2-21. 暴風域、再び②
瞬間、風が悲鳴を上げた。
二条、三条――風刃が空間を抉りながら一直線にカイウスへと迫る。
「リア! もう一発頼んだ!」
「あぁっ、もう! 本当にしつこい、この人!」
吐き捨てざま、リアが水都回廊の水面に右、左と拳を叩き込む。
――ズンッ! ズンッ!
轟音が周囲を震わせ、二本の水柱が天へ駆け上がる。飛沫が月光を散らす無数の粒となり、銀霧の幕を作った。
そこへ風刃が突入した瞬間、大粒の水滴に刃先を削がれ、形を崩され、勢いを失い……最後には湿った突風と化して霧散した。
「ああぁぁあ……ッ!!!」
ゲイルの声は怒号というより慟哭に近かった。
「貴様は……一体何なんだッ?! 魔力も持たぬ雑種の雌が! 我が至高の風刃を穢すなど……! そんな暴挙、許されぬ風業なんだよッ!!!」
三白眼が血走り、怒りに染まる視線がリアを貫いた――その刹那。
風に乱れた前髪が右目を覆い、わずかに死角が生じた。
――石畳を蹴る音。カイウスだった。
一気に間合いを詰め、背の剣に手をかける。狙うは、ゲイルの腰元――魔術発動の要、石板。だが――
「見え見えなんだよ、傭兵風情がッ!!」
ゲイルの掌が翡翠に閃き、風翔術が発動。
足元の空気が爆ぜ蜃気楼のように揺らいだと思った次の瞬間、ゲイルの姿は遥か後方に跳ね退けていた。
「ッ……逃げ足だけは相変わらず速いな、風野郎!」
「吹くな雑種がッ! すぐにその口ごと吹き裂いてやる!」
石板が明滅し、再び空気が震える。
無数の風刃が鋸のように幾重も現出し、唸りを上げてカイウスへ疾走を始めた。
(この距離……! リアの援護は間に合わない!)
一瞬で判断を下し、カイウスは迷いなく剣を抜いた。
――翠風剣シルフォルビス。
セラフィーナから託されたヴァルシェの宝刀。
翡翠の刀身に月光が走り、内蔵された風導結晶が脈動する。柄はまるで長年使い古したかの様に手の中にぴたりと吸いついた。
一条目――見えざる殺意が飛来する。
カイウスは空間の僅かな揺らぎを読み、その刃を正確にその軌道へと滑り込ませた。
――バシィィンッ!
鋭い衝突音が空気を裂く。
だが、反動はまるで無かった。刀身はわずかも押し戻されず、その場に静かに留まっている。
(この距離、あの斬撃を無反動で……! これが衝撃を受け流すセレヴァイト鋼の刀身……!)
構え直す暇もなく、二条、三条、四条――
次々と風刃が殺到する。
だがカイウスは退かない。
翡翠の光で弧を描き、火花を石畳に降らせながら一挙に残風を絡め消した。夜気が震え、焦げた空気の匂いが鼻先をかすめた。
「……行ける! 軌道さえ読めれば掻き消せる!」
手応えが確信に変わる。
カイウスは柄を握り締めると、迎撃のためさらに一方前へ踏み込んだ。
「……何なんだよ、雑種が……」
ふと見上げると、顔を覆ったゲイルがわなわなと震えていた。
「お前も……ッ! 我の風刃を、いとも軽々と……拒否しやがってッ!! 我が風は、絶対なる支配の力だぞッ!? 貴様ら雑種はッ、黙って吹き斬られてればいいんだよ……ッ!!」
血走った三白眼がカイウスを睨み据え、狂気に塗れた声と共に石板が明滅を再開する。
カイウスが迎撃体勢に入った、その瞬間。
「だから、もう効きませんから! その"ズルい風"は!」
背後からリアが跳躍し、着地と同時に水面に拳を叩き込んだ。
――ズンッ!
