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一章 * 音が高まる時 1

 その人は初めからほとんど敵意を隠すことなく社交辞令の挨拶を交わしてきた。敵意というよりは、嫌悪に近いものでリオンをまるで汚いものを見るようにわざとらしく身を引いてみせた。

「まぁ、そう、北西の出身」

「はい。イエントという町」

「知らないわね、そんな町。ごめんなさいね? 小さい町まで把握してないものだから」

 それでも笑顔を絶やさず自己紹介を続けようとしたリオンの言葉を遮って、わざとらしい申し訳なさそうな表情をしながら笑ったのを見て言葉を飲み込んだリオンの隣にいたタチアナが、身を乗り出して大声で自分の母親に謝罪を求めようとした時、穏やかに微笑みながらマティオが制した。

「奥様、お茶の用意をさせてありますから、食事までのあいだ、いかがかしら?」

 それがなかったらタチアナは自分の母親を罵倒していただろうと、あとでマティオやサイラス、セリードが言ってくれたけれど、リオンはただただ平気ですと笑って答えるだけだった。


 タチアナはその夜リオンが使わせてもらっている部屋に来るなり大声で泣いて、男爵令嬢という恥も外聞も捨てて鼻水を垂らしながら一生懸命謝ってきた。そんな姿から心からこの人は優しい人だと知ることができ、それが彼女の顔にちゃんと現れていて、その気持ちだけでもありがたいと、もう忘れようと思えたのでそれでいいとリオンは納得していた。


 しかし、それから2日後の事。


 ビートたちが納得できる物件が見つかり、住居部分がある程度片付いたと連絡をもらって、アルファロス家を出ていく日の朝を迎えた。

 王宮でのことからだいぶ経っているのにリオンがこの家にいる理由は、この家の当主が「うちにまだいるよね?」と笑顔で威圧してくるからである。

 まあ、リオンにしてみれば勉強の教材には困らないし、ミオ付きの魔導師達との交流もしやすいし、見習い兼お付きとしてその魔導師たちに付いて王宮に出入り出来ているので文句は全くないが、どうもここの当主のご厚意は裏がありそうで‥‥なんてことを思っていたので、ちょうどいいタイミングではあった。


「いやだっ、まだいたの?」

 本格的にタチアナがこのアルファロス家に入る準備の為本人とあの母親が数日間毎日来ることになったこともあり、リオンは周りの反対を押しきる形でなるべく早く出ていこうと決心したところだった。

 きっかけを作ってくれたことに実は感謝していたりする。ここに長居すると、ここに必要とされていると勘違いしそうになっていたからだ。

「図々しい、さっさと出ていきなさいよ。ここをどこだと思ってるの。これだから田舎者は困るの、無知で節操なしで、恥もないから平気でここを我が物顔で歩くんだもの、不愉快」

 あんなに気まずいことがあったのに、とリオンは心のなかでささやいた。

 吐き捨てるような、失礼だがとても男爵夫人と認めたくはない下品なその言い方に、何も言い返す気にはなれなかったし、愛想笑いも出来なくて、リオンはただ頭を軽く下げてその場を去ろうとした。

「とても大切な客人だぞ」

 リオンはもちろんびっくりして振り向いたし、男爵夫人はビクリと体をこわばらせて硬直し、動けなくなった。

 ジェスターだった。

「言葉には注意しろ」

「あ、あの、私は。娘のために」

「今の何が娘のためになるんだ? リオンは私の命の恩人と言っても過言ではない。それはタチアナも知っているしタチアナは敬意をはらって接しているが、その態度は何のつもりだ」

 ジェスターは背が高く、体格も過去騎士として名を馳せたに相応しい筋肉質そのままを維持している。そのため、正面に立たれたうえに冷たい表情で見下ろされたら大半の人は狼狽(うろた)える。まさしくタチアナの母親は言葉も発することもできず、唇を震わせて狼狽(うろた)えるだけしか出来なくなっていた。

「この家に嫁いでくる、後の公爵夫人が敬意を払う相手を、侮辱するとはな。ずいぶん偉くなったものだ」

 軽蔑されたと察したのか、彼女は震えながらもジェスターに向かって口を開く。

「聞いてください、だってこの女が公爵家の息子二人をたぶらかしていると聞いたんです!」

 さすがにリオンは驚いた。

 一体どこからそんな話が出てきたのか。確かに嫌われても仕方ないとはリオンも思った事がある。公爵家で最高のもてなしを受けながら、時間さえあればサイラスと二人きり、ときにはセリードと二人きり、時間を過ごしているのだ。その事情を知るのは公爵家に使える人々くらいだから、外部の人がみたらきっと不思議なことだろうし噂もしたくなるだろう。それに優秀な執事や使用人たちは全員公爵家のことを外に漏らしたりもしないだろうから、尚更憶測は広がるかもしれない。だが、それがたぶらかしていると断言されてしまうと流石に話しは変わってくる。


