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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第74話 荷物袋の白い粉

 白い粉は、荷物袋の左底にある縫い目へ、深く噛み込んでいた。


 袋の表面についている灰白い粉とは違う。


 もっと細かい。


 角度を変えて光を当てると、縫い糸の奥で淡く光った。


 ガルドは木枠の前に立ち、息を止めるように袋を見つめた。


「地鳴りの日……そこを床の継ぎ目に置いた」


 アルバ冒険者組合の受付奥。


 作業机には、黒い乾燥布を敷いた木枠が置かれている。


 その上にあるのは、大柄なガルドが使っていた素材運搬用の荷物袋だ。


 厚い灰褐色の布。


 底と角は革で補強されている。


 袋の口には太い紐。


 何度も迷宮へ持ち込まれた傷があり、底の左側だけ、縫い目がわずかに緩んでいた。


 リーネは袋へ触れず、記録板を開いた。


「確認します。地鳴り当日、西旧採石跡へ持ち込んだ袋で間違いありませんか」


「ああ」


「その後も使用していますか」


 ガルドは少し答えにくそうな顔をした。


「三回使った」


 ダリオが横から袋を見る。


「三回も?」


「捨てるには高かったんだよ」


 ガルドは不機嫌そうに答えた。


「底の縫い目を直せば、まだ使えると思った。石殻獣の素材と、採取した鉱石を運んだ」


 リーネが記録する。


『地鳴り後、使用三回。

 運搬物、石殻獣素材、採取鉱石。

 修理なし』


「洗浄は?」


「してない」


「表面の清掃は?」


「乾いてから、外側を二回ほど刷毛で払った」


 リーネの筆が止まる。


「底の縫い目も?」


「そこは触ってない。ほつれが広がりそうだったからな」


「袋を逆さにしましたか」


「してない」


「叩いて粉を落としたことは?」


「ない」


「保管場所は?」


「宿の物置だ。口の紐を杭へ掛けて吊ってた。底は床についてない」


 リーネは一つずつ記録した。


『水洗いなし。

 外面の乾式清掃二回。

 左底縫い目は未清掃。

 逆さ保管なし。

 打撃清掃なし。

 宿物置で吊り下げ保管』


 記録を見ていたセシアが言う。


「地鳴りの後にも使っている以上、今ついている粉が全部、あの日のものとは限りませんね」


「はい」


 リーネが頷く。


「後の潜行でついた粉、宿の埃、運んだ鉱石の欠片が混じっている可能性があります」


 ガルドは左底の縫い目を見つめた。


「それでも、見る意味はあるのか?」


「あります」


 リーネはすぐに答えた。


「どこに、どのような状態で残っているかを記録できます」


 リント村修理工房から届いた確認依頼は、木枠の横に置かれていた。


『袋を振らない』

『逆さにしない』

『叩かない』

『水洗いしない』

『縫い目をこすらない』

『粉へ直接触れない』

『粉だけを取ろうとしない』


 その下には、ポロの絵もある。


 袋を振る人に、ばつ印。


 袋を水桶へ入れる人にも、ばつ印。


 縫い目へ指を入れる人にも、大きなばつ印。


『ふらない』

『あらわない』

『ぬいめを見る』


 ダリオが絵を指さした。


「見るだけだぞ」


 ガルドが眉を寄せる。


「俺に言ってるのか?」


「昔のお前なら、袋を逆さにして粉を出してたかもしれない」


「お前にだけは言われたくねえ」


 言い返したものの、ガルドは袋へ手を伸ばさなかった。


 レオルは作業机の周囲を確認している。


「見学者なし。窓からの直風なし。机周辺の移動禁止札、設置済み」


 袋を動かすのは、一度だけ。


 宿から運んできた浅い板の上から、観察用の木枠へ移す時だけだ。


 それも、向きを変えない。


 ガルドが使っていた時の上下左右を保つ。


 リーネは袋の口を北として記録した。


『袋口側、北。

 持ち主から見た左底を西側として固定。

 地鳴り当日の床接触面、左底の可能性』


「可能性?」


 ガルドが聞く。


「地鳴りから時間が経っています。記憶による確認なので、断定しません」


「そうか」


 ガルドは少し考え、左の腰を指した。


「あの日、素材袋を左脚の横へ置いた。石殻獣の甲羅が片側へ寄って、袋が少し傾いてた」


 彼は床図の上に、袋の形を描いた。


