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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第56話 道の影を並べる

 リント村修理工房から届いた封書を読んだリーネは、受付奥の記録板を一枚、まるごと空けた。


 そこに太い字で書く。


『第三層北回廊奥 古い石扉観察項目』


 一、紙片が揺れる位置。

 二、紙片のどの部分が揺れるか。

 三、水滴紋の濃さ。

 四、乾いた筋の長さと位置。

 五、乾いた筋と水滴紋の距離。

 六、石床の湿りの濃さ。

 七、観察時刻。

 八、滞在時間。

 九、道具の冷え、曇り、湿り。

 十、通常の風との比較。

 十一、帰還後に残る冷え、曇り、湿り。


 最後に、赤い線で囲む。


『出口を作らない。

 出口の影を探す。』


 リーネは筆を置き、しばらくその文字を見つめた。


 出口の影。


 それは、組合の普通の依頼書ではあまり見ない言葉だった。

 討伐対象の位置でもない。

 採取物の数でもない。

 迷宮の新しい道を開くための命令でもない。


 触れずに見る。

 動かさずに並べる。

 分からないものを、分からないまま記録する。


 そのための項目だ。


 掲示板横にも、写しを貼った。


『穴を開けない』

『砂を払わない』

『水を掛けない』

『魔力を流さない』

『紙片は観察線の手前』

『帰った後も道具を見る』


 ポロの絵札も一緒に貼る。


 石の中に閉じた小さな息。

 それを無理やり外へ出そうとする手に、ばつ印。

 周りに紙を並べて見比べる人に、丸印。


 その下には、丸い文字で書かれていた。


『ひとつで決めない』

『ならべて見る』


 朝の組合は、その札の前で少しざわついた。


「また項目が増えたのか」


「面倒だな」


「紙片が揺れる位置って、そんな細かくいるのか?」


 リーネは受付机から答えた。


「必要です。細かく見るために、接触を禁止しています」


「触っちゃ駄目だから、見るところが増えるのか」


「そうです」


 冒険者は妙に納得した顔をした。


 そこへ、《白狼の剣》がやって来た。


 セシアは掲示の項目を上から下まで読み、記録板を受け取る。


「今回は、並べることが目的ですね」


「はい」


 リーネは頷いた。


「一つの変化で判断しないでください。水滴紋、乾いた筋、紙片、道具、時刻を並べます」


 ダリオは紙片を見つけて、少し肩を落とした。


「今日も紙片係か」


「はい」


「もう槍より紙の方が出番あるんじゃないか?」


「槍袋の湿り確認もあります」


「それはそれで嫌だな」


 文句を言いながらも、ダリオは紙片を丁寧に持った。


 前より扱いが慎重だ。

 端を折らない。

 糸を引っ張りすぎない。

 木棒に結ぶ位置も、昨日と同じにする。


 セシアがそれを見て微笑む。


「慣れてきたわね」


「慣れたくはなかった」


 レオルは剣帯の金具を確認していた。


 曇りなし。

 乾いた布で拭く。

 出発前の布は別袋。


 彼は無言で記録板に書き込む。


『出発前、剣帯金具曇りなし。布乾燥。』


 リーネが確認し、頷いた。


「帰還後の確認も忘れないでください」


「分かっている」


 セシアは魔力灯を袋から出し、留め金の内側を見た。


「魔力灯、曇りなし。留め金冷えなし。起動予定なし」


 ダリオも槍袋の底を触る。


「槍袋底、乾燥。紙片、破れなし。木棒、昨日と同じ」


 リーネが頷く。


「よろしいです」


 ダリオがにやりとした。


「紙片係として?」


「紙片係として」


「よし」


 少しだけ誇らしげだった。


 第三層北回廊は、今日も水音のない冷たさを抱えていた。


