第2話
私がこの『シンデレラ』をベースにしたらしき童話のような世界に来て、3日目。
私は、精神的に疲弊していた。
主に、凄くどうでも良い事で。
「……顔の、見分けが、大変……」
そう。
西洋人の若い娘の顔など、私に殆ど区別がつかない。
2人の妹も、若いメイド達の顔も、十把一絡げで一様に美しく思えるが、その違いを具体的には認識できない。
そもそも日本人にとって、ハリウッド映画でしか長時間観る機会のない西洋人の顔の細かな差異など、一朝一夕で私が認識できようか?
まるで、同じ犬種を並べられて、こっちは●●って子で、こっちは△△って子ですよ、などと愛犬家から説明されているような気分だ。
母であるオライアさんから訊いた話では、上の妹がクリス、下の妹がシルヴァ。
気取った嫌味な姉がクリスで、こまっしゃくれたマセガキがシルヴァ。
3日かけて、やっと二人の顔と名前を一致させ、言い間違えないようになれた。
とはいえ、この二人を見分けるのにさえも最初は苦労した。割と似ているのだ。背丈も顔も。
大体、真っ先に私が能動的に接触した灰被りたる義妹はともかく、私自身の顔だって実妹二人との区別が殆どつかない。
よーく観察すると、私のほうが二人よりやや目が大きくパッチリとしており軽い釣り目で、いかにも居丈高というか気丈というか、まぁ、言葉を選ばずに言ってしまえば『テンプレートな嫌がらせをしそうなお嬢様のリーダー』然とした風貌だな、と思う程度の細かな違いはあるのだが……。
因みにアーシェはというと、彼女だけはハッキリと私の目から見ても
『可愛い!』
と思える愛らしさだった。
まぁ、そりゃあね。彼女はシンデレラ・ストーリーの主人公だもの。当然よね。
実の妹である飛魚と重ねてしまった事もあってか、どこか彼女の顔に飛魚の面影を観てしまう部分もあり、私は複雑な気分だった。
さてそんな私のどうでもいい懊悩を余所に、着々とシンデレラたるアーシェの身の回りに変化……などは、特に何も起こらなかった。
そうなのだ。
平和そのもの。
魔法使いなんて現れないし、カボチャの馬車もどこかに生まれないし、彼女と仲良くしているネズミ共も馬になんかならない。
まあ、『その日』が来たら分からないが、少なくともそんな前触れらしき出来事すら、起こる気配はない。
もしかしたら、私がアーシェを地下室から連れ出して、私達三姉妹と同じような綺麗なドレスを着せ、まともな食事を与えた事で、彼女の『シンデレラ・ストーリー』のフラグはぺっきりと折れてくれたのかしらん?
なんて私はやや暢気な思考で構えていた。
私はというと、まずこの世界における『イリアス』としての記憶が全くないので、そこを補完するためにあれこれと母や妹、メイドに話を聞いて回り、奇異の目で見られた。
勿論アーシェにも尋ねたが、イリアスは彼女には殆ど接触すらしようとしなかった冷血な姉だったらしく、めぼしい情報はアーシェからは得られなかった。
ところがまあ、3日前のコペルニクス的転回を機に、そりゃあもうアーシェは私を見る目が180度変わったと言って良かろう。と言っても『イリアス』としての意識がない私自身は、彼女から怯えた目で見られたのが最初の1回こっきりなので、まるでそんな実感はないのだが……。
「あっ、お義姉さま!」
と、私が考えを巡らせていると、タタッと可愛らしい足音を立ててアーシェが私に近付いてきた。
「アーシェ」
私は顔を綻ばせて彼女のほうを向く。
「こんな所にいらしたのですね。どうかなさったんですか?」
私に懐いてくるアーシェの表情はキラキラとしており、私に対する信頼と愛情が溢れんばかりであった。
