表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/49

第26話 水車、目を覚ます

 水車に新しい軸を入れる朝、リント村はいつもより静かだった。


 誰も大声を出さない。

 誰も急がない。

 それでも、村全体が水車小屋の方へ耳を澄ませているような空気があった。


 水車が回るかもしれない。


 その期待が、道の端にも、井戸の水音にも、家々の窓にも、薄く広がっている。


 俺は水車小屋の前で、昨日までに整えた軸材を見ていた。


 水守の印が刻まれた木。

 一晩休ませ、朝の音を聞き、軸受け金具と水路革で受け方を合わせたものだ。


 叩く。


 こん。


 低く、まっすぐな音が返ってくる。


 昨日のねじれは、もう悪い音ではなかった。

 軸受けに合わせることで、木の癖として落ち着いている。


「どうだ」


 ガンツさんが聞く。


「大丈夫です」


「なら入れる」


 短い言葉だった。


 けれど、その重さに、周りの村人たちが一斉に息を整えた。


 ミラは手順書を開いている。

 今日の作業順は、彼女が読み上げることになっていた。


 ポロは少し離れた場所で、絵入り手順書を抱えている。

 ハンナさんは水路のそばで、足元と水量を見る役だ。

 若者たちは軸材を支えるために待機している。


 リント村修理工房として、初めての大きな共同作業だった。


 ミラが声を出す。


「水車本取り付け手順を確認します」


 その声は、広場で村人に指示を出す時より少し緊張していた。

 けれど、はっきり聞こえた。


「一、影車の周りに泥や落ち葉がないか確認する。

 二、影車へ細い水を通す。

 三、影車が動き、北の結界石が応えることを確認する。

 四、水車本体の古い軸を外し、新しい軸材を入れる。

 五、軸受け金具と水路革の位置を確認する。

 六、水車本体へ、ごく少量の水を通す。

 七、一回転ごとに音を確認する。

 八、異音があればすぐに水を止める」


 ポロが絵入り手順書を掲げた。


「ちいさいおとをきいてから、おおきくうごかす!」


 村人たちが小さく頷く。


 もう、ただの子どもの言葉ではなかった。

 この村で水車を動かすための、大事な約束になっていた。


 最初は影車だ。


 ハンナさんが水路の小板を少しだけ開ける。


 さら。


 細い水が、影車の小さな羽根に触れた。


 こ、と。


 影車が回る。


 北の結界石が、淡く光る。


 りん。


 いい音だ。


「影車、正常。北の結界石、反応あり」


 俺が言うと、ミラが記録した。


「影車、正常。北結界石、安定」


 次に、古い軸を外す。


 今まで水車を仮に支えていた古い軸は、すでに限界だった。

 水を少し受けるだけなら持つ。

 だが、本格的に回せば割れる。


 ガンツさんが古い金具を外す。


 かり。

 かり。


 古い軸が、低く鳴った。


 ぎ。


 痛む音だった。


 けれど、昨日までより穏やかにも聞こえた。

 役目を終えることを、分かっているような音。


「長く持ったな」


 ガンツさんが小さく言った。


 誰に聞かせるでもない声だった。


 俺も古い軸に手を当てた。


「お疲れさまでした」


 ポロが真似をして、少し離れた場所から頭を下げる。


「お疲れさまでした」


 若者たちも、少し照れくさそうに黙って頭を下げた。


 ガンツさんは何も言わなかった。

 ただ、古い軸を乱暴に投げたりはしなかった。

 布の上へ静かに置いた。


 次に、新しい軸を入れる。


 水守の印が刻まれた軸材を、村人たちが慎重に持ち上げる。


「ゆっくりです」


 ミラが言う。


「足元、右に石があります」


 ハンナさんが声をかける。


「ポロ、そこから先は入らない」


「入らない!」


 新しい軸は、水車の中心へ近づいていく。


 木材の重さが、村人たちの腕にかかる。

 誰か一人が急げば、傾く。

 誰か一人が遅れれば、軸受けに当たる。


「少し下げてください」


 俺は音を聞きながら言った。


「右端、もう少し上です。はい、そこで止めて」


 ガンツさんが軸受け金具の位置を見る。


「水路革は」


「合っています。ただ、右下を少し広く受けてください」


「分かった」


 ガンツさんが金具を押さえる。


 かち。


 軸が軸受けに乗った。


 俺は耳を澄ませた。


 軸材。


 こん。


 軸受け金具。


 かち。


 水路革。


