ソラ
仮想での食事を存分に楽しんだ俺たちは、気分的な腹ごなしとして近くの公園を散歩していた。
公園の中央では大きな噴水が稼働しており、とても涼やかだ。ブルーシートを広げ、弁当をつついている家族連れや、寝っ転がってひなたぼっこをしている中年男性など、穏やかに時が流れていた。
「そういや、昨日ここで変わった女の子見たんだよな……」
指輪を取り戻すという依頼を終え、アウェイクする直前のことを思い返す。丁度この公園だったはずだ。
「ふーん。どんな娘だったの?」
「遠目だったから、はっきり見たわけじゃないが……銀色の髪に、黒いヒラヒラのドレス姿だったな。妙に目立つ格好だったから印象に残ってる」
「すごいねそれ。どっかの貴族?」
「今時そんなもん居ないっての。――ほら、一世紀くらい前に流行っていた……コスプレってやつだったのかもな」
仮想空間での肉体である電子体は、コンソールに繋がれた実体のデータを元に制作される。体型・性別・髪色・声――全て現実そのままに再現される。そのため、電子体を偽装することは不可能だ。『ネカマ』はもう存在しない。うわさでは電子体を偽装できるツールもあるらしいが、見たこともないので真偽は謎のままだ。
ただ、衣服はある程度変化させることが可能となっているため、仮想でファッションを楽しむ女子も少なくない。もちろん有料ではあるが。
「仮想でコスプレ……わたしはしたことないなぁ……昔のアニメのキャラだったりしたのかな?」
「かもな」
俺は昨日の少女を、もう一度脳裏に思い浮かべる。周囲の景色から隔絶されたような存在。そこに居るだけで、全てを飲み込むような――あるいは包み込むような――錯覚を起こさせる少女だった。
まるで人間ではないかのように。
「死んだ少女の霊……いや、バカバカしいな」
俺は頭を振って、自分の考えを消し去る。仮想空間に幽霊なんて存在しない。仮想で死んだ人間の意識が取り残されるとかいう電子体幽霊なんて、所詮は都市伝説だ。
「くだらないことを考えたな。――詩織、せっかくだから久しぶりに模擬戦でも……詩織?」
となりを見ると、頼れる我が相棒は訝しげな顔で遠くを見つめていた。
「ね、ねえ陸。あんたが言ってるの……あの娘じゃない?」
「ん?」
詩織が公園の奥を指さす。その先には、
「……ああ……そうだ」
昨日とまったく変わらず、空を見上げる女の子の姿があった。
「まさか二日連続で目にするなんてな」
もしかして、ずっと仮想に居たのか? コンソールの生命維持機能を使えば、数日間ダイブしっぱなしも不可能ではないが……普通は食事だったり、買い出しだったり、仕事だったりで、一日に何度かは現実へ戻る。
「偶然……かな? 確かに、ちょっと不思議な感じのする女の子だね。せっかくだし声かけてみようか?」
「なんでだよ。特に用事ないだろ」
「いいじゃん。仲良くなれるかもしれないよ」
「仲良くなってどうするんだっての」
「陸もそろそろ身を固める頃じゃないの? 若い女の子との出会いなんて、双道市じゃあ貴重だよ」
果てしなく余計なお世話だ。
「まあ、陸をあげる気はないからそれは冗談だけれども、たまにはこっちから売り込むのもいいんじゃない?」
「? 売り込む?」
「便利屋としてだよ。『困ったことありませんか?』って」
「ああ、なるほど」
俺も便利屋を続けて長いが、基本的には常に受け身だ。依頼者がやって来るのを待っているスタイルになっている。双道市では、あまり目立ちすぎるのも危険だからだ。
「理解してくれたようだね。それじゃあ行ってこよー」
「は? 本気か詩織。まだ俺はOKして――お、おい!」
静止の声を聞くこともせず、思い立ったが吉日とばかりに、詩織は女の子に向けて走り出す。放っておくわけにもいかず、ため息を吐くと同時に詩織を追いかける。
「おーい、そこの女の子。可愛い格好だね。何してるの?」
ナンパでもするみたいに、詩織は気軽に少女へと声をかける。早くも頭痛がしてきた、
「……え?」
詩織の声に反応して、こちらへと振り返る少女。自分のことだとは思っていなかったのか、少し反応が鈍かった。
「私、ですか? 何か?」
鈴を転がすような声を小さく響かせながら、小首を傾げる少女。途端、これまで感じていた神秘的なオーラは鳴りを潜め、どこにでも居る女の子が浮かび上がる。
微笑をたたえながら、急に話しかけてきた詩織――そしてその後ろに居る俺――をじっと見つめる少女。第一印象は穏やかで優しげ。今時の双道市では珍しい。顔立ちも整っており、まるでモデルか人形のようだ。
「いやぁ、特段用ってわけじゃないんだけど、珍しい格好して空見てたものだから気になって……何してたの?」
「え? ええと……単純に空を見ていました。綺麗だなぁ、なんて思いながら」