 西旧採石跡。


 床の継ぎ目。


 素材をまとめていた位置。


 袋の左底が、継ぎ目へ重なる。


「たぶん、こうだ」


 リーネが記録する。


『持ち主再現図。

 袋左底と床継ぎ目が接していた可能性。

 記憶によるため未確定』


 袋を木枠へ移す。


 ダリオとガルドが両端の運搬板を持つ。


 レオルが位置を確認する。


「傾けるな」


「分かってる」


 ガルドの声は低かった。


 以前の彼なら、重い袋を勢いよく持ち上げたかもしれない。


 今日は違う。


 板を持ち上げる。


 ゆっくり。


 袋を滑らせない。


 揺らさない。


 黒い乾燥布を敷いた木枠の上へ、板ごと載せる。


 こ。


 小さな音。


 粉は落ちなかった。


 リーネがすぐに記録した。


『木枠移動時、粉の落下確認なし。

 袋の傾き変化なし』


 最初に、袋全体を見る。


 底の表面には、灰色の土と石粉が広くついている。


 迷宮で何度も使われた袋として、不自然な汚れではない。


 角には黒い擦れ。


 中央には薄い茶色の泥。


 左底の革には、灰白い粗い粒。


 そして、緩んだ縫い目の奥には、それとは違う白い粉。


 セシアと組合の魔道具係が、別々の記録板へ見えた状態を描く。


 互いの絵は見ない。


 先に描き終えてから比べる。


 セシアの記録。


『袋底表面。

 灰白色の粗い粒、広範囲。

 形状不均一。

 光沢少』


『左底縫い目内。

 白色の細粒。

 縫い糸の内側に集中。

 角度により淡い光沢』


 魔道具係の記録も、ほぼ同じだった。


「少なくとも、見た目の違う粉が二種類あります」


 魔道具係が言った。


 リーネが記録を整理する。


「一つ目は、袋底の広い範囲についている灰白色の粗粒」


「第三層の普通の床石粉に近く見えます」


 魔道具係は、組合の補修棚から小さな石片見本を持ってきた。


『第三層通路補修用・灰床石』


 過去に壊れた床を直した時の余りだ。


 袋の粉へ近づけない。


 離れた別の黒布の上へ置き、色と光の返り方だけを比べる。


 灰床石の欠片は、鈍い灰白色。


 表面に細かな黒い点が混じっている。


 袋底の粗粒にも、同じような黒い点があった。


「粗い方は、床石由来の可能性があります」


 魔道具係が言う。


「ただし、袋はその後も第三層で使われています。地鳴り当日の粉とは断定できません」


「はい」


 リーネはそのまま書いた。


『粗粒A。

 灰白色。

 不均一。

 黒色粒混在。

 第三層灰床石と外観類似。

 付着時期不明』


 次に、縫い目の奥にある細かい白色粒。


 こちらは、表面の粗粒より明るい。


 黒い点がほとんどない。


 粒も小さく、縫い糸のねじれへ入り込んでいる。


 魔道具係は拡大枠を使った。


 袋へは触れない。


 枠を木枠の外側へ固定し、斜めから光を通す。


 白色粒が淡く光った。


「粗粒とは違います」


 セシアが言う。


「こちらの方が、粒の大きさがそろっていますね」


「はい。表面の床石粉が砕けたものなら、もっと大きさにばらつきが出ると思います」


 魔道具係は拡大枠の位置を変えずに観察した。


「薄い板状に見える粒もあります。細かな砂というより、石同士が重さを受けながら擦れた時に出る粉に近いかもしれません」


 ガルドが顔を上げる。


「座擦れの粉?」


 リント村から届いた水守控えの写しには、こう書かれていた。


『白き粉は、座擦れの知らせ』


「可能性はあります」


 リーネが答える。


「ですが、床下の座石を実際に確認していません。石質も分かりません」


 魔道具係も頷いた。


「座石由来とは断定できません。ただ、粗粒Aとは別の石材である可能性があります」


 リーネが新しい項目を作る。


『細粒B。

 白色。

 粒径小。

 比較的均一。

 黒色粒ほぼなし。

 角度により淡い光沢。

 左底縫い目内へ集中。

 粗粒Aとは異なる石材の可能性。

 座石由来の可能性を含むが未確定』


 ポロがいれば、すぐ二つの粉を絵にしただろう。


 ダリオは空いた紙へ、自分なりに丸を描いた。


 大きく不揃いな丸。


 小さくそろった丸。


『あらい』

『こまかい』


 セシアがその紙を見る。


「今回は分かりやすいわ」


「今回は、って何だ」


