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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第3話 泣いている井戸

 雨は、明け方まで降り続いた。


 古い家の屋根を叩く音。

 軒先から落ちる雫の音。

 風に揺れる木柵の音。


 慣れない部屋の中で、俺は何度も目を覚ました。


 村長代理のミラが用意してくれた部屋は、村の集会所の二階にあった。

 使われなくなった客間らしく、寝台は少し硬く、毛布は何度も繕われている。

 けれど、雨をしのげる屋根があって、温かい粥まで出してもらえた。


 昨日の朝、勇者候補パーティから追放された人間にしては、十分すぎる夜だった。


 ただ、眠りは浅かった。


 目を閉じるたびに、耳の奥で音がした。


 ちりん。


 結界石の音。


 ぎい。


 井戸の歯車の音。


 そして。


 ごぉん。


 鳴らないはずの防護鐘が、雨の中で震えた音。


 あれは気のせいではない。

 鐘は、確かに何かを訴えていた。


 けれど、今の俺に防護鐘を直す力があるかは分からない。

 井戸も結界石も、昨日は応急処置をしただけだ。

 まずは、目の前のものから一つずつ見ていくしかない。


 夜が白み始めた頃、雨音がようやく細くなった。


 俺は寝台から起き上がり、工具袋を肩にかけた。


 階段を下りると、集会所の広間ではミラが机に向かっていた。

 まだ朝早い。

 窓の外は薄い灰色で、村の家々も眠っているように静かだった。


 ミラは帳面に何かを書き込んでいた。

 隣には、小さな袋が三つ並んでいる。

 麦。

 干し豆。

 銅貨。


 どれも、十分とは言えない量だった。


「おはようございます」


 声をかけると、ミラは少し驚いたように顔を上げた。


「エイルさん。もう起きたんですか?」


「眠りが浅くて」


「雨の音、うるさかったですよね」


「いえ。雨より、井戸と結界石の音が気になりました」


 そう答えると、ミラは少しだけ困ったように笑った。


「本当に、音で分かるんですね」


「全部分かるわけじゃありません。でも、壊れかけているものは、たいてい変な音を出します」


 俺は窓の外を見た。


 広場の端に井戸が見える。

 昨日よりは静かだ。

 けれど、音はまだ濁っている。


 応急処置で桶は動くようになった。

 でも、それだけだ。


 井戸の底から聞こえる音は、もっと深いところで泣いている。


「今日は、井戸を本格的に見ます」


「お願いします」


 ミラはすぐに立ち上がった。


 けれど、その動きが少しふらついた。

 睡眠不足だろう。

 目の下に薄く影がある。


「ミラさん、休んでください。昨日も遅くまで起きていましたよね」


「大丈夫です」


「大丈夫な音じゃありません」


「私も音が出ているんですか?」


「顔色が、です」


 思わず言うと、ミラは一瞬きょとんとしてから、小さく笑った。


「エイルさん、たまに変なことを言いますね」


「すみません」


「でも、ありがとうございます。少しだけ座ってから行きます」


 その言葉を聞いて、俺は少し安心した。


 誰かに無理をしないでほしいと思うのは、久しぶりだった。

 今までは、自分が無理をしないと居場所がなくなると思っていたから。


 朝食は、昨日直した井戸の水で作った薄い麦粥だった。

 塩気は少なく、具も干し豆が数粒だけ。

 それでも、湯気の立つ椀を両手で持つと、胃の奥がじんわり温まった。


 食べ終える頃、広場に人の声が戻り始めた。


 子どもたちが桶を持って走る。

 老人が家の前の水たまりを避けながら歩く。

 女の人たちが軒先に濡れた布を干している。


 昨日の夜、結界が持ったからだ。

 魔物が村に入らなかったからだ。


 その事実が、村の朝を守っていた。


 俺は井戸へ向かった。


 広場の井戸の前には、すでにガンツが立っていた。

