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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第58話 三つの紙片

 アルバ冒険者組合の掲示板に、新しい紙が貼られた。


『三点固定観察』


 その下に、リント村修理工房から届いた文字が写されている。


『紙片を動かしながら探らない』

『決めたところで見る』

『左、中央、右を同じ高さ、同じ時間で見る』

『揺れないことも記録する』

『影を見つけても、穴にしない』


 横には、ポロの絵があった。


 観察線の手前に三つの丸。

 左、中央、右。

 それぞれの場所で紙片を持つ人。


 紙片を横へすっと動かしている人には、ばつ印。

 じっと待っている人には、丸印。


『うごかしながら、さがさない』

『うごかないも、きろく』


 冒険者たちは、その紙を見て口々に言った。


「揺れないのも記録か」


「何も起きないってことだろ?」


「何も起きないことも大事らしいぞ」


「面倒だな」


 リーネは受付机から淡々と答えた。


「面倒なことを記録するために、触れずに済んでいます」


 その一言で、何人かは黙った。


 見て、書く。

 動かさない。

 触れない。


 古い石扉については、それが今の組合の決まりになりつつあった。


 受付奥の机には、三つの紙片が並べられている。


 一つ目には、小さく『左』。

 二つ目には『中央』。

 三つ目には『右』。


 どれも同じ大きさ。

 同じ紙。

 同じ長さの糸。

 同じ木棒に結べるようにしてある。


 ダリオがそれを見て、顔をしかめた。


「増えた」


「増えました」


 リーネは当然のように言う。


「今日は三つの紙片を同じ高さ、同じ時間で観察します」


「俺、紙片係長じゃないよな」


「紙片係です」


「長はつかないのか」


「必要なら記録上は紙片担当とします」


「係でいい」


 セシアが小さく笑いながら、三つの紙片を確認する。


「大きさは同じですね。糸も同じ」


「はい。条件をそろえるためです」


 レオルは観察線の写しを見ていた。


「左、中央、右の位置は、現地で白墨印を置くのか」


「観察線の手前に仮印を置きます。床へ直接書き込むのではなく、持ち運びできる白板を置いてください。石床には触れません」


「分かった」


 リーネは三人へ役割を確認する。


「セシアさんは記録と魔力灯確認。ダリオさんは三つの紙片。レオルさんは観察線と周囲の制止。補助員は時刻、位置、比較記録です」


 三人は頷いた。


 出発前の確認も、もう流れになっている。


 セシアは魔力灯を見る。


「出発前、魔力灯曇りなし。留め金冷えなし。袋乾燥」


 レオルは剣帯金具を確認する。


「出発前、金具曇りなし。冷えなし。拭き布乾燥」


 ダリオは槍袋の底と紐を確かめる。


「槍袋底、乾燥。紐も冷えなし。紙片三つ、破れなし。左、中央、右、表示あり」


 リーネが記録板を見て頷く。


「よろしいです」


 ダリオは三つの紙片を見下ろして、少し真面目な顔になった。


「揺れないのも見るんだよな」


「はい」


「揺れたやつばっかり気にしない」


「その通りです」


 ダリオは頷いた。


「分かった」


 第三層北回廊は、今日も静かだった。


 入口で紙片を三つ出す。


 左。

 中央。

 右。


 まだ観察線の前ではない。

 北回廊入口で、三つとも同じように静かに垂れている。


 セシアが記録する。


『北回廊入口。左紙片、揺れなし。中央紙片、揺れなし。右紙片、揺れなし。水音なし。道具冷えなし。』


 ダリオは紙片をしまう時も、折らないように気をつけた。


 奥へ進む。


 中ほどで、右の紙片の下端が少しだけ震えた。