私は、決定的に断絶してしまった中学生の頃からはもうずっと、およそ15年間にわたって飛魚からこういった目を向けられる機会を喪っていたため、アーシェからのその眩しい表情には毎度のことながら頭がクラクラする。
「え、ええ。ちょっとね、考え事」
私は屋敷の三階、空き部屋のバルコニーで空を眺めつつ思案を巡らせていた。
アーシェもその隣にススッと近寄ってきて、手すりに手をかけつつ、私に寄り添う。
「ふふ、お義姉さまの思案顔、とてもお美しいです」
私はアーシェにそんな風に言われ、むずがゆくなる。
美しいとか。
そんな風に言われたの、人生において初めてじゃないかな。
いや、ここ3日、何度もアーシェはそんな事を言ってきているのだが……。
「よしてちょうだい。アーシェみたいな可愛い義妹にそんな事を言われても、嫌味にしか聞こえないわ」
私は生まれ変わったにも関わらず、卑屈な性根がまるで直っていないようで、そんな風にアーシェに言い放ってしまう。しかしアーシェは続ける。
「お義姉さま、謙遜なさっているのね。そういう所も、私は美徳だと思います。とても奥ゆかしくて、素敵です……」
頬を染めてにっこりと微笑むアーシェ。
そのあまりの衒いのなさ、純粋無垢さに私は全身の身の毛がよだつ。
(あぁ、なんて、なんて純真なのだろう……まるで、小学校高学年になるまでの、私が傷つけてしまう前の飛魚のようじゃないか……)
私は今ここにはいない、世界で一番愛おしい実妹の事を思い出して、悲しみに暮れる。
私が中学生の頃に酷い言葉で傷つけてしまった飛魚は、あれから私の言いつけ通り、私に顔を見せないように努めた。
幼いころはそれはもう何度も何度も、お姉ちゃん、お姉ちゃん、と慕ってくれていた可愛い可愛い妹を、私は激しく拒絶したのだから、当然である。
内心がどうだったかは分からないが、多分飛魚はあれからも私の事を心底嫌いにはなっていないのだろう。
無駄だと知りつつ自身の結婚式への参加を私に要望して、何度も葉書やメールを送ってきてくれていたのは知っている。知っていながら、私は無視し続けた。
自分が惨めに思えて、妹に嫉妬して、全てをブチ壊しにしたくなる衝動に耐えきれそうになかったからだ。
妹を愛するあまりに妹を祝福出来ない、なんという矛盾だろうか。
私はそんな悲しみが心を満たしたことで、涙が溢れてくるのを感じた。
「お、お義姉さま……? どうかなさったんですか?」
「何でもないわ。アーシェには、何の関係もない事よ」
そう。
この世界には、そしてこの義妹には、何の関係もない。
だってそれは、私の本当の家族、本当の妹の事なんだから。
私は涙を軽くハンカチで拭って、それからアーシェに尋ねた。
「ねえ、アーシェ。貴女、最近妙な事はない? 例えば、身の回りに……魔法使いが現れたり、とか」
「魔法、使い……ですか?」
キョトン、と可愛らしく小首を傾げるアーシェ。
「ええ」
私はそんな幼くも可愛い仕草一つ一つに心を奪われつつ、彼女の返答を待つ。
「お、お義姉さまの仰っていることが良く分かりませんわ。魔法使い、なんて、そもそも、本当にこの世にいるのでしょうか……?」
おや。
私は不審に思う。
『シンデレラ』の童話は、魔法使いの存在を簡単に受け入れていた気がするが……まあ、所詮は童話の世界か。そこまでディテールに拘ったりは、していないのかも知れない。
この調子だと、こんな言い方をしながらも目の前に魔法使いが現れればすぐに信じ込むくらい、この世界の住人は脳内お花畑、という事だろう。
私はそんな風に現代日本人らしいシニカルで冷めた思考を巡らせた。
つまり、今のところはアーシェに魔法使いが王子との婚約に向けてのセッティングをしてくれるなんてイベントは、起きそうにないらしい。