 入口では紙片は揺れない。

 壁も乾いている。

 石床もいつもの薄い灰色だ。


 セシアは入口で記録する。


『北回廊入口。紙片揺れなし。水音なし。魔力灯曇りなし。剣帯金具曇りなし。槍袋底乾燥。』


 奥へ進む。


 こつ。

 こつ。


 足音が返る。


 中ほどで、紙片の端がわずかに揺れた。


 ダリオがすぐに止まる。


「中ほど。下端、少し」


 セシアが時刻を書く。


「前回と同じくらい?」


「いや、前回より弱い気がする。扉前ほどじゃない」


 補助員が横で記録する。


『北回廊中ほど、紙片下端微揺れ。弱い。入口では揺れなし。』


 レオルは後方を見た。


 許可のない者はいない。

 観察人数は、予定通り。


 古い石扉の前へ着く。


 灰色の扉は、閉じたままだ。


 水滴紋は、前回と同じ濃さに見える。

 濃くなってはいない。

 薄くもなっていない。


 水音なし。

 滴下なし。


 扉前の足元には、湿った石床。

 その中に、乾いた細い筋。


 セシアは反射鏡を使い、観察線の手前から足元を見る。


「乾いた筋、視認可能。前回と位置変化なし。砂粒、移動なし」


 補助員が書く。


 ダリオは紙片を持つ位置を、前回と同じ高さに合わせた。


「紙片、前回位置」


 紙片はしばらく静かだった。


 通路が息を止めるように静まる。


 ひら。


 下端だけが揺れた。


 ダリオの目が細くなる。


「揺れた」


「位置は?」


「観察線手前。扉の正面より、少し右」


 セシアが顔を上げた。


「右?」


「前回は、もう少し正面だった気がする」


「記録を見ます」


 セシアは前回の写しを取り出した。

 紙片を持った位置の印がある。


 今日の位置と比べる。


 完全には同じではない。


 ダリオの立ち位置がずれている可能性もある。

 手の高さが少し違う可能性もある。

 だから、すぐには判断できない。


 セシアは言った。


「同じ高さ、同じ距離でもう一度」


 ダリオは頷き、足元の白墨印を確認した。

 観察線を越えない。

 乾いた筋へ近づけない。

 前回と同じ位置へ戻す。


 紙片を胸の高さへ。


 待つ。


 ひら。


 下端だけが、また揺れた。


 今度も、扉正面より少し右。


 セシアは反射鏡で乾いた筋を確認した。


 乾いた筋は、扉下部右寄りから手前へ伸びている。

 だが、紙片が揺れる位置は、その先端と完全には重ならない。


 少し横。


 乾いた筋の先より、さらに右へずれている。


「紙片が揺れる位置と、乾いた筋の先がずれています」


 ダリオが紙片を握り直した。


「ずれてる?」


「はい。乾いた筋の延長上ではありません。少し右です」


 レオルが見る。


「出口の影は、筋そのものではない?」


 セシアはすぐに答えなかった。


 それは、まだ判断できない。


「可能性として記録します」


 彼女は書いた。


『紙片下端微揺れ位置、乾いた筋先端と完全一致せず。筋先端より右寄り。未確定。』


 補助員も同じように書く。


 ダリオは紙片を少し低くした。


「低くして確認する」


「高さ変更を記録してから」


「分かってる」


 今度は先に自分で書いた。


『紙片位置、低め。観察線手前。筋へ近づけず。』


 低い位置でも、下端だけがわずかに揺れる。


 やはり、少し右。


 セシアは水滴紋を見る。


 水滴紋は扉中央よりやや上。

 乾いた筋は扉下部右寄り。

 紙片の揺れは、乾いた筋の先よりさらに右。


 三つが一直線ではない。


 ミラから送られた言葉を思い出す。


 風の揺れ。

 紋の濃淡。

 床の筋。

 時の違いを並べよ。


 並べると、ずれが見える。


 ずれがあるから、すぐに乾いた筋を出口と決めてはいけない。


