フレイザー・エアハート
「ソラが……AI?」
フレイザーの発した言葉が信じられずに、俺はソラを改めて見つめる。
「冗談言うなって。AIがここまで人間的になるかよ」
ソラの言動は完全に人間だ。さすがに、AIと人間の区別くらいはつけられる。
「そうだよ。ソラちゃん普通に人間じゃん。適当なこと言わないでよ」
俺も詩織も、フレイザーの言葉を一蹴する。異常者の発言を真に受けるほど、俺たちは優しくない。
「思った通り、自分の正体を隠していたんだね……やはりAIは危険だ」
にやりと粘着質な笑みを浮かべ、フレイザーが俺たちに向かって一歩近づく。
「おい動くなよ不審者。お前には聞きたいことがあるから生かしているが、妙なマネしたら殺すぞ」
俺は瞬時に扱い慣れている仮想兵器の自動拳銃を呼び出し、フレイザーに突きつける。
「そこそこの場数を踏んでいるようだね。武器の取り出しが早い。違法の呼び出しツールか何かを使っているんだね」
「……一発で見抜いたのは褒めてやるよ」
フレイザーの言う通り、俺も詩織もあらゆる違法プログラムを電脳にインストールしている。仮想での戦闘で相手より優位に立てるのは、使っているツールが優れているのが大きい。
武器の取り回しの高速化、身体能力の強化、五感の鋭敏化など、全て非合法のツールによる恩恵だ。
「気味の悪い男だ。眉間に風穴開けてアウェイクさせてやろうか? 俺の使っている銃弾は特殊だから、一週間は激痛が残るぞ。最悪そのまま脳死だ」
「まあまあ、落ち着いてほしい。むしろ、僕はキミたちの味方なんだよ?」
「味方だと?」
「そうさ。僕は人間の味方。人々を守る聖なる盾なのだから」
俺は銃の引き金を引き、フレイザーのこめかみを僅かにかすらせるよう銃弾を放つ。突き刺さるような発砲音が仮想空間に響き渡り、周囲は一瞬の静寂に包まれた。
「…………」
「面白くない冗談は嫌いだ。次は当てるぞ?」
「なかなか理解してもらえないようだね。僕の言っていることは事実だよ。――そうだろう、AI・ソラ?」
「その……ええと……」
「? どうした、ソラ?」
「ソラちゃん?」
どれだけ待っても、口ごもるソラの口から否定の言葉が出てくることはなかった。
「……はい。……彼の言う通り、私はAIです」
代わりに出てきたのは、ソラ自身が人間であることを否定する言葉だけだった。
「…………」
「嘘……ホントなの、ソラちゃん?」
「はい……ごめん、なさい」
イタズラを親に咎められた子供のように、ソラはそれっきり沈黙を保ち続けた。
「ということだよ。月霧君に、星崎君だったかい? わかったら、そこのAIを僕に渡してほしい」
勝ち誇った顔で、こちらに手を出し出すフレイザー。穏やかに、あくまでも自分は味方であるとでも言いたげに。
「……だってさ。陸、どうするの?」
「ソラがAI、ねぇ……言うまでもないだろ」
俺たちの依頼はソラを守ることだ。それは、どんなことがあっても変わることがない
当然――
「今すぐ消えろサイコ野郎。そうすれば命だけは助けてやるよ」
――こいつに渡すことなど、できるはずもない。
となりで「ま、そうだよねー」と、いつも通り脳天気な声が聞こえた。
「……僕の話を聞いていなかったのかな月霧君?」
「それはこっちのセリフだ。俺と詩織はソラに金で雇われ、身を守ると約束した。対象が人間だろうが、AIだろうが、金をもらった以上は仕事を遂行する。それがプロってもんだ」
「便利屋なんて、信用が第一だしね。女の子一人守れなかった、なんてうわさが広まったら、こっちも商売上がったりなんだ。ごめんねー」
フレイザーはイライラした様子で、こめかみを小さく叩く。
「わからない人たちだな。ソラは危険なAIなんだよ。キミたちにだって嘘をついていただろう?」
フレイザーのその言葉に、ソラはさらに小さくなりつつ、ごめんなさいと呟いた。
「……別に、ソラは嘘なんてついていないさ。あまりにも人間らしかったから、俺たちが勝手に誤解しただけだ。俺はソラに『お前は人間か?』という問いは投げかけていないし、ソラも『私は人間です』なんて一言も発していない。――だからソラ、お前は俺たちを騙してなんていないんだ。謝る必要なんてない」
「陸、さん……すみません」
「謝らなくていいって言っただろ。気にするな」
やはり、こんなにも小心者のソラをテロリストには渡せないな。何されるかわかったもんじゃない。
「物は言い様だね月霧君。要するに、ソラを渡すつもりはないと?」
