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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第60話 冷えの残る時間

 アルバ冒険者組合の受付机には、三つの小さな木枠が並んでいた。


 左。

 中央。

 右。


 それぞれの木枠には、薄い紙片を一枚ずつ置けるよう、細い溝が切ってある。

 蓋はない。

 密封しないためだ。


 木枠の横には、リント村修理工房から届いた注意書きが置かれていた。


『まぜない』

『あたためない』

『こすらない』

『みっぺいしない』

『ひえが、いつまでのこるか見る』


 ポロの字だった。


 リーネはそれを見て、受付奥の記録板へ写す。


『冷えの残る時間 観察手順』


 一、三点固定観察直後に確認。

 二、北回廊を出た直後に確認。

 三、組合へ戻った直後に確認。

 四、少し置いた後に確認。

 五、左、中央、右の紙片は別々に通気保管。

 六、温めない。

 七、こすらない。

 八、密封しない。

 九、互いに触れさせない。

 十、道具の冷え、曇り、湿りも記録。


 最後に太く書く。


『冷えを見るだけ。

 冷えを変えない。』


 ダリオはそれを読んで、渋い顔をした。


「紙を三つ持って、今度は冷えがどれだけ残るか見るのか」


「はい」


 リーネはいつも通り答えた。


「紙片係の仕事が増えました」


「完全に紙片係になってるな、俺」


 セシアが魔力灯の留め金を確認しながら言う。


「槍袋の記録もあるわよ」


「それで慰められると思うか?」


「少しは」


「ならない」


 文句は言うが、ダリオの手つきは丁寧だった。


 三つの紙片を一枚ずつ確認する。

 破れなし。

 湿りなし。

 端の曲がりなし。

 糸の長さも同じ。


 それぞれを別々の通気袋へ入れる。


 左。

 中央。

 右。


 袋を重ねない。


 彼は小さく呟いた。


「まぜない」


 リーネがすぐに言う。


「記録してください」


「口で言っただけだろ」


「行動として大事です」


 ダリオは観念して記録した。


『出発前。三紙片、破れなし。湿りなし。別袋保管。混在なし。』


 レオルは剣帯の金具を確認した。


「出発前、曇りなし。冷えなし。布乾燥」


 セシアも続ける。


「魔力灯、曇りなし。留め金冷えなし。起動予定なし」


 リーネは三人の記録を確認し、頷いた。


「帰還後も、同じ順番で確認してください。冷えが消えた場合も、消えたと記録します」


 ダリオが顔を上げる。


「消えたことも?」


「はい」


「揺れないのも記録。冷えないのも記録。消えたのも記録」


「その通りです」


「記録って、何でも食うな」


 リーネは少しだけ眼鏡を押し上げた。


「必要なものだけです」


 第三層北回廊に入ると、最初は何も変わらなかった。


 入口で三つの紙片を確認する。


 左、揺れなし。

 中央、揺れなし。

 右、揺れなし。


 冷えもない。

 湿りもない。


 セシアが記録する。


『北回廊入口。三紙片、揺れなし。冷えなし。湿りなし。水音なし。』


 奥へ進む。


 中ほどで、右の紙片の下端が少しだけ震えた。


 前回と同じだ。


 ダリオは足を止める。


「中ほど、右下端微揺れ。冷えは……まだ分からない」


 セシアは時刻を書き込む。


「北回廊中ほど。右紙片下端微揺れ。左、中央、揺れなし」


 レオルは周囲を見る。


「許可者以外なし」


 古い石扉の前に着く。


 観察線の手前に、三つの白板を置く。


 左。

 中央。

 右。


 床へ直接印はつけない。

 観察線は越えない。

 乾いた筋へは近づけない。


 セシアはまず扉を見る。


「水滴紋、前回と同程度。水音なし。滴下なし。乾いた筋、視認可能。砂粒移動なし。石床湿り、大きな変化なし」


 補助員が同じ内容を書く。


 次に紙片の観察。


 左。


 同じ高さ。

 同じ時間。

 紙片は動かない。


「左、揺れなし。冷えなし」


 中央。


 紙片は動かない。


 しかし、下端にかすかな冷えがある。


 ダリオは紙片に触れず、少し距離を取って顔を近づけた。


「中央、揺れなし。下端、冷えあり。湿りなし」


 セシアが記録する。


 右。


 紙片は、しばらく静かに垂れていた。


 ひら。


 下端だけが震える。


「右、下端微揺れ。冷えあり。湿りなし」


 補助員が砂時計を見る。


「観察時間終了」


 ダリオは紙片を下げた。


 今回は、名残惜しそうにしなかった。


 前回、長く見すぎないと決めているからだ。


 セシアは三つの結果を声に出して確認した。


「観察直後。

 左、揺れなし、冷えなし。

 中央、揺れなし、冷えあり。

 右、微揺れあり、冷えあり。

 いずれも湿りなし」


 レオルが頷く。


「戻る」