「水滴紋、乾いた筋、紙片微揺れ位置は一直線ではありません」


 セシアは声に出して記録した。


 レオルが観察線の横に立ったまま言う。


「近づいて見たい者が出るな」


「でしょうね」


 ダリオが苦笑する。


「見たら気になるもんな」


 その時、後ろから足音がした。


 組合許可を得て巡回していた別の二人組だ。

 観察対象の扉前までは入れないはずだったが、通路の曲がり角で足を止めている。


「何か分かったのか?」


 一人が声をかけた。


 レオルが答える。


「観察中だ。線の内側へ来るな」


「見るだけなら」


「見るだけなら、組合へ申請しろ」


「堅いな」


「必要だ」


 レオルの声は淡々としていた。


 ダリオが紙片を下げないまま言う。


「今、紙が揺れるところ見てる。風を乱されると困る」


「紙?」


「紙だ。大事な紙だ」


 その言い方が真面目だったので、二人組は少し戸惑った顔をした。


 セシアが記録する。


『巡回者接近。観察線外で制止。紙片観察中につき接近不可と説明。接触なし。』


 補助員も書いた。


 観察はそこで区切った。


 滞在時間を長くしない。

 気になることが見つかった時ほど、長居しない。


 セシアは最後に道具の確認をする。


「魔力灯、外殻曇りなし。留め金内側に冷えあり。起動なし」


 レオルは剣帯を見る。


「金具、曇りなし。冷えあり」


 ダリオは槍袋を触る。


「袋底、乾燥。ただし紐が少し冷たい」


「紐?」


 セシアが聞く。


「底じゃなくて、縛ってる紐。手に当たるところ」


 彼は紐を見せた。

 濡れてはいない。

 しかし、指先に冷えが移る。


 セシアは記録する。


『槍袋底乾燥。袋紐に冷えあり。湿りなし。』


 紙片も確認する。


 破れなし。

 湿りなし。

 下端にわずかな冷え。


 ダリオが言う。


「紙の下だけ、冷たい気がする」


 セシアはそれも書く。


『紙片下端に冷え感あり。湿りなし。』


 レオルが短く言った。


「戻る」


 帰り道、北回廊中ほどでも紙片はわずかに揺れた。

 入口では揺れない。


 それも記録する。


 組合へ戻ると、リーネは受付奥の記録机で待っていた。


「報告を」


 セシアは記録板を渡す。


「水滴紋は前回と同程度。乾いた筋も変化なし。紙片下端の微揺れを確認しました。ただし、揺れた位置が乾いた筋の先端と一致しません。筋先端より右寄りです」


 リーネの筆が止まる。


「ずれがあるのですね」


「はい。水滴紋、乾いた筋、紙片微揺れ位置は一直線ではありません」


 補助員も記録を差し出した。


「こちらも同じ確認です」


 リーネは二つを照合する。


 位置。

 高さ。

 時刻。

 滞在時間。

 道具の状態。

 巡回者接近の有無。

 紙片下端の冷え。


 記録は一致している。


 彼女は第三層の地図写しの横に、扉前足元の拡大図を置いた。


 水滴紋。

 乾いた筋。

 紙片の揺れ位置。


 三つの印を、別々の色でつける。


 並べると、確かにずれていた。


 乾いた筋は、右寄り。

 紙片の揺れは、さらに右。

 水滴紋は上。


 リーネはゆっくり言った。


「出口の影は、乾いた筋そのものではない可能性がありますね」


 セシアは頷く。


「その可能性があります。ただし、断定はしません」


「もちろんです」


 リーネは記録に書いた。


『紙片微揺れ位置と乾いた筋先端にずれあり。

 乾いた筋そのものが出口とは限らない。

 未確定。』


 ダリオは紙片を通気袋へ入れた。


「紙の下だけ冷たい気がした」


「湿りは?」


「なし」


「記録済みですね」


「した」


「よろしいです」


 ダリオは少しだけ満足そうに頷いた。


 レオルは剣帯金具を拭かずに、まずリーネへ見せた。


