最終話
それから数日……ムーシュさんは生死の境をさまよった。
その間、俺は生きた心地がしなかった。
「ん…っ……」
「ムーシュさん!」
容態が落ち着き始めた頃、ムーシュさんはやっと目を覚ました。ベッドの傍に椅子を置いて腰かけていた俺は、思わず立ち上がる。
ベッドの上に横たわっているムーシュさんは、ぼんやりと視線をさ迷わせていた。俺の姿を捉えると、柔らかく微笑む。
「サーナ……」
「ムーシュさん……よかったっ!」
俺の目から自然と涙が溢れる。泣きながら、でも努めて気丈に笑った。
「もう大丈夫です、悪魔は魔祓いしました」
「……そうか。迷惑をかけて、本当にすまなかった」
ムーシュさんは悲痛そうな、それでいて悔しげな表情だ。己の失態を恥じているのかもしれない。
「悪魔に憑依されている間の記憶があるんですか?」
「ああ。ぼんやりとだが……兄上やみなにも迷惑をかけてしまったな。みんなは無事か? 野盗たちもどうなった?」
「みんなは無事だよ。野盗たちも捕縛した。ただ……用心棒の人は怪我をして、養生中だけど……」
俺はそっと沈痛な面持ちで目を伏せた。なにせ、用心棒の人を斬ったのは野盗とはいえ、悪魔に憑依されたムーシュさんがけしかけたらしいから。
「そう、か……」
ムーシュさんは歯噛みし、ベッドの上にある拳をきつく握り締める。きっと、自分のせいで国民が傷付いたことに罪悪感を抱いているんだろうと思う。
重い沈黙が下りた。
俺は、その拳を上から包み込むように握り締める。
「ムーシュさん、好きだよ」
「え?」
唐突な俺の言葉に、ムーシュさんは虚を突かれた顔をする。
俺は静かに、訥々と続けた。
「ムーシュさんが死ぬかもしれないと思ったら、怖かった。もっとムーシュさんの傍にいればよかった、想いに応えておけばよかったって、本当に後悔した。伝えたいって言っていたのはこのこと」
「……」
ムーシュさんは浮かない顔だ。もしかしたら……こんな状況で、そしてこんな罪を犯してしまった自分が、好きな人から想われることを受け入れられないのかもしれない。
ムーシュさんは……真面目で誠実な人だから。
「これから一緒に生きよう。俺、傍でムーシュさんのことを支えたい」
「サーナ……だが、俺は」
「関係ない。一緒に支え合って死ぬまで一緒にいたい。ダメか?」
「…っ……」
ムーシュさんは手で顔の片側を覆った。その怜悧な目から涙が滑り落ちる。
「ありがとう……サーナ」
ただ一言、そう言ってくれた。
「――ええ!? 隊長、騎士をおやめになるんですか!?」
ディトラさんが仰天して叫ぶ。
数週間後。
ムーシュさんの怪我があらかた回復し、仲間のみんなが面会にきた。まだベッドの上にいるムーシュさんを囲むように四人は立っている。
「どうしてですか! また一緒に戦いましょうよ!」
ディトラさんが言うと、クロイツさんが無言でぺしりとディトラさんの頭を叩いた。
「やめろ、ディトラ」
「ああ。隊長がお決めになったことだ」
ザルフェさんが重々しい顔でディトラさんを諭す。
ヴァルガさんも悲しげな顔を伏せ、沈黙したままだった。
「はぁ!? なんでだよ! みんなだってもっと一緒にいたいだろ!」
納得いかなそうに喚くディトラさん。
「分からないのか、ディトラ。隊長のお気持ちが」
クロイツさんが真剣な表情で、ディトラさんに真正面から伝える。
「市民を傷付け、迷惑をかけた責任を感じているんだよ。そのけじめとして騎士をやめるとおっしゃられている。……止められるわけがないだろ」
「そんなの俺だって分かってるよ!」
ディトラさんが大声で叫ぶ。
「あれは悪魔のせいだろ! だいたい、騎士だって一人の人間なんだから! 迷惑をかけることだってあるはずだ! 悪いと思っているんなら、これからたくさんの市民を守っていけばいい! ――違いますか、隊長!」
末尾の言葉は、ムーシュさんを正面から見つめ、投げかけたものだった。みんなははっとした顔をしている。
「また一緒に市民のために戦いましょうよ! 俺たちは隊長がいいんです! 隊長のいないこの隊なんてもう、やっていけません!」
「……」
