第121話 圧倒的落差
「私が従わなかったから……」
オーディックが怪我したのは自分がシナリオで決められたの配役を演じなかったからだ。
そう思い至ったローズは自分の過ちに対して激しい後悔をする。
『オーディックの記憶喪失』イベント……前世では一度しか発生しなかった。
不意を突いて始まったので、何が発動条件のフラグだったのかさえ分からない。
そしてこのイベントの最後にはローズ自らの足で王都を後にし、ゲームから悪役令嬢と言う存在が消え去ることになる。
既に主人公はゲーム舞台を降りたこの世界、バルモアは死なず『王城召喚』イベントも乗り越え、周囲の人間からの評価も良くなってきていたのにどうして?
いや、だからこそなのではないか? とローズは気付く。
『あたし幸せ計画』と言う自分が無責任に幸せになる目的でシナリオを無視して利己的な行動を取ったと言う事は、イベント最後の『自らの足で王都を後にする』……即ちそれは『自らの意思で悪役令嬢を王都から消し去った』ことと同義ではないのだろうか?
逆説的に言えば『オーディックの記憶喪失』イベントが既に成立してしまっていることになる。
だからシナリオの流れを無視して『オーディックが怪我をする』と言う事象が引き起こされたのかもしれない。
オーディックを癒す主人公がいない今、彼の心を誰が癒すと言うのか?
近寄れもせず、癒すことも出来ないこの現実。
それこそが悪役令嬢と言う配役を全うしなかった自分への罰なんじゃないだろうか?
ローズは自らが招いた悲劇に激しく後悔した。
「違います! お嬢様のせいではなりません! 悪いのはお嬢様を貶めようとする奴らなのです!」
焦燥した顔で鳴いているローズに慌てて駆け寄りその肩を抱きしめるフレデリカ。
いつものローズなら自分を騙るニセモノなどやっつけてやると息巻くものだと思って偽物が怪我をさせた事を認めたのだが、まさかここまで心を痛めるとは過去に神童と言われたフレデリカでさえ思わなかった。
ローズの心中を知らないフレデリカにとって仕方のない事だが、オズの生存やこの偽者騒動と立て続けに予想外の事が起こっている為、激しく動揺している。
「でも、私がちゃんと悪役をしなかったから、代わりに……」
この言葉にフレデリカは、王国の平和を守る為に帝国の目を欺く目的で課せられた聖女とは真逆の性悪で最低な貴族令嬢にならねばならなかった運命をローズは知っていて、あえてその不名誉で穢れた道を歩んできたのだと理解した。
この事を知っていたのは王国でも一握りのみ、しかも年月を重ねた結果その事実さえ忘れ去られ、元から性悪で最低な令嬢だったのだと周知されるに至った……いや、そう思い込ませるように演じきってきたのだ。
かつてはこの王国を滅ぼしかけたその頭脳でフレデリカはローズの心境の奥をその様に推察したのだった。
バルモア様出立の朝に突然人が変わられたお嬢様。
それまでの愚図で性悪な性格は消え去り、それ以降理知的で優しく敬愛していたアンネリーゼ様の生き写しとなられた太陽のように輝くお嬢様。
あの日お嬢様が口にした『任務地に出没する武装集団』と言う言葉からすると恐らくバルモア様が出掛けられた真の理由も知っていたのだろう。
だからこれから先に起こる災厄と戦うために仮面を脱ぎ捨てたのかもしれない。
王宮からの招待にあれだけ怯えていたのも、性悪を演じることを止めた自分への罰に怯えていたとしたら納得出来る。
『あぁ、お嬢様。そうとは知らず今までお支え出来ておらずすみません。これからは何があってもお嬢様の身は全身全霊をもってお守りいたします』
王宮へ共に行ったあの日に誓ったローズへの忠誠をさらに深く心に誓った。
なまじ優秀な頭脳を持っていた為に、一度結び付いた違和感に対する回答の妥当性が結び付くと、あれよあれよと全ての疑問が解消され、ローズが聖女アンネリーゼを超える素晴らしい人物なのだと信仰心にも似た想いの結晶にまで至ってしまった。
実際は完全に壮大な勘違いなのだが、この世界がゲーム内だと本人は知らないのだから仕方無い事。
「何を言っているんですか!! お嬢様が悪役なわけないでしょう! たとえそう仕向けられたからと言って、いつまでもその役目を担わなくていいのです!」
フレデリカは、このままローズに光の道を歩いていくことを嘆願した。
こんなに素晴らしいお方なのに、今まで自分を偽りどれだけの罪悪感に耐えてきたのだろうか?
