義弟のおもいびと
「……義兄さん」
「どうしたんだい、私を呼び出して」
ある日の事。
珍しくルビィが相談をしたいと私を本館に呼び出した。
因みにリズは今日セレン様と観劇を観に行くらしく、家には居ない。おそらくその日を狙っての事だったのだろう。
私に相談したい、という事自体が珍しいというのに、部屋を訪れれば神妙な面持ちで迎え入れてくれたルビィ。
すっかり大人になった彼は、ヴェルフ様より甘めの顔立ちを引き締めてこちらを真っ直ぐに見ていた。
相談、と言われても正直何を相談されるのかさっぱり分からない。
ルビィは私よりしっかりしているというか抜け目ないというかある種の狡猾さを持っている男性に成長しているので、自分一人で何とか出来る男でもある。
一体、何を悩んでいるのか。
「まあそこにかけてよ。そんな堅苦しい相談じゃないからさ」
「その割にあなたは随分と緊張していますね」
「緊張……というか、どうしたものかなあと。僕がこんな悩みを抱く日が来るとは思っていなかったというか」
言われた通りにソファに腰掛けると、ルビィはその対面に座る。
すっかり成長した体を背もたれに預け脚を組んでいる様は、女性なら目が惹かれるであろう。ヴェルフ様にすっかり似てきて……と思うものの、恐らく敵に回すと怖いのはルビィの方だが。
小さい頃から見守ってきた身としては成長を嬉しく思う反面、我が義弟ながら色々な意味で末恐ろしくも思う。
父親譲りの、そして姉そっくりの赤い瞳をこちらに向けたルビィは、私になんというか聞きにくそうに眉を下げてから、唇を開いた。
「……ジルってさ、姉様に片想いしてた頃、どうやって耐えてたの」
「はい?」
「だから、こう……触りたいとか抱き締めたいとかキスしたいとかそういうの」
顔をほんのりと赤らめて、言いにくそうに唇を動かすルビィ。
一瞬何を言われたのか分からず言葉を噛み砕くのに時間がかかったが、理解した瞬間自然と口許が緩んだ。
「……ふ、っははは」
「笑わないでよ。怒るよ」
「やめてくださいあなたが怒ると被害が甚大になるので」
馬鹿にする意味で笑ったつもりではなかったのだが、ルビィにとってはからかわれたと思ったらしい。
流石にルビィを怒らせると宥めるのにとんでもなく労力がかかるか後に復讐されるので、誤解は解いておきたい。
微笑ましい、というか思春期がやってきたのだなと思うと、なんというか感慨深かったのだ。リズにべったりしていた頃を思うと、なつかしい。
「馬鹿にするつもりじゃなかったんだよ。……それが、あなたの悩んでいた事かな」
「……まあ。……好きな人が出来るって、こんな気持ちになるんだと初めて思い知らされたというか」
やや気恥ずかしそうに呟いたルビィはもう一人前の男で、気持ちは分かるというか、男らしい衝動を持っていたのだなとある意味感心した。
どうしても、ルビィは表面を取り繕うのが上手かったし、異性にそこまで関心を持っていなかったというか……言い方は悪いが、誰がどう利用価値があるか、という基準で人付き合いをしている男だったから。
もちろん、それ抜きに付き合っている友人も居るが、本気で気を許している人は片手で数えられるだろう。
そんなルビィに、好きな人が出来たのだから、驚きだ。
「あなたは何でもそつなくこなす方だったから、そうして恋に悩む姿を見ていると微笑ましいね」
「僕だって出来ない事はあるさ。……好きでもない女性を手玉に取ったりくらい簡単なのに、本気で好きになった人にはうまく感情が制御出来なくて先走ろうとするとか、情けない」
「今不穏な単語が聞こえたが置いておこうか。……それが恋の厄介なところだよ。感情や衝動が制御出来るならしたいくらいだね」
「ジルは割と手が出てたよね」
「……抱き締めるとか頬にキスくらいだから多分セーフだろう」
別に、手を出した……とかはない。思いを交わすまではキスも控えたし、結婚するまで手出しはしていない。問題ないと思いたい。