「以前の扉の絵よりは」


「少しは上達してるだろ」


 レオルが短く言う。


「字は大きくしろ」


「お前まで絵係みたいなこと言うな」


 小さな笑いが起きた。


 だが、ガルドは笑わなかった。


 左底の縫い目を見つめている。


「細かい方は、そこにしかないのか?」


 魔道具係が袋の見える範囲を確認する。


「今確認できる範囲では、左底縫い目への集中が最も強いです」


「右底には?」


「表面の粗粒はあります。細粒Bは、見える範囲ではほとんど確認できません」


 リーネが記録する。


『細粒Bの偏在。

 左底縫い目に集中。

 右底、袋中央では明確な付着を確認できず』


 ガルドの再現図では、地鳴り当日、左底が床の継ぎ目へ接していた可能性がある。


 そこへだけ、異なる白色粒が深く入り込んでいる。


 偶然かもしれない。


 後の潜行でついたものかもしれない。


 それでも、記録として無視はできない。


「地鳴りで床継ぎ目から粉が浮いた時、袋の左底へ入った可能性があります」


 セシアが言った。


 リーネはすぐに補った。


「可能性です。その後の使用履歴があるため、地鳴り当日の付着とは断定しません」


 ガルドは大きく息を吐いた。


「使わなきゃよかったな」


「そうとは限りません」


 リーネが答えた。


「袋を捨てず、洗わず、縫い目を直さず残していたから、今確認できています」


「でも、その後に使って粉を混ぜた」


「はい。それも記録しました」


 ガルドの顔が少し曇る。


 リーネは続けた。


「完全な証拠ではありません。ですが、役に立たない記録でもありません」


「中途半端だな」


「多くの記録は中途半端です」


 リーネは淡々と言った。


「だから、一つだけで決めず、別の記録と並べます」


 西旧採石跡の地鳴り。


 床継ぎ目から浮いた白い粉。


 床際の冷気が止まった可能性。


 西分け石の文字。


 水守控えの座擦れ。


 袋左底縫い目に集中した細粒B。


 一つでは足りない。


 並べれば、少しだけ形が見える。


 ダリオが言った。


「袋も、証言者みたいなものか」


「声は出しませんけどね」


 セシアが答えた。


 レオルは左底の縫い目を見た。


「だから、口を開かせるな」


 ダリオが少し笑う。


「珍しくうまいこと言ったな」


「縫い目を解くな、という意味だ」


「分かってる」


 リーネは重要事項として記録した。


『左底縫い目を解かない。

 粉を取り出すために糸を切らない。

 袋を裏返さない。

 内部確認を目的に口を広げない』


 魔道具係が言う。


「この細粒Bを、リント村修理工房で確認してもらうべきでしょう」


「粉だけを送りますか?」


 セシアが聞く。


 魔道具係は首を横に振った。


「採取すれば、どの位置に、どのように残っていたかが失われます」


 リーネも同意した。


「袋ごと送ります」


 ガルドが顔を上げた。


「リント村へ?」


「はい。エイルさんなら、粗粒Aと細粒Bの音を聞き分けられる可能性があります」


 ガルドは荷物袋を見た。


 高価な袋だ。


 底の補強革も、口紐も、まだ使える。


 縫い目を修理すれば、これからも素材を運べる。


 だから、捨てずに残していた。


「戻ってくるのか?」


「状態を変えずに返却するよう依頼します。ただし、診断期間は未定です」


 ガルドはしばらく黙った。


 以前なら、すぐ返してくれと言ったかもしれない。


 今日の彼は、縫い目に残る白い粉を見つめた。


「持っていってくれ」


「よろしいのですか?」


「ああ」


 ガルドは頷いた。


「袋より、先に分け石を見ろ」


「分け石を直接見るわけではありません」


「分かってる。袋の音だ」


 ガルドは少し言い直した。


「今度は、先に残す」


 リーネは預かり記録を作った。


『持ち主、ガルド。

 素材運搬袋一つ。

 現状維持でリント村修理工房へ送付。

 修理、洗浄、縫い目解体、粉採取を行わない。

 診断後返却予定』


 ガルドが署名する。


 太い文字だった。


 その横に、袋の使用履歴も添える。


 地鳴り当日の使用。


 その後三回の使用。


 乾式清掃二回。


 水洗いなし。


 縫い目未修理。


 宿物置で吊り下げ保管。


 どこまでが地鳴り当日の粉か分からないことも、はっきり書いた。


