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第3話

「だから、私は言っているの。誰かの妻として嫁ぐ事が至上の喜びなんて考えは(ふる)いんだって!」


「まあ、何て言い草ですかイリアス! そのような娘に育てた覚えはありませんよ!」


 今夜もまた、私とオライアさんとの言い合いが続く。

 不毛だ……。


 私が、この童話(シンデレラ)世界に降り立ってそろそろ2週間が経とうという頃。


 男性優位、男尊女卑を当たり前と考えるこの世界の価値観に対して一石を投じようと思い、石頭の『お母様(オライアさん)』に対して、強く反抗していたのだった。


 なんだか、こういうぶつかり合いの話って、戦前とか戦後すぐとかの日本にもありそうよね。


 私はまるで定番の『家』に歯向かう『お嬢様』のドラマを思い出しながら、喧々諤々(けんけんがくがく)と不毛な議論を繰り広げるのであった。


 ◆◆◆


「は~~~っ、つっかれた! 会社の上司と口喧嘩してるより疲れるわ、仮にも『母親』として接しなきゃいけないし」


 私は自室に帰り、ぐったりとベッドに倒れ込んだ。


 私は淑女(レディ)としての訓練、即ちダンスだのテーブルマナーだのを一切合切忘却した状態でこの肉体……『悪役令嬢イリアス』の身体に転移だか転生してしまった。


 私の役目が、それこそ童話よろしく単にシンデレラに嫌がらせをするだけのモノならそんな面倒な技術を覚える必要はなかったのだが、どうも私の過ごしているこの世界は、妙なところでリアリティに拘りたいらしい。

 王子様との舞踏会までの数ヶ月の間、社交界に出ても恥ずかしくない『元通りのイリアス・フォン・ハルフェブラット』として振る舞えるよう、連日連夜『お母様』からの再教育を施されているのだった。


 その様子に下の二人の妹であるクリスとシルヴァも半ば呆れ気味で、唯一私の味方をしてくれるのが本来は私に虐められる役回りである灰被り(シンデレラ)たるアーシェという奇妙な有様であった。


「やだやだ、何が悲しくて悪役令嬢(ヒール・レディ)の私がわざわざ王子なんかに射止められるための努力をせにゃならんのよ。オチは見えてんでしょーが」


 そう、この世界が童話通りのオチを迎えるなら、私の役目なんてせいぜいが恋の鞘当て、噛ませ犬である。


 そもそも、何度もしつこく言うが、私は王子と結ばれたくなどないのだ。

 それに、アーシェを王子と結婚させる気も全くない。


 私は、アーシェを本当の妹のように愛している。

 それが例え、元の世界で実妹である飛魚(とびうお)を愛し切れなかった事への代償行為だとしても。

 それがどんなに虚しい空回りだとしても。


 どうせ日本に戻れないなら、私は義妹(アーシェ)と一生、幸せに暮らしたい。

 それが私の第二のモチベーションだった。


「そのための第一歩として障壁になるのが、そもそもこの世界のカビくさい価値観なのよね」


 そうなのだ。


 大体、シンデレラの筋書きは基本的に『王子に射止められる事が至上の喜びである』というステロタイプなオールドスタイル・ハッピーエンド文法になぞらえたものである。

 そこが私は、一番気に入らない。

 そりゃ成立した時代が時代だから、その時代の価値観についてとやかく言う筋合いは、本来は全くないのかも知れないが。


 ともあれ、その旧態依然とした価値観に縛られている限り、私を王子に嫁がせたいというこの『家』の思惑は揺るがないだろう。

 故に『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』の喩えではないが、本丸であるところの『お母様』を口説き倒すところから開始せねばなるまいと考えたわけだ。


 ところがまあ、『お母様』は中世ヨーロッパで頭が立ち腐っているので、前述の通りの石頭っぷりで、何日説得しても議論は平行線を辿るばかり。

 この様子では私の寿命が尽きるのが先か、中世ヨーロッパの価値観に何らかのコペルニクス的転回が訪れるのが先かといったチキン・レースが繰り広げられるのは想像に難くない。


「どうしたもんかしらね」


 私は思い悩み、ベッドでごろごろと寝返りを打つ。この行動も淑女としては中々にはしたない。

 ……と、私がうんうん懊悩(おうのう)していると、コンコンッとノックをする音が聞こえた。


「はーい、いるわよー」


 私はおざなりに返事をする。お母様だったら面倒だが、あの人は大体声を先に掛けるので、恐らくメイドか妹のどっちかだろう。と私が油断していると……。


「やあ、お邪魔するよ。イリアス・フォン・ハルフェブラット嬢」


 見た事もない、精悍な顔つきの青年が入ってきた。服装からして、貴族か。


「……誰? 貴方」


 私は警戒心を最大に引き上げた。入室を許可したとはいえ、淑女の部屋に入ってくる男に、女として警戒しない訳がない。まあ、貴族の間でそのような狼藉(ろうぜき)を働く馬鹿者もおるまいが……。

 などと私が思案していると、青年は私にとんでもない事実を打ち明けた。



「僕はフリード。フリード・ヴィルヘイム二世という。この国の……ま、分かりやすく言えば『王子』だよ」



「……は……?」



 こ、こいつが、お……王子?


