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10.聖女アンリの誕生

「名前を捨てる?」

「ええ。できるわよね」


 アンジェリカはコレットや、かつての奉仕活動で出会った聖女たちから聞いた話から、聖女の半分は名前すら別人になったという事実を知っていた。

 実際に、名前を変えたと教えてくれた聖女に一度だけ聞いたことがあった。なぜ名前を変えたのかと。

 彼女は言った。


「名前を聞くだけで、過去を思い出すから」


 アンジェリカは、尋ねた。


「名前を失うことで、寂しいと思うことはなかったの?」


 名前とは、生まれた時から当たり前に一緒にいたから。

 その音を聞けば、例え自分のことではなかったとしても、反応してしまう。

 それくらい、自分を縛るものでもあるのだから。

 だから、なのかもしれない。


「この名前を捨てたことで、私はようやく自由になれた気がする」


 そう言った時の彼女は、とても清々しい顔をしていたのを、アンジェリカは妙に覚えていた。

 だから、このタイミングでアンジェリカは思った。

 私も、あんな風に微笑むことができるのかしら。

 名前を捨てさえすれば、と。


「だから、ここであなたに名前をつけてほしいわ。私の。他の聖女も、そうしたんでしょう?」

「希望があれば、僕が神に代わって名前を授けることもできますが……ですが……」

「ですが、何?」

「あなたは、ご自身で決めた方が良いのではないかと、思いましたので」

「自分で……決めていいの?」


 それは、アンジェリカにとっては全く予想もつかないことだった。

 名前は、誰かから与えられるものだと、何の疑いもなく思っていたから。


「ええ。確かに生まれたばかりの頃は、あなたは何も考えることも、話すこともできない状態ですから、誰かが与えなくては生きていけなかった。ですが、今のあなたはどうです」

「今の、私?」

「自らの意思で生まれ育った家も、環境も、約束された王妃としての栄光も捨てる決意をしたのです。それはつまり……あなたは、1人で何でもできるということ」

「だから、名前を自分でつけてもいい、と?」

「ええ。むしろ、あなたでなければ、今のあなたに相応しい名前をつけることはできないのではないしょうか」

「私に、相応しい……」

「そうです。自分に相応しいと思う名前を今、つけなさい」


 アンジェリカは考えた。

 私とは、一体何か。

 アンジェリカの名前にアンジェ……天使の意味が入っていることは母親から繰り返し聞かされていた。


「私のアンジェ、私の天使ちゃん。あなたは私を幸せにするために生まれてきてくれたのね」


 小さい頃、アンジェリカは何度も母親から呪文のように言われ続けた。

 だから、アンジェリカは考えてしまった。


(私は、誰かのために生まれたのね)


 その結果が、一度目の人生。

 アンジェの名前を愛おしげに呼んだ母の命をも救えなかったのだ。

 だから、アンジェという音は自分が呼ばれる資格はないのだと、アンジェリカは強く考えていたのだ。

 それからまたアンジェリカは考えた。

 考えて、考えて、また考えて……1つの答えを見つけた。

 

「アンリが良いわ」

「アンリですか。男性につけられる名前ではないですか?」

「聖女が、男性の名前で呼ばれるのはダメという決まりはあるの?」

「……いいえ。神の国には性別は関係ありませんから。あくまで生物学的な括りで、私たちも聖人、聖女と区別しているにすぎません」

「ならば、アンリ。これ以外は無理」


 アンリ。

 他国の言葉で「家の主」を意味する言葉から来ていると、昔何かの本で読んだことがあった。

 家を捨て、名前まで捨てた今の自分は、新しい家の主になるのと等しいのではないか。

 さらには女の名前を捨てることで、自分は自分として立ち上がれるのではないか。

 そう、アンジェリカは考えたのだ。

「良いですね。素敵な名前です。……アンリ様」

「教皇様。違いますわ」


 アンジェリカは三日月のペンダントをミシェルに見せながらこう言った。


「私はアンリ。儀式を終えた私は、あくまで聖女ですので。以後、お見知り置きを」

「ふふ。そうだったね……アンリ。これから宜しく。僕たちの希望の聖女」


 これが、後にソレイユ国を襲う最大の危機を救うことになる聖女アンリが誕生した瞬間だった。


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