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 夕暮れ色に染まり始めた砂浜を、奏くんと歩いた。そんな淡い色の中で、奏くんは隣にいるあたしに言う。

「やってみる?」

「え、なにを?」

「夕日に向かって、バカヤローってやつ」

 いたずらっぽく笑う奏くんを見ながら、あたしは首を横に振る。

「は、恥ずかしいよ。人いるし」

「誰も聞いてないよ。それにゆずちゃん、叫びたいことあるんだろ?」

 あ、あるけど。今、思いっきり、叫びたいことあるけど。

「……奏くんがやったら、やってもいいかな?」

 まさか奏くんはやらないよね? そういうキャラじゃないもんね?

 祈るような気持ちのあたしの隣で、奏くんが言う。

「いいよ。その代わり、ちゃんとゆずちゃんもやるんだぞ?」

 奏くんが背中を向ける。そしてすうっと息を吸い込むと、海に向かって本当に叫んだ。

「ひなのと佐久間のバカヤロー! お前ら絶対、見返してやるからなー!」

 あたしはぼんやりと、夕焼け色に染まる奏くんの背中を見る。奏くんはしばらくそのまま、海を眺めていたけれど、やがておかしそうに笑いだして、あたしに振り返って言った。

「あー、すっきりした。次、ゆずちゃんの番」

 あたしは慌てて首を振る。

「無理! 無理! あたしは絶対無理!」

「なんでだよ? やるっていったじゃん」

「まさか本当にやる人なんていないよっ。青春ドラマじゃないんだから」

 あたしの隣で奏くんが笑っている。あたしはそんな奏くんの笑顔を見つめる。

 本当はね、あたしも思いっきり叫びたいんだ。

 奏くんのこと――大好きだよって。


 沈んでゆく夕日を眺める。

 できることならずっとこうしていたいけど、あたしたちには時間がない。

 うっすらと闇に変わっていく空は物悲しくて、あたしはまた、家族で歩いたあの夏を思い出した。

「どんなにもがいたって、戻れないことってあるけどさ……」

 あたしの隣で、奏くんがつぶやく。

 パパとママと一緒に、笑っていたあたし。佐久間くんとひなのさんと一緒に、笑っていた奏くん。あの頃には、たぶんもう、戻れないけれど。

「前を向いて進んで行けば……いいことだってあるんじゃないかなぁ」

 そう言った奏くんがあたしに振り向く。

「なんて、最近思う」

「うん」

「バイトも長続きしない自分が言ったって、説得力ないけど。これでも少しずつ、前に進んでるつもりなんだ」

 奏くんはあたしに笑いかけ、そしてまた遠くを見つめた。

 波の音が耳に聞こえる。いつもと違う空に、小さな星がひとつ見える。

「だから大丈夫だよ。怖がらなくても……」

 潮風を受けながら、奏くんの声を聞いた。

「大丈夫なんだよ」

 あたしを、自分自身を、励ますような奏くんの声。小さくうなずいたあたしの前に、奏くんはその手を差し伸べる。

「帰ろう」

「うん」

 奏くんの手に、そっと自分の手を絡ませる。少し震えているあたしの手を、奏くんはぎゅっと強く握りしめてくれた。

 大丈夫、大丈夫……奏くんと一緒なら、きっと大丈夫。


 一つ先の駅まで、手をつないで歩く。

 空に見えるいくつかの星。満天の星空まではいかないけれど、いつもと違う空を見るのは、なんだかすごくドキドキする。

「奏くんは、もう歌わないの?」

「え?」

「あたしやっぱりもう一度聴きたい。奏くんの歌」

「じゃあ、カラオケでも行く?」

 違う、違う。そういうんじゃなくて! あ、いや、そういうんでもいいんだけどね。

 あたしの隣でおかしそうに笑っている奏くん。

「わかった。じゃあ、こうしよう」

 ふと立ち止まって、奏くんはあたしに言う。

「ゆずちゃんが志望校に合格したら、いいよ」

「ほんとに?」

「うん」

「約束してくれる?」

 奏くんがあたしの前に小指を差し出す。

「約束、する」

 指と指を絡ませる。照れくさくて、くすぐったくて、でもすごくあったかい。

「約束破ったら、許さないからね?」

「その前に、お勉強しなくちゃな」

「絶対受かるもん」

 絶対受かって、高校生になって、それから奏くんがびっくりするような、オトナの女の人になるもん。


 ――これから帰る。

 ママにメールを送って電車に乗る。

 帰りの電車は空いていた。あたしは奏くんの隣で寝たふりをして、そっとその肩にもたれかかる。

 気持ちいいな……やっぱり奏くんといると、すごく落ち着く。

 そのうちあたしは本当に眠ってしまったみたいで、奏くんにもたれかかりながら夢を見た。

 濡れた街。いつもの広場。なぜか音は何も聞こえなくて、水色の傘を差した奏くんの背中だけが見える。

 奏くん! 奏くん!

 その背中が消えてしまわないように、あたしは何度もその名前を呼ぶ。

 奏くん、大丈夫だよ。あたしが奏くんのそばにいるから。

 雨の中で揺れる水色の傘。ゆっくりと振り返った奏くんが、静かにあたしに微笑みかける。

 ありがとう、ゆずちゃん。

 奏くんの口元がそう動いた気がして、あたしは夢の中で、すごく幸せな気持ちになった。

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