「まだ冷えの残り時間を見るんだろ?」


 ダリオが言う。


「だから戻るのよ」


 セシアは記録板を胸に抱えた。


「ここに長くいたら、条件が変わる」


「分かってる」


 帰り道、北回廊の中ほどで一度止まった。


 リント村修理工房からの指示通り、北回廊を出る前にも確認するためだ。


 左紙片。


「冷えなし」


 中央紙片。


 ダリオが眉を寄せる。


「まだ冷たい。さっきより少し弱いけど、残ってる」


 右紙片。


「右は……冷えが薄い。ほとんど抜けてる。下端は少しだけ」


 セシアが書く。


『北回廊中ほど確認。

 左、冷えなし。

 中央、下端冷え残り。

 右、冷え弱化。微量残り。

 湿りなし。』


 レオルは剣帯金具を触らず、目で見る。


「金具、曇りなし。冷え感あり」


 セシアの魔力灯も、外殻に曇りはない。

 留め金の内側にだけ、冷えがある。


 ダリオの槍袋は乾いている。

 紐に少し冷えがある。


 それも記録した。


 北回廊を出たところで、もう一度確認する。


 左。


「変化なし。冷えなし」


 中央。


「まだ冷たい」


 右。


「もうほとんど分からない。冷え、抜けたかも」


 セシアはすぐに言う。


「抜けたかも、ではなく、弱い冷え、ほぼ消失と書くわ」


「頼む」


 補助員も同じように記録する。


『北回廊出口。

 左、冷えなし。

 中央、下端冷え残り。

 右、冷えほぼ消失。

 湿りなし。』


 ダリオは右紙片を見て、小さく呟いた。


「揺れるやつほど、早く抜けるのか?」


 セシアは首を横に振る。


「まだ分からない」


「だよな」


 レオルが言う。


「分からないまま持ち帰る」


「それ、最近よく言うな」


「必要だからだ」


 組合へ戻ると、リーネは三つの木枠を準備して待っていた。


 左。

 中央。

 右。


 ダリオは通気袋から紙片を一つずつ取り出し、別々の木枠へ置く。


 触るのは糸の端だけ。

 紙面をこすらない。

 重ねない。


 リーネが確認する。


「混在なし」


 ダリオはすぐに言った。


「混在なし」


「記録してください」


「はい」


 彼はもう逆らわずに書いた。


『帰還後、三紙片を別木枠へ配置。混在なし。密封なし。』


 帰還直後の確認。


 左紙片。


 冷えなし。

 湿りなし。


 中央紙片。


 下端に冷えが残っている。

 揺れはない。

 湿ってもいない。


 右紙片。


 冷えはほぼ消えている。

 湿りなし。

 下端に揺れの記録はあるが、今は動かない。


 リーネは記録板へ書いた。


『組合帰還直後。

 左、冷えなし。

 中央、下端冷え残り。

 右、冷えほぼ消失。

 全紙片、湿りなし。』


 セシアの魔力灯を確認する。


 外殻曇りなし。

 留め金内側、冷えがわずかに残る。


 レオルの剣帯金具。


 曇りなし。

 冷えあり。

 ただし北回廊出口時より弱い。


 ダリオの槍袋。


 底、湿りなし。

 紐、冷え弱い。

 紙片ほどの差はない。


 リーネは項目を分けて書いた。


『帰還後道具確認。

 魔力灯留め金、冷え弱く残る。曇りなし。

 剣帯金具、冷え弱く残る。曇りなし。

 槍袋底、湿りなし。紐、冷え弱い。

 中央紙片のみ、冷え残り明確。』


 ダリオは中央紙片を見た。


「動かないのに、まだ冷たいんだな」


 セシアも頷く。


「右は動いたのに、早く抜けた」


 レオルは静かに言った。


「揺れと冷えは別だ」


 リーネがその言葉を書き留めた。


『レオル所見。揺れと冷えは別』


 ダリオが目を丸くする。


「それも記録するのか」


「有用です」


 リーネは真面目に答えた。


 少し置いた後の確認まで、三つの紙片はそのまま置く。


 蓋をしない。

 風が直接当たりすぎない場所。

 同じ机。

 同じ距離。


 リーネは砂時計を置いた。


「この砂時計が一度落ちきったら、再確認します」


「その間に触るのは禁止?」


 ダリオが聞く。


「禁止です」


「見るだけ?」


「見るだけです」


 三人は受付奥の椅子に座った。


 落ち着かない時間だった。


 セシアは記録板を見直している。

 レオルは剣帯金具へ手を伸ばしかけて、止めた。

 ダリオは中央紙片をじっと見ている。


 リーネが言った。


「見すぎて息を吹きかけないでください」


「分かってる」


 ダリオは少し体を引いた。


 砂時計が落ちきる。


 再確認。


 左紙片。


 変化なし。

 冷えなし。


 右紙片。


 冷えなし。

 湿りなし。


 中央紙片。


 まだ、下端にわずかな冷えが残っていた。


 ダリオが小さく言った。


「まだ残ってる」


 セシアが記録する。


『砂時計一回後。

 左、冷えなし。

 右、冷えなし。

 中央、下端に弱い冷え残り。

 湿りなし。』


 リーネも同じ内容を記録し、中央紙片の木枠に赤い小札を置いた。