 ◆◆◆


「いきなり訪れて、悪かったね。驚かせてすまない」


「いや……別に……」


 私はメイドの淹れた紅茶を『王子』フリードと一緒に飲むフリをしつつ、相手を観察する。

 年の頃は18歳~20歳くらいか、整った顔立ちと利発そうな雰囲気。

 どう見ても、ボンクラ王子って感じでは、ない。


 ていうか。

 何をしに来た。


『王子様』ってのは、舞踏会でシンデレラをただ待ち受けるだけの受動的な男だろう。

 何故わざわざ『シンデレラの屋敷』へ、しかも本命たるシンデレラを外して『シンデレラを虐めるはずの悪役令嬢』の部屋に乗り込んできた。

 何が目的なんだ、この男。


 私がその不審な気持ちを顔全体に出していたためか、やおら紅茶をティー・カップに置くと、王子(フリード)は語り始めた。


「……実はね、君の噂を聞いたんだよ、君の母君からね」


「は……?」


 お母様(オライアさん)、何してくれてるの?


「それで、君と話をしたいと思ったんだ。君の、革新的な考えについて僕にも聞かせて欲しくてね」


「革新的……って、まさか、私が唱える『男女同権』について?」


 私は恐る恐る尋ねてみる。


「そう、それだよ。男女同権。面白い考えじゃないか」


「…………」


 私は目から鱗が落ちるような思いだった。

 と同時に、まるで金槌で頭をブン殴られたような衝撃があった。


 いや勿論、男女同権を男が肯定する、って事くらい、現代日本じゃ割と普通の考え方だ。


 とはいえ、私の育ち、即ち幼少期のトラウマの所為で『男』の持つ容姿至上主義(ルッキズム)への強烈な嫌悪感がある事と、更にこの世界観が『男尊女卑』を当たり前のモノとして受け入れている中世ヨーロッパ的な価値観に基づいている以上、その価値観の最右翼であろう国の王子なんてのが現れ、更にこんな事を言い出すという事実に、私は混乱して思考が停止してしまった。


「……どうしたの? イリアス・フォン・ハルフェブラット」

「……あぁ、いえ。その、く、国の王子ともあろう方が、まさか『男女同権』の価値観に賛同頂けるなんて、わたくしまるっきり想像していなかったものですから」


 私は慌てて淑女っぽい言葉遣いを取り繕う。


「よく言われるよ。僕は変わり者だ、ってね。君もそうなのだろう?」

「……」


 歯に衣着せない、というよりは。

 気さく……そう、これは、アレだ。


 敢えて今風に言うなら、陽キャ……って奴だ。


 いや、止めよう。

『王子』の品格が下がる気がする。


 私は私らしくない、まるで男を擁護するような考え方に至り……目の前にいる鷹揚(おうよう)で気の良い男性に心を許しつつある自分の気持ちに、徐々に自覚的になっていくのを感じた。


 ◆◆◆


 それから何時間か、フリードとは『男性の為すべきこと』『女性の在り方』等についての私見や議論を戦わせ、白熱しつつも充実したひと時を過ごした。

 やがてフリードは立ち上がり、言った。


「そろそろ帰らねば。公務もそれなりにあるのでね。今日は楽しかったよ、イリアス・フォン・ハルフェブラット……いや、イリアス」


 どきん。


 私の胸が跳ねる。

 な、何を考えているんだ、私は。


 目の前にいるのは、男だぞ……。

 女を容姿だけで判断する、男なんだぞ……。


 必死でそう自分に言い聞かせようとするが、彼の『容姿だけで判断するわけではない』部分は、この数時間で十二分に理解してしまった。そして私は気付く。


「ご機嫌よう、フリード王子様。舞踏会でお会いできるのを、楽しみにしていますわ」


 口が勝手にそう滑るのを止められない自分に。


 ◆◆◆


「……やってしまった……」


 私は自ら墓穴を掘った事に、激しく後悔していた。

 これでは、シンデレラから王子を寝取る『本物の悪役令嬢』ではないか。

 その行為が悪因悪果(あくいんあっか)となって破滅へ向かわない分、尚のことタチが悪い。


「ごめんなさい、アーシェ……私、貴女を裏切るような事を……」


 私はベッドに包まって、めそめそと泣いた。

 義妹(いもうと)に対する罪悪感、男に気を許した己の迂闊さを呪い、私は自らの身体を抱き締めるようにして眠りに就こうとする。しかし……


「うう……これからどうすれば……多分、王子とアーシェが近付かないようには出来たけど、このまま『良い感じ』の関係になったりでもしたら、アーシェに顔向けできない……どうにかしないと……」


 ぐるぐるとまとまりのない思考が私を苦しめ、とても眠れるような状態にはならなかった。


(つづく)


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