「その話は誰から聞いた?」

 リオンはギクリとした。ジェスターの声が完全に凍てつく吹雪のような冷たさを放っている。今まで一度も聞いたことのない声に一瞬リオンでさえ、足がすくみそうになった。冷ややかな体の芯まで凍りつかせるような声だ。

(うわ、ヤバい目がヤバい)

 ジェスターの鋭い眼光に、礼儀も何も関係ない!! 引き離すのが一番!! とジェスターの腕をつかんで後先考えずその場を逃げようとしたリオンの手を、なんとジェスターは逆に掴んでしまう。

「ええっ?!」

 掴まれたリオンの声が裏返ったのは仕方ない。

「誰に聞いた」

「ジェスター様!」

「公爵家に関わる誰がそう言った?」

「きーいーてーくーだーさーいー!!」

「君は黙っていなさい」

「あ、はい」

 その迫力に、リオンはつい素直に腕を掴まれたまま返事をしてしまった。

「二度目はない、次こういうことがあったならこの家に立ち入るのを一切禁止する。タチアナが我が家の客人を侮辱するような人物でなかったことは救いだが母親が有りもしないデマを信じそれを吹聴するというなら、男爵家とは今後のつきあい方を考える、覚悟しておけ」

 その状況に言葉を失い目をパチパチさせるしか出来ないでいるリオンは腕を掴まれたままズルズルと引きずられる。

 リエッタはその場に立ち尽くし、青ざめたまま動けなくなっていて、それを何とかしないといけないのでは?と素直に思った事を慌てて言ってもジェスターは振り向きもせず立ち去った。




「ふ」

「え?」

「ふははははは」

 リオンの腕を離したジェスターは、誰もいない自分の書斎にリオンを連れていき、扉を閉めると笑い出した。遠慮のないその笑いかたはサイラスとセリードがやっぱり息子なのだと実感させる同じような笑い方だ。

「あぁスッキリした」

 その発言にキョトンとしたリオンを見てジェスターはやさしく頭をポンポンと叩く。

「若い頃から気に入らなかったんだ。噂好きで平気で噂を信じてそれを吹聴するんだ、楽しそうに。生まれは悪くない、美人というだけでプライドも高くて平気で人を見下す。マティオが私の妻に収まったのも面白くないんだよ未だにね」

「えっ? それって。」

「私の妻になりたかったらしいよ。だからマティオとは仲が悪い。タチアナとサイラスの結婚で多少は仲良く出来るかと期待したのが間違いだった」

 しかしこの家の人たちは聞いてしまっていいのか悩むことを平気で口にするよねぇ、なんてリオンがしみじみ思うのも無理はない。

「公爵夫人になりたかったそうだ。なれるだけの教養と器量があると自慢してたらしいが、私から見れば男爵家に嫁げて幸運だろうという程度の女だ。そもそもあの女だって男爵家の生まれで上の爵位の男たちには見向きもされなかったのに何言ってるんだ? って当時は思ったね」

「‥‥」

「お茶会でベラベラと私を落とせると話しているのを私の妹が聞いていて。あ、妹っていうのはミオの母親のことだよ、知ってるだろう?」

「‥‥」

「それを知って妹に黙っててくれと金を積もうとしたらしい」

「‥‥」

「公爵家の娘相手に金を積んで黙らせられると思われた事に腹を立てた妹が、私の騎士団が当直で王宮の警備を担当していたときに」

「‥‥」

「あの女と結婚するなんて言ったらその腕切り落とすって(なた)片手に政務室に怒鳴り込んで来てね。お茶会で暴れる訳にもいかず八つ当たりしに来てやったと理不尽なことを言われたよ」

「‥‥」

「その時私はすでにマティオと結婚の約束をしていたからなんの事かさっぱりわからなくてその場で鉈を持った妹と騎士の私とで取っ組み合いの喧嘩になった。妹も能力持ちで騎士になれた実力者だからその喧嘩で政務室を破壊したんだけど」

「‥‥」

「遭遇した部下が逃げ出して大騒ぎになったんだ。いやぁ、懐かしい」

「怖いです!! 笑えないです!!」

心の変化とかその情景とか、上手く書きたいものです。ホントに、難しい‥‥。

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