第五話<月の夜の下で>-7
「この犬・・・強い。」
ブロックベイに囲まれた道で琴和と蘭子は
追いついてきた黒い異型の犬とにらみ合いをしていた。
何度か攻防を繰り返したのだが、お互いに一歩も譲らず、
ダメージを与えられずにいた。
先ほどの白い異型の犬とは、強さが格段に違うものだった。
それ故に、月の光を浴びている犬の姿がとても不気味に見える。
「どうしよう、このままだと危険です・・・。
そうだ、叫んで助けを呼んでみませんか?ここなら誰か来てくれそう。」
櫻子が二人に提案をした。しかし琴和が否定をする。
「ダメです、下手に人が来たら犬が危害を加えかねません。」
「でもこのままだと、あなたたちが・・・。」
「大丈夫ですよ、僕たちは。」
そういうと琴和は蘭子の隣にゆっくり近づいた。
「ごめん、君に少し危険な目に遭ってもらう。」
「え?」
蘭子が少し驚いて琴和を見る。
「後ろの十字路あるよね?、今から君はそこの曲がり角まで
下がって。それまで俺はここで犬を睨みつけておく。
今までの行動パターンを見ると、アイツはどちらか一方が目を合わせていると
飛び掛ってこない。
だから一人でこの場は押さえておく。
「私に逃げろってことですか?」
蘭子が噛み付くように質問をすると、琴和は犬から
目を逸らさずに答える。
「ごめん、本当はそうしたいけど
そこまで余裕無いんだ。
君はその曲がり角で隠れて、直ぐ飛び出せるようにしていて。
そして準備ができたら櫻子さん、
俺に合図をください。あなたの声なら
犬には届かないはずです。
蘭子が声を上げると犬に位置がばれてしまうかもしれません。
匂いの時点でダメかもしれませんし、
犬自体にそこまで考える知恵があるかは知りませんが、
蘭子の位置は知られたくないんです。」
「え?何を考えているんですか?」
櫻子が聞くと、琴和は話を続ける。
「準備が出来たら、十字路まで走って下がる。
そうしたら犬も追ってくるはず。
十字路まで犬が来たら、蘭子は犬に曲がり角から
不意打ちを食らわすんだ。
曲がり角で犬の姿が見えないからタイミングは分からないと思う、
だから櫻子さんは犬が曲がり角に差し掛かる直前で
蘭子に合図をしてください。
その合図に合わせて、蘭子は不意打ちを仕掛ける。」
その作戦を聞くと、慌てる櫻子。
「え、えええ!?」
しかし蘭子は強気な顔で少し笑みを浮かべる。
「それいいね、分かった。」
そういうと早速、後方の十字路に下がる蘭子。
「ちょっと、蘭子ちゃん!?」
「私を守ることだと思って、手伝ってください!!」
戸惑う櫻子を焚きつけるように蘭子が言うと、
おろおろしながらも十字路の中心まで下がる櫻子。
すると、櫻子に向かって準備の出来た蘭子が
手でOKのサインを送る。
それを見た櫻子は一度、下を向き一呼吸置くと再び顔を上げた。
その表情は何かを決心したものに代わっていた。
「準備できました!」
櫻子の声が届くと琴和は振り返り、
十字路に向かって走り出した。
すると、犬は予定通り琴和を追いかける。
犬の足は速く、徐々に琴和との距離が狭まる。
その様子を見つめる櫻子は気が気ではなくなってきた。
十字路までの距離は、然程ないのだが
とても長く感じた。早く、一刻も早く。
それが櫻子の強い願いであった。
犬が今、どのくらいの距離まで近づいているか
確かめる余裕も無く、琴和は走ることに集中していた。
ただ前へ。それしか今の自分には出来なかった。
物陰に隠れる蘭子も、気が気ではなかった。
合図してから、とても長い時間が経っている気がする。
鼓動も早くなり、緊張が走る。
