一章 * 王宮にて 2
未だに若い女の子、男の子が少ないお話ですが徐々に出てくるはずです。
エルディオン・フォルクセス・ティルバ三十九。
おおらかで人望厚くそして賢帝として国民から愛された元国王。実権を息子に譲り上皇という立場になってずいぶんなるが、その上皇という王であった証さえ返上することまで考えさせた生死をさ迷ったあの《二十三年前の出来事》。
彼は三人の中で最も大きな代償を負った。
一番剣を向け、そして当てることが出来たジェスターではなく、なぜ彼が一番酷い代償を受けたのかは分かっていない。
「どうして、そんなに穏やかな顔が出来るんです」
リオンはただ立ち尽くして彼に涙が溢れる瞳を真っ直ぐ向ける。
「さあ、なぜだろう? 老いたこの体でもまだ子や孫に教えるべきことがあると思うと易々と死んではいられないと常日頃思っているせいかもしれん。考えることが多い身でな、過去に捕らわれてばかりもいられんのだ」
震える手を下ろしてゆっくりとリオンは彼の前へ進む。そして両膝を床に着き、両手をゆっくりと差し出すと彼は左手でその手を握り、右手でリオンの頭を優しく撫でる。
「優しい娘だ、目を見ればわかるな。そなたは分かっているだろうが、右目の酷い痛みはなにかと問題でな、引きずられて左も少しずつ弱ってしまっている、だだ、こうして近ければちゃんと見れる。‥‥泣くでない、そなたのせいではなかろう。これは我が宿命、そしてこれがなければ神はそなたをここには導かなかった。ミオがランプの光と申したそうだな、ならば私は光を絶やさぬよう、油をかき集めよう。今日から私は油屋の店主だ。油を差しすぎて汚れてもクロードとジェスターが手入れしてくれる。二人とも不器用だが一生懸命やってくれるから多目に見てやってくれ」
あまりにも優しく、そして面白そうに笑ってくれる彼にリオンはつられるように、涙を拭うと嬉しそうに頷いてみせる。
「上皇様、目を閉じて下さい。今すぐ、解放します」
「ああ、本当に解放されるのだな、そなたは本当に希望の光だ‥‥」
リオンは優しく微笑み頷いた。
「それと。何が起こっても誰も何もしないで下さい。絶対になにもしてはいけません」
リオンは彼、上皇の手を握ったままベットに腰かける上皇を見上げた。しかし一瞬、眉間にシワを作ると困惑した顔ですぐに振り向いた。
「ミオ様、お願いがあります」
「なにかしら?」
「万が一、この前とは違うことが起きた場合、皆を守るなり‥‥逃げることはできますか?」
リオンの一言にピクリとミオは眉をあげる。
「なにがあるの?」
「なんとも言えません、ただ、何となく、《シン》の反応が良くないんです」
「え?」
「ジェスター様の時とは明らかに違う‥‥なんだろ? これ‥‥」
ミオがスッとリオンのそばに行くと同じように膝をついて手をリオンの手に乗せる。
「わかりますか?」
「えっ?!!」
ミオがパッと手を離してその勢いで少しだけよろけてしまう。すぐそばにいた魔導院最高議長のクロードはさっとかがみこみ、ミオを支えたけれどミオは驚きを隠せぬ様子で自分の手をさすりながらクロードに体を任せている。
「これは《シン》の?」
「はい。わかるんですね? やっぱり。これって、なんでしょう?」
「なに? この拒絶は」
「拒絶、ですか?」
「凄いわ、触れただけなのに。その姿がはっきりと見える。こんなに存在を見せつけてくるようなことをしながら一方的に拒絶するものなの? 私の魔力なんて簡単に跳ね返されるわきっと」
「やっぱり、シンはこの王都か王家に思うものがあるんです、きっと」
しん、と静まり返ってしまって、息が苦しくなりそうだとセリードが思ったとき、リオンは上皇から手を離し、その場で頭を提げる。
「大変申し訳ありません、先にクロード様の痛みを取り除いて構いませんか?」
「ああ、構わないよ。そうしないとなにか問題がありそうだしな?」
「はい‥‥今日、《シン》に囚われている人の解放が終わります。上皇様とクロード様のお二人です。ですが‥‥」
「いったいなにが?」
ジェスターはいてもたってもいられず、リオンの手をとり彼女を立たせると心配そうに顔を見つめてくる。
「確かめても?」
「え?」
「クロード様に触れて確かめたいんです」
