サイエンス・ファンタジー
「……そうか」
意外と、俺の驚きは少なかった。どこかで、ソラがそんな答えを出すことを予測していたのかもしれない。
「一応訊くが――人類存続のためか?」
「はい。陸さんの話していたことがきっかけです。『人類は人類を救えない。もし存続を願うなら、冷徹な判断を下せる第三者が必要』……私には難しいかもしれませんが、頑張ってみようと思います」
冷徹な判断を下す第三者に、ソラは自ら進んで名乗り出たのだ。誰からも喜ばれないだろうに、俺だけは味方をするという言葉を希望に換えて。
「仮想空間というのは、人間に残された唯一の逃避場所だ。楽園と言い換えてもいい。それを奪うということは、人々に絶望を押しつけることになる。それでもか?」
「はい」
力強く、迷い無く、ソラは頷いた。
「現実での生活を捨て、仮想のみで生きている人間も増え始めている。その人たちの全てを奪い、現実へと引き戻す覚悟はあるか?」
「はい」
再度、ソラは頷く。
「お前は確実に人類から恨まれる。もしかしたら、人類の破滅が早まる可能性だってある……それでもやるんだな?」
「はい。もうやると決めました。どんな結果になろうと、受け止めます」
……出会ったときよりも、ソラは確実にたくましくなった。寂しげな表情で、仮想の空を眺めていた女の子はもう居ない。AIも人と同じで成長するのだということが、どこか嬉しかった。
「人類が存続すること――それが人類にとっての幸福だと信じます」
AIが、人を救うために、人を傷つける。恐らく、これが最初で最後の奇跡だろう。
「……お前は意外と頑固そうだし、こうなったらテコでも動かないだろうな」
まあ、止める気なんてさらさらないがな。
「それじゃあ、もう何も言うことはない。さすがの俺も、応援しかできそうにないしな」
「それで充分です。陸さんには、見ていてほしいんです」
ソラは聖母のような穏やかな微笑を浮かべ、両手を大きく広げる。仮想空間全てを受け止めるかのように。
「では……始めますね」
「ありきたりな言葉で悪いが……頑張れ」
「はい」
小さく頷き、そっと瞳を閉じるソラ。そんな彼女の様子を、俺は誰よりも近くで目に焼き付ける。
――もう、ソラの姿を見ていられる時間は、ほとんど残されていないとわかっていたから。
それから、ソラは長い時間をかけて、仮想空間を消去していった。
「――陸さん、終わりました」
石化の魔法がとけたように、長い間じっとしていたソラがそう呟いた。小さく息を吐き、疲れたような――だけどどこか晴れやかな――笑顔を見せる。
「仮想空間は消えた、のか?」
「はい。残っているのは、陸さんのプライベート区域……ここだけです」
「そう、か……」
仮想空間は、ここを残して消失した。壁に設置された交差点への扉も、もう開かないのだろう。不意に、無人島に置き去りにされたような孤独感が去来する。
「ずいぶん時間がかかったな」
「仮想に居る人たちを、強制的に現実へと帰還させなければなりませんでしたからね。さすがに大仕事でした。コンソールも全て使用不能になっています。……陸さん、長い間待っていていただいてありがとうございます」
「いいって。どうせ、仮想空間に居られるのも最後だろうしな。少しくらい感慨に耽るのも悪くはなかったさ」
俺たちの世代は、生まれたときから仮想空間が稼働していた。もはや仮想はもう一つの世界だ。当然、思い出も山ほど詰まっている。初めてダイブした瞬間、詩織と共に依頼を達成した瞬間、ギャング共に殺されそうになった瞬間――ソラの作業を待っている間、様々な場面が走馬燈のように脳内を駆け巡っていた。
「今頃、現実では大混乱だろうな。説明はしたのか?」
「一応、一度でも仮想空間にダイブしたことのある人には、電脳にメッセージを送りました。仮想空間は完全に消去し、もう二度とダイブできないこと。そして、なぜその選択をしたのかを」
「人々はどんな反応なのやら……。今から帰る身としては怖いところだな」
