葛藤と貴族の資質
二話目ですよ! 読んでくれてありがとうございます。
単行本の前書きは基本的に読まないけどなろうとかの前書きは読むタイプの筆者です。
その日、僕は調子に乗ってたくさんの魔法を行使してしまった。まだ未熟な魔力制御にもかかわらず、次々と呪文を紡ぎ出し、その結果、身体の奥底から得も言われぬ倦怠感が、まるで重い泥のようにじわりじわりと、心臓を鷲掴みにするかのように押し寄せてきた。全身の血が鉛に変わったかのようにずっしりと重く、思考の歯車すら鈍く軋む。頭の奥で警鐘が鳴り響き、このまま魔法を使い続ければ、きっと取り返しのつかないひどいことになる――そんな漠然とした、しかし確かな予感が、冷たい手で僕の胸をぎゅっと締め付けた。いてもたってもいられず、僕は震える足で父上の執務室へと向かった。廊下を歩くたびに、古びた床板が僕の重みに耐えかねて「ギシッ、ギシッ」と軋む音が、まるで僕の焦燥感をさらに煽るようだった。心臓の鼓動が耳元でうるさく響き、呼吸が浅くなるのを感じた。
重厚なオーク材でできた扉の前に立ち、小さく二度、コンコンと控えめにノックする。中から「入れ」というの落ち着いた、しかし威厳のある声が聞こえ、僕はゆっくりと扉を開けた。執務室は、使い込まれた革張りの椅子と古書の匂いが混じり合い、静謐な空気に満ちていた。窓から差し込む夕陽の最後の光が、室内の埃を金色に染めながら、父上の背中を神々しく照らしている。父上は、その光を背に受けながら、大きな革表紙の書物に向かって羽根ペンを滑らせていた。カリカリと、規則正しい音が静寂に響く。その集中した背中に向かって、僕は少し遠慮がちに、そして不安げに声をかける。
「父上、魔法の練習をしていたのですが、なにやら身体がひどく重いのです。この奇妙な倦怠感の理由を、父上はお分かりになられますか?」
僕が不安げに尋ねると、父上――僕の父、アイザックは、顔を上げることなく、まるで当然のことのように淡々と答えた。その声には、長年の経験からくる確信が滲み出ており、僕の胸にすとんと落ちるような響きがあった。彼の言葉一つ一つが、僕の混乱した心に静かに染み渡っていくようだった。
「ああ、それは魔力を使いすぎたんだな。戦場で何度も目にした光景だ。魔力とは無限ではない。使いすぎれば、人の身には堪える。ひどく疲れるものらしい。」
父上の言葉に、僕ははっとした。まるで目の前の霧が晴れるように、目から鱗が落ちるような感覚だった。これまで漠然としか捉えていなかった魔法の根源が、急に鮮明な形を帯びて目の前に現れたようだった。僕の思考は一気に加速し、新たな理解へと繋がっていく。
「なるほど……しかし、それはそうですよね。無からは何も生み出せない。僕の身体が魔法の源である以上、そこには限界があるのは当然のことでした。」
僕の独り言のような呟きに、父上は初めてペンを止め、ゆっくりと顔を上げた。その眼差しには、わずかな驚きと、そして確かな期待の色が宿っていた。彼の口元には、微かな笑みが浮かんでいるようにも見えた。その表情は、僕の成長を喜んでいるかのようだった。
「うん?アレクは難しいことを言うようになったな。その通りだ。魔力とは生命力そのものに限りなく近い。当分は家のことはいい。無理に手伝う必要はないから、心ゆくまで魔法を試しているといい。この家には魔法の教養がほとんどない。領主様に判断を仰ごうとはしているが、なにせ領都は遥か遠い。使いの者を行かせても、返事が来るまでには随分と時間がかかるだろう。」
つまり、僕自身が手探りで、この未知の力を解明していくしかないということか。だが、僕はそれで構わない。むしろ、その方が僕には合っている気がした。胸の奥で、新しい探求へのわくわくとした感情が、小さな蕾のように芽生える。しかし、ふと脳裏に過ったのは、今の家の状況、そして兄カームの沈んだ表情だった。彼のことが、どうにも心配でならない。僕の心臓が、きゅっと締め付けられるような感覚に襲われた。
「父上、その、兄上なのですが……」