 袋を運ぶための木枠を作る。


 底を支える横木。


 袋が倒れないための低い囲い。


 ただし、箱のように密閉しない。


 風は通す。


 袋へ直接紐を掛けない。


 木枠の外側から、運搬板だけを固定する。


 ダリオが枠を押さえる。


「揺れ止め、ここでいいか?」


 魔道具係が見る。


「袋へ当たっていません。木枠だけを固定しています」


 レオルが確認する。


「左底縫い目、圧迫なし」


 セシアが記録する。


『送付用木枠。

 通気あり。

 袋へ直接固定なし。

 左底縫い目への圧迫なし。

 上下左右の向き維持』


 リーネは木枠へ札をつけた。


『重要』


『振らない』

『傾けない』

『逆さにしない』

『水に濡らさない』

『袋を開かない』

『縫い目を触らない』

『粉を採取しない』

『到着後、向きを変えず確認』


 ダリオが、自分の描いた二種類の粉の絵を札の横へ貼った。


『あらい粉』

『こまかい粉』

『まぜない』


 ガルドがそれを見た。


「絵は下手だな」


「意味は分かるだろ」


「ああ」


 ガルドは少しだけ笑った。


 リーネはリント村修理工房へ送る報告書を書き始めた。


『地鳴り当日に使用された荷物袋を、現状維持で確認しました。


 袋は地鳴り後にも三回使用され、外面の乾式清掃を二回受けています。

 水洗い、逆さ保管、打撃清掃、左底縫い目の修理は行われていません。

 そのため、付着物が地鳴り当日のもののみであるとは判断できません。』


 次に、粉の違いを書く。


『袋底には、外観の異なる二種類の粉が確認されました。


 粗粒A。

 灰白色。

 粒の大きさは不均一。

 黒色粒を含む。

 第三層灰床石と外観が類似。

 袋底の広い範囲に付着。


 細粒B。

 白色。

 粒が細かく、比較的均一。

 黒色粒はほぼ確認されず。

 角度により淡い光沢。

 左底縫い目内に集中。

 粗粒Aとは異なる石材の可能性。』


 さらに、位置情報。


『持ち主の記憶では、地鳴り当日、袋左底が床継ぎ目に接していた可能性があります。

 細粒Bの集中位置と一致しますが、記憶による再現および地鳴り後の使用歴があるため、地鳴り時付着とは断定しません。』


 最後に依頼を書く。


『粉のみを採取せず、袋全体の音をご確認ください。

 粗粒Aと細粒Bの音に違いがあるか。

 細粒Bが床石とは異なる石材、特に座石または受け部材由来の可能性があるか。

 左底縫い目を解かず、触れずに診断をお願いします。』


 リーネは封書を閉じた。


 木枠に載せられた荷物袋は、組合の奥で静かに置かれている。


 左底の縫い目。


 灰白い粗粒。


 その奥で淡く光る、細かな白色粒。


 二つは混じりながらも、同じ粉には見えなかった。


 床の表面からついた粉。


 床下で重さを受けていた石が擦れた粉。


 もし、本当に二種類の石が残っているのなら。


 西分け石の一座が動いた音は、床ではなく、ガルドの古い荷物袋へ噛み込んだまま、半月を越えて残っていたことになる。


 翌朝、木枠はリント村へ向かう行商馬車へ載せられる。


 振らず。


 傾けず。


 粉を取り出さず。


 袋ごと、その音を聞いてもらうために。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、地鳴り当日に西旧採石跡で使われていた、ガルドの荷物袋を確認する回でした。


袋は地鳴り後にも三回使われています。

そのため、残っている粉がすべて地鳴り当日のものとは限りません。


それでも、外観の異なる二種類の粉が確認されました。


・粗粒A

 灰白色で不揃い。

 黒い粒が混じる。

 袋底の広い範囲にあり、第三層の床石粉と似ている。


・細粒B

 白く、細かく、比較的粒がそろっている。

 角度により淡く光る。

 地鳴り当日に床継ぎ目へ接していた可能性がある、左底の縫い目へ集中。


細粒Bは、床石とは別の石材である可能性があります。


ただし粉だけを取り出すと、残っていた位置と状態が失われます。

そのため、荷物袋を木枠に載せたまま、袋ごとリント村修理工房へ送ることになりました。


次回は、エイルが二種類の石粉の音を聞きます。

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