水柱が一気に噴き上がる。
風刃と衝突し、破砕された水の粒が月光を浴びて粉雪のように燦く。
それは目を奪われるような幻惑的で美しい光景だった。だがゲイルにとっては、煮え立つ憤怒に火を注ぐ燃料でしかない。
「あぁぁぁ……ッ! 本当に鬱陶しいなぁ、クソ雌! 崇高な魔力も持たぬ、下賤な獣風情がッ! 馬鹿の一つ覚えのように、何度も、何度も……ッ!」
「め、雌……! 雑種とか、獣とか、さっきからほんっとうに失礼じゃないですか!? わたし、ちゃんと最初に名乗りましたよ! リアって言います! ノルヴィア村の、リア!」
肩を怒らせて言い返すリアに、ゲイルは鼻で笑い吐き捨てる。
「どうでもいい! 貴様の吹く名など、ゴミほどの価値も無いッ! 我が才能の前では、貴様の存在そのものが吹けば飛ぶ塵芥なのだからなッ!」
ゲイルが風翔術で跳躍する。月光が夜空へと躍らせたその輪郭をかたどった。
「風の行き先を例え水壁が阻もうとも、我が意思は止まらぬッ! ならば新たに創り出すまでよ――全てを貫く“鋭風”をなァッ!!」
吐き捨てると、ゲイルは術式に魔力を流し始める。
「風刃では足りないのならば……その圧縮工程をさらに重畳ッ! そして成形は刃でなく、全てを貫くため、より尖鋭に、より長くッ! 加えて風翔術の術式を併用すれば、射出速度は理論値の限界すら易々と超えるッ!!」
背後の空間がひしゃげ、螺旋を描いて歪み始める。やがてそこに現れたのは、白き渦のような――槍。
異様なその光景を見てカイウスとリアは互いに視線を交わすと、それぞれの立ち位置で身構えた。
「ああぁ……こ、これだァ! 来た、来たぞォォ!! 我が内より湧き上がる、創造の衝動ッ! これぞ蒼穹の理! 破壊の詩、風の真理!!」
ゲイルは恍惚とした笑みを浮かべ、天に向かって叫ぶ。
「見よ塵芥の雑種どもッ!! これぞ我が叡智の極北よ!! 全てを射抜く、新たなる暴風――名付けるなら、空槍ッ! その身に受けること――光栄に思うがいいッ!」
風が咆哮した。捻れた白き渦、空槍が空間を貫きふたりへと疾駆する。
「……来る!」
「ッ!」
カイウスが叫んだ瞬間、リアが水面へ拳を打ち込む。だが――
(遅い……!)
正しくは白い凶槍の速度が二人の予想を上回った。水柱の立ち上がりを待つ間もなく、槍がふたりへと迫る。
(やるしか無い!)
瞬間、カイウスは迷わず踏み出していた。
石畳が悲鳴を上げ、翠風剣がその意を汲むように唸りを上げる。
――接触。
カイウスは手に伝わる反力を頼りに、刃を僅かに傾けた。
迎角、力の分散、反射の方向――全てを知り尽くした様な的確な動作。何百、何千と同じ動作を繰り返したような恐れべき練度と精度で、衝突のベクトルを流し受ける。
――ガアァアァンッ!!
大気が爆ぜ、白槍が軌道を逸らされる。勢いのままに背後の建物へ突き刺さった。
――ドゴオォオン!
直後、回旋する吸込みが唸り、重低音と共に石壁が粉砕される。瓦礫が弾けるように水路へ降り注いだ。
その光景をゲイルは理解できぬまま呆然と見つめていた。カイウスは剣をひと振りして余波を払うと、皮肉めいた息を吐いた。
「……街、壊して良かったのか? またドランベルグに叱られるぞ」
「ッ!? し、しししし知るかあんな豚などッ! も、もう……我には関係ないわッ!」
即座に吐き捨てるも、ゲイルの背筋を冷たい感覚が撫で上げた。
遠距離攻撃が通じない。となれば残る手は、至近距離で叩き斬るしかない。だが近接戦闘は、この男の間合いだ。風刃や空槍を“射出”し戦闘する自分では、分が悪い。
ならば――。
「……ならば、我が――」
歯噛みするように呟いた後、ゲイルの表情にじわりと狂気が浮かんだ。瞳に妖しく光が宿り、周囲の風が吸い寄せられるようにその身に纏わりついてゆく。
「あぁ、そうかぁ……この我が風を纏い、風そのものと化せばいいのだァ……ッ! "蒼穹の律者"たる我が……この"僕"が! この手で直々に、裁きを下せる様にッ!」
夜空を仰ぎ、恍惚とした笑みで叫ぶ。腰元の石板に翡翠の奔流が流れ込み、これまでとは比べ物にならない複雑な術式陣が展開される。
「空気を圧縮、刃状に成形……ここまでは風刃の通常工程ッ! だがここで! 不要な射出工程を"破棄"ッ! 代わりに、風翔術による流体制御を直結ッ! 高圧の刃を僕の四肢に――"固定"するッ! あたかも、斬風の鎧を纏うようにッ!! 他の誰が思いつくって言うんだ、こんな天才的な発想を……!」
それは己の才覚を世界に誇示するかのような独白だった。正気を失った眼は、自らを“唯一無二”と信じて疑わない確信の色で塗り潰されている。
「あぁ感じる、感じるぞぉ……! 風が、僕と一つになろうとしてるぅ……! ぼ、僕は人の枠を超え、世界を支配する風そのものとなるんだッ!」
「……っ! くそ、今度は何するつもりだよ……!」
空槍の再展開を警戒していたカイウスが、一気に距離を詰める。夜空の闇をくり抜くように白き衣を纏うそのシルエットに、翡翠の刃を滑らせた。だが――。
「見せてやるよ、"蒼穹の律者"の真なる顕現をッ! 全てを切り裂き、全てを吹き払う至高の理――しかと刮目しろォッ! 天空纏ォォオッ!」
叫びと同時に、術式が完成する。
――ギィイイイィイイイン!!
