一章 * 始まる音 1
この変から少しずつ感情に変化が出てくるお話になればと思います。
王宮でのことから数日が経過して。
サイラスには婚約者がいる。男爵家の三姉妹の長女、タチアナ・ルーツといい、サイラスとは高等な教育が受けられる学院が一緒でお互いにその頃から想いあってきた。数年は進展がなかったが、タチアナに結婚の話が出るとすぐ、それを阻止するようにサイラスは求婚し、あっという間に婚約まで進んだ二人で大恋愛でのゴールインである。
「婚約期間長いですよね?」
リオンはその素朴な疑問を迷うことなくタチアナにぶつけると、彼女は自分の事なのに笑い出す。
「長いわねえ、六年だもの。ふっ、ふふふ六年よ、六年。貴族の結婚では奇跡の期間よ」
「笑うとこ、ですか?」
「笑うしかなくて。一年目うちの父が階段から転げ落ちて大怪我でしょ、二年目この公爵家の曾祖母様が亡くなって三年目はうちのお祖父様、四年目マティオお義母様が体調崩してしまって長期間療養、五年目サイラスが議員になった年で忙しくて昨年は上皇の姉君のレイシア様が亡くなられて公爵家は立場上お祝い事は避けなくちゃいけなくて」
「すごいですね」
「日取りを決めようとするとそうなるからいっそのこと勢いで籍だけ入れようってつい最近も話してたの」
「公爵家と男爵家の結婚でそれはマズイ気がするの私だけですかね?」
「大丈夫じゃないかしら、文句言う家なんていないわよ? この家に」
「確かに‥‥でも、どうですかね?」
それでも唸っているリオンとそれを笑うタチアナの前に本を抱えてサイラスがやってくる。
「楽しそうだね、なんの話?」
「私たちが結婚出来ない話よ」
「ああ、それは笑えるよ」
「えー、サイラス様まで‥‥」
「今年はついに諦めっていうのかな?二人で式はしなくていいんじゃない?って話に。立場がなんだって話だとオレは思うんだけどね。お互いの母は大騒ぎしたけど」
「そうでしょう」
「でも、式はしなくたって結婚は成立するもの、大したことではないわ」
「タチアナさん、逞しいですね。尊敬します、かなり」
「ありがと」
「今から籍だけ入れようか」
サイラスのなんとも軽々しい発言。しかしタチアナは一瞬驚きつつも同じように軽々しく笑う。
「えっ?!」
リオンのひっくり返った声などお構い無し。
「いきなりね?リオンのお勉強会でしょ?これから」
「こういう話になったのも何かの縁じゃないか? セリードがいるから勉強会は出来るし今母上がちょうど外出してていないし。チャンスチャンス」
「そう? じゃあ行く? 怒られるのは割合としてあなたが多いわよ?いいの?」
「どうにでもなるよ。よし、行こう」
「リオンごめんなさいね。ちょっとだけ出掛けてくるわ」
「セリードに言っておくから」
「え? あの? ええっと?」
リオンが目をパチパチさせている間に二人は部屋を後にする。
「なんか、オレが勉強会やってくれって言われたんだけど何があった?」
「えーっとですね、あのお二方の馴れ初めとか婚約の話をしてたらなぜか、今から籍だけ入れてくるってなってしまいまして」
暫しの沈黙。
「で、行ったの、あの二人は」
「行っちゃいました」
「マジか」
「マジです」
「あはははははは!!」
「笑うとこ?! そこ笑うとこ?!」
「あの二人!! 確かに言ってたから! やらかすだろうなとは思ってたけどホントに!! あはははは!!」
「ついていけないですけどね!!」
「オレだってあの二人にはね!」
ひとしきり大笑いしたセリードはずうっとこれでいいのかと難しい顔をしているリオンを一度見てから、積まれている本を手にするとペラペラとめくり始める。
「それにしても、タチアナとずいぶん仲良くなったね」
「いい人ですよ、タチアナさん」
「そう?」
「私のことサイラス様や奥様にいきなり紹介されて戸惑ってました、詳しい理由を言われてなかったみたいで、どうしてサイラス様までよろしく頼むって言ってくるんだろうって」
「‥‥そうか、リオンは時々人の感情が見えてしまうことがあるんだっけ」
苦笑いして頷いて、でもすぐにリオンは明るい笑顔を浮かべる。
「でも、すぐに切り替えてくれたんです。信用してみようって顔にちゃんと出ていて。だから私も、ちゃんと自分のこと話しましたよ、信頼していい人だから。そしたらホントに凄くよくしてくれて」
「そうか」
セリードは穏やかに微笑む。
