16話 悪夢と毒
名称 夢
意味
現実からはなれた空想や楽しい考え
心の迷い
儚いこと、頼りにならないこと
※辞書から一部を抜粋
コンコン。音が鳴る。
よく聞いた音。木刀と木刀がぶつかる音。
怒号が聞こえる。興奮しきった声。手合わせに熱中しているのだろう。恫喝にも聞こえるそれは、彼らにとっての絆の表れだ。
「み〜なみ!」
誰かが私を抱きしめる。相手が誰かはわかっている。いつものことだから。
軽く上を見ると、様々な色が混ざった黒色の瞳と目が合う。髪にも数色の差し色があり、彼女が『普通』の人間ではないことを知らしめている。
ちらり、と彼女の右手を見ると、手首の部分まで包帯が巻いてある。巻き方がかなり乱雑で、所々にある隙間から赤色が見え隠れしている。
その赤色が血ではないことを『皆』が知っており、彼女は少し敬遠されている。
彼女が私を求めるのは、母親に求める愛のようなものだろう。生憎と、私にはよくわからないが。
「…?美波、どうしたの?具合悪い?」
心配そうに聞いてくる彼女に大丈夫だと伝え、廊下を歩いていく。
始めの頃よりも格段と大きくなったこの屋敷には、様々なひとがいる。人間も、妖怪も、関係なく。
それぞれ仄暗い目的を抱えながらも、無辜なる民を守る為に身を削っている。時偶、投げ出したくなるけれど、それでも足を進める。武器を振る。それしか道は残されていなかったから。
視界の端に自分の黒髪が映る。そう言えば、最後に髪を整えたのはいつだったか。ずっと伸ばしっぱなしで、組紐で髪を結ぶだけ。手入れもしていない。というか、する必要性を感じない。
しかしそろそろ短く切るべきだろう。流石に戦闘の邪魔になりそうだ。
そんなことを考えていると、前方から二人の男が歩いてくる。片方はよく知っている顔だが、もう片方は見たことがないな。
「最近入ったやつだ。世間知らず過ぎて見てられないから育てることにした」
「………俺より年下なくせに」
「俺より年上なくせに常識がなってないんだから仕方ないだろ」
「えー?きみに育成なんてできるのー?」
「少なくともお前よりかはな。俺はちゃんと協調性があるんだよ」
「わたしは好き勝手にやる方が好きだもーん」
「好き勝手やり過ぎだ馬鹿たれ」
「うわーん馬鹿って言われたー!しくしく」
「成る程、これが泣き真似……何に使えるのかわからないし正直うざいけど」
「冷静に侮辱された!?」
「こらこら、馬鹿の目の前で現実を突きつけるんじゃない」
「いやさすがに酷すぎない!?」
ぎゃあぎゃあと喧しく茶番を繰り広げる三人に、『昔』の情景が脳裏に浮かぶ。もう再現しようもないその光景と、目の前の光景は違うというのに、どうして「似てる」なんて思ってしまうのだろうか。
ああ、駄目だ。ずっとこの光景が続いて欲しいなんて思ってしまう。そんなこと思ってはいけないのに。
「本当に、残酷な夢ですね」
漸く口から出た言葉が三人に届くことはなかった。
もう声を聞くこともできないだろう。こんな光景を見ることはできないだろう。もうどうしようもない程の時間が経過してしまっているのだから。
これは夢だ。私が望み、自ら遠ざけようとした儚くも美しい夢。
封印が解けてから、可能な限り探した。それでも見つからなかった。そりゃそうだ。これだけの時間が経てば私のことなんか忘れる。私も、いつかは『皆』を忘れてしまう。
夢は進む。私だけを置いて。
「ごめんなさい。私はずっと間違い続けた。あなたたちをも巻き込んで、滅茶苦茶になってしまった」
誰も反応しない。これはあくまで私の思い出でしかないから。
「過去には戻れない。罪を償えと言うのなら、贖えと言うのなら、その通りにしましょう」
本当に最低だ。あの頃の『皆』はもうどこにもいないのに。
「でも、立ち止まることも、振り返ることもできません。世界を敵に回す覚悟は、とうの昔にしてしまいましたから」
誰もいないからこそ言えること。自分でさえ、自分の本音はわからなくなってしまった。
嘘を吐くことが罪ならば、本当のことを隠すのも、罪になってしまうのだろうか。
私には、まだわからない。
「だから、どうか私のことを忘れてください」
「忘れて、いなかったことにして、心の底からの幸せを手に入れてください」
声は届かないけれど。
「これが、私の『わがまま』です」
もう、会えないだろうけれど、それでも、幸せを手に入れて欲しい。
私がこんなことを思うのは、お門違いで、矛盾している。
だから、意味はなくとも、私はこう言う。
「本当に、ごめんなさい。こんな私を大切にしようとしてくれて、ありがとうございました」
◇◇◇◇◇◇◇
雨の音が耳に入り、目を醒ます。
夢を見ていた。久しぶりの、悪夢ではない夢。
体を起こすと、部屋の端に鎮座している机の上に負いてある青い桜の髪飾りが目に入る。
昨日は私が神殺しであることが露見した。情報規制はしてくれるらしいが、意味があるのかはわからない。
念の為、と認識阻害の呪具として桜の髪飾りを渡された。許可はもぎ取ってきたらしい。レイさんが素晴らしい笑顔を浮かべていたので取り敢えず見ないふりをして受け取った。
今日も仕事がある。軽く鍛錬をして、食事をして、仕事に行かなければ。
早く行きたいな、なんて思ってしまうのは、私が未熟者だからだろうか。
世界は変わらず廻り続ける。今も知らない所で、何かが起こっている。それを、知ることはできない。
◇◇◇◇◇◇◇
「あはっ。いい感じに進み始めてるね!