僕がカームの話題を切り出すと、父上はぴたりと動きを止め、それまでの穏やかな表情から一転、苦渋に満ちた顔つきになった。手元の羽根ペンを静かに、しかしどこか重々しく、インク壺の横に置く。その仕草一つにも、彼の心の葛藤が滲み出ているようだった。深く刻まれた眉間の皺が、彼の悩みの深さを物語っていた。
「気づいていたか、アレク。私はな、貴族でありながら、どこか庶民に近い感覚を持っている。だからこそ、お前たち二人には、互いに支え合って生きていってほしいと心から願っていた。だが、どうやらそれは、私の甘い考えだったのかもしれんな。少し時間をやってくれ。次代では爵位こそなくなるが、家を継ぎ、村長になるのはカームの予定だった。それが、お前の覚醒という一夜の出来事で、全てが変わってしまったのだから。」
父上の言葉に、僕は兄の複雑な胸中を、少しだけ、理解できたような気がした。裏切られたような気持ちなのだろうか。それとも、弟への嫉妬か。いや、カームはそんな器の小さな男ではない。彼は僕にとって、常に優しく、頼りになる兄だった。幼い頃から僕を良くしてくれたし、決して横暴な振る舞いはしなかった。むしろ、何事にも熱心で、剣の稽古も一日と欠かさない真面目な人だ。そんな兄が、今、道を見失っている。その姿を想像するだけで、僕の心は痛んだ。胸の奥が、ズキリと疼く。
「父上、どうか兄上と話をさせてください。兄上は僕にとって、常に規範であり、心から尊敬できる兄でした。その事実は、僕の中で何一つ変わることはありません。もし今、兄上が道を見失っているのなら、僕が支えたいのです。」
僕の真剣な訴えに、アイザックは深く息を吐きながら、眉間を指で揉んだ。その表情には、迷いと、そして息子たちの絆を信じる親の願いが入り混じっていた。しばらくの沈黙の後、彼は決意を固めたように顔を上げた。その瞳には、父としての覚悟が宿っていた。
「……私も行く。それならば、いいだろう。」
父上と共にカームの部屋へ向かうと、珍しく兄は部屋にいた。普段の日中は、剣の稽古や村の巡回で外にいることが多いのに。閉ざされた扉の向こうから、兄の沈んだ、重苦しい気配がひしひしと伝わってくる。まるで部屋全体が、深い悲しみに覆われているかのようだった。その重い空気が、僕の胸にもずしりと圧し掛かる。
「カーム、入ってもいいか。話がしたい。」
父上が声をかけると、いつもより覇気がなく、まるで萎びた花のような、か細い声が、扉の向こうから返ってきた。その声には、生気を失ったような響きがあった。
「……急ぎの用事なんですか?」
僕は扉を少しだけ開いて、その隙間からカームの様子を窺う。部屋の隅で、兄は背を丸めて座っていた。膝を抱え、顔をうずめているようだった。その背中は、いつもよりずっと小さく、頼りなく見えた。彼の周囲には、目に見えない重い空気が漂っているようだった。部屋全体が、兄の沈鬱な感情で満たされているかのようだ。
「兄上、また一緒に遊びたいのです。僕が心から尊敬する、あの兄上と。」
僕の言葉に、カームの肩が微かに震える。彼は僕の方を見ようとしない。その横顔には、深い影が落ちていた。彼の表情は、まるで固く閉ざされた貝のようだった。
「……アレク、わかったから、今はあっちに行ってくれ。父上は、僕の心中をお察しのはず。なぜ、アレクまで連れてきたのです。」
カームの苦しげな声に、父上が静かに、しかし力強く答えた。その声には、息子への深い愛情が込められていた。父の言葉は、部屋の重い空気を切り裂くように響いた。
「アレクが、お前を支えたいと言ったからだ。尊敬している、と。」
その瞬間、カームが初めてゆっくりと顔を上げ、僕の方を見た。その瞳は、深い悲しみと、そして微かな驚きに揺れていた。優しくて、父上に似た穏やかな雰囲気を持つ兄だ。きっと、この重すぎる現実を、一人で懸命に耐えているのだろう。僕の胸が、ぎゅっと締め付けられる。彼の苦しみが、僕にも痛いほど伝わってくるようだった。彼の目から、今にも涙がこぼれ落ちそうに見えた。
「兄上、少しだけ、こちらに来てください。」