悲鳴のような金属音と共に翠風剣が大きく弾かれた。骨の髄を叩くような痺れが腕に走る。
「……っつぅ……!」
思わず顔を顰めながらも、カイウスは視線をゲイルに戻す。
そこには、変貌しきったゲイルがいた。
両腕、肩、背、脚――肉体のあらゆる部位に風刃が白いヴェールのように密着し、脈打つように蠢いていた。わずかな身じろぎにも敏感に追従するそれは、衣と呼ぶにはあまりに鋭く、装飾と呼ぶにはあまりに禍々しい。
「おぉ……。おぉおおおぉお……ッ!」
ゲイルは陶酔した面持ちで、感触を確かめるように数度腕を振る。
「……これだぁ、これこそ正に"蒼穹の律者"の真の姿に相応しいぃ……ッ! ようやく、ようやく整ったぞッ! お前ら雑種を、完膚なきまで叩きのめす準備がなァ!!」
勝利を疑わぬ笑みと共に、ゲイルが一歩前へ踏み出す。
――ヒイィイイィイイン。
「っ! な、何この音……っ! す、すごく気持ち悪い……っ!」
白い凶風のヴェールに引き裂かれた空気が、甲高い断末魔を上げる。リアは堪え切れず、咄嗟に耳を塞いだ。
ふと、天空纏の裾が外灯の支柱を掠める。
――ヒュンッ。
口笛のような音が鳴った直後、鉄製のそれは枯れ枝のようにへし折れた。いや――"斬り落とされて"いた。
「……っ! お、おいおい、冗談だろ……!」
その光景を目にし、カイウスの背筋を戦慄が駆け上がる。
もはや、ゲイルは意図して斬撃を放ってはいない。存在そのものが“刃”となったのだ。その一歩一歩が、カイウス達にとって致命の凶器だった。
「歩くだけ斬殺できるってかっ!? クソッタレが……!」
悪態を吐きつつも、カイウスは翠風剣を低く据える。呼応するようにリアも拳を固く握り、打ち出す構えを取った。
「あぁ……いいねぇ、その顔。窮地に追い込まれた、瀕死の害獣のような顔。次は、命乞いでもしてみるかぁ? ――この雑種がぁッ!」
直後――ゲイルが風翔術で跳躍した。
天空纏が空を裂きながら、流星の如く二人へと襲いかかった。
(この斬撃は素手で受け切れない――!)
咄嗟に判断したカイウスが声を張る。
「――リア、俺が引き受ける! 一旦下がれ!」
「えっ?! で、でも……!」
「いいから! 早く!」
リアの肩を押し退けるように前へ出て、正面から剣を構え踏み込む。
「消し飛べぇえええ! 害獣がぁぁあ!」
ゲイルも両腕の風刃を振り抜いた。
――ガギィイイィン!!
不可視の一閃と、翡翠の剣閃がぶつかり合う。耳奥を震わせる衝撃が、足元の石畳さえ揺さぶった。
翠風剣に初めて重い“衝撃"が伝わる。荒れ狂う嵐を手の中に無理やり押し込んだように、手首がぎりぎりと軋みを上げた。
(コイツ……! さっきとは威力が桁違いだ……!)