ただ断言するには無理があったので、目を逸らす。ルビィが呆れているが、気にしないでおこう。
「……それで、だけど。でもあの子僕が触ろうとしたらやっぱり逃げるし……そういう危険察知して逃げる所とか、怯えて小動物みたいにぷるぷるするところとか、すごく触りたいんだけどどうしよう」
「……面白がってないかね?」
「そんなまさか。確かに面白いけど、純粋に好きだから触りたいんだよ? それに、嫌がられたくはないから無理に触ろうとは思ってないし。徐々に慣れていかなきゃなあ」
流石に淑女に気軽に触れてはいけないもんね、と常識的な事を言っているが、ルビィが言うと不思議とその女の子に同情してしまいそうだ。
……おそらく、ルビィが目をつけたという事は逃がす気がないのだから。
「……着実に心に入り込もうとしていくあたりあなたらしいが、まあ、それはそれとして。……やはり我慢はある程度した方が良いよ」
「うーん、そうなんだけど……」
「……まあ、こういうのもあれだしあまり意図的にやるものではないと思うし……偶には弱いところをその女性にだけさらけ出してみるのも良いかもしれないね」
「……弱いところを?」
きょと、と赤い瞳を丸くした彼は、昔を思い出させる。
今ではすっかり男らしくなった彼だが、小さい頃は可愛かった。……途中から中身が可愛いげがなくなってきたが、そこはまあ私に対してだけだったな。
基本的に、ルビィは取り繕うのが上手い。そして、取り入るのも上手いし状況を見るのも相手の心情を読むのも上手い。
だからこそ、彼は社交界の中心となっているのだが……如才ないが故に、取っ付きにくさもあるのだろう。
「あなたは外では完璧に振る舞っているし隙は見えないだろう? お近づきになりたい反面、近寄りがたさもあると思う。……だから、その意中の女性が慣れてくれないのかもね」
「なるほど……姉様もそれで落としたの?」
「人聞きの悪い事を言わないでおくれ、意図的にやったものではないからね!?」
なんていう疑惑をかけるんだ彼は。
弱味を見せた自覚はあるが、意図的ではないしそういうつもりでやった覚えは一切ない。そもそもそんな高度な真似は出来ない。
……ただルビィは出来そうだと思ってしまう自分がいる。
「そういう事にしておくよ。……何となく分かったよ、つまりギャップとか、あと私にだけ頼ってくれるという優越感を生み出させるのがコツと」
「あなたの場合狙ってやるのが怖いのだが」
「失礼な」
ぷんぷんと怒ってみせるルビィだが、表面上すねているように見えるだけで、怒っていないだろう。
寧ろ、興味深そうに私の言葉を吟味しているようだった。
「……ジルの言う事は、間違ってないと思うよ。将来伴侶になる子に、取り繕ってても僕が疲れるだけだと思うから」
「……そうだね」
既に落とす事前提なのは突っ込まないでおこう。
彼ならば確実に、その意中の女性を手にするだろうから。
それに、ルビィを見守ってきた身としては、喜ぶべきなのだろう。素をさらけ出しても良いと思える女性が彼に出来た事を。
いつもリズを優先していた彼が、自分だけのただ一人を得ようとしている事を。
「でも、それだけその女性が愛しいなら誠意を持って接しなさい。あまり計算ずくで接するのはよくないよ」
「分かってるよ。……ありのままの僕を見てくれる人だからこそ、偽りたくないし。……好きな子だもん」
照れ臭そうに笑ったルビィはいっぱしの男の表情をしていて、ああこれは私も年を取る訳だ、と実感した。
もう、ルビィも大人になって好きな人を見つけて結婚を視野に入れているのだ。
まだまだ私も若くはあるが、なんというか、赤ん坊の頃から見てきたルビィがこんなに大きくなったのだと思うと、年月の経過をありありと突き付けられた気分だ。
「……上手く行くと良いね」
「上手く行かせるんだよ」
何とも頼もしい言葉が返ってきて、私は感傷に近い懐古を飲み込んで、微笑んだ。
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