「それに、すっごくおしゃれですよね! 流行のものとかなんでも知ってて今度一緒にストールを見に行く約束したんです、新しい流行りのものが欲しいって話したら私でも買える品が沢山揃ってるお店知ってるからって」
「へえ、そうなんだ?」
自然にセリードは本を閉じた。それに、気づくことなくリオンは楽しそうに話し、セリードも楽しそうに会話を弾ませる。
「今もしかして同じ事を考えてるかしら私たち」
馬車のなか、手を握って〔夫婦になった〕二人はクスクス笑う。
「考えてるんじゃない?」
「セリードとリオン?」
「もちろん」
プッと二人は吹き出して肩を震わす。
「あなたにセリードがリオンになついているって聞いたときは驚いたけれど」
「見てすぐにわかっただろう?」
「ええ、あのセリードが」
大声で笑うのを押さえるようにタチアナは口に両手を当てて塞ぐ。
「あの顔」
前屈みになって肩を震わす。
「子供みたいに変化するんだもの」
「笑いすぎ」
そう言ったサイラスもかなりツボにはまって笑っている。
「あなたにオレの代わりにリオンに教えてやってって言われた時に隠してたけど、口がね、嬉しくて笑いそうになっててね、口が、きゅって固くなって、でもなんか上手く隠せてなくて。わたし、あれみて笑いこらえるの大変だったのよ」
「あのセリードにも春がきたよ」
「遅すぎるわよ」
「まあね。なんだかんだと公爵家次男で騎士団団長で、女に苦労したことなんてない弟がどうやって進んでくのか楽しみで仕方ないね」
「リオンを相手に、大変よぉ。彼女それどころじゃないんだから。やりたいことがありすぎて恋愛はそっちのけ」
「大変だろうなぁ、リオンは自分の事には恐ろしくどんくさい気がするし」
「楽しくなってきたわ」
体を起こしたタチアナはやっぱり笑っている。
「最近暗い話しばかり世間はしてるから、こういう話しは嬉しいわね?」
「そうだな。」
「‥‥くふっ」
「だから笑いすぎ」
「ホントに籍だけ入れちゃったんですか?!」
「うん、入れたよ」
「お役所の方々が青ざめてたわねぇ、公爵と男爵の許可なしで来たって言ったら」
「よく入籍許可書出してくれたな」
「出さないなら道路の整備事業費支援打ち切るって言って出させた」
「‥‥脅迫罪で訴えられるとか勘弁してくれよな」
「この程度で訴えられるならホントに打ち切るよ支援」
うなだれるセリードの前で急に新婚になった二人はニコニコ。
「大丈夫なんですか? ご両親が、ものすごい怒りそうですけど‥‥」
「問題はそこよね。特に母。父はもう好きにしたらいいんじゃないか? って言ってくださったこともあったけど、母はねぇ、男爵家の長女が公爵家に嫁ぐのに!! ってそりゃもう」
「そうそう、母がね、大変だ」
心から困ってる、という感じではなくむしろ面白がっている様子にもみえるサイラスはわざとらしく唸る。
「うちとタチアナの母は仲がいいわけじゃないのにその件だけは息があってて。盛大にやってこその公爵家だろうってね」
「六年も話が、進まないのに諦め悪くて困るわよねぇ。このご時世何があるかわからないんだからお式にこだわらずに質素に済ませた方が無駄もなくていいに決まってるのに」
「当分ネチネチ言われる覚悟だけはしたからいいんだ、諦めてもらうさ」
そしてサイラスは弟にニヤリとしてみせる。
「なに?」
「お前がまともな結婚すればいい、騎士団長してるしな、横の繋がりがあるからないがしろにしないだろ?」
「いつの話しになるのやら。期待するのはやめてくれる?」
「あら」
タチアナは意外そうに声をあげる。
「本気で言ってるの?」
「‥‥なに、どういう意味」
「割りと近いうちにその気になるんじゃないかと思う節があるんだけれど」
真顔で無言のセリードとシレッとした顔のタチアナの間に妙な緊張感が走る。
「なんだか不穏な空気」
「大丈夫大丈夫」
「そうですか?」
「たぶん」
あてにならない、と心のなかつぶやいたリオンの前、タチアナが急に吹き出して笑う。
「なんだよ?!」
「ごめんなさい、思いだし笑い。ああ、面白い、ほんとに」
「はあ?!」
ムッとしたセリード。笑うタチアナ。のんびりと見つめるサイラス。そして。
「なんか、気が抜けちゃうのよねぇ、この人たちは」
と、首をかしげるリオンであった。
タチアナさん、しっかり者なのでアルファロス家の暴走野郎たちの手綱を握って操って欲しいです。
色々続きを書き溜めているうちに、この血筋は金と地位とその腕っぷしで色々なものを色んな意味で破壊する話が複数出来てしまい、只今その修正・変更に奔走してます。




