるうちに血の気が引いて、指が冷たくなるのを感じた。不快な汗が額に出てくる感覚が彼を襲う。
「‥‥詳細は話さない。今君が知るべきではない。そして君が仕えているのはこの王家のその主たる私だ。その私の言うことに従えばよい。‥‥よいな? 決して関わるな、君を守れなくなる。人的被害を最小限に押さえ込むためにも、知らぬ存ぜぬを貫き通す為に、君はただエディアスの執事でいてくれ。決して、エディアスと共にどこまでも行くなどと愚かなことを、私を裏切る事を言い出したりするな」
なかなか言葉が出なかった。
それでも、震えそうになる体をなんとか抑え込んで、執事長は一礼した。
「仰せのままに、陛下」
私は執事長。
王子が生まれた時から、お仕えしてきた。
王子の執事として、誰よりも側にいた。
けれど、主ではない。
私の主は崇高なる国王陛下ただ一人。
たとえどんなに情が湧き、罪を代わりに被っても構わないと私が思っても、それを主は望まない。
だから私は従う。
いつもと変わらず。
いつものように。
ただ王子のこの先を案じるだけの執事である。
不穏な、気配が近づく。
分かっていても私は振り向かない。
いつもの口うるさいだけの執事。
それが私の仕事である。




