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金色のセリン  作者: 峰子
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第2話

 屋敷に帰ったところで、ツィーリャは護衛たちの檻から解放された。尤も、クレイアの屋敷という、大きな籠の中に移されただけだ。だがツィーリャはそれを籠とは思っていない。ツィーリャの知る世界の全ては、クレイアのいるところ。彼女は居るべき場所に戻って来ただけだ。

 屋敷に戻って一番にツィーリャを迎えるのは彼女の養い親であるクレイアだった。彼はツィーリャが戻ると知るや、くすんだ色の顔に怒りとも憂いともつかない感情を浮かべて僅かに目を眇めた。


「…ツィーリャ、何度言ったらわかるのだね?」


「……ごめんなさい、マスター。夜なら誰にも会わずにお散歩できると思って……」


「外を散歩したいのなら、きちんと護衛を連れて行きなさい。万が一のことがあったら危険だろう?」


「でも、マスター。今日出会った人は悪い人には思えませんでした。とても親切で、面白い人だったんですよ」


 ギデオンのことを思い出してツィーリャは細面に笑みを綻ばせた。その顔を見てクレイアの片眉がぴくりと上がる。


「……ツィーリャ、お前はあまりにも人間を知らなさ過ぎるのだ。異形というだけで幼いお前を見世物小屋に売り払おうとしたのは人間だぞ?」


 その言葉にツィーリャの笑顔は翳り、視線を俯かせた。


「お前は人とは違う。人間は異端を嫌うものなのだ。最初は愛想良くしていても、いずれお前を裏切るのだよ。私以外の人間を信用してはいけない」


 クレイアの言葉に、ツィーリャは悲しそうに表情を曇らせた。クレイアの言う通り、ギデオンは本当に自分を裏切るのだろうか。あの親切な人が、異形の自分を綺麗だと言ってくれたあの人が、自分を裏切るのだろうか。

 クレイアの言葉を疑うわけではなかった。もし、ギデオンがクレイアの言うとおりに自分を裏切るのだとしたら、想像するだけでとても悲しかった。その想像が左胸に突き刺さり、胃の中に熱い石を飲み込んだように感じた。

 ツィーリャの沈黙を了解と取ったクレイアは、異形の養い子にいくらか優しい声をかける。


「わかればいいのだよ。もう夜は遅い。部屋に行ってお休み」


「……はい」


 ツィーリャは自分の嫌な想像からまだ立ち直れないでいた。

 歩き出したツィーリャの傍らを護衛の一人が付き添う。彼らは影のようにツィーリャを護るだけで、心の内を見せてはくれない。クレイアが言うには、彼らも口にはしないが異形のツィーリャを異端視しているのだろう、と。そう思うと、やっぱり彼らにも親しみの感情は抱きにくい。

 ツィーリャに友はいない。彼女は孤独だった。

 部屋に戻って、窓の外の細い三日月を見上げた。自分を綺麗だと言ってくれた双黒の瞳を思い出す。


(……やっぱりギデオンはいい人なんじゃないでしょうか)


 ツィーリャが異形だと解っても笑ってくれた。あの皮肉気な笑みでも温かく感じた。始まりの月の薄明りの下、一緒にダンスを踊った。ぎこちなく、ツィーリャと一緒に。

 あれほど楽しかったのは、生まれて初めてなのだ。

 柔らかな寝具に身を沈めながら、ツィーリャは今夜のことを思い出し、クレイアの言葉を思い出し、己の中に渦巻く感情を静かに見つめた。

 くるくるくるくる。万華鏡のように心が渦を巻く。

 くるくるくるくる。ギデオンの表情を思い出す。


(……ギデオン……どういう人なんでしょう……)


 現から眠り落ちようとする思考でぼんやりと考えた。

 夢の中で、ツィーリャはギデオンと奔放なダンスを踊っていた。



 あの夜の出来事を、ギデオンはレイノルに話していない。言えばきっと運命の恋だなんだと騒ぎ立てるのだろう。ギデオンはそんな風に騒ぎ立ててあの夜を台無しにしたくはなかった。意外とロマンチストな自分を笑った。だがそれも悪くないと思う。素直に、あの夜は特別で、宝物だと思えた。

 人を夢へと誘う魅惑の声で歌う飛べない鳥。今も籠の中で歌っているのだろうか。寂しさを押し込めた冷たい表情で。


「レイノル、今夜『カナリア』へ行かないか」


 レイノルは行儀悪く小卓の上に投げ出していた足をさっと下ろし、背筋を伸ばしてギデオンを見た。その端正な顔は驚きに満ちている。


「どうしたんだ?お前がそんな事を言い出すなんて!俺と別れた後気になる女でも見つけたか」


「まあ、そんなようなもんだ」


 ギデオンは途端に面倒になって曖昧に言葉を濁した。レイノルがこんな風に食い付くのは容易に想像出来たはずだったが、迂闊なことにそれを失念していた。


「お前が女に興味を持つなんて久し振りだな!相手はどんな女だ?美人か?」


「…そうだな。美人なんだろうな」


(……化粧をすればな)


