古代ローマの詩人ホラティウスの時間は宵越しの銭を持たない江戸っ子の時間?
狸の「でっかい私塾」こと「とある教育ユートピア」には、西洋古典語の3言語(旧約聖書が書かれたヘブライ語、ギリシャの古典が書かれた古典ギリシャ語、新約聖書が書かれたコイネー・ギリシャ語、ローマ帝国の公用語で長らく西洋の知識人の間の共通語だったラテン語の3言語)の授業がある。
今日は、古代ローマ時代の詩人「ホラティウス」の詩を輪読するのだ。ラテン語の学習には段階があり、カエサルの「ガリア戦記」が初級でタキトゥスの「ゲルマーニア」が上級らしいのです。
他のラテン語の本に比べると、ホラティウスの著書は四行詩なので、初心者に優しいのだか、難しいのだかいまいちよくわからない人。
塩野七生先生の「ローマ人の物語」などで、カエサルはカトーは聞いたことあっても、ホラティウスなんて初めて聞くのである。
それで、古代ローマ人ってこんな渋いわびさびのような無常観溢れる世界観を持っていた事を初めて知った人なのである。
某有名風呂漫画の作画もなかなか濃くて渋いと思っていたのだが、それがリアルに感じられた輪読会だったのである。
古代ローマ人の頭の中には、まるで宵越しの銭は持たない江戸っ子のような時間感覚なのだった。毎日その日暮らしで、「今」しか考えないので、随分とくよくよとする事がなくなった。
ホラティウスの輪読会をする前から、この狸の「でっかい私塾」の時間感覚って、何だかその日暮らしなのかも?と思っていた。
昔、弁当屋でバイトした時、日当は完全な日払いであった。なので、日当日払いの心地よさは少し体感したことがあった。
その日暮らしは実にメンタルに心地よい。余計な心配する必要がないような脳内の時間感覚を入れ替えたら大変幸せになった。
主人公が正式に「でっかい私塾」こと、「とある教育ユートピア」の住人になる前の準備期間は、脳内環境総入れ替え作業であった。
主人公はこの狸の「でっかい私塾」こと「とある教育ユートピア」にやって来てからというもの、脳内環境総入れ替えで、時間感覚をその日暮らしになった。となったら、過去のことや先のことを考えずに、その日精一杯にフォーカスするようになり、くよくよする事はなくなり、軽くなったのだ。
脳内環境の時間感覚をその日暮らしに、実感として感じられる位になれると、頭の中が軽くなり、メンタルの健康増進になる。メンタルの健康増進が進むと、体の健康も連動して良くなる。
無意識レベルまで先のことを考えないというのは、メンタルの健康の秘訣なのだが、その時間感覚を持つのは、「世間一般」でやっていく限りなかなかできないものだ。
古代ローマの詩人のホラティウスの詩の輪読は、その世界観に入っていける体験であった。
塩野七生先生の「ローマ人の物語」に出てくる有名人、大カトーの日本語未訳の農業本などは、商業や金儲けなどを徹底的に嫌う、農業が基幹産業の中世ヨーロッパの精神の元ネタ的本などという事はあまり知られてない。
あまり日本では知られてない事の元ネタがわかるのが、古代ローマのラテン語の著作の輪読会だったりするのだ。
主人公が思うに、この辺りの情報は高学歴な人達にも知名度が低いのではなかろうか?と思う。
某超有名風呂漫画の作者による別の古代ローマものの作品でも、古代ローマ人の世界観は実に無常観溢れる感じがよく描かれてると思う。
古代ローマの著作の世界観は総じてそんな感じなわけだ。この感じは日本人はよくわかるんじゃないかなと。
全てが諸行無常な日本人と違って、古代ローマ人の知識層の頭の中は、この地上のものは移ろいゆくものだけど、唯一天上世界だけは永遠性を持つものだという感覚を持っていた。(天国か?)
古代ローマの著作家で弁護士だったキケロは、天上の秩序を地上の世界に反映される事などが生きている意義のような事を語っている。
この感覚、リア充が苦手な主人公には心地よかった。しかし、西洋古典本などのリアリティがあまり世間一般では共有されないのは、世間の影響力のある西洋古典解説本やその校訂本(様々な写本を査読して活字に直したもの)などは、英米やドイツといった、どちらかというとリア充文化圏から出てるからだ。
特に英米のリア充むんむんな解説本の世界観は、古代ローマの世界観をかき消すほどキラキラしてんぞ。
その現代的な解説本のフィルターを外して体感できる古代がラテン語の文献の輪読会なのだ。この種本はリア充文化圏産だが。
この時間感覚が、古代から中世にまで地続きになってると思うと、その日暮らしの時間を通り越して増殖する利子が忌み嫌われた理由がよくわかる。
よくキリスト教などの所謂「一神教」で利子を取ることを禁止されていたと言われて、そのルーツをユダヤ教の同胞から利子を取らない事に求めるがとんでもない。
古代ローマ人の倫理観でも利子を取るのは凄く悪いことだったのだ。中世ヨーロッパの倫理観は、恐らくこの辺りがルーツなのだろう。多分、西ローマ帝国領(主に西地中海沿岸地域)には東方(東地中海沿岸地域)ほどユダヤ人の数が多くなかったので、ユダヤ教からの派生の「キリスト教」というのは、あまり体感的によくわからなかったのだろうなと。
この辺りの世間一般に流布してる勘違いの元ネタが古代ローマのラテン語文献などをよく読むとわかるのだ。
古代ローマ人は実に立派な倫理観を持っていた。それがそのまま西方キリスト教倫理に化けたと言われても違和感があんまりない。
そんな西洋の元ネタが色々わかり、何だかお得な気分になれるのがこの輪読会の魅力だと主人公は思えた。
よく西洋史の一般書などで、中世ヨーロッパでは本は手書きの羊皮紙製の貴重品で、ラテン語が読めるのが知識人の条件だったなど言われますが、ラテン語文献は知識というよりも「秘儀」にしか見えないわけです。近代以前の日本の漢文が書けるのが知識人と比べると特に。
都市伝説より西洋文明のタブーに突撃できるのが醍醐味なのだと思う。




