20
夕暮れ色に染まり始めた砂浜を、奏くんと歩いた。そんな淡い色の中で、奏くんは隣にいるあたしに言う。
「やってみる?」
「え、なにを?」
「夕日に向かって、バカヤローってやつ」
いたずらっぽく笑う奏くんを見ながら、あたしは首を横に振る。
「は、恥ずかしいよ。人いるし」
「誰も聞いてないよ。それにゆずちゃん、叫びたいことあるんだろ?」
あ、あるけど。今、思いっきり、叫びたいことあるけど。
「……奏くんがやったら、やってもいいかな?」
まさか奏くんはやらないよね? そういうキャラじゃないもんね?
祈るような気持ちのあたしの隣で、奏くんが言う。
「いいよ。その代わり、ちゃんとゆずちゃんもやるんだぞ?」
奏くんが背中を向ける。そしてすうっと息を吸い込むと、海に向かって本当に叫んだ。
「ひなのと佐久間のバカヤロー! お前ら絶対、見返してやるからなー!」
あたしはぼんやりと、夕焼け色に染まる奏くんの背中を見る。奏くんはしばらくそのまま、海を眺めていたけれど、やがておかしそうに笑いだして、あたしに振り返って言った。
「あー、すっきりした。次、ゆずちゃんの番」
あたしは慌てて首を振る。
「無理! 無理! あたしは絶対無理!」
「なんでだよ? やるっていったじゃん」
「まさか本当にやる人なんていないよっ。青春ドラマじゃないんだから」
あたしの隣で奏くんが笑っている。あたしはそんな奏くんの笑顔を見つめる。
本当はね、あたしも思いっきり叫びたいんだ。
奏くんのこと――大好きだよって。
沈んでゆく夕日を眺める。
できることならずっとこうしていたいけど、あたしたちには時間がない。
うっすらと闇に変わっていく空は物悲しくて、あたしはまた、家族で歩いたあの夏を思い出した。
「どんなにもがいたって、戻れないことってあるけどさ……」
あたしの隣で、奏くんがつぶやく。
パパとママと一緒に、笑っていたあたし。佐久間くんとひなのさんと一緒に、笑っていた奏くん。あの頃には、たぶんもう、戻れないけれど。
「前を向いて進んで行けば……いいことだってあるんじゃないかなぁ」
そう言った奏くんがあたしに振り向く。
「なんて、最近思う」
「うん」
「バイトも長続きしない自分が言ったって、説得力ないけど。これでも少しずつ、前に進んでるつもりなんだ」
奏くんはあたしに笑いかけ、そしてまた遠くを見つめた。
波の音が耳に聞こえる。いつもと違う空に、小さな星がひとつ見える。
「だから大丈夫だよ。怖がらなくても……」
潮風を受けながら、奏くんの声を聞いた。
「大丈夫なんだよ」
あたしを、自分自身を、励ますような奏くんの声。小さくうなずいたあたしの前に、奏くんはその手を差し伸べる。
「帰ろう」
「うん」
奏くんの手に、そっと自分の手を絡ませる。少し震えているあたしの手を、奏くんはぎゅっと強く握りしめてくれた。
大丈夫、大丈夫……奏くんと一緒なら、きっと大丈夫。
一つ先の駅まで、手をつないで歩く。
空に見えるいくつかの星。満天の星空まではいかないけれど、いつもと違う空を見るのは、なんだかすごくドキドキする。
「奏くんは、もう歌わないの?」
「え?」
「あたしやっぱりもう一度聴きたい。奏くんの歌」
「じゃあ、カラオケでも行く?」
違う、違う。そういうんじゃなくて! あ、いや、そういうんでもいいんだけどね。
あたしの隣でおかしそうに笑っている奏くん。
「わかった。じゃあ、こうしよう」
ふと立ち止まって、奏くんはあたしに言う。
「ゆずちゃんが志望校に合格したら、いいよ」
「ほんとに?」
「うん」
「約束してくれる?」
奏くんがあたしの前に小指を差し出す。
「約束、する」
指と指を絡ませる。照れくさくて、くすぐったくて、でもすごくあったかい。
「約束破ったら、許さないからね?」
「その前に、お勉強しなくちゃな」
「絶対受かるもん」
絶対受かって、高校生になって、それから奏くんがびっくりするような、オトナの女の人になるもん。
――これから帰る。
ママにメールを送って電車に乗る。
帰りの電車は空いていた。あたしは奏くんの隣で寝たふりをして、そっとその肩にもたれかかる。
気持ちいいな……やっぱり奏くんといると、すごく落ち着く。
そのうちあたしは本当に眠ってしまったみたいで、奏くんにもたれかかりながら夢を見た。
濡れた街。いつもの広場。なぜか音は何も聞こえなくて、水色の傘を差した奏くんの背中だけが見える。
奏くん! 奏くん!
その背中が消えてしまわないように、あたしは何度もその名前を呼ぶ。
奏くん、大丈夫だよ。あたしが奏くんのそばにいるから。
雨の中で揺れる水色の傘。ゆっくりと振り返った奏くんが、静かにあたしに微笑みかける。
ありがとう、ゆずちゃん。
奏くんの口元がそう動いた気がして、あたしは夢の中で、すごく幸せな気持ちになった。




