プロローグ
古びた小屋の隙間から差し込むわずかな光には、おびただしい数のホコリが舞っていた。
ボロボロの木製デスクに置かれたディスプレイを見つめるだけの毎日。ゲームで敗北するたびに拳をデスクに叩きつけ、画面の向こうにいる見知らぬ他人に暴言を吐き捨てる。現実はゴミだ。自分には居場所なんてない。街ですれ違うリア充どもを見るだけで、胸の奥からドロリとしたイライラが込み上げてくる。激しい劣等感と、それを覆い隠すための羨望。
そんな二十代半ばの引きこもり、鈴木健斗の唯一の生存証明が、オンラインVRMMO『ディストピア・クロニクル』だった。
広大な世界には数え切れないほどの国家が存在し、建国も、冒険も、悪事に手を染めることすら自由自在。だが、健斗がこのゲームに十五年間も狂おしく没頭し続けた最大の理由は、異常なまでに作り込まれた「キャラクター育成システム」にあった。ガチャや使い捨ての召喚などではない。広大な世界を自らの足で歩き、気に入ったNPCを見つけ、対話し、絆を深めて仲間に引き入れていく。自分だけのキャラクターを育て、共に生きる。その圧倒的なリアリティに、健斗は人生の全てを捧げていた。
あの日も、いつものように決まった生活を繰り返すはずだった。
ゲームを起動しようと座椅子に深く腰掛け、マウスに手を伸ばした瞬間、胸の奥を万力で締め上げられたような激痛が走った。呼吸が止まり、視界が急速に もうろうとしていく。抗う間もなく意識は闇へと落ちた。
――次に目を覚ました時、健斗は倒れていた。
手触りの悪い、腐りかけた木床。目に入ったのは、荒れ果てた古びた小屋の内装だった。
「……は? なんだこれ……」
体が軽い。それに、異様に視点が高い。戸惑いながら体を起こすと、壁際に置かれた蜘蛛の巣だらけの全身鏡が目に入った。ホコリを濡らした袖で雑に拭き取り、そこに映る自分を見た瞬間、健斗は息をのんだ。
鏡の中にいたのは、現実のボサボサ頭で太り気味の自分ではなかった。185センチを超える高身長、引き締まった体躯、そして端正すぎる顔立ちをした黒髪黒目の青年。
「……誰だこのイケメン。眼光鋭すぎだろ」
一瞬フリーズし、すぐに理解が追いつく。
「いや、俺かよ!?」
ゲーム『ディストピア・クロニクル』を始める際、現実の自分とはあまりに無縁な容姿に憧れ、何時間も悩みに悩んで設定したマイアバター。名前も「とにかくイケメンっぽい名前にしたい」という浅はかな理由で名付けた『レディオン』そのものだった。
「マジかよ……これ、ネットでよく見る『異世界転生』ってやつか? ニートで引きこもりで何の取り柄もない男が転生……って、完全に俺じゃねえか!」
自分で口にしておきながら自尊心にダメージを受け、胸を押さえて胸中で血を吐く。だが、自分が十五年愛し続けたゲームの世界に、憧れの姿で飛び込んだという事実は、徐々に健斗の胸を熱くさせていった。
「この世界で第二の人生を謳歌してやる。イケメンだし、最高じゃんか」
意気揚々と小屋を見回すと、粗末なテーブルの上に一枚の新聞が置かれているのに気づいた。羊皮紙のような質感の紙面には、異世界の日常や「高ランク冒険者パーティーが大型モンスターを討伐」といった記事が、鮮明な写真付きで掲載されている。
「うわ、本物のモンスター……マジで異世界に来たんだな」
感心しながらパラパラと新聞をめくり、裏表紙に目を向けた健斗の動きが止まった。
そこには、巨大な赤文字で『指名手配・賞金首』の欄が設けられていた。
「ん? なんか物騒だな……」
記載されている罪状を軽い気持ちで読み進める。
『大量虐殺』
『国家転覆未遂』
『古代封印の不法解除』
『教皇暗殺の主導』
『禁条黒魔術の大規模行使』
「ヤバすぎだろ……どんな大魔王だよ。不穏な単語のバーゲンセールかよ」
ドン引きしながら、その指名手配書の最下部に目を滑らせた。そこには、国家国家を揺るがすような大罪人の名前と、手配写真がデカデカと載っていた。
――『世界最悪の大罪人:レディオン』
「……は?」
健斗の思考が完全に停止した。
「え、なんで俺の名前???」
冷や汗がドバッと吹き出す。いやいや、落ち着け自分。これは同姓同名だ。レディオンなんて名前、ファンタジー世界ならごまんといるはずだ。そう自分に言い聞かせ、震える指先でもう一度写真を凝視する。
そこには、黒髪黒目、眼光の鋭い端正な青年の顔がはっきりと印刷されていた。鏡に映っていた、今の自分の顔そのものが。
「俺じゃねえか!! なにもしてないのに大罪人になってるんだけど!?」
脳内で激しいパニックが巻き起こる。慌てて記事の本文を読み進めると、そこには衝撃の事実が書かれていた。
『上記全ての極悪非道な犯罪は、レディオンの指示・策謀によって実行されたものである』
「指示なんて出してねぇよ! 誰だよ俺に罪を着せた奴! 冤罪もいいところだろ!」
十五年間プレイしていた知識を総動員しても、そんな大罪人の記憶はない。せっかく憧れのイケメンアバターで異世界転生を果たしたというのに、スタート地点が「世界最悪の指名手配犯」など、詰み以外の何物でもなかった。
「終わった……俺の第二の人生、始まる前に終わったわ……」
絶望のあまり深い溜め息をつき、頭を抱えた、その時だった。
ギィィ……と、錆びついたドアの重い音が小屋の中に響き渡った。
静寂を破って開かれたドアの向こうから、逆光に照らされた人影がゆらりと立ち現れる。




