お帰り
新藤ゆず shinndou yuzu
高校二年生。兄は有名選手。
清水誠一 simizu seiichi
高校二年生。ゆずの幼馴染。
承和春己 soga haruki
高校三年生。先輩。
千草百合奈 chigusa yurina
高校二年生。留年しているので一個上。
手を離した。離された。この先は君が気付くんだと。君の物語だと。365日よりもずっと長く続く物語だから。止まる事なく歩くのだと。でも、どうしようもなく不安になって、何をするのも嫌になって、世界に絶望して立ち止まってしまった時は。その時は。
忘れてしまった思い出に浸ってくれ。
どんなに悲しい事があっても夜は明ける。地球は留まる事を知らないし、24時間は簡単に進む。簡単に終わる。それを365回繰り返せば新しい年が来てしまう。涙は永遠に流れるわけでもないし、傷口は瘡蓋になる。笑顔を永遠に形作れるわけでもなければ、真顔をずっと続けられる事もない。それでも、心の傷だけは残る。どれだけ時間を費やしても、思い出せる限り、死ぬ限り消えない。
それでも忘れてしまう事だってあった。
まずは声。あの人はどんな声だったか。どんな声で自分の名前を呼んでいたか。ビデオの中、聞こえた声は本物に感じられない。電子機器に残った音なんて信用性がない。
次に仕草。あの人はどんな癖を持っていたか。前髪をよく触る人だったか。首筋を掻く人だったか。鼻を啜る人だったか。耳元を触る人だったか。
最後に姿。でもこれは、現代においてはほとんど関係のない事だと思う。写真を撮る、それが残る時代になった事で、いつだって当時のあの人を見る事が出来る。
声と仕草が消えたら、もうほとんど思い出す事が出来ない。何を言ったかも思い出せなくなるからだ。あの人の存在が消えるのが分かる。体感していく。徐々に消えていく事にすら気が付かなくて、気付いた時にはもう遅い。いつの間にか、隣には誰もいなくて、遠く後ろに足跡だけが残る。もう二度と、同じ時間を生きる事は出来ない。同じ息を吸う事だって出来ないし、同じ夜を明ける事は出来ない。
ノートの端、最後のページ。やけに綺麗な文字が目に映った。今までの字とは全く違う。美しい字。それだけで書いた人間の風貌が想像できるくらいに、品に満ち溢れた字が書いた言葉はとても素敵で詩的て、それでいてあの人の真似で、けれどたった一人の彼女の意思だった。
『私が君に再び出逢って恋をした、366日間の物語だ』
静かに、静かにノートを閉じた。丁寧に段ボールへと戻し封をする。その様子を、母が後ろから見ていた。
「ねえ、お母さん」
「なに」
振り向かない。振り向けない。今の私の顔はぐしゃぐしゃだ。
「お兄ちゃんってどんな人だった?」
「きっと今、ゆずが見た通りの人間よ」
面倒くさがりで、世話焼きで、苦労人で。何だかんだで優しくて。大事な事は言ってくれない。
「そっか。私ね、憶えてた。思い出せなかっただけで」
「何を思い出せたの?」
「そっくりな髪の色。繋いだ手。笑いかけてくれた」
「そっか」
「私お兄ちゃんと同じ髪色嫌だったの。お母さんもお父さんも、里香ちゃんたちだってお兄ちゃんとそっくりだって言うから。私は私であるはずなのに、私を介してお兄ちゃんの面影を見ているのが許せなかった。でも、小さい頃の私は、この髪色が大好きだったんだよ」
陽に透ける金。街灯の下で光る栗毛。風に攫われる、黒よりも少し明るい。
「それでねお母さん」
私は振り返った。ぐしゃぐしゃでボロボロで。それでも、口角は上がっていた。
当時の彼が遺してくれた、愛の欠片のおかげで。
「今凄いティッシュ欲しいな」




