2-13. 誓いを継ぐ者たち
会合の開始を伝える鐘の音が、星影の会堂に澄んだ余韻を残して広がっていく。ヴェルディ広場の演説台に隣接する、白と青を基調としたその石造りの議事堂は、午前の光を受け柔らかな光彩をまとっていた。
会堂の内部は高い天井と石壁に囲まれ、半円形に配置された議席には、ナヴィレザの名立たる貴族たちと選ばれし商人ギルドの代表が着座している。
厳かな沈黙のなか、ひとりの若き議員が静かに立ち上がった。
セラフィーナ・エレオノール・ディ・ヴァルシェ。
銀糸を織り込んだ深藍のドレスが揺れ、その胸元には水の紋章を象った銀のブローチが静かな輝きを放っている。
彼女は会堂を一巡するように視線を送り、やがて正面を向いて、透き通るような声を放つ。
「……まずは、急なお呼び立てにも関わらず、臨時会合にお集まりいただいた皆様に、心より感謝を申し上げます」
その柔らかな声音を受けて、議席の一角――ドランベルグ家の当主、マクシミル・ドランベルグが、椅子に凭れながらぬめった声を響かせた。
「良いのですよォ、セラフィーナ殿ォ! 美貌麗しき貴女様のご召集とあらば、誰であれ喜んで馳せ参じましょうぞ! もし宜しければ会合の後にでも、会食など如何ですかなァ?三名家同士、ナヴィレザの未来を語り合うというのもまた一興というものでしょう!」
その口調の端々には嘲笑と下卑た含みが遠慮なくにじんでいた。セラフィーナは無言で丁寧に一礼し、作った様な微笑を湛え静かに言葉を返した。
「……寛大なお言葉痛み入りますわ、マクシミル殿。皆様もご多忙の折ですので、早速本題に入らせていただきます」
わずかに会堂の空気が揺れた。
「すでに聞き及びの方もおられるかと存じます。一昨日、バルコ旧倉庫地区の一角が崩落いたしました。幸いにも死者は出ておりませんが……商人ギルドによる調査報告では、当時その区域に異常な強風が吹き荒れていたとの証言が複数寄せられております」
ざわめきが一瞬走るが、セラフィーナは構わず淡々と語り続ける。
「……問題は、ここからです。わたくしの家に仕える従者が二名、偶然にもその現場に居合わせておりました。うち一名はいまだ昏睡状態にあります。もう一名は重傷を負いながらも、意識を保ち、わたくしのもとへ報告に来てくれました」
会堂がざわめく。マクシミルの顔から気色の悪い歪んだ笑みがすっと消える。
「彼は、こう証言しました――“風を纏う者”が、空を舞い、風そのものを刃として街を斬り裂いていた、と」
一拍の沈黙ののち、数人の貴族が息を呑む音が重なる。
「ま、魔術師……ということですか?」
ギルド連盟の代表の一人が、声を絞り出すように問う。その一言を皮切りに、会堂内には疑念と恐怖がじわじわと染み込んでいった。
「ま、まさか、リュミエールの手の者か……?」
「い、いやしかしなぜ今ナヴィレザを?! 彼の都市は、王国領土内の政治への関心など無かったはずだぞ!」
「こ、このままでは、戦になるぞ……!」
「正気か?! いくらナヴィレザが誇る軍団でも、魔術師とまともにやり合える訳がない!」
セラフィーナはわずかに頷き視線を巡らせると、静かに語気を整える。
「まだ、断定は出来かねます。魔術師がリュミエールの関係者なのか、それとも……リュミエールさえ動かし得る、他の巨大な何者かが、糸を引いているのか。残念ながら材料は乏しく、憶測に頼るわけには参りません」
不安を煽るような口調。あえて明言しないことが、その場にいた全ての者の疑念を刺激する。
――"王都だ。リュミエールを動かせるのは、王都しかない。我々自由都市の力を、削ごうとしているのだ"
言葉にされぬ憶測が、徐々に会堂の空気を支配する。
ドランベルグは拳を握ったまま、重い沈黙に沈む。その脂じみた顔に、明らかな焦燥が浮かんでいた。
“風の魔術師”――思い当たる節が、あまりにも多すぎたのだ。
そしてそれを、セラフィーナは逃さなかった。一閃するようにマクシミルを見据え、声に力を込める。
「……お集まりの皆様。ナヴィレザの自由の旗のもとに集う、同志の皆様方」
その言葉が静まり返った会堂に、鋭く清らかに響き渡った。鐘楼の下、研ぎ澄まされた声がひとりひとりの胸へと届いていく。
「いまわたくしたちは、試されているのではないでしょうか。"ナヴィレザの自由"という理念を、本当に守り抜く覚悟があるのかを。恐れに沈黙するのか、それとも、再び信念を胸に立ち上がるのかを」
セラフィーナの視線が、議席の一人ひとりを真っ直ぐに捉え、巡っていく。