射出の必要がない分、斬撃の生成と固定に魔力を注ぎ込んでいる――恐らくそういう理屈だろう。
冷静な分析とは裏腹に、カイウスの額を冷たい汗がとめどなく伝う。
ギィイン!! ガギィイン!! ゴガギィイン!
――左右、上下、斜線。
一息つく隙も与えない連撃が立て続けに叩き込まれる。そのすべてが、掠めただけで致命傷になり得る斬撃だ。
カイウスも比類ない感覚で、最小限の動きで受け流し続ける。だが、風の爪痕がかすめる度に服は裂け、皮膚に赤い線が刻まれ、その痛みが少しずつ体力と集中を削っていった。
「フハハハハッ、どうした雑種ぅッ! さっきまでの勢いは一体どこへ行ったんだぁ?! 必死過ぎるツラは、ブサイク極まりないなぁッ!」
「……ちっ……! いちいち、うる、せぇなぁ! っ、何か喋ってないと……っ、死、ぬのかよ、この、風野郎が……っ!」
刃を絡めたまま、カイウスが強引に半歩踏み込む。
――その瞬間、風圧が炸裂した。爆風に揺さぶられた肩がわずかに開く。その一瞬を、ゲイルは逃さない。
「――掻き消えろッ! 雑種がッ!」
腕が、閃光のように振り抜かれる。風刃がカイウスの肩をなぞり、裂けた肉から鮮血が散った。
「っ、ぐうぅ……っ!」
「カ、カイウスさんっ!」
背後からリアの悲痛に近い声が上がる。
それでも、カイウスは怯まない。踏み込みの勢いを殺さず即座に旋回させる。逆手に持ち替えた翠風剣が袈裟斬りの軌道を描いた。
鋭く、無駄のない一撃。だが――。
――ギィイイィン!!
乾いた金属音と共に、表層の風刃をわずかに削っただけで刃は弾かれてしまう。
「く、くそが……!」
「ククク……あぁ、ほんっとうに良いなぁ、その表情……! 打つ手が無い、必死な感じが堪らない……! もっと、もっとだッ! もっと苦しめぇ、もっともがけぇッ! その呼吸が絶える最期の瞬間まで、楽には殺してやらないからなぁッ!」
斬風の化身が、再度襲いくる。
「雑種の割には多少手を焼かされたが、お前など僕の敵じゃ無かったんだよッ! 多少剣を扱えるから図に乗って、崇高な天才魔術師の僕に歯向かうからこうなるんだッ!」
カイウスは傷を庇いながらも技量で凌ぐ。だが、戦局は揺るがない。
「所詮、お前は無力の雑魚だッ! 何も出来ない、誰も助けられないッ! この街の未来も救えやしないッ!」
「……っ!」
指示通りに戦線から下がっていたリアが、その言葉に大きく息を呑む気配を見せる。
「このクソカスの雑種がぁ……ッ! その身に刻んでやるよ! お前なんて、無意味でッ! 無価値なッ! 存在だってことをなぁあぁあッ!」
――ガギィイイィン!!
「……っ、がぁっ……!」
天空纏の猛攻を受け切れず、カイウスの身体が大きく後方へ弾き飛ばされる。
幾つもの裂傷を受けた脚では踏ん張りきれず、石畳に膝を付くしかなかった。
だが、カイウスの目は曇らない。
幾度も死地をくぐり抜けてきた傭兵の眼光が、勝機を探して周囲を鋭く走査する。
(高圧的な物言いに、この自惚れっぷり……。精神的に粗があるタイプだ。どこかに必ず隙が出る……! 探せ……! 何か、何かあるはずだ……!)
その時――。
「もう我慢出来ない……!」
押し殺したような低い声が、背後から飛んだ。
カイウスが肩越しに振り返ると、リアが片腕でゴンドラを軽々と振り上げていた。
「あなたに……"お前"なんかに、カイウスさんの何が分かるんだ……! カイウスさんは、無力なんかじゃない! いつだって誰かを助けてる、凄い人なんだ! 人を傷つける事しかしないお前なんかより、ずっとずっと、優しくて強い人なんだ!! それを、それをよくも……!」
同時に、張っていた縄が弾け飛ぶ甲高い音が夜気を裂いた。横薙ぎにされたゴンドラが水路へ叩きつけられ、水面が盛り上がる。圧縮された水塊が破裂し、分厚い水板が弾け飛んだ。
「許さない……! 絶対に許さないから!!」
――ゴウッ!
