人類の未来
次の瞬間、俺たちは見覚えのない区域へと移動していた。広さも置かれている家具もいたって普通の区域だ。防壁は豊富だったが、特別な機械が置かれている様子もない。AI撲滅班――もしくはフレイザーの個人的な仮拠点といったところだろう。
「なっ……これは……どういうこと、だ?」
目の前には驚愕の表情を張り付かせたAI撲滅班のトップ――フレイザー・エアハート。
「ソラ……それに、雇われの便利屋二名か……。どうやってここに入ったのかな? 防壁が破られた形跡はないが……」
フレイザーも堅気ではないので、それなりの非日常は経験済みだろうが、さすがにこんなことは初なのだろう。防壁を破らずに区域に侵入するということは、卵の殻を割らずに黄身だけを取り除くようなものだ。驚くのも無理はない。
「……」
目を細め、油断なく俺たちを視界に収めるフレイザー。恐らく電脳内では、仮想兵器を即座に展開できるようにプログラムを走らせているだろう。切り替えの早さはさすがと言える。
「よう、元気か大将。驚かせて悪いな。ちょいとした裏技を使わせてもらった」
もはや何でもありのソラが一緒とは言え、油断はできない。脳に高負荷がかからない程度に、電子体の身体能力を上げる。
「……キミたちがどんな手段でこの場所を突き止め、侵入したのかはわからないが、あまりまっとうな方法ではないのだろうね。実はあれから、キミたちのことを調べさせてもらったよ」
「ほう」
「双道市で便利屋をやっている月霧陸。並びに、その相棒の星崎詩織。この界隈では有名なようだね。仮想空間では高いハック能力と戦闘能力を駆使し、現実では独自のコネクションで依頼を遂行する。報酬がよくても、気に入らない依頼は受けない。基本的に自分から売り込むことはせず、依頼者は口コミで存在を知ることが多い――だったかな」
「お前、ストーキングの趣味まであったのかよ。粘着質なやつだな」
「きっと、灰色の学園生活を送っていたんだよ。かーわいそー」
勝手に自分のことを調べられるのはやはり気分が悪い。相手が明確な悪意を持っているのでなおさらだ。
「月霧君、星崎君、もう一度考えてみてくれ。そこに居るソラはAIだ。人間ではない」
「そんなこと知ってる」
「では……なぜソラに協力する?」
「金をもらった……ってのもあるが、お前よりは信頼できると思ったからな」
「同じ人間よりも、クオリアなんて得体の知れないものが宿ったAIを信じると?」
「そうだ」
「……月霧君、よく聞いてほしい。AIは人を超える。――もうすでに超えつつある。AIは近い将来必ず人類に牙をむく。それでもAIと共に過ごすのかい?」
「……」
そうか……少しだけ、こいつのことがわかった気がする。
この男は怖いのだろう。AIが人を超えることではなく、人の存在意義がなくなることが。
「なるほど……そういうことか」
高度に自動化された社会には、人間の成すべきことなんてなくなる。AIが判断を下し、AIが実行し、AIが責任を取る。そんな世界が仮に成り立てば、人はAIの生み出す甘い蜜を吸い続けるだけの寄生虫となる。AIが仕事をし、AIが経済の中心となれば、人の仕事など異性の気を引くだけとなる。そんなものは動物と同じだ。
やがて人は、自分の感情さえも、AIに外部委託するかもしれない。その未来は、決して間違いと言えるほど的外れでもないし、楽観できるほど遠くもない。
「フレイザー、一つ訊きたいんだが……なぜお前は人間を殺さないんだ?」
「? 急に何を言っているんだい月霧君?」
「お前の言う通り、AIは人間を害するかもしれない。その危惧が完全に間違いとは言わない。ソラのように、感情というものが発生するAIも今後増えるかもしれない。……だがな、それの何が問題なんだ?」
「何って……AIが人と同じように感情を持てば、人間を敵視する可能性だってあり得るからだよ」
「では、もう一度訊くが……なぜお前は人間を殺さないんだ? 人間は生まれたときから感情を持っているし、人間が人間を敵視することだってある。人間が人間を殺すことだって何度もあった。それこそ何千年も昔からだ。――お前はAIが人間性を持ち、人間を敵視することに危機感を抱いて、AIを撲滅しようとしている。だが、人間を一番殺しているのは人間だぞ? 人間を守りたいのなら、人間を殺せばいいだろ。その方が効率がいい」
人類が食物連鎖の頂点に立った瞬間から、人の脅威は人になった。自分より上の存在が居ないのだから、上からではなく横からの脅威は至極当然だ。
「AIが心を手に入れることのどこに問題がある? 感情が、人間性が、感性が、クオリアが――それらが悪だと断じるなら、人も等しく悪になる」