その事を思うとフレデリカは胸が締め付けられる。
……そんなフレデリカの悲痛な想いが籠った言葉を聞いたローズ。
その心中は罪悪感の悲しみよりも、突然湧いた『?マーク』で埋め尽くされていた。
『え???? 今のどう言う事????』
この世界がゲームだと知っているローズにとって、フレデリカが言った言葉はあまりにもメタな発言過ぎるように感じたからだ。
『私が悪役じゃないとかその役目を担わなくていいとか……もしかして私が野江水流で、ゲームの中の悪役令嬢ローズに転生したことを知っていたの?』
そう言えばとローズは思う。
初めて転生した事を思い出したあの日から、主人公のお助けキャラの筈なのにずっと隣でサポートしてくれていたフレデリカ。
それは主人公が登場しても変わらなかった。
主人公を無視してずっと側に居てくれる……それが意味するのは、もしかすると自分の事を『悪役令嬢キャラ』ではなく『主人公』だと知っていたからなのではないだろうか?
……学生時代から文武両道、皆のリーダーとして常にトップを走り続けて数々の伝説を学校史に残してきた野江水流。
こちらもなまじ頭脳が優秀であった為、勝手な解釈でフレデリカを『このゲーム世界をメタ視点で把握し主人公をハッピーエンドへと導く役目を担った存在』と誤認してしまった。
この世界に転生して、今までただ一人誰にも前世のこと……そしてこの世界がゲーム世界だと言う事実も言えず、元の世界に残してきた愛すべき人達、そして人生を掛けて叶えようと思っていた心残りの数々。
その全てを突然失った悲しみに一人耐えてきた。
それなのに、そのはずだったのに今目の前にいるフレデリカは自分のことをちゃんと理解してくれているのだ。
オーディックに嫌われた心の痛み、悪役令嬢を演じなかったせいでこの世界を変えてしまった罪悪感、そして前世で失った悲しみ、その全てをフレデリカは理解し慰めてくれる。
弱り目に祟り目。
深い悲しみによって弱った心は、知らずの内に救いを求めて迷走する。
そんな盛大な勘違いによってローズはフレデリカの誤解による深く激しい敬愛と同じレベルの親愛を抱くこととなった。
「ぐす……そう言ってくれて嬉しいわ。フレデリカ。いつもありがとうね」
悲しい気持ちや罪悪感はすぐに消える物ではないが、自分のことを理解しそして慰めてくれたフレデリカに対してどうしても感謝の言葉を述べたくて無理な笑顔を浮かべてそう言った。
フレデリカはそのいじらしく儚げなローズの笑顔に、更に想いを強くした。
この先、計画の為とはいえこの素晴らしい主人に対してアンネリーゼ様を失った時の悲しみと同じ悲しみを与えてしまうことになる罪悪感に心が挫けそうになる。
しかし、これはどうしても必要なこと。
その時は悲しみにくれるお嬢様を全力をもって癒やそう。
「大丈夫ですお嬢様。私はいかなる時も貴女のお側で支えます」
気付くと自分の目から大粒の涙が溢れてることに気付いた。
もしかするとこれは初めて心から溢れ出た想いの涙かもしれない……フレデリカはそう思う。
ローズが王城に呼ばれたあの日、ローズの中に敬愛するアンネリーゼの姿を見出し、封じ込めていた本当の心を取り戻した時でさえ、ここまでの感情の波は起こらなかった。
それはアンネリーゼの代わりなんかじゃなく、自らが仕えるべき真の主の姿をローズに見出したからだった。
「心強いわフレデリカ。ありがとう」
ローズは再び笑顔を浮かべて感謝の言葉を述べる。
今度は無理な笑いではなく、絶対なる味方に対する心からの笑顔だ。
「やっと泣き止んでくれましたね。目が真っ赤で折角のお化粧が崩れてしまってます」
そう言ってポケットからハンカチを取り出し、ローズの頬に当てた。
「フレデリカこそ涙でグチャグチャじゃない。あははは」
「フフ、そうですね」
二人はお互いの涙で崩れた顔を笑い合った。
そうして暫く二人で笑い合ったが、フレデリカは一旦笑うのを止めローズを見つめる。
偽者の正体をこの世界の知識で目星を付けていたフレデリカは、ニヤッとしながら口を開いた
「お嬢様。偽者など倒してしまえばよいのです」
「えぇ! そんな事出来るの?」
倒すと言い切ったフレデリカにローズは驚きを隠せなかった。
フレデリカとは違い、偽者の事をゲームシステムが送り込んできた修正プログラムだと思っているローズが驚いたのも無理はない。
だが、すぐに全ての事情を知っているメタ的存在なお助けキャラのフレデリカならば可能なのかと思い、目の前がパァっと開けたように感じた。
『そうだわ。フレデリカが居れば怖くない。シナリオの強制力なんか倒して、オーディック様の記憶も取り戻せるはず』
「ううん、そうね。フレデリカとならば絶対倒せるわよね。力を貸してフレデリカ!」
「お任せ下さい。全力でサポート致します。まずはここから早く脱出しましょう」
「えぇ、そうね。さぁやってやるわよ~」
こうして互いに圧倒的な落差の勘違いをしているが信頼と言う名で心が一つとなった二人は、偽者と言う名の敵と戦う為に隠し通路の出口に向かって走り出した。
走るローズはある事を思い出した。
『そう言えばドライってなんだったのかしら? ……まぁいっか』