重砲の咆哮にも似た衝撃波が、水都回廊全体を震わせる。爆ぜた水飛沫が無数の弾丸となって一直線にゲイルへ襲いかかった。
――ドドドドドッ!
「な……にぃッ――!?」
ゲイルは咄嗟に腕を交差し、全身の天空纏でそれを受け止める。
銀の散弾が叩きつけられた風刃は、その勢いを削ぎ、緻密に制御された気流を乱し始める。
見れば、その胸元――白きヴェールの一角に、目に見える綻びが生まれていた。
その、命運を分けるたった一拍に――。
「――ナイスだ、リア! 絶好のタイミング!」
「ッ!? き、貴様ぁッ!」
――ガキイィイィン!
カイウスが既に踏み込んでいた。全力で蹴り出した足が水煙を散らし、翡翠の閃光がその“綻び”に突き立つ。
「は、離れろ、この雑種がぁ……ッ!」
「おいおい、冷たいこと言うなよ……二度も本気で殺し合ってる仲じゃないか」
刃を捻じ込みつつ、カイウスは飄々と口を開く。
「ついでに、一つ自慢させてくれ。この剣……シルフォルビスの刀身は、セレヴァイト鋼って特殊金属で鍛えられててさ。受けた外圧を、受け、流し……"拡散"、させるんだってよ。そいつをお前ご自慢の暴風のど真ん中に叩き込んだら……一体、どうなるんだろうな?"蒼穹の律者"さんよ」
言い終わった、その瞬間――。
――ヒィイイィイィイン!
翠風剣の刀身が穿った一点から、亀裂のような乱れが走った。風の律動が崩れ、狂い、捻じれ、風翔術による制御が自壊を始める。
「……な、なんだと……! う、嘘だろ……? やめろ、まだだ、まだ崩れるなぁ……! こ、こんな事ぐらいで……!」
ゲイルが必死に術式の立て直しを試みる。
――だが、遅い。
自壊は連鎖的に広がり、天空纏の骨格を内側から食い破っていく。既に風刃同士が衝突し、反発し合いながら、制御不能な暴走の渦へと変貌していた。
「違う……これは違うんだッ! 僕は、僕の勝利は揺るぎないんだッ! 僕は――"我"は、まだ律しているッ! 我は、蒼穹の律者だぞッ! こんな、こんな無力な雑種に、世界を支配する風が、打ち破られるはずがッ――!」
言葉を吐ききる前に、空間がひしゃげた。
耳を裂く断裂音。重力の軸が歪むような揺れ。抑え込まれた白い斬風の塊が、限界を超えた圧力に耐えかねて膨張を始めた。
そして――
フッッ――バアァァアアァンンン!!
世界を叩きつけるような轟音と閃光、爆風。天空纏が、遂に破裂した。
制御を失った超高圧の風が、爆心から放射状に四散する。
水面を細かく切り裂き、護岸の石畳を割り、橋桁の支柱を削ぎ落とし、建物の石壁を抉り、鉄製の手摺りを千切ってゆく。
(――吹き飛ばされる!)
爆風を受けたカイウスの身体が弾け飛んだ。咄嗟に翠風剣を構え、飛来する断末の風刃を弾きながら空中を滑るように身を捻る。
このまま壁に叩きつけられる――そう思われた、その刹那。
「――カイウスさん!」
リアの声が響いた。
直後、カイウスの身体は柔らかな腕に抱き止められる。衝突の寸前に駆け寄ったリアが、カイウスを受け止め、石壁の際で踏ん張っていた。
――数秒の沈黙。やがて、耳鳴りの向こうから、静けさが戻ってくる。
リアに肩を貸してもらいながら、カイウスはゆっくりと身を起こした。崩れた黒い前髪の隙間から前方を見やる。
土埃は、舞っていない。
爆心に残されていたのは――破れた外套を身にまとったまま、仰向けに倒れたゲイルの姿だった。
風が吹き荒れる気配も、もう無い。
リアが、構えていた腕をすっと静かに下ろした。カイウスも乱れた呼吸を整えながら、剣先を下げ警戒を解いた。