 太い腕を組み、眉間にしわを寄せている。

 昨日と同じく不機嫌そうな顔だが、足元には工具箱が置かれていた。


「遅いぞ、小僧」


「すみません。まだ朝だと思っていました」


「職人の朝は夜明け前からだ」


 そう言いながら、ガンツは工具箱を足で軽く押した。


「使えそうなものを持ってきた。井戸を開けるんだろう」


「はい。助かります」


「礼は直してから言え」


 相変わらず厳しい。

 けれど、昨日とは少し違う。


 少なくとも、俺を追い返そうとはしていない。


 ミラも少し遅れてやってきた。

 その後ろにはポロがいる。

 ポロは両手で小さな木箱を抱えていた。


「兄ちゃん、これ使う?」


 木箱の中には、古い釘や金具、短い鎖、丸い留め具が入っていた。


「父ちゃんが残してたやつ。井戸に使えるかもしれないって」


「見せてもらっていい?」


「うん!」


 木箱の中を覗く。

 古いものばかりだが、捨てたものではない。

 一つ一つ、何かに使うつもりで取っておかれた部品だ。


 その中に、細い真鍮の輪があった。


 俺はそれを指でつまみ、軽く弾いた。


 りん。


 悪くない音だ。


「これ、使えるかもしれない」


「本当?」


「うん。ありがとう、ポロ」


 ポロの顔がぱっと明るくなった。


 その表情を見て、胸が少しくすぐったくなる。

 部品を一つ選んだだけで、こんなに喜ばれるとは思わなかった。


「始めます」


 俺は井戸の縁に手を置き、目を閉じた。


 昨日よりもはっきり聞こえる。


 巻き上げ機の歯車。

 鎖の擦れ。

 桶の揺れ。

 石組みの奥を流れる、細い水の音。


 そして、もっと底の方。


 ひゅう。

 ひゅう。


 誰かが寒い場所で息をしているような音。


 井戸が泣いている。


 そう思った。


「まず、上の巻き上げ機を外します。ガンツさん、木枠を支えてもらえますか」


「分かった」


「ミラさんは、外した部品を布の上に並べてください。順番が分からなくなると戻せません」


「はい」


「ポロは、井戸の中を覗き込みすぎないように。落ちたら大変だから」


「うん。でも見たい」


「少し離れて見るならいいよ」


 作業が始まった。


 ガンツが木枠を支え、俺が留め金を外す。

 ミラが部品を並べ、ポロがその横で目を輝かせている。


 一人でやるより、ずっと早い。

 それに、怖くなかった。


 昨日までの俺は、何かを直すとき、いつも一人だった。

 失敗したら怒られる。

 時間がかかったら邪魔者扱いされる。

 だから、人の目がある場所で作業するのは苦手だった。


 でも今は違う。


 ミラは真剣に部品を並べてくれる。

 ポロは、必要な布を走って取ってきてくれる。

 ガンツは不機嫌そうにしながらも、俺が言う前に木枠の傾きを直してくれる。


 誰かが手を貸してくれるだけで、音はこんなに聞き取りやすくなるのか。


「止めるぞ」


 ガンツが言った。


 巻き上げ機の内側にあった主軸が姿を見せる。

 木と金属を組み合わせた古い作りだ。


 俺は主軸に耳を近づけた。


 ぎ。

 ぎい。

 ……から。


「軸が痩せています。木が乾いて、金具との間に隙間ができてる」


「取り替えるか?」


「全部取り替えると一日では終わりません。今日は真鍮の輪で隙間を埋めて、油を薄く回します」


「応急処置ばかりだな」


「今の村に必要なのは、まず毎日使えることです。完全修理は、その後で」


 そう言うと、ガンツが少しだけ黙った。


 怒られるかと思った。


 だが、彼は低く笑った。


「悪くない考えだ。立派な工具を揃えるより、今日の水だな」


「はい」


 真鍮の輪を削り、主軸の隙間に合わせる。

 ポロが持ってきた部品は、少し厚すぎた。

 だから、ガンツが小さなやすりで削ってくれた。


 火花も出ない地味な作業だ。

 でも、輪の音が少しずつ変わっていく。


 かた。