 たん。


 水車の羽根。


 こ。


 悪くない。


 まだ回していない。

 けれど、音の座りはいい。


「入りました」


 俺が言うと、周囲に小さな安堵が広がった。


 ポロが両手を握りしめる。


「水車、入った?」


「軸は入りました」


「じゃあ、回る?」


「これからです」


「これから……」


 ポロは緊張した顔で水車を見上げた。


 水車本体へ水を通す前に、もう一度影車を確認する。


 こ、と。


 りん。


 影車、北の結界石、どちらも安定。


 ミラが手順書を読み上げる。


「次、水車本体へごく少量の水を通します。一回転ではなく、まず羽根が動く程度です」


 水路係の若者が頷く。


「開けます」


 水が、少しだけ増えた。


 さら。


 水車の羽根に、水が触れる。


 水車はすぐには動かなかった。


 重い。

 長く止まっていたものが、急に動くはずはない。


 木が水を受ける。

 羽根が力を受ける。

 軸がその重さを受ける。

 金具が軸を支える。


 全てが、ゆっくり目を覚ます準備をしている。


 こ。


 水車が小さく鳴った。


 軸材が応える。


 こん。


 北の結界石が、淡く光る。


 りん。


「まだ水は増やさないでください」


 俺が言うと、水路係がすぐ頷いた。


「はい」


 以前なら、ここで誰かが焦って水を増やしたかもしれない。

 だが、今は手順書がある。

 ミラが読み上げ、ポロの絵があり、村人たちが見ている。


 小さい音を聞いてから、大きく動かす。


 その約束が、みんなを止めてくれていた。


 水車が、もう一度鳴る。


 こ。


 羽根が、ほんの少し動いた。


 ポロが息を呑む。


「動いた……」


「まだです」


 ガンツさんが低く言う。


「声を出すな。音を聞け」


 ポロは両手で口を押さえた。


 水車の羽根が、少しずつ水を受ける。


 軸が重さを受ける。


 かち。


 軸受け金具が鳴る。


 悪い音ではない。

 ただ、まだ硬い。


「下の当たりが少し硬いです。でも、危険ではありません」


「回せるか」


 ガンツさんが聞く。


「半回転だけ」


「水量、一段階増やす」


 ミラが確認する。


「影車、北結界石、異常なし。水量一段階増加」


 若者が水路板を少し動かす。


 水が増える。


 水車の羽根が、今度ははっきりと押された。


 ぎ。


 一瞬、嫌な音がした。


「止めて!」


 俺が叫ぶ。


 水路係がすぐに板を戻した。


 水が細くなる。


 水車は、半分も回らないまま止まった。


 村人たちの間に緊張が走る。


 ポロの顔が青くなった。


「壊れた?」


「まだ壊れていません」


 俺は水車へ近づき、軸受けの音を聞いた。


 ぎ、と鳴ったのは軸材ではない。

 金具でもない。


 水車の羽根の一枚だ。


 古い羽根が、水を受けた瞬間に軸へ引っ張られ、少しだけ歪んだ。


「羽根です」


 俺が言うと、ガンツさんがすぐに水車の外周を見た。


「三番羽根だな」


「はい。水を受ける面が少し浮いています」


「軸を替えたことで、羽根の癖が出たか」


「たぶん」


 ミラがすぐに記録する。


「試し回し一回目。水量一段階増加時、三番羽根に歪み音。即時停止。軸材、軸受けに異常なし」


 ポロがまだ不安そうに水車を見ている。


「羽根、直せる?」


「直せます」


 ガンツさんが短く言った。


「今すぐですか?」


「応急ならな。羽根板を締め直す」


 水車の羽根は、完全に駄目になっているわけではなかった。

 ただ、長く止まっていたため、板の一部がわずかに反っていた。

 弱い水では問題が出なかったが、新しい軸で力がまっすぐ通ったことで、反りが音になったのだ。


 ガンツさんが金具を締め直し、俺が音を聞く。


 かん。

 こ。

 ……こ。


「まだ少し浮いています」


「ここか」


「はい。強く締めすぎないでください。板が割れます」


「分かっている」


 かん。


 音が落ち着いた。


「合いました」


 ハンナさんが息を吐く。


「やっぱり、一つ直すと別のところが出てくるね」


「そうですね」


 俺は頷いた。


「でも、今見つかってよかったです」


 ミラがその言葉を書き留める。


「本格回転前に見つかってよかった……」


 ガンツさんが少しだけ眉を上げた。


「それも記録か」


「はい。考え方として大事です」