……あ!君、今『こいつ誰だ』って思ったでしょ!なんでわかったかって?だって当然の質問だからね。
うーん、僕が誰かはまだ言えないなあ。ひとつ言うのなら、僕は『この物語』の登場人物じゃあない。どちらかと言うと観客よりかな。
そうだ、ひとつ教えてあげよう!これからはもっと物語が加速する。一難去ってはまた一難、という言葉があるけれど、一難去れば三つも四つも難が来る。一つの小さな話が終わればすぐに次の小さな話に移行する。目まぐるしいほどにね。
君たちからすれば、物語の流れは早いだろう。でもそれはあくまで観客目線。当人たちにとっては想像もできないほど永い。君たちの普遍的な人生でさえ、途中でやめてしまいたいほど長いだろう?それとおんなじさ。
そもそもの話、君たちが今見ている物語は、終幕の一番最初に過ぎない。最後の流れは早いに決まってるだろ?ん?それまでの話はどこにいったんだ、って?今それを言っても意味がないことだ。だって君たちはまだ澱みと秘密を知らない。ネタバレになっちゃうよ。
……んふふ。ああ、いや、ちょっとね。この物語を知っていくにつれて、君たちがどんな反応をするのか考えたら、思いのほか面白くてね。ちょっと笑っちゃった。
それと、この物語は君たちが思っているほど単純じゃあない。規模は大きくなっていくし、似てると思ったモノが、実は全然違う、なんてことはザラだ。だから気をつけておくんだね。
せっかくだから、少し雑談をしようか。この物語は、一体どんな風に終わると思う?……ま、君たちからすれば、この物語は始まったばかりだから、わかるはずもないけれど。ネタバレになるからあまり言えないけど、確かなことは言っておこう。
この物語は最低最悪のバッドエンドで終わる。…それもネタバレだろ、って?
いやいや、よく考えてみてよ。バッドエンド、ハッピーエンド、トゥルーエンド、メリーバッドエンド、ビターエンド……いろいろな終わりがあるけどさ、それはあくまで『読者』から見たエンドだろ?最低最悪のバッドエンドも、見る者によっては最高のトゥルーエンドになる。君たちにとってはこの物語はハッピーエンドかもしれない。でも僕からすれば最低最悪のバッドエンドだよ。物語の終わりっていうのは、大概が『悪』を倒して終わり。でも悪を倒す側が『善』だなんて誰が決めたのさ?
それに『物語』が終わろうと『世界』が終わることはない。物語が終わった後も登場人物たちは生き続ける。そう考えれば、本当のエンドはデッドエンド以外にありえないだろ?僕はそういう意味での『バッドエンド』を言っているんだよ。
意味がわからない、と思った君。それで良いんだよ。わからない方が良い。これはある意味での極論だからね。
でも、わかってほしいのは、理解するべきなのは、絶対的な『悪』を押し付けられる側がいるってこと。望んで『悪』になりたいわけじゃなかったひとがいるってことを、理解するべきだ。
……とは言っても、健常者にはわからないだろう。『世界』がそういう風につくったんだから。
最低最悪のバッドエンドでも、美波ちゃんたちにとってはそれが全てさ。……誰もが、彼女に魅了される。それは『世界』の誤算。『世界』が彼女を愛してしまったばっかりに。
偏ってると思うかい?でもそれは君たちが見ている部分が狭いだけで、全体的に見ると均一だ。きっと、愛されないほうがまだましだっただろうね。
『愛』という甘く、優しく、強烈な毒は、摂取していることに気づけない。気づかない内に死に至る。
彼女がそれを知るのは、一体いつになるんだろう。
ちょっと話し過ぎちゃったね。これは悪夢だとおもって忘れてくれ。毒は、摂らないほうが一番良い」
名称 毒
意味
ひとの心を傷つけるもの
ためにならないもの、災いになるもの
※辞書から一部を抜粋