 かたり。

 ……りん。


「そこで止めてください」


 俺が言うと、ガンツは手を止めた。


「今のでいいのか?」


「はい。一番近いです」


「見てもいないのに、よく分かる」


「音が合ったので」


「便利な耳だ」


 褒められたのか、呆れられたのか分からない。

 ただ、少なくとも馬鹿にはされていなかった。


 輪をはめ、軸を戻す。

 鎖の角度を調整する。

 桶をゆっくり下ろし、巻き上げる。


 井戸は、昨日よりずっと静かに動いた。


 ポロが手を叩く。


「すごい! 昨日より軽い!」


「まだ終わりじゃない」


 俺は井戸の底を覗き込んだ。


 水面は暗い。

 朝の光が届ききらず、底の方は黒く沈んでいる。


 けれど、音は聞こえる。


 ひゅう。

 ひゅう。


 泣いている音は、まだ残っていた。


「……水が少ない」


 俺が呟くと、ミラが隣に来た。


「やっぱり、分かりますか」


「以前はもっと水位が高かったんですか?」


「はい。子どもの頃は、桶を下ろすとすぐ水に触れました。でも三年前くらいから少しずつ深くなって、去年の冬からは何度も止まるようになりました」


「他の井戸は?」


「村に井戸はここだけです。昔は川からも水を引いていましたが、水車小屋が止まってから、水路も使えなくなりました」


 水車。


 止まったままのそれが、井戸と無関係だとは思えなかった。

 むしろ、井戸の音を聞けば聞くほど分かる。


 問題は、もっと下にある。

 リント村の水が巡る、その根っこの部分に。


「井戸の底に、魔力を通す石がありますか?」


 俺が尋ねると、ミラは首を傾げた。


「分かりません。そんな話は聞いたことが……」


「ある」


 答えたのはガンツだった。


 俺とミラが振り向く。


 ガンツは井戸の縁に手を置き、苦い顔をした。


「昔、この村には水脈石があった。井戸の底に沈めて、水の流れを安定させる石だ。俺が若い頃には、まだ職人が点検していた」


「今は?」


「職人が死んだ。後を継ぐ者もいなかった。鐘が鳴らなくなった頃から、井戸も水車も少しずつおかしくなった」


 ミラの表情が曇る。


「そんな大事なこと、どうして誰も」


「言ったところで、直せる者がいなかった」


 ガンツの声は低かった。


「直せないものを前にすると、人はだんだん見ないふりをする。井戸も、水車も、鐘もな」


 その言葉に、誰もすぐには返せなかった。


 俺はもう一度、井戸の底に耳を澄ませた。


 ひゅう。

 ひゅう。

 こつん。


 弱い音が混じった。


 石だ。

 水の底で、何か硬いものが揺れている。


 しかも、ただ割れている音ではない。


 ずれている。

 水脈石が、本来あるべき場所から少し外れている。


「水脈石、まだ生きています」


 俺は言った。


 ガンツの目が鋭くなる。


「本当か」


「はい。ただ、位置がずれているせいで、水の流れをうまく受けられていません。それに、表面に泥か根が絡んでいます」


「引き上げる必要があるか?」


「今すぐ引き上げるのは危険です。石が水脈から完全に外れたら、井戸がもっと弱るかもしれません」


「では、どうする」


 ガンツが問う。


 俺は少し考えた。


 頭の中で、音を組み立てる。

 水の流れ。

 石の位置。

 井戸の深さ。

 使える部品。

 村の人数。

 今日中にできること。


「石を引き上げるのではなく、少しだけ向きを戻します。長い棒の先に輪をつけて、石の側面を押す。力で動かすんじゃなくて、水の流れに合わせてずらすんです」


「失敗したら?」


「石が完全に寝ます。そうなると、水はもっと細くなると思います」


 ミラが息を呑んだ。


 ポロも不安そうに俺を見る。


 言わなければよかったかもしれない。

 でも、危険を隠して作業するわけにはいかなかった。


「成功したら?」


 ミラが聞いた。


「水位がすぐ戻るわけではありません。でも、井戸の泣いている音は止まると思います」