「まあ、そうだな」


 二度目の試し回しが始まった。


 影車。


 こ、と。


 北の結界石。


 りん。


 水車本体へ少量の水。


 こ。


 水量を一段階増やす。


 水車の羽根が、ゆっくり動く。


 こ……と。


 半回転。


 止まらない。


 軸受け。


 かち。


 軸材。


 こん。


 三番羽根。


 こ。


 悪い音はない。


「半回転、通りました」


 俺が言うと、ミラが記録した。


「二回目、半回転成功」


 ポロの目が輝く。


「半分!」


「まだ声を抑えろ」


 ガンツさんが言う。


「はい!」


 小声なのに元気だった。


 次は、一回転。


 ミラが手順書を読む。


「半回転後、軸受け、羽根、影車、北結界石を確認。異常がなければ、一回転へ進む」


「異常なし」


 俺は答えた。


 水路係が少しだけ水を増やす。


 水車が動く。


 こ……とん。


 ゆっくりと、一枚目の羽根が下がる。

 二枚目が水を受ける。

 三枚目が通る。

 四枚目が軸へ力を送る。


 軸材が鳴る。


 こん。


 軸受けが受ける。


 かち。


 影車が先に合図を出す。


 こ、と。


 北の結界石が応える。


 りん。


 水車が、一回転した。


 こ、とん。


 その音が聞こえた瞬間、誰も動かなかった。


 リント村の水車が、新しい軸で一回転した。


 ただ一回。

 それだけだ。


 でも、その一回のために、どれだけの音を聞いてきただろう。


 井戸。

 水路。

 水守の記録。

 影車。

 北の結界石。

 軸材。

 軸受け。

 羽根。


 全部がつながって、今の一回転になった。


「一回転、成功」


 俺が言うと、ミラの手が震えた。


 それでも、彼女は帳面に書いた。


「一回転、成功」


 ポロが小さく跳ねた。


「一回!」


 ハンナさんが笑いながら、ポロの肩を押さえる。


「まだ跳ねすぎない」


「でも一回!」


「分かるよ」


 ハンナさんの声も少し震えていた。


 ガンツさんは水車を見上げている。


 その顔はいつも通り険しい。

 けれど、目は少しだけ柔らかかった。


「次だ」


 彼は言った。


「三回転まで見る」


 三回転。


 まだ完全ではない。

 けれど、一回転できたなら、次へ進める。


 手順書通り、確認する。


 影車。

 北の結界石。

 軸受け。

 軸材。

 羽根。


 異常なし。


 水を少し増やす。


 水車が回る。


 こ、とん。


 一回。


 こ、とん。


 二回。


 こ、とん。


 三回。


 止まらない。


 音が少しずつ整っていく。


 最初は重かった。

 次に硬かった。

 そして今、ようやく水を受ける道具の音になり始めている。


「三回転、成功」


 俺が言った瞬間、ポロが今度こそ声を上げた。


「回った!」


 村人たちの間に、笑い声と拍手が広がった。


 ミラも帳面を胸に抱え、目を潤ませている。

 ハンナさんは水車を見上げ、何度も頷いていた。


 水車はまだ、ゆっくりと回っている。


 こ、とん。

 こ、とん。


 仮回転ではない。

 完全な本稼働でもない。


 目を覚ましたばかりの音だ。


「水量を戻せ」


 ガンツさんが言った。


 若者が水路板を戻す。


 水車の動きがゆっくりになり、やがて止まった。


 止まった後も、余韻が残っていた。


 こ……。


 軸材の中に、水車の音が染み込んだようだった。


 俺は軸材に手を当てる。


 こん。


 朝とは違う。


 水を受けた音が、少しだけ入っている。


「軸が水車の音を覚え始めています」


 俺が言うと、ポロが目を丸くした。


「木が覚えるの?」


「そんな感じです」


「じゃあ、毎日少しずつ覚える?」


「はい。たぶん」


「水車、勉強中だ」


 ポロの言葉に、みんなが笑った。


 ミラは真面目に記録する。


「新軸材、水車の音に馴染み始める。ポロ表現、水車、勉強中」


「それも書くの!?」


 ポロが驚く。


「分かりやすいので」


 ガンツさんが低く笑った。


「悪くない」


 その後、何度か短い試し回しをした。


 一回転。

 三回転。

 少し休ませる。

 また一回転。


 水車を疲れさせないように。

 軸材を慣らすように。

 北の結界石が驚かないように。


