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思い出せもしないのに

新藤ゆず shinndou yuzu

高校二年生。兄は有名選手。

清水誠一 simizu seiichi

高校二年生。ゆずの幼馴染。

承和春己 soga haruki

高校三年生。先輩。

千草百合奈 chigusa yurina

高校二年生。留年しているので一個上。


逃げていただけだった。見たくもない変わっていく姿に目を逸らした。でも、それは遠慮なんかじゃない。保身だった。自分の。自分自身の為の。



廊下を走る。あの日から止めていた廊下ダッシュ。久々に感じる風に、口角が上がる。滑る床、踏ん張れない上履き、やけに響く足音、全部全部全部。何もかもが新鮮な気がした。

伝えなくてはいけない。好きだという言葉を。その前に、ごめんなさいという言葉を。

階段を下って廊下を曲がる。歩く人々の隙間を上手に縫って、向かうは自分の教室。もうすぐでつく。その瞬間だった。


「ゆずちゃん」


後ろに彼女が立っていたのは。


「百合奈…」


肩で息をする私とは正反対で、静かに、微笑んだままそこに立っていた。

怖いと思った。変わらない表情が。それでも、言わなくてはいけないことがある。口を開きかけたその瞬間、私の声は彼女に遮られた。


「ちょうど良かった。話したい事があったの」


腕を引っ張られ、教室とは反対方向へと向かっていく。彼女が導いたのはいつも一緒にご飯を食べていた屋上だった。


夕陽が眩しかった。赤が世界を支配していて沈みかけている。空の水色と相まって、綺麗なコントラストを描いていた。フェンス越し、その景色に見惚れていれば、返ってきたのは冷たい言葉だった。


「綺麗?私には見えないけど」


その言葉に前を向く。陽の光が反射して、表情が読めない。でも、どんな顔をしているかは予想がついた。


「春己くんから聞いたんだよね。私の事」


「聞いた」


「何で言っちゃうのかなあ」


「ごめんなさい。聞くつもりはなかったの」


彼女が近づいてくる。目の前で立ち止まり私を見た。背の低い彼女は必然的に上目遣いになる。


「私ね、清水君が好きなの。ゆずちゃん応援してくれるかな」


首を横に振った。彼女の表情は変わらない。


「無彩病は治った。死の危険性はもうない。でも、私は貴方と同じように色を見る事が出来ないし、沢山大切なものだって失ってきた。そしたらこの小さな恋心くらい許してもらえると思わない?」


許してもらえると思わないってどういう事だろう。彼女は笑っている。


「許す許さないの問題じゃないと思う。百合奈の気持ちがどうであれ、最後に決めるのは誠ちゃんだよ」



乾いた音が響いた。それと同時に、右頬に強い痛み。あ、叩かれた。やけに冷静な頭で考える。今、私は叩かれた。そして服を掴まれている。怒鳴られている。


「何で、何でよ!痛い思いもした、辛い思いもした、貴女には分からない!死ぬ恐怖も、それに怯えながら生きた日々も、何も知らないで生きてきた貴女には分からないでしょう!」



カチンと。頭の毛細血管が切れた気がした。

何それ。何それ。貴女は生きている。



憶えてもいないお兄ちゃんと違って。


「何それ」


「は?」


服を掴んでいた手を払って逆に胸倉を掴む。彼女は驚いた顔をしていた。


「知らないよ、知るわけじゃないじゃん、知ろうと思っても出来ないんだよ。痛い思いも辛い思いも分かってあげる事は出来ない。けど、百合奈は生きてる!今生きてるでしょ!無彩病で死んだわけでもない、忘れ去られたわけでもない!」


「じゃあ死ねばよかったとでも言えば良いの!?死んでいった無彩病患者のように、無様に死ぬなんて堪えられない!」


「無様…?」


「ええ、無様よ!一年間誰にも知らせず静かに死んでいって、誰にも思い出してもらえることもない。無様以外の何だって言うの!」


殴っていた。気が付けば右手は彼女の頬にめり込んでいて、彼女は地面に座り込んでいる。立ったまま、私は彼女を見下ろしていた。


「ふざけんな!!!」


大きな。大きな声だったと思う。出した自分ですら驚くくらいに。


「無様?何それ、彼らの生き様も見た事がないのに?」



「私は思い出したくても思い出せないのに!!!!」



目の奥が熱くなって、頬を流れる水滴が地面に落ちる。もう止まる事が出来なかった。


「無彩病で死んだ兄がいた。亡くなった時、私は五歳だった。憶えてもいない。いた事は分かるのに、顔も、声も、何を話したかすら思い出せない。兄にそっくりだって言われる髪色も、本人を目の前に見た事が無いから分かるはずもない。いなくなった人間と比べられて、私を通して兄を見られて嫌だった。でも、一番嫌だったのは、大好きだった彼の事を、私は何一つ憶えていない!!!」


「最期まで家族に何も言わず死んだ兄の生き様が、共に無彩病にかかり死んだ彼女の生き様が、無様なわけない!!!」


幼い頃、一度だけ見た写真。黒い髪が美しい、お人形のような彼女。太陽のような兄といた、月のような彼女。その間で笑う幼い私。幸せに溢れた写真。慈愛に満ち溢れていた写真。あんな表情をする彼らのどこが無様だった?


「今、地に這いつくばって誰かに媚びうるしか出来ないあんたの方がよっぽど無様だ!!!」


不意に屋上の扉が開く音がして、見慣れた姿が顔を出す。


「ゆず?千草、ってお前ら何やってんだよ千草大丈夫か!?」


彼女に駆け寄る幼馴染に、もう何も言う気にはなれなかった。涙を流しながら彼の腕を掴む彼女に、私は毒を吐く。


「被害者ぶらないでよ」


「おいゆず」


「貴女がいくら泣こうとも、彼らの事を無様って言ったのは永遠に許さないから」


言い捨てて背を向けその場を後にしようとする。引き留めようとする幼馴染の手を払って、私は彼にも毒を吐いた。


「誠ちゃんも所詮、外見で人を判断するような人だったんだね」


涙が止まらない。傷ついた表情の幼馴染の顔がやけに記憶に残る。そのまま背を向けて屋上を後にする。廊下を走って、途中先輩とすれ違った。それでも止まる気にはなれなくて、私は走り去った。

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