プロローグ
ウゥゥゥソだぁぁぁ!
冷たい床に尻餅をつく私に覆いかぶさるようにして逃がさないと言わんばかりに私の腰のすぐ横の床に両手をつく男の人。これが他人の空似とか、実は双子でしたとかいうオチでないのなら目の前にいるのは私の家に仕える執事の田中さんだ。ただし、目がその、いつもよりも大分……かなりイッちゃってる。
「緋那お嬢様は悪い子ですね。そんな悪い子にはお仕置きが必要でしょう?」
「ま、待って待って待って! 一旦落ち着こう? ねっ!?」
「待つ? もう十分に待ったでしょう? 待ったうえに横からぽっと出の奴にお嬢様を掻っ攫われるなど……ハッ! 愚の骨頂もいいところ」
「首! 首の手!!」
「どうすれば貴女は私だけを見ていてくれますか? どうしたら貴女を一生私から離れなくすることができますか?」
「い、今すぐ私の首に絡みついてきたこの両手を解けばいいと思うなっ!」
「解く? 解いただけで貴女が手に入るならこんな想いはしていません。こんなにしても私の想いは貴女に伝わらない」
「伝わってる! 伝わってる!! 今! 伝わった!!」
「では、貴女も私のことを?」
「好き好き! だーい好き!」
「いいえ、お嬢様。それは吊り橋効果です。私への恐怖心を恋心とすり替えていらっしゃる」
めんっどくさい奴だな、君は!?
一瞬色素の薄い茶色の瞳にハイライトが戻ったと思いきや、瞬く間に逆戻りというあまりにも嬉しくない変化を見せてくれた。
力を入れていないように見えるのに、その実ジワジワと確実に絞められている。
このままだと私の死因が痴情のもつれとか新聞やネット、テレビで言われかねない。そんなの断固阻止しなければならない問題だ。
何が悲しくて第二の人生、最後の死因がまた男女関係にならなきゃいけないのか。
というのも、私、星見緋奈。十六歳。
一度死んで、生まれ変わりました。ただし、乙女ゲームの世界に。さらに言えば、ヒロインが星見家の執事を攻略対象として選んだ時のライバルとして。ちなみにヒロインがハッピーエンドを迎えた場合は私は旧財閥系の星見家の没落と共に六十過ぎの好色爺の後家に、バッドエンドを迎えた場合は星見家の執事に首を絞められて殺される。
つまり、今現在、バッドエンドまっしぐらっていうわけであって。
ちなみにバッドエンド後のヒロインがどうなったかは闇の中、製作陣のみぞ知る。おかげでこのゲームの中で唯一死亡エンドがあり、救いのないキャラとしてヒロインよりも一時期注目されたとかなんとか。
あれかな? 他人の不幸は蜜の味ってやつかな?
「ほら、今だって別のことを考えていらっしゃる。あの男のことですか? それともあの男? あぁ、あの男もいましたね」
「全部違うからっ!」
君、本当は私のことを嫌いなんじゃないのかい!?
否定した私を田中さんは切れ長の目をスッと細め、首を絞めていた手を片側だけ離して、グッと肩を押してくる。両肘でとっていたバランスを崩し、ひんやりとした床にとうとう背中までもがついてしまった。
「なにを、する気なんだい?」
「なにって……お嬢様が恐怖でもってでしか私を見てくれないことはよく分かりましたので」
「そんなことはないと思うなっ」
「いいえ。私にはよく分かります」
本人の私よりも分かるって?
いやいやいやそれはないだろう。
「お嬢様。愛しています。……たとえ貴女が貴女でないとしても」
昏い目を鼻先数センチの距離で見せられ、確かにその瞬間、私は恐怖した。
うちの執事が全く人の話を聞かないことに。