ディトラさんの必死な主張に、黙って話を聞いていた俺も、胸が熱くなる。胸元をぎゅっと握り締めた。
そうだ。そうだよ。俺はムーシュさんの意思を尊重して決断を受け入れたけど……ディトラさんの言う通りでもあるはずだ。
ちらりと傍にいるムーシュさんを一瞥する。ムーシュさんは……俯き、唇を噛んでいた。
「……ありがとう。ディトラ」
「隊長! じゃあ……」
「気持ちは嬉しい。だが、やはり俺にはもう騎士である資格がないと思うんだ」
「!」
ディトラさんはショックを受けた顔をしている。それは説得が失敗したからか、それとも憧れの隊長がもう騎士の資格がないことか、あるいはその両方か。
沈黙の中、ムーシュさんは柔らかく微笑んだ。みんなを安心させるように。
「といっても、民を守るという俺自身の目標を捨てるわけじゃない。俺はこれから文官としてこの国を支え、多くの国民を守っていこうと思う」
「文官として……?」
「ああ。悪魔や魔についても、もっと上の立場から対処していきたい。それが結果的により多くの市民を救える道になる。……現場はお前たちに任せた」
「…っ……」
ディトラさんはようやく納得できたのか、くしゃりと顔を歪めた。こぼれ落ちる涙を隠すように腕を目元に当てる。
「はい…っ……!これまで ありがとうございました、隊長」
他のみんなも、礼儀正しく一礼する。いくつものすすり泣きが部屋に反響する。
俺も……涙腺が熱くなっていた。
この隊は解散することになる。でも、それで終わるわけじゃない。みんな、新しいスタートを切るんだ。
俺自身も含めて。
それから数ヶ月後――。
「ただいま、モカさん」
「おかえりなさいませ、サーナ様」
仕事を終えて家に帰ると、いつもと同じくプランターの土いじりをしているモカさんが笑顔で出迎えた。
「初出勤はどうでしたか?」
「緊張したけど、大丈夫だったよ。神学校ってあんなに荘厳な雰囲気なんだな」
「そうなんですね。聖職者を育てるための学校だからでしょうか」
「そうかも」
あれから俺は、神学校――聖職者養成機関の教師になった。ゾラムさんの口添えや、レオニー殿下の後押しがあって、就職できたんだ。
「ムーシュさんは? 帰ってきた?」
「まだです。たまには早く帰ってこられてもいいですのにね」
むすっとして膨れっ面のモカさん。多分、今日は『いい伴侶の日』だからだろう。
俺は苦笑いで返した。
「真面目な人だから。仕方ないよ。でも……働き過ぎて体調を壊さないか心配だよな」
「サーナ様はお優しすぎます。たまにはガツンと言いましょうよ。それにムーシュ様は鍛えておられますから、体調管理はきっと大丈夫です」
それは確かに、と思うものの、心配なものは心配だ。
モカさんと一緒に家に入ろうとした時のことだった。
「サーナ」
「あ、ムーシュさん!」
ちょうど、ムーシュさんも帰宅してきた。腕には……ん!? 赤い薔薇の花束がある。もしかして、お祝いの花束?
「おかえり。早かったな」
「仕事が早く片付いたから。いつも帰りが遅くてすまないな。この花束は、そのお詫びだ」
俺は花束を受け取りながら、首を傾げた。
「ありがとう。でも、お詫び? お祝いの花束じゃなくて?」
「お祝い? 今日は何かあるのか? サーナの誕生日は先月だったろう」
「俺の誕生日じゃない。今日は『いい伴侶の日』なんだよ。え、たまたまなのか? なんだ、そのミラクル!」
俺は「ぷっ」と吹き出す。声を立てて笑うと、後ろでモカさんも笑っていた。ちょっと呆れ気味ではあったけど。
ムーシュさんはきょとんとしていたけど、彼もまた優しげに笑む。
「よく分からないが、これからもよろしく」
「!」
――ちゅっ。
さりげなくキスをされて、俺は顔を真っ赤にした。なんだ、この不意打ち!
「い、いきなりやめてくれよ……! 恥ずかしいだろ……!」
苦言を呈しても、ムーシュさんは楽しそうに笑っているだけだった。
ムーシュさんの贖いの道はまだまだ続くけれど。
この平穏な生活がずっと続いたらいい。
――どうか、みんなの道が幸多いものでありますように。
ご愛読ありがとうございました!
都合のよりオメガバース設定は、意味のないものになってしまいました。すみません。