「空? 仮想の?」
俺と詩織はそろって上を見上げる。そこには、いつも通りの青空。
確かに仮想の空は綺麗だが、どうしても作り物のような感覚が抜けきらない。あくまで俺の感覚だが、本物っぽく書かれた絵のように、薄ぺっらい印象だ。
「あはは……変ですよね、私。ごめんなさい、妙なこと言って」
彼女は困ったような笑顔で、自分の頬をかいた。
「まあいいんじゃない? 人の趣味なんてそれぞれなんだし。――それよりお嬢さん、何か困ったことはない?」
「困ったこと……ですか?」
目をぱちくりとさせながら、少女は首を傾げる。突然そんなことを言われたら、困惑するのも無理はない。
「お前はいつも急なんだっての。――すまんな、こいつにはあとでよく言い聞かせておくから」
俺は詩織の頭をがしっとつかみ、乱暴に髪をシェイクする。暴れ馬のように、茶色いポニーテールがぶるんぶるんと空中で揺れる。
「やーめーてーよー」
目を回しながら抗議をしてくるが、俺はしばらく詩織を回し続けた。これで少しはマトモになってくれることを祈っておこう。
「い、いえ。こちらこそ、気にかけていただいてありがとうございます」
小さく頭を下げる少女。物腰が柔らかく、衣装も相まって本当にどこかのお姫様みたいだ。
「――その……失礼だが、昨日もこの公園に居たよな?」
「え?」
本当ならすぐにでも詩織を連れて立ち去るのがいいのだろうが……俺は少女に話を振っていた。便利屋の勘、とでも言うのか……この少女がなぜか困っているような気がしたからだ。
「昨日もちょっとここに寄ったんだが、そのときもキミの姿を見かけてな……少し気になっていたんだ。――俺とこいつは便利屋をやっているから、もし困ったことがあれば力になれると思う。もちろん強制じゃないし、迷惑だったらすぐにでも立ち去る」
今は誰かからの依頼を受けているということもなかったため、俺は彼女にそんな話を持ちかけた。金を使ったばかりで懐が寒いというのもある。
「どうだ?」
この少女が依頼してくればそれでよし。断られても、またいつも通り次の依頼者を待てばいい。
「その……確かに困っていることはあるのですが……」
数秒の間逡巡したのち、少女は俺の勘を肯定した。
「そうなの!? じゃあじゃあ、わたしたちに相談してよ。こう見えても、わたしたち凄腕だよ? 現実でも仮想でも!」
うまいものを喰ってテンションが高いのか、詩織はいつも以上にやる気だった。去勢でもすればもう少し大人しくなってくれるだろうか。……考えておこう。
「で、ですが……いいのでしょうか? 会って間もないのに」
「金をもらえれば、できる限りで力を貸すぞ。それが仕事だ。丁度、派手に使って余裕がないんだよ」
「お金ですか……私の所持金で足りるかどうか……」
「いくらある?」
「全部で百万ゴールドくらいならありますけど……足りますか?」
「充分過ぎる。持っている額の十分の一でももらえれば、全力でサポートする。どうだ?」
「そう、ですね……困っていたのは確かなので、助けていただければ幸いです」
「決まりだね。いやー、若い女の子からの依頼なんて久しぶりだから嬉しいなー」
「オヤジみたいなこと言うなって。――ああ、自己紹介がまだだったな。俺は月霧陸。こっちは同じ便利屋仲間の星崎詩織だ」
俺は目の前の少女に自分のプロフィールを送る。詩織も同時に送っているだろう。
「詩織です。よろしくー。あなたの名前は?」
「わ、私は……ソラって言います」
俺と詩織に少女――ソラのプロフィールが送られてきた。俺は早速それに目を通す。
「……」
無言でプロフィール内容を吟味するが――誰が見ても、彼女のプロフィールは妙だった。
『このプロフィール……なーんか変だね。陸はどう見る?』
同じくプロフィールを見ていた詩織が俺に通話をかけてきた。通話形式にしたのは、目の前のソラに聞かれないためだろう。
『軽くスキャンしたが、偽装プロフィールではないはず……なんだが、にしては情報に穴がありすぎる』
『うん。名前も本当にソラとしか書かれてないし……違和感バリバリだね』
詩織の言う通り、送られたプロフィールには、不自然な穴が散見される。
『家出少女……か?』
『なくはなさそうだけどねぇ……にしても変だよ。家出少女にも国籍くらいはあるもの』
『だよな』
確かに、見れば見るほど情報が少なすぎる。現実での住所、プライベート区域の場所、生年月日、家族構成、職業、国籍、電脳歴、など、様々な情報が欠落している。逆にあるのは名前と性別と電脳アドレスくらいだ。人に自分のプロフィールを送る場合、意図的に知られたくない情報を隠すこともあるが、それにしても度が過ぎている。