 影車は、そのたびに小さく鳴った。


 こ、と。


 北の結界石は安定して応える。


 りん。


 水車本体は、少しずつ音を整えていく。


 こ、とん。


 昼を過ぎた頃、ガンツさんが作業終了を告げた。


「今日はここまでだ」


「もっと回さないの?」


 ポロが聞く。


「回さない」


「回ったのに?」


「回ったから止める」


 ガンツさんの言葉に、ポロは首を傾げた。


 俺が説明する。


「今日たくさん回しすぎると、軸や羽根が疲れます。目を覚ましたばかりなので、少しずつ慣らします」


「寝起きだから?」


「そうです」


「水車、寝起き」


 ポロは納得したように頷いた。


 ミラが書こうとして、ポロに止められた。


「今のは書かなくていい!」


「分かりました」


 ミラは少し残念そうだった。


 ハンナさんが水車小屋の中を見た。


「挽き石は、まだ見てないね」


「はい」


 俺は頷いた。


「水車が回っても、粉を挽く石が悪ければ、麦はうまく挽けません」


「じゃあ、パンはまだ?」


 ポロが聞く。


「まだです」


「でも、近づいた?」


「かなり近づきました」


 ポロの顔が明るくなる。


「かなり!」


「はい。今日は、大きい少しです」


 ポロは両手を上げた。


「大きい少し!」


 村人たちが笑った。


 水車が回った。

 それだけで、村の空気が少し変わっていた。


 まだ粉は挽いていない。

 パンも焼けていない。

 修理も完全ではない。


 それでも、止まっていたものが動いた。


 その事実は、村人たちの背中を少し伸ばしてくれた。


 夕方、工房ではミラが今日の手順を清書した。


『水車試し回し手順』

 一、影車を確認する。

 二、北の結界石の光を確認する。

 三、水車本体へ少量の水を通す。

 四、半回転で止めて音を聞く。

 五、一回転で止めて音を聞く。

 六、三回転で止めて音を聞く。

 七、異音があればすぐ水を止める。

 八、初日は回しすぎない。


 その横に、ポロの絵が貼られた。


『水車、目を覚ます』

『いきなり走らせない』

『ねおきは、ゆっくり』


 ガンツさんがそれを見て、しばらく黙った。


「最後のは……まあ、分かりやすい」


 ポロが嬉しそうに笑った。


「採用?」


「子ども用ならな」


「やった!」


 俺は水車小屋の方へ耳を澄ませた。


 水車は止まっている。

 でも、完全な沈黙ではない。


 こ。


 木の奥に、今日の回転の余韻が残っている。


 それは、目を覚ましたばかりの水車が、もう一度回る時を待っている音だった。


 夜になる前、俺は一人で水車小屋へ戻った。


 ミラも気づいてついてきた。

 手には帳面。

 何も言わず、少し後ろに立っている。


 水車の前で、俺は静かに耳を澄ませた。


 影車。


 こ、と。


 北の結界石。


 りん。


 新しい軸。


 こん。


 水車本体。


 こ。


 全部が、弱いながらもつながっている。


「明日は、挽き石ですね」


 ミラが言った。


「はい。水車が回っても、粉を挽く石を見ないと」


「また、直すものが増えましたね」


「そうですね」


 俺は少し笑った。


「でも、嫌ではありません」


 ミラも小さく笑う。


「私もです。記録することは増えましたけど」


「無理はしないでください」


「それは、エイルさんもです」


「はい」


 水車の羽根が夜風で少し揺れた。


 こ。


 その音は、もう泣いていなかった。


 眠っていたものが起きて、まだ少し体を慣らしている音だ。


 俺は水車へ軽く手を当てた。


「おはようございます」


 自分でも少し変な言葉だと思った。


 けれど、ミラは笑わなかった。


 彼女は帳面に、静かに一行を書いた。


『水車、目を覚ます。』


 その日の記録は、それで締めくくられた。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、ついに水車が新しい軸で回る回でした。


影車、北の結界石、軸受け、軸材、羽根。

一つずつ確認しながら、半回転、一回転、三回転と段階的に進めています。


水車は完全復旧ではなく、まだ「目を覚ました」段階です。

次は、麦を挽くための挽き石を確認します。


ポロの待つ「大きなパン」まで、あと少しです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