「それはもちろん、クロード様さえ」
「構わないよ。もちろん」
ジェスターから確認の意志疎通がくる前にミオを立たせたクロードは彼女の肩から手を離すと自らリオンの前に左手を差し出した。
「ありがとうございます」
そう言ったリオンはジェスターから手を離してからクロードの手を握ってすぐにジェスターに顔を向けた。
「やっぱり、そうです」
「リオン?」
「ジェスター様より前の時にはなかったんです。ミオ様の言う拒絶感が」
「え?」
「考えてみれば、ジェスター様の前に解放した人が3人いましたが、私は《シン》と繋がれるというか、受け入れられるというか。こんな拒絶感なんて感じたことはなかったんです。この王都にきてから‥‥今までと違って、そして上皇様は特に違うんです」
一瞬躊躇い口を閉じたリオンだが意を決して意識を集中する。
「とにかく、クロード様。解放します」
リオンが目を閉じる。意識を集中しはじめた。その時だった。
『解放されてもお前の使命は変わらぬ』
「え?」
『魔導師として人が人として正しく生きる意味を生涯を閉じるまで己に問うがよい』
「この、声は」
『我らは決して人を憎んではいなかった。しかし人を疑い憎むようにしたのは人が生んだ欲そのものだ』
「お前は」
『その欲の根元はそれぞれにちがうが我はそなたが忠誠を誓ったこの王家の欲により己の意思で変貌した』
「本当に聖獣、なのだな」
『忘れるな。欲が我らを変貌させると。均衡は簡単に崩れ去る。人の欲によって』
「《シン》!! 待って!!」
リオンの声ではっとして、クロードは忙しなく目を動かし辺りを探った。
クロードが見ていたものは正にジェスターが見た美しい生き物だった。ただ、いつもとなにかが違ったことはリオンにしかわからなかっただろう。しかし彼女の呼び止めるような声で、セリードがいち早く目に見えない変化に気がついていた。
「あれ? あの、雄叫びがまた聞こえてくるかと覚悟したのに‥‥。そのままいなくなった?」
「やっぱり、変です」
リオンは深刻そうにそうつぶやいてうつむいた。そして、それでもリオンは直ぐに気持ちを切り替えてクロードの肘から先が無くなった右腕を優しくさする。
「痛みは? どうですか?」
「‥‥信じられない」
「良かった」
目に輝きが灯った、驚きと喜びを滲ませたクロードを見てリオンはホッと息をつく。
「あんなにも苦しんだのに‥‥こんなに軽かったのか私の腕は」
そっとリオンは手を離した。クロードは服の上から腕をさすり、眺めて、沈黙してしまった。その沈黙を誰もムリに破ろうとはしなかった。それだけ、長い間苦しんできたものが急に、そしていとも簡単に消えたのだ。その驚きは計りしれないのだから。そしてその沈黙は深々とリオンに頭を下げたクロード自らが破ることになった。
「感謝する。心から、君に感謝する。君のこれからのために尽力させてくれ。君を手助けすることがこの国の未来の希望に繋がるのだろうから」
「良かった。ほんとに、良かったです。あの痛みは心までも蝕むことがあるから。そうなる前に会うことが出来て、正直ホッと聞くとしました」
クロードが頭を上げるとお互いが何かを共有しているかのように、同じように微笑みあった。
そしてすぐ、リオンはベットに腰かける上皇の前に膝をつき、自らその手を握る。そして上皇はそんなリオンに答えるように手を握り返した。
「正直に、言います。上皇様の解放が上手く出来るかわかりません」
リオンの抑えるような少しだけ低い声での言葉に反応したのは上皇ではなく彼の息子であり今まで事の成り行きを黙って見ていた現在の国王、エルディオン四十世だった。
「それでは困る。話が違うではないか?」
威圧的に大きな声を出され、リオンもついビクッと体を強張らせてしまったし、セリードとジェスターは口出ししていいものかと戸惑いを見せる。ミオが身を乗りだし国王に何かを言いかけたのを止めたのは他の誰でもなく上皇だった。
「黙っていなさい。この娘と話しているのは私だ、お前は国王として、この成り行きを見ていなさい」
「しかし上皇」
「理由もなく出来ないといっているわけではないだろう。そうだろう? リオン。」
戸惑いつつもリオンは頷いて少しだけ強く上皇の手を握った。