「中ほど、右だけ少し」


 セシアが記録する。


「左と中央は?」


「揺れなし。たぶん」


「たぶんではなく、見て」


 ダリオは三つを並べ直し、もう一度見る。


 左、動かない。

 中央、動かない。

 右、下端だけがかすかに揺れる。


「右だけ。下端」


 補助員が時刻を書く。


 レオルは後方を確認する。


「巡回者なし」


 古い石扉の前に着く。


 観察線は、前回と同じ位置。

 その手前に、補助員が三つの小さな白板を置く。


 左。

 中央。

 右。


 床に直接印をつけない。

 石床へ触れない。

 白板は観察線の手前だけに置く。


 セシアはまず、扉と足元を見る。


「水滴紋、前回と同程度。滴下なし。水音なし。乾いた筋、視認可能。砂粒移動なし。石床の湿り、大きな変化なし」


 補助員が同じ内容を書く。


 レオルは観察線の前に立ち、通路の後方にも目を配る。


「観察線越えなし。周囲、許可者のみ」


 ダリオは三つの紙片を、順番に白板の位置へ合わせた。


 最初は左。


 高さは胸の少し下。

 前回と同じ。

 時間は短く区切る。

 補助員が砂時計を返した。


 左の紙片は、静かだった。


 下端も動かない。

 上も動かない。

 紙全体が、冷えた空気の中でただ垂れている。


 ダリオは口を開きかけて、少し考えた。


「左、揺れなし」


 セシアが書く。


『左固定位置。紙片揺れなし。下端揺れなし。冷え感なし。』


 次は中央。


 紙片を動かしながら探らない。

 中央の白板の位置へ移動し、そこで止める。

 同じ高さ。

 同じ時間。


 中央の紙片は揺れなかった。


 ただ、少しだけ下の端が冷たいように見えた。


 ダリオが眉を寄せる。


「中央、揺れない。でも、下だけ冷たい気がする」


 セシアがすぐに聞く。


「湿りは?」


「ない。濡れてない。揺れもない。ただ冷たい」


 補助員が確認する。

 紙には触れない。

 見た目で湿りはない。


 セシアは記録した。


『中央固定位置。揺れなし。湿りなし。下端に冷え感あり。未確定。』


 レオルが言う。


「冷え感も記録する」


「しているわ」


 最後に右。


 ダリオは右の白板位置に立つ。


 紙片を同じ高さで持つ。

 息を止める。

 補助員も少し離れる。

 セシアは砂時計を見る。


 最初は動かない。


 通路が静まる。


 ひら。


 右の紙片の下端だけが、かすかに震えた。


 ダリオは目を細める。


「右、下端揺れ」


 セシアが書く。


「上部は?」


「動いてない」


「全体は?」


「揺れてない。下だけ」


 補助員が記録する。


『右固定位置。紙片下端のみ微揺れ。上部揺れなし。全体揺れなし。湿りなし。下端に冷え感あり。』


 ダリオはそのまま紙片を持ち続けようとした。


 レオルが言う。


「時間」


「あ」


 砂時計が落ちきる直前だった。


 セシアがすぐに止める。


「終了。長く見ない」


 ダリオは紙片を下げた。


「もう少しでまた揺れそうだったんだけどな」


「だから止めるの」


「分かってる」


 彼は名残惜しそうに右の紙片を見たが、それ以上続けなかった。


 セシアは三つの結果を並べて声に出した。


「左、揺れなし。冷えなし。

 中央、揺れなし。下端に冷え感。

 右、下端微揺れ。下端に冷え感。

 いずれも湿りなし」


 補助員が同じ内容を写す。


 レオルは足元の乾いた筋を見る。


「乾いた筋との位置は?」


 セシアは反射鏡を使い、観察線の手前から確認した。


 乾いた筋は中央より右。

 だが、右紙片の位置とは完全には重ならない。


 右紙片の揺れは、乾いた筋の先端よりさらに横。

 中央紙片の冷えは、乾いた筋の近くに近い。

 左紙片は離れている。


