一章 * 音が高まる時 2
笑うに笑えない過去の楽しい思い出? を聞かされたリオンは彼の次の言葉が一瞬理解できず無言になる。
「うちは家柄だけで妻や夫を選ぶ教育を代々してこなかったしこれからもする予定はない。だからセリードのお嫁さんに来るかい?」
「‥‥」
「親バカかもしれないが、芯のしっかりした男だから浮わついたことをして困らせたりしないから。今までの女遊びは多目にみてやってくれないかな? 若気の至りというものだし、なにより特定の女を作って結婚の話が出るのを抑えるための防御みたいなものだった。リオンなら大歓迎だ、マティオも君の事が好きだし、なによりセリードは君に相当なついている」
「‥‥あの、急に何言ってるんです?」
リオンの顔がしかめっ面になる。無言になって当然の事をサラッと笑顔で言われたのだ、しかめっ面くらい公爵相手でも多目にみて許してもらわなくてはならない。
「急ではないよ、セリードは君といるととても自然に笑う。しかも百面相までしている。ミオ以外の女性相手に気を許しているのを見るのは初めてだ。知ってるだろう? セリードは濃厚で癖の強い南方系のフルーツが苦手なこと」
「‥‥はい、しってます、けど、それがなにか?」
ちょっとカタコトになるのも許してもらおう。
「外部で知ってる者はいないよ」
「え?」
「公爵家の息子だ、一言言ってしまうと周りが異常に気を遣う。騎士団の団長として遠征も多い、好き嫌いを言っていい立場でもない、だから徹底して伏せていたことなんだよ。なのに、先日君と普通にその会話をしているのをみて驚いた。よほど心を許しているんだろうとね」
「そ、それは単にそういう話に」
「そうなのかな? どうだろうね? 単にそういう話を? 今までしてこなかった話を? 本当にどうだろうね?」
ニコッと微笑んだジェスターに、ひきつり笑顔を返すしかなかったリオンである。
「‥‥で? 逃げるように出てきたってか」
「怖い! あの人怖い!!」
「んなことはじめっから分かってたろ」
他人事、と言わんばかりにビートはゲラゲラ笑う。
「夫婦揃って気に入ってるだろ、お前のこと。いいじゃねーの、最初っから人間関係クリアしてる男は貴重だぞ」
「なんでそうなるのー!!」
あのあと、逃げるようにしてアルファロス家を出てきた。公爵恐いの一言である。
しかしリオンは心残りがある。
セリードに挨拶できなかったことだ。サイラスとタチアナ、マティオには慌ただしくしながらもちゃんとお礼を言う時間があって、会話をすることができたけれど、セリードは騎士団団長として公務のため王宮に今日は行っている。
「変なこと言わないでよ!!」
「お前だってまんざらでもないだろ? いい男だしな、ジェスター様似で」
「うるさい!」
ちゃんとお礼をしたかった、そう思う心に水を差すようなビートのからかいに、ムカムカしてリオンはビートめがけて目の前の山積みになっている食器を投げつけたい気分になってしまっていた。
(よし、挨拶くらいは)
近くの店を見てまわりたいから出掛けてくるとジェナに声をかけ、リオンは町に飛び出し迷うことなくアルファロス家を目指して歩き出している。やっぱり気分が落ち着かなくて部屋の片付けも進まずため息がでた時点で、行動するのがいいとリオンはすぐさま薄手のコートを羽織っていた。
(夕方までには戻るって言ってたし)
足早に賑やかな大通りを避けて、夕飯前の子どもたちの遊ぶ笑い声を聞きながら住宅の並ぶ路地を進む。
侯爵家は王宮に近く、まわりは豪邸が立ち並ぶいわば高級住宅地にあるが、代々騎士を多く輩出しているため馬屋を3つも抱えている。そのため立場の割にはその高級住宅地の端に居を構えており、緑豊かな王都を象徴するような広大な自然に囲まれた場所になっている。賑やかな路地の先に突然現れる手入れの行き届いた美しい森のような景観はいつみても圧巻だ、とリオンは思っている。
(正門は緊張感あるから、馬屋側から行こう。馬屋番のおじさんたちいるし。‥‥あれ、でももうちゃんと正門からじゃないとだめかな?)