「そういうことだ。それじゃあ――」
俺は話しながら、電脳からあるアイテムを呼び出す。
『詩織、ソラを俺のプライベート区域へ連れて行け』
『了解。陸は時間を稼いでね』
『はいよ』
手中に仮想兵器のスモークグレネードが現れ、俺はそれをフレイザーの足下に向かって投げつける。
「――交渉決裂ってことで!」
瞬時に、自然公園は白い煙に包まれる。こちらと相手の距離はおよそ二十メートル。視界が定かではない状態で、すぐさま俺たちを捕捉することは困難だ。
「さ、行くよソラちゃん。要塞みたいな区域あるから、そこに逃げよう」
「え、あ……は、はい!」
ソラの手を引き、詩織は公園から走り去る。あいつも一筋縄ではいかない女だ。女の子を守りながらでも、暴漢の二十人は軽くいなすだろう。心配はいらない。
「くっ、厄介な人間が敵に回ったものだ……」
口元を手で押さえながら、逃げた二人を追おうとするフレイザーに、
「おいおい、ツレないじゃないの」
身体能力を引き上げ、銃弾のような速度で跳び蹴りを叩き込む。聴覚も同時に強化したので、煙の中で相手をサーチすることも容易だ。
「ぐっ!」
攻撃を受け、遙か後方に吹き飛ばされるフレイザー。僅かに遅れて、自然公園には似つかわしくないドンという衝突音が聞こえてきた。樹木か遊具にでもぶつかったのだろう。
「へいへい、どうしたよAI撲滅班のトップさん」
「ぐっ……がっ……」
煙の向こうから、苦しげな声をあげるフレイザー。
「……そう……か、そっちがその気なら、僕も少し乱暴にいかせてもらうよ」
相手はテロ行為を平然と行う連中だ。当然、俺と同様に電子体は違法改造されているだろう。先ほどの攻撃を受けて、すぐさま立ち上がれるのがその証拠だ。一般人なら強制アウェイクしていてもおかしくはない。
交差点が自然発生させる微風によって、徐々に煙が薄くなる。
フレイザーは衝撃でひび割れた眼鏡を外し、遠くへ放り投げる。地面に当たるより先に、眼鏡の輪郭がぼやけ、水に溶かした塩のように消えてしまった。
「悪いが、こっちも少し本気で行くぞ。殺す気はないが、死んだらすまんな」
自動拳銃を再び構え、フレイザーに向かって二発同時に発砲。狙いは肩と腰。
秒速400メートルの銃弾を、フレイザーはどちらも紙一重でよける。現実ではあり得ない動き。かなり改造されているな。
「先ほどは油断していたけれど、真っ向からなら対処できなくもないよ」
「ふむ……それじゃあ追加だ」
俺は同じ型の自動拳銃をもう一丁呼び出し、両手で構える。同時に、反射速度と身体能力をさらに引き上げる。脳に負荷がかかるので、そこまで長時間身体強化は行えない。さっさとケリを付けよう。
「テロリスト風情に後塵を拝するわけにはいかないんでな。精々、どこまでやれるか見せてみろよ」
銃撃愛好者のように、手にした二丁の拳銃を乱射する。聞き慣れた銃声が途切れることなく響き渡り、鼓膜と心を踊らせる。
「――っ」
間髪容れずに吐き出される銃弾を全てかわしながら、フレイザーは姿勢を低くし、俺へと走り出す。
「くそっ」
舌打ちをしつつ、地面を強く蹴り後方へと逃げる。低空飛行するロケットのようなフレイザーに向かって再度発砲。しかし、銃弾が敵に当たることはなく、無情にも地面に吸い込まれる。
息をつく間もなく、フレイザーが距離を五メートルまで詰める。俺は即座に銃を捨て、コンバットナイフを電脳から呼び出す。弾速とナイフを振るう速度では、ナイフの方が早い。もちろん、身体能力を上げているからだ。
胸ぐらを掴もうと迫ってくる手に向かって、ナイフを横に振るう。敵の手の平を深く斬った――が、さすがにこの程度で止まってはくれないようだ。
胸ぐらをすさまじい怪力でつかみ上げられ、俺の身体は宙に浮かび上がる。このまま地面に突き落とされると、最悪頸椎がやられる。
歯を食いしばり、電脳をさらに加速させる。思考が高速化され、周囲の風景が減速する。網膜に電脳負荷の警告が表示されるが、気にしている場合でもない。
受け身を取ることは諦め、ある違法プログラムを走らせる。このプログラムは、電子体の重さを五倍に増大させるものだ。
「――っ!?」
さすがにこれには驚いたようで、体勢を崩すフレイザー。俺は手にしたナイフを相手の肩へ深く刺し、地面を転がるようにしてなんとか間合いから逃げ出す。
「やってくれるね、月霧君」
楽しそうに笑いながら、肩に刺さったナイフを引き抜く。そこから鮮血が吹き出すことにはまるで頓着せず、ナイフを俺に投擲する。