「中央は乾いた筋に近い。右は前回の微揺れ位置に近い。左は変化なし」


 セシアは記録する。


『中央固定位置は乾いた筋に比較的近い。揺れなし、冷え感あり。

 右固定位置は前回微揺れ位置に近い。下端微揺れあり。

 左固定位置は乾いた筋から遠い。変化なし。』


 ダリオが小さく言う。


「出口の影って、右なのか?」


 セシアは首を横に振った。


「まだ決めない」


「冷えは中央だもんな」


「そう。揺れは右。冷えは中央。筋はその間に近い」


 レオルが静かに言った。


「一つでは決めない」


 その言葉は、掲示に書かれていた通りだった。


 その時、後ろから声がした。


「右が揺れるなら、右の床を見ればいいんじゃないのか?」


 巡回中の冒険者が、少し離れた場所で足を止めていた。


 レオルは振り返る。


「見る許可はない。近づくな」


「近づかないさ。ただ、そこを詳しく見れば――」


「今日は三点観察だ。それ以上はしない」


 レオルの声は固かった。


 ダリオも紙片をしまいながら言う。


「追加で見たくなるから、ここで止めるんだよ」


 冒険者は肩をすくめた。


「変わったな、《白狼の剣》も」


 ダリオは少しだけ笑った。


「紙片係になったからな」


 セシアがそのやり取りも記録する。


『巡回者、右側追加観察を示唆。制止。追加観察なし。』


 レオルが頷く。


「戻る」


 帰還前に道具を確認する。


 セシアの魔力灯は曇っていない。

 ただ、留め金の内側が冷たい。


 レオルの剣帯金具も曇っていない。

 しかし、指で触れると冷えがある。


 ダリオの槍袋は、底に湿りなし。

 紐にも湿りなし。

 ただ、三つの紙片のうち、中央と右の下端に冷え感がある。


 左はほとんど変化なし。


 セシアが記録した。


『帰還前確認。魔力灯留め金冷えあり。剣帯金具冷えあり。槍袋湿りなし。左紙片変化なし。中央紙片下端冷え感。右紙片下端冷え感、微揺れ記録あり。』


 北回廊を離れると、中ほどで右紙片が一度だけ微かに揺れた。

 入口では、三つとも揺れなかった。


 それも記録する。


 組合へ戻ると、リーネはすぐに三つの紙片を別々に受け取った。


 左。

 中央。

 右。


 通気袋も別。

 札も別。

 時刻も別。


 リーネはまず、セシアの記録板を読む。


「左、揺れなし、冷えなし。中央、揺れなし、下端冷え感。右、下端微揺れ、冷え感」


 補助員の記録も同じだった。


 リーネは大きな図に三つの印をつけた。


 左。

 中央。

 右。


 乾いた筋。

 水滴紋。

 前回の微揺れ位置。

 今回の右紙片の位置。


 並べる。


 左は変化なし。

 中央は冷え。

 右は揺れ。


 リーネは静かに言った。


「変化が分かれましたね」


 セシアが頷く。


「はい。出口と呼べるものはまだ分かりません。でも、冷えと揺れが同じ場所ではありません」


 ダリオが紙片の袋を見ながら言う。


「右は動いた。中央は動かないけど冷たい。左は何もない」


「揺れないことも記録できています」


 リーネが言う。


 ダリオは少し照れたように鼻をこすった。


「揺れないのも仕事だったな」


 レオルは剣帯金具をリーネへ見せた。


「帰還後。曇りなし。冷えは残っている」


 セシアの魔力灯も同じだった。


 曇りはない。

 冷えは残る。


 ダリオの槍袋は湿っていない。

 紙片は三つとも破れていない。


 ただ、中央と右の下端だけ、触れずに近づけると冷えが分かる。


 リーネは帰還後の道具確認表へ書いた。


『帰還後確認。

 魔力灯留め金、冷え残り。曇りなし。

 剣帯金具、冷え残り。曇りなし。

 槍袋、湿りなし。

 左紙片、冷え感なし。

 中央紙片、下端冷え感あり。

 右紙片、下端冷え感あり。微揺れ記録あり。』