もし自分が失敗したら、琴和が危険に晒される。
一瞬そう考えてしまい、手が震え始めた。
失敗は出来ない。その思考のせいでプレッシャーが
物凄いストレスとして襲い掛かる。
早く終わらせたい。終わって欲しい。
正直な気持ちを抑えつつ、闇の中に身をそっと潜めた。
すると目の前に何か通った事を確認する。
「今よ!!」
今通ったのは琴和だと、意識が繋がると同時に
櫻子の合図が耳に届く。
「うわぁぁぁぁ!!!」
声を上げながら足を蹴り上げる蘭子。
すると彼女の足は見事犬の横腹を捉えていた。
バランスを崩し十字路の中心で倒れる犬。
そしてよろめきながらも起き上がろうとした。
その時、犬の頭上に影が降りかかる。
月を頭上に輝かせ、琴和が犬に向かって飛び掛った。
「うおおおお!」
琴和は声を上げ、犬の首元にナイフを突き立てる。
すると血しぶきが上がり、右手の肘から下が血だらけになった。
ぐったりと伏せるように犬が沈黙をする。
その状態になっても、ナイフを抜かずに肩で息をしながらしばらく固まる琴和。
その形相は恐ろしいものだった。
「小田原さん・・・。もう、終わりましたよ。」
琴和が固まってしまった事が心配になり、
櫻子はしゃがんで、後ろからそっと彼の肩に手を添える。
すると、琴和はナイフを抜いて櫻子を横目で見た。
その時の表情は一変して、ようやく終わったという安堵から
疲れきったものになっていた。
そして無理したように微笑むと、ゆっくりと立ち上がった。
「作戦通りだったな。」
蘭子の方に向かって琴和が微笑みながら話しかける。
月光に照らされ、右手を血だらけにしてナイフを握り締めるその姿は
普通の人ならば恐怖を感じるものだった。
だが、先ほど犬の怪物を倒したときの辛そうな琴和の表情を知っている蘭子にとっては
その姿が、笑みがとても痛々しいものに感じた。
そして自分がバイトを休まなかったせいで
琴和に辛い思いをさせていると思い、申し訳なさでいっぱいになった。
「ごめんなさい・・・ごめんなさい。
私が無理して夜に出かけたらか小田原さんに辛い思いさせ・・・て。」
力が抜けてしまい、その場で跪いて謝る蘭子。
涙が溢れ出して、言葉を最後まで出すことが出来なかった。
すると琴和がゆっくり近づいて、蘭子の前でしゃがむ。
「そんな、謝る必要なんてないよ。ほら立って、また変な犬出てくる前に帰ろう。」
笑顔で話しかけると蘭子は下を向きながら何とか声を出す。
「でも、さっき小田原さんは凄く辛い顔してたじゃないですか、
それなのにまた・・・それよりもっと酷いことさせちゃって!」
そう聞くと、琴和は少しはっとした
さっきまでは確かに殺した後に罪悪感があったのだが、今はない。
それどころか普通なら感じるだろうと思われる
気持ち悪さとか、恐怖心なども感じてはいなかったからだ。
『何故だ?』
琴和は心の中で自問をする。
しかし、その答えを出す前に、今はそれどころではないことに気がついた。
何故なら再び犬の怪物が襲ってくるかもしれない。
そう考えると、今は早く蘭子を家に送り届けることが先決だと決める。
するとまた笑顔を作って話しかける。
「えっと・・・その、実は途中で慣れちゃったから。
襲ってきたから仕方が無いし。だからその、そんなに泣かないで。
もう辛くないし、罪悪感とかないから。」
適当に言葉を作って、血のついていない左手で蘭子の手を引っ張ると
二人はゆっくりと立ち上がった。
「帰ろう、もう疲れただろ。」
優しくそうつぶやくと、三人は月光が照らす道を歩き始めた。
<第五話 月の夜の下で -終->