「帰還直後。曇りなし。冷えあり」


 リーネが確認する。


「帰還後記録に入れます」


 セシアの魔力灯も、外殻に曇りはない。

 留め金の内側だけが、少し冷たい。


 ダリオの槍袋は、底は乾いている。

 紐だけが冷たい。


 これも、今までの記録とは少し違う。


 湿るのではなく、冷えが残る。


 リーネは別紙にまとめた。


『帰還後道具確認』


 一、魔力灯外殻曇りなし。留め金内側に冷え。

 二、剣帯金具曇りなし。冷えあり。

 三、槍袋底乾燥。紐に冷えあり。

 四、紙片破れなし。湿りなし。下端に冷え感あり。


 彼女は最後に、赤い線で囲む。


『湿りより冷えが残る傾向あり。』


 午後、リーネは掲示を更新した。


『古い石扉前の観察結果。

 紙片の下端が揺れる位置と、乾いた筋の先端にずれがあります。

 原因未確定。

 乾いた筋に触れないこと。

 揺れた位置を確かめるために近づかないこと。

 水を掛けないこと。

 魔力を流さないこと。』


 ガルドがそれを読んで、眉をひそめた。


「ずれてるなら、間を調べりゃいいだろ」


 リーネは受付から答える。


「調べます。触れずに」


「触らずに分かるのか」


「分かる範囲を増やします」


「まどろっこしいな」


 ライナが横から言う。


「まどろっこしい方が、灯りは無事だよ」


 ボルドも保存箱の紐を直しながら言った。


「急ぐやつほど箱を壊す」


 トマが方位石の袋を別に持ち直す。


「針も」


 ニナが頷く。


「道も、たぶん」


 ガルドは何か言いかけたが、結局黙った。


 リーネは夜までに、リント村修理工房へ送る報告書をまとめた。


 観察項目に沿って、紙を分ける。


 水滴紋。

 乾いた筋。

 紙片微揺れ。

 時刻。

 道具の冷え。

 帰還後の変化。

 接近者制止。

 観察線維持。


 そして、位置図。


 水滴紋、乾いた筋、紙片が揺れた位置を並べた図。


 彼女は本文に書く。


『紙片下端の微揺れ位置は、乾いた筋の先端と一致しませんでした。

 筋先端より右寄りです。

 水滴紋、乾いた筋、紙片微揺れ位置は一直線ではありません。

 また、帰還後の道具には湿りより冷えが残る傾向があります。』


 最後に、セシアの言葉も添える。


『出口の影は、乾いた筋そのものではない可能性があります。

 未確定として記録します。』


 封を閉じる時、リーネは記録板の文字をもう一度見た。


『ひとつで決めない』

『ならべて見る』


 今日、並べたことで分かったのは、答えではなかった。


 ずれだった。


 だが、そのずれこそが、次に見るべき場所を示しているのかもしれない。


 夜の組合で、紙片見本が入口の風に揺れる。


 全体が、ふわりと動く。


 リーネはその動きと、第三層で見た下端だけの揺れを、別のものとして記録に残した。


 小さな違い。

 小さなずれ。


 出口の影は、そういうものの間に隠れているのだろう。


ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、リント村修理工房から届いた観察項目をもとに、アルバ側で記録を並べる回でした。


紙片の揺れ。

水滴紋の濃さ。

乾いた筋の位置。

道具に残る冷え。

帰還後の変化。


それらを一つずつ並べた結果、分かったのは「答え」ではなく「ずれ」でした。


紙片が揺れた位置は、乾いた筋の先端と一致していません。

水滴紋、乾いた筋、紙片の揺れも一直線ではありません。


出口の影は、乾いた筋そのものではないかもしれない。


次回は、その報告がリント村修理工房へ届き、エイルが「筋の横にある影」を考えます。

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