こんなプロフィールを送れば、怪しまれることは避けられない。だというのに送ってきたということは……単に常識がないのか、本当に国籍も現実の家もないのか……。
『怪しんでくださいと言わんばかりのプロフィールだよな……詩織、このプロフィールを送ることで得られるメリットはなんだと思う?』
『ミステリアスな女を演出できるくらいじゃない? もしくはミュンヒハウゼン症候群』
ミュンヒハウゼン症候群――周囲の同情を買うため、病気を装ったり、自身の体を傷付けたりする精神疾患だ。この少女がそうとはとても見えないが……。
『陸が調べてみて、偽装ではないんでしょ?』
『ああ。嘘の情報はない。ソラという名前と、性別が女だというのは間違いない。他の情報は、単純に隠しているだけ……のはずだ』
『ふーん……どうするの陸? 今ならまだ断れそうだけど』
『……依頼内容を訊いてから考えよう。一応逃げ出す準備をしておけ』
『了解』
何をするにもまずはコミュニケーション――ということで、彼女から依頼内容を訊いてみることに。
「でだ、ソラ――ああ、すまん、こう呼んでもいいか?」
「はい。呼びやすいように呼んでください」
「んじゃあ遠慮なく――ソラの困っていることって、具体的にはどんなことなんだ?」
俺がそう尋ねると、彼女は少しだけ気まずそうな表情でうつむいた。
「どう説明すればいいのでしょうか……実は私、狙われているんです」
「狙われている……なんかのトラブルに巻き込まれたのか?」
「そんなところです。なので、お二人に守っていただければ、と思ったのですが……」
「ボディガードってことだね……それは仮想? それとも現実?」
「仮想のみで大丈夫です」
「それなら仕事もしやすいが……お前を狙っているのはどんなやつなんだ?」
「……フイレイザー・エアハートという男性が班長を務める『AI撲滅班』です。ご存じですか?」
AI撲滅班……。直接的な関わりを持ったことはないが、聞いたことはあるな。
「確かAI撲滅班って、AIを目の敵にしているグループだろ。八十人かそこらってうわさだが」
「はい、その通りです。仮想、現実、その両方でテロじみた行為を行っている集団です」
「これまた面倒な連中に目を付けられたんだねー。ソラちゃん何したの?」
「私の勤め先が、AIに関するところなので……」
「なるほど」
AI関連の仕事に就いているのなら、AI撲滅班の標的にされるのも無理はない。
「この公園に居た理由も、やつらに追われていたからか?」
「はい。仕事場でもあり自宅でもあった仮想の会社を襲撃され、行くあてもなく交差点を行ったり来たりしてました」
つまり、彼女はすでに現実で生活することをやめ、仮想のみで生きていた。そして、自宅兼職場を失った。――そう考えれば、プロフィールの穴の多さも少しは納得できる。
『どうする陸? わたしは受けても断ってもどっちでも構わないけど……面倒そうならご破算にしてもいいんじゃない?』
ここで再び、詩織が俺に通話をかけてくる。
『悪い娘じゃなさそうだけど、怪しい点があることも事実だしね。英断を下すのは陸に任せるよ』
詩織は、面倒そうなことがあると俺に判断を丸投げする癖がある。そして、あとからぶーぶー文句を言うまでがお約束だ。自分のことながら、よくもこんな女に付き合っていられると関心する。
『……困ってる女の子を見捨てると、寝覚めが悪くなりそうだよな』
『つまり?』
『やってみようじゃないか。ここまで事情を聞いて、はいさようならってのも忍びないしな』
失せ物探しに比べれば難易度は高そうだが、仮想のみならばやれないこともない。
『そう言うと思っていたよ。ホント陸って、可愛い女の子には甘いよね……なんでわたしには厳しいのかが永遠の謎なんだけど』
『言ってろ』
昨日に引き続き、仮想での依頼だ。のんびりするのも嫌いではないが、やはり俺は何かしら張り合いのあることをしていないと気が済まないのだろう。女王蟻より働き蟻の方が性に合っている。
「ソラ、護衛の件だが引き受けることにした。だが、相手が相手だから、報酬は多めにもらうぞ」
「それはいいのですが……よろしいのですか? 相手は八十人規模の武装集団ですよ?」
「まあ……問題ないだろ。なあ詩織?」
「うんうん。わたしと陸が居れば大抵はなんとかなるから。大船に乗った気でいてよソラちゃん」
詩織の言う通り、なんだかんだこういった荒事は慣れている。伊達に便利屋でメシを喰ってはいない。
「で、では……陸さん、詩織さん、よろしくお願いします!」
俺たちに向かって、勢いよく頭を下げるソラ。
「私には、やるべきことがあるんです……まだ消えるわけには……」
彼女の小さな呟きは、突如強くなった風によって、うまく聞き取れなかった。