「泣いている音……」


 ミラが井戸を見下ろす。


「この井戸、泣いているんですか?」


「俺には、そう聞こえます」


 広場に静かな風が通った。


 ポロが井戸の縁をそっと撫でた。


「ごめんね」


「ポロ?」


「ずっと水を出してくれてたのに、痛かったのかなって」


 その一言で、俺は胸の奥が詰まった。


 道具は物だ。

 井戸も、石も、鐘も、人ではない。


 それでも、壊れかけたものに耳を澄ませると、何かを訴えているように聞こえる時がある。


 まだ使える。

 苦しい。

 気づいてほしい。

 もう少しだけ、直してほしい。


 俺は、そういう音をずっと聞いてきた。


 けれど、それを分かってくれる人はほとんどいなかった。


 この村には、いるのかもしれない。


「ガンツさん、長い棒を作れますか。先端に真鍮の輪を固定したいです」


「すぐ作る」


「ミラさん、井戸の周りに人が近づきすぎないようにしてください。ポロは、乾いた布を多めに」


「分かりました」


「うん!」


 村が動き出す。


 ガンツが鍛冶場へ走り、ミラが村人に声をかけ、ポロが集会所へ駆けていく。

 俺は井戸の前で、もう一度音を確認した。


 ひゅう。

 ひゅう。

 こつん。


 大丈夫。


 まだ、間に合う。


 しばらくして、ガンツが長い棒を担いで戻ってきた。

 先端には、磨かれた真鍮の輪がしっかり固定されている。


「急ごしらえだが、折れはしない」


「ありがとうございます」


「礼は成功してからだと言っただろう」


「はい」


 俺は棒を受け取り、井戸の底へゆっくり下ろした。


 重い。

 深い。

 手のひらに、木の震えが伝わってくる。


 水に触れた。

 そこからさらに沈める。


 何も見えない。

 だから、音だけを頼りにする。


 こつ。


 先端が何かに触れた。


 水脈石だ。


 俺は棒を押さえたまま、息を止めた。


 ひゅう。

 こつん。

 ひゅう。


 違う。

 この角度ではない。


 少し右。

 いや、右ではなく、流れの上手。


「エイルさん……?」


 ミラの声が遠く聞こえる。


「少し静かに」


 俺は目を閉じた。


 雨上がりの雫。

 村人の息。

 ポロが握りしめている布の擦れる音。

 ガンツの靴が土を踏みしめる音。


 全部を遠ざけて、井戸の底だけを聞く。


 ひゅう。

 ひゅう。

 こつん。


 ここだ。


 俺は棒をほんの少し押した。


 重い手応え。

 石は動かない。


 もう少しだけ力を入れる。


 だめだ。

 押しすぎると倒れる。


「ガンツさん、後ろを支えてください。でも、押すのは俺の合図で」


「分かった」


 ガンツの大きな手が棒を支える。


 安定した。


「今です。少しだけ」


 二人で力をかける。


 こつ。

 こつん。


 石が揺れた。


 その瞬間、井戸の底から大きな濁った音が上がってきた。


 ごぼ。


 水面が揺れる。

 ポロが小さく悲鳴を上げた。

 ミラが井戸の縁を掴む。


「エイル!」


 ガンツが叫ぶ。


「まだです!」


 俺は棒を離さなかった。


 水脈石が倒れかけている。

 でも、完全には寝ていない。

 流れの音が変わった。

 泣き声のような細い音の奥に、別の音がある。


 さら。


 水が走る音。


 そこへ合わせればいい。


 俺は棒の角度をわずかに引いた。

 押すのではなく、支える。

 石が水の流れに乗って、自分で起き上がるのを待つ。


 長い数秒だった。


 誰も動かなかった。


 やがて。


 りん。


 井戸の底から、澄んだ音がした。


 水面が静かに盛り上がる。

 黒く沈んでいた底の方から、透明な流れが湧くように広がった。


 ひゅう、という泣き声は、もう聞こえない。


 代わりに、細く、確かな水の音が響いていた。


「……戻った」