「元気なテロリストだ」
飛来したナイフの柄をつかみ、一度電脳にしまう。電子体の重さを元通りにし、身体強化と思考速度もリセットする。これ以上続けていては、脳に障害が残ってもおかしくはない。
「班長! ご無事でしたか!?」
フレイザーの後ろから、男が二人駆け寄ってくる。恐らくこの二人もAI撲滅班のメンバーだろう。いかにも頑丈そうなボディアーマーを着込んでいることから察するに、荒事専門家ってところか。
「僕は無事だよ。それより、ソラに逃げられた。目の前に居る男を潰し、あとを追ってほしい」
「はい!」
「直ちに!」
男たちは中型のマシンガンを電脳から呼び出し――
「おいおいっ」
――その場でためらいなく乱射してきた。
「思った通りだ畜生! 交差点で銃ぶっ放すかよ普通!」
自分のことは棚に上げつつ、大声で文句を言う俺。
AI撲滅班の連中から距離を取り、公園の木々に身を隠しながら周囲を探る。騒ぎのおかげで、一般人が見当たらないのは僥倖だ。さすがに、何の関わりもない人を巻き込みたくはない。
「やつら、いつの間にやらジャミング張ってやがるな……アウェイクできねぇ」
ジャミングとは、電子通信やアウェイクを妨害するものだ。現在張られているのは、アウェイクのみを妨害する種類らしく、外部との通信自体は可能だ。
ある程度時間を稼いだら現実へ逃げようと考えていたが、読まれていたな……。
「警察が来るまであと三分かそこら……さっさと逃げ出さないとな」
当然、仮想にも警察は存在する。むしろ、最近は仮想の方に人員が割かれるくらいだ。こんな騒ぎを起こせば飛んで来るだろう。腐っても警察だ。俺も叩かれるとホコリが出る立場なので、鉢合わせはご遠慮願いたい。
『陸、こっちは無事にあんたのプライベート区域まで避難したよ』
息を潜めていると、詩織から通話が入る。向こうは無事らしい。ひとまずは安心だな。
『詩織か、よくやった。俺もこいつら振り切って、そっちに合流する』
『こいつらってことは、複数なの? フレイザーとか言うやつだけじゃなかったんだね』
『ああ。背後にもう二人控えていた。まったく困ったもんだ』
『大丈夫そう? なんなら、ソラちゃんここに残して加勢に行こうか?』
『問題ない。一応ソラの近くで周囲を警戒しておいてくれ』
『はいはーい。気をつけてねー』
お気楽そうな詩織からの通話を切り、俺は仮想兵器のリストを眺める。使えそうな物は……。
「こいつでいいか」
俺は電脳からスタンドッグを引き出す。スタンドッグとは、自動で敵を補足し、麻痺させるという動物型兵器だ。ロボットといった方がいいだろう。フレイザーとの戦闘で電脳がオーバーヒート直前なので、下っ端は戦闘AI任せだ。
あとから来た二人もフレイザー並に電子体を改造していれば、スタンドッグくらい軽くあしらわれるだろうが……それを確かめるためにもいいだろう。
「さあ行ってこい。お前には三十万もかけたんだから、壊れるんじゃないぞ」
メタリックな四足歩行の犬型ロボットを、俺は地面に解き放つ。本物の犬そっくりに大きく吠えたあと、スタンドッグは地面を強く蹴り、AI撲滅班の男たちに襲いかかる。
「な、なんだこいつ!?」
男たちは咄嗟に発砲するも、スタンドッグは銃弾をひょいひょいと避ける。当然カスタム済みなので、ある程度回避能力は底上げしてある。
「くそ!」
迫り来る鋼鉄の犬を撃ち殺そうと、二つのマシンガンが火を噴く。それによって、次々と公園の大地がえぐれていく。俺は遠くから、芝生の下もちゃんと土があるのだなと、よくわからない感想を抱いていた。
「ひっ!」
男の足首に、スタンドッグがかみつく。すぐさま男の全身に青白い稲妻が走り、やがて倒れ込んだ。
「くそ! くそぉ!」
残されたもう一人が、恐怖と怒りを顔に浮かべ、がむしゃらに発砲する。
その姿をあざ笑うように、スタンドッグは大きくジャンプし、男の首元にかみつく。二人目の男も、電子体を痙攣させながら気絶した。さすがに、フレイザークラスの違法電子体がポンポン出てきたりはしなかったようだ。
「お疲れさん。優秀なワンコだこと」
一仕事終え、足下にじゃれついてきたロボット犬を撫でる。
「いつの間にかフレイザーには逃げられたか……まあいい。尾行されないように気をつけながら、プライベート区域まで帰るか」
フレイザー・エアハートか……久しぶりに、楽しめそうな相手だ。