などと悩みながら美しい景観を横に、のんびり歩いているときだった。賑やかな町並みからはずれたその住宅地ならではだろう、人は疎らで知る人物が歩いていれば後ろ姿でも分かりやすかったにちがいない。
「やっぱり、リオンだ」
パカポコと蹄を軽やかに鳴らす愛馬の上からのセリードの声にリオンは勢いよくふりむいた。
「あ、セリード様」
「今会いに行こうと思ってたんだ」
愛馬から降りた彼は迷うことなくかなり近い距離で、そして正面に立つ。
心臓がどくん、と音を立て、それがどういう意味か疑問に思う間もなくセリードの
今会いに行こうと
その一言に心臓が反応したことに、動揺した。
「今日新しい家に移るって聞いてたけど、公務で会えないのわかってたから夜になる前に」
「あの!!」
動揺を隠すには喋るしかなくて、落ち着いた明るいセリードの言葉を遮って彼が少しだけ驚いた表情を見せたことに気づいたけれど、それでもリオンはニコッと笑う。
「私も挨拶したかったんで、改めて伺おうとしてたところでした」
「なんだ、そっか」
嬉しそうに笑ってくれたセリードの顔を見て、急に恥ずかしさが込み上げる。
「今までありがとうございました。あんなに良くしてもらえて、感謝しかありません」
「うん」
「それで、これ」
「うん?」
「貰ってください」
「あれ? この前もらったよ?」
リオンが差し出したのは琥珀。
それはリオンとビート、そしてジェナがこれからのことに役に立つものだと数年かけてとある特殊な加工をした琥珀だ。数は少なく、女性の小指先ほどの不揃いなその琥珀は、今のところリオンの片手に握れる瓶に入るだけしか用意できなかったもので、そう簡単に人に譲るようなものではなかったが、早い段階でジェスターとサイラスに一つずつ、そしてセリードには数個リオンの手から直接渡されている。
照れくさそうにリオンはうつ向いて、セリードの手を自らとり、その上に乗せた。それはセリードが数個まとめて貰い、セリードが託してもいいと思う人に渡してほしいと言われて貰ったものとは違い一回り大きく透明度の高いものだった。形も綺麗でそのまま宝飾品に出来そうな楕円形の艶やかな輝きのあるものだ。
「あの、それは今後私の活動につき合って貰うお礼も兼ねて、です」
「でも、これ‥‥違うよね? 他のと」
「じ‥‥たんです」
「え?」
「自分で仕上げたんです」
聞き返されたのが恥ずかしかったのか、少し大きな声でぶっきらぼうに言ってしまった。
「成功したのはほとんどなくて、その中で一番綺麗な琥珀です。香りもしっかりついたし。ビートに教わって身守りの結界に挑戦したんですけど、それは、まぁ、できるはずもなく。でも、あの! そのかわりどうしてかわからないんですけど、治癒の力が定着したみたいでビートもびっくりしてました。着けてるだけで多少の怪我はすぐ治りますよ!」
「‥‥。」
「でも、なぜか見守りの結界がかけられなくなってしまったみたいで、普通の琥珀と強度は全く一緒なんですよ、遠征とか戦ったりとかセリード様には向かないかもしれないんですけどね」
「ありがとう」
セリードは穏やかに微笑んで琥珀を握る。
「大事にする」
その顔が自惚れでなく、ほんとうに嬉しそうに見えた。今日は心の表情が読み取れないことにリオンは何故かホッとして、目で見えるそのままのセリードでいいと思えてしまった。
「‥‥大事にされても困ります」
「え、なんで?」
「確率は低いにしても聖獣に渡して貰いたいので‥‥」
「あぁ、でも、リオンと一緒に行動したらオレはあんまり必要ないかもしれないし」
「‥‥返してもらっていいですか?」
「それはやだ。大事にするから」
「いや、だから、なんか違います」
難しい顔をしたリオンをセリードが笑った。