「どうか思い出して下さい。かつてナヴィレザが聖リューフェイン王国の直轄領であった時代。圧政に苦しんだ先人たちは勇気以って立ち上がり、そして自治という未来を自ら選び取ったのです。今日を生きるわたくし達に、“自由”を届けるために」
その語りは、徐々に熱を帯びてゆく。
「『ナヴィレザに永劫の自由を』。その尊き数多の誓いと願いこそが、この都市の礎なのです。ナヴィレザは、誰かの支配によってではなく、市民一人ひとりの意志によって築かれた都市なのです」
会堂がしんと静まる中、セラフィーナは声をひときわ張り上げる。
「しかし今、その尊き想いが、またも揺るがされようとしております。姿なき者たちの、卑劣な策謀によって」
息を呑むような一瞬の間。だが彼女の声は揺るがず、力強く続けられる。
「それでも、わたくしは強く信じております。いかなる逆風が吹こうとも。いかなる陰謀が巡らされようとも。ナヴィレザの自由は決して、誰の手にも屈することはございません」
彼女の言葉は、やがて会堂の高天井を震わせ、石壁にすら熱を帯びさせる。
「なぜなら……先人の尊き誓いを継ぐ、わたしたち一人一人こそが! この都市の意思、そのものなのですから!」
語気が鋭く跳ね上がる。議席のあちこちで、思わず身じろぐ者たちの気配が広がった。
「どんほど卑劣な手を使おうとも! このナヴィレザに生きる全ての声を、その意志を! 沈黙させることなど、誰にも出来はしません!」
その姿は、まるでこの都市の魂そのものを代弁しているかのようだった。
「だからこそ、今こそ! わたくしたちも、先人たちのように、声を上げ立ち上がりましょう! この都市は、今も尚! 民の手によって立っているのだと! 権力に従うのではなく、誇りと信念による歩みを選ぶのだと!」
そして――すべての力を込めて、締めくくる。
「子々孫々の代まで! 受け継いだ誓いを届けるために! このナヴィレザの空に、自由の信念が、掲げられ続けるために!!」
……パチ。
静寂の中で、奥の席から一つ、拍手が起こる。
……パチ、パチパチ。
反響するように、複数の手が音を打つ。
パチパチパチパチ……!
それはやがて怒涛のように広がり、石造りの会堂全体を包み込んだ。まるで星影の会堂そのものが、鳴動しているかのように。
着座したままのマクシミルの眉間には、深い皺が刻まれていた。わずかにうつむき、反論の言葉すら挟めぬまま。それほどまでに、この演説は完成されていたのだった。
拍手はなおも続く。
その中心でセラフィーナは小さく息を吐くと、額に滲んだ汗を気にすることもなくヴィーザの裾を正す。
彼女の演説が、この都市に生きる者たちの胸に刻み込まれた瞬間であった。
***
――カァァン……。
会合の終わりを告げる鐘楼の音が、空を突き抜けるように鳴り響いた。
澄んだその音はヴェルディ広場の隅々まで反響し、広場に待機していた市民や衛兵、従者たちを静かに動かし始める。
重厚な扉が、軋みと共に開かれた。星影の会堂から、各家の当主たちが姿を現してゆく。
様式化されたヴィーザ、家紋の刺繍が施された外套。半月形の回廊をゆっくりと下りてゆく貴族たちは、皆どこか言葉少なに見えた。その余韻は、会堂内で行われた演説の力を、何よりも雄弁に物語っていた。
その様子を石柱の陰から見つめるひとりの男――カイウス。隣には、一歩後ろに控えるセバスの姿もある。
「……出てきたな」
カイウスの短い呟きに、セバスが静かに頷いた。
広場の陽光を浴びて、ひときわ凛とした気配を纏った存在が現れる。
――セラフィーナだった。
陽光を浴びて煌めく銀糸の藍のドレス。頬から下を隠す純白のレースのヴィーザが、彼女の気高さと気品を一際引き立てていた。
その奥に、どれほどの疲労と火照りが潜んでいるだろうか。カイウスはふと、そんなことを思った。
その直後、その顔を醜悪に歪ませたマクシミル・ドランベルグが後方から現れた。従者が慌てて駆け付ける。
彼はすれ違いざま、セラフィーナにだけ分かるような冷たい視線を向けた。それに気づいた彼女は、表情ひとつ変えず視線を斬り捨てると、無言のまま正面を向き直った。
やがてマクシミルは何も言わず、回廊を下って広場の群衆に消えてゆく。セラフィーナは小さく息を整え、踵を返してカイウスたちの方へと歩みを進めた。
「……やるべきことはやりました。あとは、皆様の心にまだ熱が残っていることを信じるしか有りません」
カイウスが労いの声をかけるより先に、彼女の方からそう口にした。その声音には、冷めやらぬ淡い余熱が滲んでいた。
セバスが一歩前に出て、丁重に頭を下げる。