まぁでも、シンデレラに出てきた魔女はかなり唐突だったしな……いつ現れるかは分からない。特に、舞踏会の夜は要注意だろう。
そこで私は思い出す。
「……そう言えば、私がこの世界に来て……じゃない、アーシェを地下室から連れ出した夜の舞踏会には、王子様は居なかったわね」
「王子様、ですか? お義姉さまはそう言えば、あの舞踏会に参加なされたのですね」
アーシェの質問に私は答える。
「ええ。あの夜は、慣れないダンス・ステップに参ったものだわ」
「ふふ、貴族の嗜みを網羅されているお義姉さまにしては、意外なお言葉ですわ」
それを聞いてアーシェは笑った。
仕方ない事だ、元々がただの日本人のOLなのだから。
別段、社交ダンスや日本舞踊などの心得もある訳でなし。
「そういうのも覚えていかないと行けないのかしら。面倒ね」
私は独り言ちる。
そして、あの夜の事を思い出した。
◆◆◆
「……舞踏会、あるのね」
「ええ、そう言ったでしょう? ほら、準備をして」
私は冗談のような、絵本のようなお城で舞踏会に参加し、慣れないダンスに挑んで派手にスッ転んだりした。
その様子は社交界の皆様にもかなりの衝撃で笑いものになった、と後でオライアさんからはこっぴどく叱られ、改めてダンスの練習に励む毎日である。
因みにそこに王子様がいなかったのは前述した通りだが、どうやら話によると王子様が参加されるのは毎年2回だけらしい。それまで、まだ数ヶ月はあるとか。
「そのタイミングは逃しちゃ駄目ね……」
私は恐らく、悪役令嬢としての本分とは全く違う意味でその言葉を呟く。
私の目的は王子様と結ばれる事ではない。
私は、アーシェがシンデレラ・ストーリーの主人公として、ハッピーエンドに導かれるのを妨害したいのだ。
……何故かって?
私の性格の根源的な部分から改めて話すと面倒なので割愛するが、まずここだけはしつこく、もう一度繰り返して言っておく。
私は、シンデレラ・ストーリーが大嫌いだ。
だから、シンデレラ・ストーリーを成立させたくない。
ただ、それだけのために今の人生を生きていると言っても過言ではない。
「顔の良さだけで結婚を申し込んだクソ王子もだけど、それに釣られたシンデレラも嫌い……私は、アーシェにそんな尻軽女になって欲しくない」
これが私のモチベーションだった。
シンデレラを尻軽女呼ばわりとは、恐らく多くのシンデレラ・ストーリーに憧れる女性からすれば噴飯ものの発言であろうが、私はそういう人間なのだ。
容姿の良さと人間的な善さを同一視する容姿至上主義に反逆する、劣等者の鬱屈の権化。
世界で一番愛する妹との絆を引き裂いたその価値観そのものが、私の敵だ。
◆◆◆
私の後ろ暗い回想と想いが表情に出ていたのか、アーシェは少し怯えていた。
「お、お義姉さま、顔が……少し怖いですわ」
「あら、ごめんなさいアーシェ。怖がらせてしまったかしら」
慌てて私は取り繕う。この義妹に対しては、私は自分のマイナス部分を見せたくないと思っている。それは多分、私の元の人生における実妹への、ある種の贖いであり、代償行為なのだと思う。
私はこの茶番劇を大切にしたいなどとはこれっぽっちも思っていないし、なんならこのシナリオを書いた張本人の首を引っこ抜いて土に埋めてやりたいくらいの気持ちだが、アーシェはその被害者だと思っている。
この哀れな美少女は、男尊女卑の価値観根強い中世ヨーロッパが生み出した下らない棚ぼた物語に巻き込まれた、道化師も同然だ。
だから彼女を薄暗い地下室から救い出すのは都合のいい魔法使いでも、王子様でもなく、この私であるべきなのだ。