弟の、切実な頼みは、さすがの兄も断りにくいのだろう。カームは僕と目を合わせようとしないまま、ゆっくりと、まるで重い鎖を引きずるように立ち上がり、僕の元へと歩み寄ってくれた。その足取りは、ひどく重々しく、一歩一歩が彼の心の葛藤を映し出しているかのようだった。
「手を見せてください。」
僕がそう言うと、カームは不思議そうな顔で、しかし素直に、僕の手のひらの前に自分の手のひらを差し出した。その表情には、疑念よりも困惑の色が濃い。彼の眉間には、深い皺が刻まれていた。何をされるのか、と戸惑っているのが見て取れた。
「うん?わかった。」
きっとこれは、魔法使いなら誰でもできることだ。僕はそう信じていた。魔法使いには、主に二つの知識が、生まれながらにして魂に刻まれるらしい。一つは、魔法の基礎知識。そしてもう一つが、属性に関しての知識。僕の胸には、その二つが確かに息づいていた。それは、僕の存在そのものと深く結びついている感覚だった。まるで、遠い昔から知っていたかのように、その知識は僕の血肉となっていた。
「兄上、今からすることは、あまり良いことではありません。もしかしたら、兄上を傷つけてしまうかもしれない。でも、僕は気持ちを伝えたい。だから、やらせてください。」
僕は隠し持っていた、手のひらに収まるほどの小さな木材の破片を、カームの差し出した手のひらにそっと乗せた。その木片は、ごくありふれたものだったが、僕の視線はそれに釘付けになる。そして、集中して魔力を練り上げ、静かに魔法を行使する。僕の身体から、微かな光が放たれるのを感じた。それは、僕の生命力が形を成したかのようだった。
貴族には、魔法使いしかなれない。その事実を知ってから、僕はなぜそうなのか、ずっとその理由を考えてきた。だが、僕の中に刻まれた魔法の知識と、今、この瞬間に感じ取った確かな手応え、はっきりと理解した。魔法は、僕だけの力ではない。魔法は、広げられるのだと。それは、僕の心を揺さぶる、まさに啓示のような感覚だった。胸の奥に、熱いものがこみ上げてくる。
「属性指輪生成」
僕の魔力が注ぎ込まれるにつれ、手のひらの上の木の欠片は、きらきらと光を放ちながら、まるで生きているかのように形を変え、やがて滑らかな指輪を象っていく。その過程で、全身から力が吸い取られるような感覚に襲われ、いまにも倒れそうなくらいひどく疲れた。視界がかすみ、呼吸が浅くなる。頭がくらくらとして、意識が遠のきそうになる。だけどこれは今のカームには必ず必要なものだと、僕の心は強く訴えかけていた。この痛みが、カームを救うのなら、いくらでも耐えられる。
「‥‥兄上、これは属性指輪といわれるものです。正式名称は他にもあるかもしれませんが僕の魔法を使うことができます。ただ素材が弱いので大したものも使えずすぐに壊れてしまうでしょうが、でも僕がいる限り兄上も僕と同じ魔法使い‥‥ですよ。」
指輪になったそれは、魔法使いがその魔力の大部分を費やして作ることができる、属性指輪と呼ばれる消耗品の魔法具だ。今回はすごく簡単な魔法しか込めてないし、素材も高度なものじゃないのに、僕の身体は鉛のように重く、すごく疲れた。このまま床に倒れ込み、深い眠りに落ちてしまいそうなほどだ。意識が朦朧とする中で、僕は最後の力を振り絞るように、兄の目を見つめて言葉を紡いだ。その言葉には、僕の全ての想いが込められていた。
「尊敬しています、心の底から。」
僕は意識を失いつつあった。カームが僕を抱き締めたこと、そして何かを言っているのは理解できたけれど、その言葉が何を意味するのかまではわからなかった。僕の意識は、深い闇へと沈んでいく。そして次に目覚めたとき、僕の隣には、かつての優しい笑顔を取り戻したカームが、穏やかな表情で座っていて、窓から差し込む朝の光が、兄の顔を優しく照らしていた。
なにがとは言わないけど色々悩んだ話でした。
この世界ですが、決まった属性というのはなくてひとつの属性を帯びた魔法が個人に開花する。
そういう世界です。