 心の中で重要なその一言を付け足す。


「なるほどな。それなら今夜は手ぶらで行く手はない。さて何にするか…」


「おい、待て。相手はそういうんじゃない。ただ…その…」


 理由を探してギデオンの視線は彷徨った。


「…ただ、また行くと約束したんだ」


 どうしてあの時その言葉が口をついて出たかはわからないけれど。ツィーリャはそれを聞いて笑ったのだ。必ず来てくれと言っているようだった。とてもそれを反故にする気にはなれない。あの寂しい笑顔を放っておけなかった。

 それまでこの事態をただ楽しんでいたレイノルも、ギデオンの様子を見て表情を改め、茶化すのをやめた。


「…まあ、どちらにせよ、だ」


 レイノルはクローゼットの中身を吟味し、身支度を始める。


「芸を売る者に花束は基本だろう?」


「何の基本だ、それは」


 レイノルは人差し指を左右に振って舌を鳴らす。


「人付き合いの、さ。相手が喜ぶことをするのは基本中の基本だぜ?」


 口先ばかりの世辞を言うのも、笑顔を振りまくのも、相手が喜ぶなら安いもの。レイノルが言うとそれは誰もが手軽に出来る、他者への親切のようだった。彼は天性の八方美人である。


「…こういうことに関してはお前の方がよく知っているからな。ご指南賜ろう」


「ああ、大いに学ぶといい」


 そしてふたりは上等の上着と外套を着て部屋を後にした。



 『カナリア』に向かう道々、花屋を探してふたりは周囲を見回した。店先に色とりどりの花を揃えている店を見つけて足を向けようとした時、足元で声がした。


「お花、いりませんか?」


 小さな花売りの少女が、同じく小さな淡い色の花束を差し出しながらにっこりと笑った。


「そいつは女にやるには少し可愛らし過ぎるな」


 レイノルが苦笑すると、少女はしょんぼり俯く。が、ギデオンはその花束を受け取って、少女に言った。


「ひと束もらおう。これで足りるか?」


 ぱっと少女の顔が輝く。


「おい、ギデオン…」


 レイノルが戸惑いの声をかける間に、ギデオンは小さな貨幣を数枚、少女の手の中に押し込んだ。


「こんなにたくさん…!ありがとうございます!」


 笑みを顔いっぱいに輝かせた少女に、ギデオンは小さく笑い返して先を急いだ。後から追い付いてきて、レイノルが言う。


「どうするんだ、そんな小さな花束」


「あいつにやるのさ」


「相手は『カナリア』の女だぞ?そんな小さな花束で口説けるはずがない」


「口説こうなんて思ってない」


 男と女の駆け引きなんて端から興味はなかった。手の中の小さな花束を見る。淡い色の花が数輪、玻璃のように透ける花びらを広げて微笑んでいる。


「きっとこの方があいつは喜ぶ」


 豪奢な花束に埋もれるよりも、野の奔放さを持った花の方がツィーリャには似合う気がしていた。



 その夜も『カナリア』は甘ったるい誘惑に満ちていた。レイノルを見知った女が次々にふたりに声をかけて来たが、ギデオンにその気がないと知るや、「次」を期待させる流し目を残してその場を去っていく。


「おい、ギデオン。お前の目当ての女っていうのは一体どこにいるんだ」


「ああ、多分もうすぐだ」


 薄暗がりの中レイノルに返事をすると、舞台に金色の羽飾りが現れた。途端に店内はしんと静まり返る。ツィーリャは金色の翼を引き摺って舞台の中央まで姿を現した。つと目を上げ、彼女は客席にギデオンの姿を見つけた。

 ツィーリャの心にスポットライトを当てられた時のようにぱっと光が広がった。


(本当に来てくれた!)


 ギデオンは微笑みかけたつもりだったが、微笑みになっていたか、そもそも明るい舞台から暗がりの客席に座るギデオンの表情がわかったかも怪しい。

 だが、ツィーリャにはギデオンの笑みがはっきり伝わった。彼女の氷の表情に初めて笑みが花開いたのだ。店の客たちから小さなどよめきが起きる。


「おい、今お前に笑い掛けなかったか?あの氷の歌姫が笑うなんて…」


 レイノルは言いながらギデオンがテーブルの上に置いた花束を見る。


「まさかお前が会いに来た相手って…」


「あいつだよ」


 ギデオンは笑った。

 化粧をしていても、舞台に上がっても、ツィーリャはやはりツィーリャなのだ。あの夜笑い合った時そのままの笑顔を持った少女だ。


「あいつだよってお前…!」


 言い募ろうとするレイノルを小さな声で制して、ギデオンはツィーリャの歌に耳をそばだてた。透き通った声が真紅の唇から紡がれる。だが、今夜の歌は今までと少し違っていた。


