一章 * 始まる音 2
これは困ったぞ、とセリードとアクレスは心で思い、そしてため息を飲み込んだ。ため息をついたらきっと怒りの矛先が理不尽に飛んできそうでならないからだ。
「一体どういうことです」
「本当に。私はこんなに無責任な大人になるよう育てたつもりはなくてよサイラス」
「公爵夫人の言葉に同感です、タチアナ説明なさい」
アルファロス邸では緊急会議が開かれていた。
夕方、リオンの勉強会を終わらせてご飯にしようとしていたところにアクレスが生まれ故郷の美味しいワインが手に入ったので皆さんでどうですか?と和やかな空気をさらにご機嫌にさせてくれた瞬間、そこに嵐がやってきた。アルファロス公爵夫人マティオと、ルーツ男爵夫人、つまりはタチアナの母リエッタが揃ってやってきたのだ。
二人の電撃入籍を慌てて報告に来た役所の人に王宮で聞かされたマティオがすぐにリエッタのところへ確認にいき、そのまま二人揃って戻ってきたらしい。
「堅いこと言わない。こちらは大人だからこそ分かってやったことです。二人で決めたことですから口出し無用ですよ。式はいずれちゃんとしますからご心配なく」
きっぱりバッサリ、次期公爵様は二人の母の怒りなど切り捨てて開き直っている様子。次期公爵夫人も隣で同じような顔をしている。
あまりの勢いで入ってきたので出るタイミングを失ってしまったセリードとアクレスとそしてリオンは息をするのも怖くてただただひっそりと気配を消すようにじっとしている。
「私は体裁のために結婚したわけではありません。タチアナと幸せになりたいから、一生共に生きると誓いあったから結婚したんです。母上たちがどういう思いか分からないわけではありませんよ。でも、六年も体裁のためだけに、タチアナを一人にしていたんです。それこそ男のプライドがもう限界でした。式なんていつでもいいでしょう、でも、籍を入れて夫婦になることは誰かのためにするつもりなんて私は初めからなかったんです。私とタチアナのことでこれ以上とやかく言われたくはありません」
落ち着いて穏やかに語ったサイラスを見て、思わずリオンはかっこいいと思ってしまってそれがそのまま態度に出てしまった。
「‥‥」
全員が、無言でリオンに目を向ける。リオンは称賛の拍手を盛大にサイラスに送っていた。
「格好よかったです!! サイラス様!!」
「そう? こっちこそ助かったよ! リオンがものすごい拍手をしてくれたからあの二人毒気抜かれた感じになって」
「リオンはその場の空気を破壊する力があるのかしらね? 凄いわ、本当に。助かっちゃったわ」
「‥‥あんまり誉められてる気がしないんですけど?」
難しい顔をして首をかしげたリオンにタチアナが抱きついた。
「誉めてるのよ、うれしかったわ」
本当に嬉しそうに明るい声のタチアナにつられるようにリオンも嬉しそうに笑顔だ。
リオンは魔力が他人の感情が時々わかるという。その感覚はセリードたちにはわからないが、彼女の表現を言葉にすると、実際の顔の上に膜でもあるようにうっすらとその人の心を現した表情が重なって見えるのだという。
「とっても、良い顔してますよ。幸せですねタチアナさん」
だから、抱きつかれたリオンがそう言ったのを聞いたときセリードはふとタチアナの感情が見えたのだと思った。
ちなみに、公爵が食事の席で
「いいんじゃないか? 本人たちがそれでいいんだろう? とっくに成人してるんだし問題ない。どうせそのうちお披露目兼ねてパーティーするよサイラスとタチアナなら」
と素っ気なく言ったのでこの件はこれで強制収束したとかなんとか。
「よくわかりましたね?」
意気消沈してしまった母親二人を結局はちゃんとフォローするため四人で食事する、とサイラスとタチアナが広い食堂を使うことになった。リオンたちは別の食堂に移動したけれど、アクレスが外出するからと結局セリードとリオンが二人になる。そんなとき、食事が出てくるまでアクレスが持ってきたワインを飲んでいるとリオンにさっきもしかしてタチアナの気持ちが見えたのでは? と質問すると彼女は躊躇いもなく嬉しそうに頷いた。
「良い顔してる、って言っただろう?」
「ええ、本当に良い顔をしてました」
「リオンも同じ顔してたから」
「私が、ですか?」
「うん、嬉しそうだった。凄く幸せそうに、笑ってて。人の幸せを喜べるっていいなぁって思ってね」