 その後、彼女は掲示板用に短くまとめた。


『三点固定観察結果。

 左、変化なし。

 中央、揺れなし、冷えあり。

 右、下端微揺れ、冷えあり。

 原因未確定。

 接触、水掛け、清掃、魔力投入は引き続き禁止。』


 掲示板に貼ると、冒険者たちがすぐに集まってきた。


「右だけ揺れたのか」


「じゃあ右が出口か?」


 リーネはすぐに答えた。


「断定しません」


「中央は冷えだけ?」


「はい」


「冷えの中心は中央で、動きは右ってことか?」


「可能性として記録中です」


 ガルドが腕を組む。


「右を少し削れば――」


 周囲から、いくつもの声が重なった。


「削るなって書いてあるだろ」


「水も掛けるな」


「紙で見ろ」


「動かすな」


 ガルドは目を瞬かせた。


 リーネも少し驚いた。


 注意したのは、リーネではなかった。

 ライナでも、ボルドでも、《白狼の剣》でもない。


 掲示を読んでいた普通の冒険者たちだった。


 ガルドは気まずそうに鼻を鳴らす。


「分かってるよ。言っただけだ」


 リーネは静かに言った。


「言葉も記録の元になります。危険な提案は控えてください」


 ダリオが小さく笑う。


「記録、怖いな」


 セシアはそれを聞きながら、三つの紙片の図を見ていた。


 左。

 中央。

 右。


 揺れないこと。

 冷えること。

 揺れること。


 それぞれが違う意味を持っている。


 今までなら、揺れた右だけを見ていたかもしれない。

 けれど今は、揺れなかった左と、揺れなかったのに冷えた中央も同じように残す。


 それが、リント村修理工房から届いたやり方だった。


 夜、リーネはリント村修理工房への報告書をまとめた。


『三点固定観察報告』


 一、左固定位置。

 紙片揺れなし。冷え感なし。湿りなし。


 二、中央固定位置。

 紙片揺れなし。下端冷え感あり。湿りなし。

 乾いた筋に比較的近い位置。


 三、右固定位置。

 紙片下端微揺れ。下端冷え感あり。湿りなし。

 前回微揺れ位置に近い。


 四、水滴紋。

 前回と同程度。滴下なし。水音なし。


 五、乾いた筋。

 視認可能。位置変化なし。砂粒移動なし。


 六、帰還後。

 魔力灯留め金、冷え残り。曇りなし。

 剣帯金具、冷え残り。曇りなし。

 槍袋、湿りなし。

 中央紙片と右紙片の下端に冷え感あり。


 七、接触なし。水掛けなし。清掃なし。魔力投入なし。

 八、右側追加観察の提案あり。制止。追加観察なし。


 リーネは最後に書いた。


『右に揺れ、中央に冷え、左に変化なし。

 この三つの違いを、未確定として報告します。』


 封を閉じる。


 夜の組合は、少し静かだった。


 掲示板横には、三つの紙片を描いた図が揺れている。


 左。

 中央。

 右。


 動いたもの。

 動かなかったもの。

 冷えだけを残したもの。


 答えはまだ出ていない。


 けれど、三つを並べたことで、見えない出口の影は、少しだけ輪郭を持ち始めていた。


ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、アルバ側で「三点固定観察」を行う回でした。


左、中央、右。

三つの紙片を同じ高さ、同じ時間で観察します。


結果は、


・左:揺れなし、冷えなし

・中央:揺れなし、冷えあり

・右:下端微揺れ、冷えあり


となりました。


揺れた右だけが重要なのではなく、揺れない左、揺れないけれど冷える中央も記録する。

「動かないことも記録する」というリント村修理工房の考え方が、アルバ側でも使われています。


次回は、この三つの違いがリント村へ届きます。

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