 明るく弾む声。恋の始まり、浮き立つ心。指先まで微かに痺れる。逸る鼓動、目眩。

 幸福感に包まれる。

 笑顔が浮かんで、心は常春。花の色と温かで明るい歌が溢れ出す。

 星明りにふたつの瞳を見つけ、軽快なダンスを踊る。

 ほんの少しぎこちなく。

 くるくると万華鏡のように景色が変わる。秘密の夜はきらきらと輝いて。

 歌は止まない。色彩豊かな煌めく世界に包まれて。

 この想いが叶うのか、恋しい人も同じ気持ちだろうか、少しの不安を包み込んだ幸福のうちに眠りに就くまで、歌は止まない。歌は止まない。

 想いは止まないのだと、歌い上げる。


 澄んだ声に似合いの美しい歌だった。艶な化粧を刷いた歌姫が少女のような淡い恋を歌う。真紅の唇は笑みを形作り、艶妖の中に住まう純粋な生き物が恋の喜びを笑う。

 場違いな歌だった。色と欲で満ちるこの空間で、無垢と純真を歌う。それでも誰もがその歌に聴き入った。氷の歌姫は人の心の鬱屈を蕩かし癒す。


「……この歌って……」


 レイノルだけは夢想から覚めて友人を見る。


「こういう歌の方が似合うと思わないか」


 機嫌よく言うギデオンにレイノルは落胆する。


(自分に向けられた歌かも知れないとは思わないんだな…)


 壇上で歌い終えたツィーリャが優雅に挨拶をすると、歌に聞き惚れていた客たちは、いつもより長く大きな拍手を贈った。その無言の賛辞を目を輝かせながら受け、歌姫は舞台袖へ姿を消した。

 客もツィーリャも笑顔に満たされる中、クレイアだけは昏い瞳をギデオンに向けていた。

 舞台に別の演者が出て来たところで、花束を持って席を立とうとしたギデオンはレイノルに腕を掴まれて引き留められた。


「どうした」


「どうした?どうしただって?」


 レイノルは人目を憚ってギデオンを店の隅に連れて行った。


「ギデオン、最初に言っただろう。ツィーリャだけは駄目だ」


「花束を渡すだけだ」


「駄目っていうのはそういう意味じゃない。ツィーリャには会えない。駄目なんだ」


「どういうことだ。はっきり言え」


 レイノルは更に声を落として囁いた。


「ツィーリャはクレイア専用なんだ。舞台の後は厳重に守られながら屋敷に帰るから、ツィーリャには誰も会えない」


 ギデオンは漸くレイノルの戸惑に気が付いた。ツィーリャはこの店では籠の中の鳥なのだ。色と欲の狭い世界に閉じ込められ、それしか歌う歌を知らなかった。あんなに澄んだ美しい声を持っていながら。宝石が転がる笑い声を持っていながら。

 今の感情が顔に表れるのはどうしようもない。だが、ギデオンは耐えた。

 楽屋の方へ次々に運ばれていくツィーリャへの贈りものに視線を移し、それをじっと見つめたまま言う。


「……届けてもらうくらいのことは、出来るんだろう?」


「…そりゃあ、まあ…」


 レイノルはまだ何か言いたげに言葉を濁す。

 ギデオンは上着のポケットからメモを取り出し、万年筆の蓋を口に銜えながらそれに走り書きのメッセージを書き付けて花束に添えた。花束を手にしてずかずかと店の男に歩み寄り、それを手の中に無理やり押し込む。


「ツィーリャ嬢にこれを。今夜の舞台は殊の外素晴らしかったと伝えてくれ」


 店の男はギデオンの剣幕に呆気に取られながらもこくこくと何度も頷き、花束を両手で抱えた。

 やるべきことをやり終えたギデオンはそのまま踵を返し、席に戻って外套を掴むと、そのまま店を出て行った。店を出た後も勢いが衰えることのないその足取りは今の彼の感情を如実に表していた。


「待て、ギデオン!」


 少し遅れてレイノルが彼に追いついた。


「ツィーリャにどうしてそこまで肩入れするんだ?」


 肩入れなんてしていない、と反駁しようにも、ギデオンの怒りは表情にも歩みにも表れている。


「…狭いところに閉じ込められて、不自由にも気付かずに歌ってるんだ」


「…憐れんでるのか?」


「………そんなことは知らん」


 憐れだと思うのも切ない。彼女はそこから飛び立つことも出来ず、飛び立ちたいという切望もない。外の世界を見せないということは、羽をもがれたようなものなのだ。だが、ツィーリャは無邪気に笑っている。その無邪気だけは守ってやりたいと思った。それにもかかわらず、その術さえ、ギデオンは持ち合わせていなかったのだ。

 その夜、レイノルはそれ以上何も言わず、ギデオンが酔い潰れるまで差し向かいで酒に付き合った。

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