その時だった。リオンは急にうつむいたのである。
「どうかした?」
「あの、ですね。こういうこと聞いていいのか分からないんですが。うやむやにしておくのもどうかと」
「うん?」
「あの時‥‥。アクレスさんが、なんだかひどく複雑な心境だったみたいで、それが見えてしまって」
「アクレスが?」
「はい。あのぉ、もしかして」
「あ、違うよ」
「え?」
リオンが何を言いたいのかすぐにわかったらしく、セリードはフッと息を漏らすように優しく穏やかに彼女の言葉を遮った。
「アクレスが好きなのはミオだから」
「え?」
びっくりというより、状況がよく理解できずにぽかんとしているリオンをセリードはニコニコしながら見つめる。
「それ」
「うん」
「サラッと言っていいことですか?」
「言っておかないと君は他人の感情が見えるんだから、他人の前でその事がわかったら結構びっくりするんじゃない? このことを知ってる人は少ないから余計な詮索を回りにされるよりは俺が話すよ。」
「たしかに‥‥」
まだ、呆気にとられている彼女をセリードはおもしろそうにやっぱり、ニコニコして見つめる。
「複雑な顔してたのは、ミオは生涯結婚も出産もしないと決めているからじゃないかな」
「え?」
「知ってる? 魔力って子供を生むと弱まってしまうことがあるって」
「一応知識としては‥‥」
リオンが頷いて、セリードは今度は自分の手元を見つめる。
「魔力全てが減退する人もいれば、部分的に消失したり、減退したり。でも約半数は変化しないとも言われてるんだけど、ミオは聖女として生涯を全うする覚悟があるから、十六のときかな‥‥議会で自分から宣言してるんだ。聖女としてこの国のために生きるって。自分が出来ることでこの国の秩序や平和が少しでも保てるなら喜んで独身を貫くって」
「ミオ様が‥‥」
「アクレスは、色々あって俺の隊で副長になったけど、多分本当はミオの側にいたいと思ってる。側で騎士として男として彼女のことを守りたいって。でもミオがそれを許してくれないんだよ、ミオもアクレスが好きだから」
「それって‥‥」
「お互い気持ちは言葉にしてないと思うけど、何となく分かってる。ミオは自分の聖女としての信念のためにアクレスを受け入れることはない。アクレスもミオの信念のために受け入れてもらおうなんて思ってない。でも」
セリードは腕を組んで目を閉じてかすかに首を傾けた。
「自分の手で幸せにしたい女がいるのにそれを許されないのはやっぱり辛いだろう? 兄さんが羨ましかったのかもしれない。あんな風に正面から堂々と自分の思いを口にすることはミオを追い続ける限り絶対に許されないからね。許される限りミオを守る、アクレスが出来ることはそれだけだから」
「セリード様は、側でみてるから複雑な気持ちになりますね?」
「そんなことはないよ。ただ」
彼は目を開けると苦笑い。
「他の道を模索してみればいいのにな、ってね。法律で縛られてるわけではないんだから。俺だったら二人のような関係を保つのはきっと無理だろうな」
(私も、無理かなぁ)
セリードがミオとアクレスの関係を自分は無理だと言い、それに賛同する人はこの世に数えきれないほどいるだろう。
「純愛って言えば聞こえはいいけど、本当に貫ける人ってミオたちみたいな人だけだよ。俺は打算とか損得とか欲望だらけだからあんな恋愛はできないよ」
笑って人それぞれだから、と軽やかに言ってからワインを飲み干したセリードがとても印象的だった。
素直な意見だ、リオンも幼いころは純粋に物語の王子様に憧れたけれど、今は現実的に将来を考える歳になったのだから彼の意見に呆れるくらい、肯定的で友好的でいられる。
(でも、ちょっとショックだったりね)
リオンの素直な心の中。
(セリード様にはサイラス様みたいにかっこよくいてほしいなぁ。打算とか、言われちゃうとなぁ)
それこそエゴかもしれない。リオンにだって理想とか、憧れはある。
セリードは王子様ではない。でも端整でいて精悍な顔をしているからあの顔で優しく明るい笑顔をあんなにサービス精神旺盛に見せてくれる性格ならたくさんの女の子たちが憧れるだろう。少なくともリオンだってセリードを素敵な男性だと認識できる真っ当な精神をしている。
憧れを押し付けるつもりはないけれど、女心としては複雑な感情があることは隠しきれないものである。