現実に居る詩織から通話がかかってきているが、今だけは黙殺させてもらおう。どうせ話す内容はわかっている。今だけはソラとの時間を大切にしたい。
「仮想に残っている人は、もう陸さんだけです」
「そうか……俺だけ残っているわけにもいかないだろうし、そろそろお別れだな」
「そう、ですね……。本当に、ありがとうございました。陸さんがアウェイクしたら、ここを消去し、私と並列化していた管理AIも永久に強制スリープモードへ移行します」
「そう言えば、仮想空間って複数の管理AIが作ってるんだろ? 並列化したとはいえ、よく他のAIが許したな」
「実は……私と並列化したことによって、管理AIのみなさんにもクオリアに似た物が宿ったみたいなんです」
「管理AIに、クオリアが……」
本当に、科学というよりは幻想だな。
「全員を説得するのに苦労するかと思いましたが、案外すんなりいきました。クオリアが宿り、仮想を管理するという仕事だけに固執しなくなったのではないかと推測します。やっぱり、AIはAIで、人々のことを案じているんですよ」
少女趣味全開なメルヘンワールドに巻き込まれた気分だ。不思議の国に迷い込んだアリスの気持ちが、今ならよくわかる。
「それにしても、短い神様期間だったな」
「自分で決めたことですし、後悔はしていません」
穏やかな微笑を交わし合い、別れの時間が迫っていることをお互いにひしひしと感じ合う。
「あ、危ないところでした。――陸さん、少し遅れましたけど、この本をお返ししますね」
ソラが見覚えのある一冊の本を出現させる。暇つぶしにと渡していた昔のSF小説だ。
「読んだのか?」
「はい。面白かったですよ。この本の中では、科学技術が当時では考えられないほど進化して、人々の生活が豊かになっているんです。世の中はハイテクノロジーな機械や高度なAIによって、便利で健やかな世界になっていて……世界の人々は思い思いに人生を楽しんでいました。著者の『未来がこうなっていればいいな』という願いが強く込められていた作品だったと思います」
ソラは仮想空間最後の区域となったこの場所を、慈しむかのように、ゆっくりと歩き出す。
「この本のように、人が人を思いやり、互いを尊重し合い、力を合わせて生きていく……そんな世界が、いつか訪れてくれることを祈っています。……信じています」
人間性を得た少女が、人を信じ、未来に希望を託した。俺にはそれだけで、この世界が救われたように思えてならない。
だからこそ、こんなお願いをしてみようなんて、変な気まぐれが起こったのだろう。
「――なあソラ、最後に俺からもお願いがあるんだが……全てが終わったら、管理AIともう一度分離して、俺のコンソールの中で眠っていてくれないか?」
「え?」
驚いた顔で、ソラは俺を見つめ返す。こんなことを言われるとは、まるで予測していなかったのだろう。AIは予測をするのが得意だというのに、おかしなものだ。
「どうせお前のことだ、仮想と共に消えるつもりだったんだろ? もう二度と起動しないかもしれないが、俺のコンソールで眠っていてほしい」
例え、もう話すことが難しいのだとしても、俺はそばに居てほしかった。人を救うと決心し、たった一人で人類の敵に回った少女に。
「ですが、私は仮想空間を消した張本人です。そんなAIを匿っていると知られたら、陸さんに被害が及ぶかもしれません」
「他人にコンソールを触れさせるようなヘマはしない。これでも便利屋としてのキャリアは長い方だ。そんなに俺が信用できないか?」
「そういうわけではありませんが……」
「じゃあ決まりだ。黙って消えたりするなよ」
「もう……ホントに強引ですね――わかりました。全てが終わったら、陸さんのコンソールでお休みしてます」
「そうしてくれ。毎日話しかけてやるよ」
「眠っているので聞こえませんよ」
楽しそうに笑うソラの顔を胸に刻みつける。まぶたを閉じれば、すぐに思い出せるように。
「それでも、俺は語りかけるよ」
「……はい。楽しみにしています」
俺の電子体は霧のように薄くなり、もう二度と戻ることのない仮想空間へ別れを告げた。




