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春が嫌いだ。













「進路調査票、今日までが提出だぞー」


初夏の生ぬるい風が嫌いだ。窓の外からは何も見えない。入道雲はまだ早い。

新緑は生を失った目に眩しい。心の穴はまだ埋まらないままだ。


「矢田、お前も早く出せよ」


「はーい」


昨年と変わらない担任。少し伸びた身長。伸び始めた髪。少しずつ変わっていった。けれど変わらない。でも決定的に足りないものがある。


「矢田」


「何だよ」


机の前、手をついて声をかけてくる人物を見上げた。聞き慣れた声だった。誰かはもう分かっている。昨年よりずっと可愛くなって女らしくなった、ガサツだけどどことなく優しさを秘めた、そんな存在になりつつあるのは死んでも言いたくない。


「進路相談、どうするの」


「里香は?」


「私は隣の県の大学のつもり」


ショートカットだった髪は肩口まで伸びていた。最近かけたばかりのパーマがくるくると目の前を揺れている。前の席に座り進路調査票を取り出して見せてくる。肘をつきながらその一連の流れを見ていた。


「ああ、教育学部ある所」


「そう、高校の先生になりたくて」


「何の教科?」


「古典」


「まじか」


「何でよ」


「いや、意外な所来たなと思って」


頭の悪かった彼女はいつの間にか勉学に精を出していた。部活動を引退してからというもの、昼休みでも参考書を見ている彼女を見る日が来るとは思ってもみなかった。


「苦手だったんだけど、本当は面白かったって事に気づいたの」


ボールペンを片手に、進路調査票を眺めながら笑う。その姿に目を逸らした。

だって分かっている。その視線が意味する事も、自分は嫌なくらい分かっている。


「あのアホがなあ」


「今は矢田の方が馬鹿だけどね」


「常識的な意味で俺の方が賢いよ」


「ちょっと何言ってるか分からないんだけど」


夏服のリボンが揺れている。ネクタイじゃないのは彼女らしいと思った。この学校はリボンでもネクタイでもどちらでも良かったはずだ。それでもリボンを選ぶ所が、何だかんだで少女趣味を隠せてないなと思った。まあ、彼女がネクタイを選んでいたら、それはそれで気持ち悪いのだけれど。


「で、どうするの」


「何が」


「だから、進路」


「ああ」


鞄の中に仕舞った真っ白な調査票。何も書く気が起きなかった。


「まあ矢田ならどこでも推薦貰えると思うよ」


「俺サッカー辞めるから関係ないよ」




「はあ!?」


突然、目の前の彼女が飛び上がる。


「え、ちょっと待って正気?あんたからサッカー取ったらどうなるの?ただの薄黒いチャラ男よ!?」


「いやいや、俺というイケメンが残るよ」


「何馬鹿な事言ってんの、あれだけ頑張って来て」



「だってもうやる意味が無いもん」



静寂が教室内を包む。カーテンが揺れた。里香の小さな息が聞こえる。それでも、自分は窓の外を見つめていた。


「俺今何もしたくない」


意味がない。楽しいと思えない。何もしたくない。





彼がいない時間を、進みたくない。

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