 俺は棒を引き上げながら呟いた。


 腕が震えていた。

 力を入れ続けていたせいで、指先の感覚が薄い。


 ガンツが棒を受け取ってくれた。


「水を汲んでみろ」


 ポロがすぐに桶を下ろした。


 昨日より、明らかに早く水に触れる音がした。


「あっ!」


 ポロが叫ぶ。


「すぐ水についた!」


 巻き上げた桶には、昨日よりも冷たく澄んだ水が入っていた。


 ミラがその水を見つめる。

 唇が少し震えていた。


「子どもの頃の井戸みたい……」


 村人たちが、少しずつ集まってくる。

 誰かが手を合わせた。

 誰かが笑った。

 誰かが、声を出さずに泣いていた。


 俺はただ、井戸の音を聞いていた。


 もう泣いていない。

 まだ弱いけれど、きちんと息をしている。


「エイルさん」


 ミラが俺に向き直った。


「この井戸を直してくれて、ありがとうございます」


「まだ完全ではありません。水脈石の表面の泥を取る方法も考えないといけませんし、水車が止まっているなら水の巡りも悪いはずです」


「それでも、今日、井戸は戻りました」


 ミラはそう言って、両手で小さな革袋を差し出した。


 昨日、彼女の机の上にあった銅貨の袋だ。


「少ないですが、今回の修理代です」


「でも、村のお金は」


「払わせてください」


 ミラの声は、静かだった。


「リント村は、ずっと壊れたものを我慢してきました。直せないから仕方ない、貧しいから仕方ない、辺境だから仕方ないって。でも、ちゃんと直してもらったものに、ちゃんとお金を払わない村にはなりたくありません」


 俺は、革袋を見つめた。


 銅貨の音がする。

 多くはない。

 でも、昨日レオルに投げられた革袋とは、まったく違う音だった。


 これは、追い払うためのお金ではない。


 仕事への対価だ。


 受け取っていいのか、迷った。

 けれど、受け取らないことは、ミラの言葉を軽く扱うことになる気がした。


 俺は両手で革袋を受け取った。


「ありがとうございます」


 ミラは、ほっとしたように笑った。


 ガンツが横から鼻を鳴らす。


「小僧」


「はい」


「明日は水車を見るぞ」


「明日、ですか?」


「井戸が泣き止んだなら、次は水車だ。水の巡りが悪いままでは、また井戸に負担がかかる」


 その通りだった。


 井戸だけ直しても、村全体の水の流れが止まっているなら、同じ問題はまた起きる。


「分かりました。見ます」


 ポロが嬉しそうに跳ねた。


「水車が動いたら、粉ひきできる?」


「たぶん」


「そしたら、パンが焼ける?」


 ミラが小さく笑う。


「麦があればね」


「じゃあ、麦も増やさなきゃ!」


 ポロの声に、村人たちの間から笑いが起きた。


 久しぶりに笑ったような、少しぎこちない笑いだった。

 でも、それは確かに村の音だった。


 その時、俺の耳に、また別の音が届いた。


 から。

 からん。


 広場の向こう。

 止まった水車小屋の方角。


 乾いた骨が、風に揺れるような音。


 井戸が泣き止んだせいで、今度は水車の音がはっきり聞こえたのだ。


 俺は水車小屋の方を向いた。


 苔むした屋根。

 止まったままの大きな羽根。

 雨上がりの朝の中で、その影だけが古い時間に取り残されている。


 からん。


 もう一度、音がした。


 それは、助けを求める音というより。


 忘れられたことを怒っている音に聞こえた。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、井戸の本格修理回でした。

エイルはただ壊れた部品を直すだけではなく、リント村そのものが抱えている問題に少しずつ気づき始めます。


次回は、止まった水車小屋へ。

井戸が泣き止んだことで、今度は忘れられていた水車の音が聞こえ始めます。


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