『冷え残り』


 ただし、危険品扱いにはしない。

 密封もしない。

 温めもしない。


 未確定の記録として置く。


 その時、受付の方から声がした。


「冷えてるなら火に近づければ分かるんじゃないか?」


 ガルドだった。


 リーネが振り返る前に、ライナが言った。


「温めるなって札に書いてある」


 ボルドも続ける。


「冷えの残る時間を見るんだ。火に近づけたら意味がないだろ」


 トマが方位石袋を掲げる。


「条件を変えないってやつです」


 ニナが頷く。


「同じ条件で比べるから分かるんです」


 ガルドは少し嫌そうに顔をしかめた。


「分かってるよ。言っただけだ」


 リーネは静かに言った。


「その発言も注意記録に残します」


「言っただけでか」


「危険な提案は、次の危険行動につながります」


 ガルドは口を閉じた。


 ダリオが小声で言う。


「記録、やっぱ怖いな」


 セシアは中央紙片を見つめたまま答えた。


「でも、止まる理由になるわ」


 リーネは報告書をまとめ始めた。


『冷えの残る時間 観察報告』


 一、三点固定観察直後。

 左、冷えなし。

 中央、下端冷えあり。

 右、下端微揺れ、冷えあり。


 二、北回廊中ほど。

 左、冷えなし。

 中央、冷え残り。

 右、冷え弱化。


 三、北回廊出口。

 左、冷えなし。

 中央、冷え残り。

 右、冷えほぼ消失。


 四、組合帰還直後。

 左、冷えなし。

 中央、冷え残り明確。

 右、冷えほぼなし。


 五、砂時計一回後。

 左、冷えなし。

 中央、弱い冷え残り。

 右、冷えなし。


 六、全紙片、湿りなし。

 七、紙片は別々に通気保管。混在なし。密封なし。加熱なし。摩擦なし。

 八、道具。

 魔力灯留め金、冷え弱く残る。曇りなし。

 剣帯金具、冷え弱く残る。曇りなし。

 槍袋底、湿りなし。紐、冷え弱い。


 九、危険提案。

 加熱による確認案あり。周囲が制止。実施なし。


 リーネは最後に、赤い線で囲った。


『右は揺れるが、冷えは早く抜ける。

 中央は揺れないが、冷えが長く残る。

 左は変化なし。』


 セシアはその一文を見て、静かに言った。


「出口の影と、冷えの芯が分かれているように見えますね」


「未確定です」


 リーネはすぐに言った。


 セシアは頷いた。


「はい。未確定です」


 レオルは剣帯金具をもう一度見た。


 冷えはほとんど消えている。

 曇りもない。


 彼は記録板へ書いた。


『砂時計一回後、剣帯金具冷えほぼ消失。曇りなし。』


 ダリオも槍袋の紐を触らず、目で確認した。


「紐、冷えなし。湿りなし」


 セシアは魔力灯の留め金を見る。


「留め金、冷えほぼ消失。曇りなし」


 リーネは道具の最終確認として追記した。


 中央紙片だけが、最後まで冷えを残した。


 夜になる前に、リント村修理工房への封書が作られた。


 三点固定観察の時刻表。

 三つの紙片の冷えの残り方。

 道具の変化。

 加熱案の制止。

 中央紙片の冷え残り。


 リーネは本文の最後に書いた。


『右紙片は揺れましたが、冷えは早く抜けました。

 中央紙片は揺れませんでしたが、冷えがもっとも長く残りました。

 左紙片は変化ありませんでした。

 全体として、湿りや曇りは出ていません。

 接触、清掃、水掛け、魔力投入、加熱、密封は行っていません。』


 封を閉じる。


 掲示板横には、今日の結果が簡単に貼られた。


『冷えの残る時間。

 左、変化なし。

 右、揺れるが早く抜ける。

 中央、揺れないが冷えが残る。

 未確定。触らない。温めない。』


 冒険者たちはそれを読んで、もう軽く笑わなかった。


 右が動く。

 中央が冷える。

 左は何もない。


 古い石扉は、まだ閉じたままだ。

 水音もない。

 滴下もない。

 乾いた筋も変わらない。


 それでも、三つの紙片はそれぞれ違う時間を持ち帰った。


 動いたものは、早く冷えを逃がした。

 動かなかったものが、冷えを長く抱えていた。


 その違いは、次にリント村修理工房へ届く。


 出口の影と、冷えの芯を分けるために。


ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、アルバ側で「冷えの残る時間」を観察する回でした。


三点固定観察の結果は、


・左:変化なし

・右:揺れるが、冷えは早く抜ける

・中央:揺れないが、冷えが長く残る


となりました。


右が出口の影に近いのか。

中央が冷えの芯に近いのか。


まだ断定はできません。


ただ、揺れる場所と冷えが残る場所は同じではないことが、少しずつ見えてきました。


次回は、この報告がリント村修理工房へ届き、エイルが「出口の影」と「閉じた息の芯」を分けて考えます。

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