私はそう強く決意して、アーシェの手を握って言う。
「大丈夫、心配しないで。アーシェ、私は貴女を王子なんかに渡したりはしない」
「お、お義姉さま……? わ、私なんかが王子様に見初められる事など、有り得ませんわ……! 恐れ多いですもの」
そんな風に言う純情可憐なアーシェの顔は、本当に自分が王子に選ばれるはずなどないと信じ切っている。分かっていない。男は見た目が良ければ身分などどうでも良いのだ。
「アーシェ。これだけは言っておくわ」
「は、はい?」
困惑するアーシェに、私は言う。
「男はクソ。クソ以下のゴミ。奴らを信じちゃ駄目よ、アーシェ。所詮あいつらは、性欲の権化なの。ただ、女をそういう目でしか見ていないのよ。男を見たら狼だと思え、これは箴言ね」
「あ、は、はい……」
さしものアーシェも、私のこの言い分は余りにも極端だと思っているのだろう。ドン引きしているのが見て取れる。
分かっているさ。
まるで急進的女性主義の化身の如き危険思想、途轍もなく偏った物言いである自覚はある。
……正直に言って、私は別にそこまで男という生き物を根源的に嫌う男性嫌悪を拗らせている訳じゃない。女性として普通に恋だってした事はある。実らなかっただけだ。だからって、その逆恨みでこんな事を思っているのではない。
私のこの性格を作り上げた一因である親戚のおじさんの言葉にしても、口に出すのはどうかと思うし、感情的には許せないが、そう感じる事そのものはある種の人間的な本能なのだろうと思っている。
人間は本能的に、容姿至上主義からは、逃れ得ない。
まずそこを、私達は自覚すべきなのだ。普通に格好いい男性には靡いてしまう、この私自身も含めて。そこを理解した上で、中庸を目指すなり、容姿至上主義に囚われない価値観を持つなりの努力をこそ、私達はすべきなのだ。
……が、この中世ヨーロッパをベースにしているであろう童話世界ではまるで事情が異なる。
今私が語ったような『中庸的』な価値観など、望むべくもないのだ。
そこまで人権を考慮に入れている筈がない。
男尊女卑が当たり前に横行するこの時代の風潮に対抗するには、それ相応の過激な思想と姿勢で挑まねばならない。
「……だからね、アーシェ。どんなに見目麗しい王子様が迫ってきても、貴女は穢れない貴女で居て欲しいの。本能に任せて、そんな軽々しい男に騙されちゃ駄目よ」
「……はい、お義姉さま」
男のそういう側面を見た事もないといった様子の彼女は私の言葉に完全に納得した訳ではないだろうが、義姉への信頼からか、私の真剣な態度が通じたのか、ひとまずは頷いてくれた。
「……ごめんなさいね、私は決して、アーシェの事を束縛したいのではないのだけれど。ただ、私は貴女が可愛くて仕方がないの。貴女がどこの馬の骨とも知れない男に奪われるなんて考えると、死んでも死にきれないわ」
「そ、そんな、お義姉さま。私は奪われたりしませんわ。ずっと、お義姉さまのお側にいます。だから、そんな辛そうな顔をなさらないで下さい……」
アーシェは私の苦悶の表情に寄り添うように、そっと頬を撫でた。彼女の涙腺にも、微かに涙が溜まっているように見える。
「アーシェ……ありがとう」
「お義姉さま……」
私は撫でられた頬にあてがわれた、アーシェの白魚のような細く綺麗な指先を手に取り、優しく握る。
そして私は、そのままアーシェをきゅっと抱き締めた。
……こうして妹を抱き締めるなんて、いったい何年ぶりの事だろう。
「お……お義姉……さま……」
私は遠く離れた飛魚の事を想い、苦しくなる胸を抑えつけながら、目の前にいる義妹の体温を感じる事で、自分を慰めるのだった。
(つづく)