フレイザーは疲れ切ったようなため息を一つ吐き出した。
「月霧君、キミの主張はわかった。だがそれは、あまりにも暴論だとは思わないかい? 確かに人は人を傷つけるし、殺しもする。だが、人はAIと違い同種を増やすことができる。種の繁栄だよ」
「今の時代、AIがAIを作ることだって珍しくない。AIがAIを作り、作られたAIに感情が宿る――人の社会となんらかわらない」
「キミは……人が滅んでもいいと?」
「まさか。むしろ逆だ。――なあフレイザー、俺は賭けてみたいんだよ。人類なんてどうせこのままなら滅ぶ運命だ。人類を救うには、それ以上の存在が必要になるとは思わないか?」
「……それがAIだと?」
「さすがにまだわからないがな。でもまあ、期待するくらいならいいんじゃないか? 神様に祈るよりは建設的だろ」
AIならば、この暗い未来を変えられるのではないか……ソラを見ていると、そんなことを感じるようになった。
「キミの言い分が理解できないわけではないが、納得はできないな。あまりにも確率は低いよ。それならば、AIを根絶し、人間だけで立て直しを計る方が確率は高い」
「いや、それは難しい。人は人を救えるが、人類は人類を救えない。――フレイザー、お前は生きるためにどこまで犠牲にできる?」
「? どういう意味かな?」
「例えば、右腕を失わなければ死んでしまうとする。普通、右腕くらいならば差し出すだろう。だが、両腕となるとどうだ?」
「質問の意図はわからないけど……僕なら差し出すよ」
「だよな。腕がなくても生きてはいける。人生の全てをピアノに捧げたピアニストでもない限り、命を取るだろう。……ではさらに、両足も失わなければ死んでしまうとなった場合はどうする?」
「……両足を差し出すよ」
「では、さらに、五感全てを完全に失わなければならないとなった場合……それでもお前は生きる道を選ぶか?」
「…………」
フレイザーは、答えを返してこなかった。
「手足を失い、目は光を失い、耳は音を捉えず、鼻は匂いを感じず、舌で食事を楽しむこともできず、誰かの温もりを感じることすらできない……人類が生き残るには、このくらいの犠牲が必要になる」
人類はそこまで自分を傷つけることはできない。
「だからこそ、人類は人類を救えない。もし存続を願うなら、冷徹な判断を下せる第三者が必要なんだよ。嫌だ嫌だと泣き叫ぶ人類の手足を、両断できる存在が。目を潰し、耳を落とし、鼻を削ぎ、舌を焼き、皮膚を剥ぐ……そんな冷酷非道な所行を、行使できる存在が」
「……キミは僕を打ち倒し、AIを進化させ、人類を救うつもりだと?」
「それほど高尚な考えじゃない。人間という種を崇高しているわけでもない。――ただ、生き残る道を一つくらいは用意しておきたいだけだ」
俺自身はただのしがない便利屋だ。世界を救う英雄なんて似合わない。ただそれでも、できることがあるならやっておきたい。悔いが残るのだけは我慢できない。
無駄になるかもしれないし、徒労に終わるかもしれない。本当はすごくバカなことをしているのかもしれない。確率は限りなくゼロに等しくても、信じるしかない。AIが人類を救う未来を。AIが切り拓く未来を。
「……少ししゃべりすぎたな。――ソラ、あとはお前に任せる」
「え? あ、はい」
ソラは急に話を振られ、少し戸惑った様子だった。俺はそんな彼女の緊張をほぐそうと、静かに笑いかける。
「大丈夫だ。お前が思う通りにしろ。自分がしたいと思うことをしろ。何かに振り回される必要はない」
「……はい」
ソラと入れ替わるように、俺はフレイザーに背を向け距離を取る。
「なんか、陸が真面目な話するなんて珍しいねー」
後ろから様子をうかがっていた詩織が、肘で俺をつつきながら茶化してきた。
「やかましい。――詩織……お前はどう思う?」
「どうって?」
「人類は、このまま滅ぶと思うか?」
「……正直な話をすれば、復興は厳しいと思う。環境を完全浄化できる増殖型ナノマシンでも作られれば、話は別だろうけど……ナノマシンが暴走して、グレイ・グー発生の危険もあるし、なかなか難しいよ」
ナノマシンは様々なことに応用が利くが、その分取り扱いを誤れば危険だ。未だに大規模な
環境浄化用ナノマシンが開発されないのは、技術の問題よりもリスクを考慮してだ。
「ナノマシンで環境浄化はリスクが高い。かといって、地道に植林でもする気力はもはやない……でも、少しくらいは希望を持たないとね」
詩織はいつも通りの無邪気な笑顔で、俺の肩を叩いた。それだけで、俺にとっては充分だった。
「……ありがとな、相棒」
「どういたしまして、相棒」
俺たちは顔を合わせることもせず、ただ拳だけを軽くぶつけた。