「流石でございます、お嬢様。かつてどの代の当主とて成し得なかった大業を、今まさに成し遂げられました。……我が身に余る仕え先だと、改めて痛感しております」
「過分な言葉ありがとう。でもこれは原稿を共に整えてくれた貴方のおかげでもあるのよ、セバス」
セラフィーナはわずかに微笑んで返す。
「恐れ入ります。ルザニア家との面会についても、予定通りに整えてございます。先方の屋敷にて面会に応じると」
「抜かりないわね。……本当にわたくしは、良い従者を持ちました」
そう口にしたセラフィーナの横顔に、少しだけ疲労が滲む。
「時間が惜しいです。早速、星々の街区へ向かいましょう」
言いながら彼女が歩き出したとき、不意に足を緩め、セバスにそっと目配せを送る。軽く顎を上げる仕草。それだけで、セバスは察して静かに身を引いた。
「それでは、お嬢様。諸々の準備を整えてまいります。道中、どうかお気をつけて下さいませ」
そう言い残し、老執事は人の流れへと溶けるように、静かに歩き去っていった。
広場に残されたのは、カイウスとセラフィーナ――二人だけ。喧騒の中、不思議と風の音だけが耳に残る。
「……セバスはいつも忙しそうだな。アンタ、少し頼み過ぎなんじゃないか? 今度ちゃんと休ませてやった方が良い。主従関係ってのは信頼だけじゃなくて、労わってやることも大事だろうに」
「…………。」
カイウスの皮肉めいた声にセラフィーナは応えない。ただ黙って歩き出す。
「まあ、側から見てても分かるよ。アンタとセバスの信頼関係はかなり深い。息を合わせるように動いて、言葉も要らないって感じだしな。だけど……『親しき仲にも礼儀あり』ってのは、ほんとよく言ったもんだ。少しは肩の荷を下ろしてやるってのも、主の役目だと思うけどな」
「………………。」
「……」
「…………………………。」
独り言のように呟き続けるカイウスをよそに、セラフィーナは沈黙を守ったまま進む。その静けさに耐えきれず、カイウスがぼそりとこぼした。
「……な、なんだ、お姫様。反抗期か?」
その瞬間、セラフィーナがぴたりと足を止めた。くるりと踵を返し、真正面からカイウスを見据える。
その唐突さにカイウスも動きを止め、思わず一歩退いた。
「……カイウス様」
「ど、どうしたいきなり……」
その声音は、演説の時とはまるで異なっていた。
張り詰めた緊張の色は消え、どこか年頃の娘らしい、柔らかな息を含んだ響き。
「セバスの人払いも済ませております。今は、カイウス様とわたくしの……"二人きり"、ですよ」
その言葉に、カイウスは昨夜の出来事を思い出してしまう。胸の奥が不意に疼き、彼は思わず視線を逸らした。
「……か、勘弁してくれよ。昨日の今日だ。いきなりは、ちょっと厳しい」
「…………。」
「そ、そんな目で見るなって……今度で頼むよ。今日は本当に、心の準備が……」
「…………。」
「わ、分かったよ。だから何か言ってくれ――セ、"セラフィ"」
その名を口にした瞬間、セラフィーナの表情がふわりと綻んだ。ヴィーザ越しでも分かるほどの柔らかな微笑み。
彼女は頬に手を添え、まるで囁くように応えた。
「……はい。貴方のセラフィはここですわ、カイウス様」
その言葉に、カイウスは照れ隠しのように頭を掻く。
「……まったく。なんてお転婆なお姫様だ。こんなに子供らしいとは思わなかったぞ」
「あら。昨夜も申し上げましたよ。ヴァルシェ家の当主という肩書きを下ろしたわたくしは、ごく普通の娘なのです」
そう言って唇をわずかに尖らせ、いたずらっぽく続けた。
「……わたくしからすれば、その肩書きをやたらと下ろさせる、人たらしの"杖”が悪いのですけど」
それに、と小さく息を吐き、彼女はそっと視線を落とす。
「先ほどの演説、流石に少し気疲れしました。どうにも、張り詰めすぎていたようで……だから今は、例えほんのひとときであっても、素顔で息継ぎをしたいのです。少し甘えるぐらい……許してくれても、良いではないですか」
「そうは言ってもなぁ……他の従者に見られたら示しも付かないだろうし……」
「……けち。意地悪。いけず」
「なっ! あ、あのなぁ……!」
思わず声を上げかけたカイウスは、半ば諦めたように言葉を飲み込み、小さくため息をついた。
「……まぁ。期間限定とはいえ主従契約だしな。これぐらいで雇い主様の気が休まるんなら、善処するよ。……セラフィ」
カイウスがそっぽを向いて照れ隠しをすれば、セラフィーナはふっと息を漏らすように微笑んだ。
二人の足音が、石畳の上に再び並ぶ。目指すは街を見下ろす丘の上――星々の街区。




