最終話
あの戦った山肌近くの木の洞で、俺は欠伸を一つしながら体を休めていた。
あれからはとにかく安静にする日々である。どうにか体の血を洗い流そうとしたのだが無理だった。結局顔の毛に付着した血は完全に洗い流すことが出来なかったのである。
片側は灰色、もう片側は微かな赤色とは……なりたくてなったわけではないのに。
安静にしている間の食事はあの倒した馬型の魔獣、そして果物や薬草だった。特に薬草は必需品である。体内の傷とか回復しなければならないし、回復の魔法と併用して今では完治だ。
(それにしてもあの馬型の魔獣にも俺と同じ結晶があったんだな)
どういう経緯で手に入れたのかは分からない。けれどあの後、あの魔獣の頭に近い辺り、たてがみに埋もれていたが俺より大きい結晶があったのだ。どうして出来たのかは、俺と同じように結晶を取り込んでいたら出来たのだろう。
噛み砕けば、いつものように途中で霧散した。人になりたいと祈っても人になることは出来なかったがな。
それにしても、とあの金属化で得た攻撃のことに思いを馳せる。魔獣についていた結晶を食べた影響か分からないが、あの前足で踏み抜くという強力な攻撃が自分にも出来るようになったのである。
金属化した足を思い切りよく振るえば、あの魔獣に引けをとらない一撃を加えることが出来た。どれほどの硬さまで効くのか分からないが、もらって損は無いだろう。
……獲物を狩る時に使うと少々悲惨だが。
(さてと……今日も果物だ。……いい加減肉が食いたい)
内心ぼやきつつも木の洞からのそりと這い出る。辺りに危険な魔獣はいない、よしこれなら大丈夫だ。
匂いを頼りに薬草と果物をどうにか集めて木の洞へと戻ってくる。気のせいではないだろうが、体の大きさが一回り大きくなったようにも思えるなぁ。
薬草の苦さを果物の甘さで誤魔化しながら飲み下す。これも体のためと分かっているのだが。
(うぇ、苦い……)
苦さで思わず舌をべぇっといった風に出してしまう。
さてと、それでは今日も挑戦してみようか。そう考えて視線を山肌にある結晶へと向ける。そこにあるのはずいぶんと量が減ってしまったが、魔獣の採掘した結晶と俺が採掘した結晶だ。
あれから色々と条件を変えて試してみたのだが、全くもって人になることはない。今回は大きさが関係しているかもしれないと、比較的大きな結晶を噛み砕くつもりである。
透き通った結晶の内もっとも大きい結晶を口にくわえ、噛み砕いた。ガラスの割れたような音がすると同時に結晶の破片は地面に落ちる前に霧散して消えていく。
(人になりたい、俺は人になりたいんだ……)
まぶたを強く閉じて、そう願う。何かが体を満たすようなそんな感覚に襲われた、もしかしたら人になれるかもしれないのか。
その感覚が次第に薄れ、期待をこめつつおそるおそるといったようにゆっくりと閉じていた目を開いた。
……変わることなく狼の体だ、どれほど待っても狼の体である。
結局、一時間近く待ってみたが人間になることは出来なかった。何だよ、それ。さっきのあの感覚は一体何だったというんだ。
失望しながらうなだれた俺の視界に、あるものが映る。
「グォッ!?」
あるもの、それは胸部にある結晶なのだがそれが以前よりも大きくなっているのだ。今では拳大ほどの大きさである。光を受けて煌くその様は採掘したばかりの結晶よりも澄んだ匂いを発していた。
お、大きな結晶を噛んでこの成果なのだろうか。もしそうなら……。
再びうなだれてしまう。傍から見れば尻尾も耳も元気なく垂れていることだろう、俺には見えないが。
(陽の光が、眩しいなぁ……)
空を見上げるとじわりと色が滲む。涙でも出ているのだろうか、目頭が熱い。
一匹悲しみに暮れていたが、耳と鼻が音と匂いを捉えた。人の歩く音と話し声、そして金属特有の匂いが鼻先をくすぐる。
急いで山肌から近くの茂みへ隠れ息を潜めていると、徐々に音が大きくなり匂いも濃くなっていった。暫くすると剣や槍を携えた冒険者、そしてごく普通の馬型の魔獣が引く複数の馬車が森の中から姿を現す。
冒険者が警戒する中、馬車からぞろぞろと降りてきたのは商人のようにも思える人々である。
山肌へと視線を見やりながら朗らかな笑顔で商人のような人々が話すことには、どうやらここを新しい採掘地とするらしい。
(そ、それじゃあ俺が採れないってことに……)
口の端が引き攣ってしまう。これでは俺の結晶の採掘地がなくなってしまうのだ。けれどあの冒険者達に挑みたいとは思わない。
いくらあの鋼色の魔獣を倒したところで相手は魔法を使う冒険者、しかもそれが複数人だ。彼らの元へと届く前に丸こげ、氷漬け、もしくは感電である。死んでしまう、かなりの確率で。
気分が沈みこんでいく俺を他所に人々は山肌を登り始める。そして馬型魔獣の割った岩と俺が集めた結晶の辺りで人だかりを作り始めた。
「おい、見てみろ! これ程の結晶がこんな場所に……誰かが採掘したか?」
「もしかしたら盗人がいるのやもしれませんぜ。辺りにいるかもしれません、探しますかい?」
「そうだな……冒険者の皆さん。近くに結晶を採った盗人がいるやもしれません、探すのを手伝ってもらえますか?」
商人のような男性が二人、こそこそと話し合うと冒険者達へ声をかける。どの冒険者もそれを快諾し、辺りを捜索し始めた。
こちらとしては快諾なんてして欲しく無かったんだがなぁ……。
見つかる前にずらかるか、そんなことを考えながら踵を返した俺の背後で女性の声が辺りに響く。どこかのんびりとした声の女性である。
「リーダー! 近くに魔獣がいます! これは……ウルフです!」
「おう、それは本当か!?」
「はい! 私のスキルである<マップ>がそう表示していますから」
「もしかしたらそいつがこの採掘場を荒らした奴かもな……場所は何処だ!」
「待ってください……あそこです、あそこにいます」
豪気そうな声の男性に頼まれ、のんびりした声の女性は何かを探るように少し黙ると見つけたというように声を張り上げた。そしてその声を聞いて複数の足音がこちらへと向かってくる。
こちらも捕まるわけにはいかないと脱兎のごとく地を蹴って走り出した。木々を掻い潜り、どんどん森の奥へと走っていく。
「おい、あそこにいて……ってあれ本当にウルフか?」
「ウ、ウルフ、ですよ?」
「大きいし、速いんだが……」
「とりあえず、魔獣は討伐です! ファイアーボール!」
のんびりした声の女性が魔法を唱えると共に後ろから熱気を伴った火の玉が迫ってくる。それは一個に留まらず、次々と後ろから放たれてきた。
手に入れた力は人になるものではない、見つけた採掘地は結局手放さなければならない。一体なんだというのだ、これは。
(魔獣じゃなかったら、人間だったら今も襲われていないかもしれないのに……!)
内心の叫びを押し隠しながらも軽やかに地を蹴って森の中を走る。後ろでは今だに火球が迫ってきていた。当たらないように直進ではなく、ジグザグに走っていく。
人にはなりたいがどうも上手くいかない、そのことに少しばかりセンチメンタルになりながら。