第23話 瑞樹 志乃 act4 ~裏切りとゆう名の想い~
ゲホッ!ゴホッ!ッッッ!ブッ!!
ジャーーーーーッ!
18時過ぎ、すっかり人気が無くなったグラウンド横に設置してある、水道の蛇口に顔を突っ込み、頭から勢いよく流れ落ちる水を浴びた。
キュッ!
蛇口を閉めてその場に座り込む。
あの時、平田に呼び出された、旧更衣室へ向かい、平田と対峙して一言、二言、話した所までは覚えているが、そこからの記憶が曖昧だった。
話をしてから、気が付いたら手入れが殆どされていない雑草が生い茂った地面に倒れていた。立ち上がろうとすると、酷い痛みが全身に駆け巡る。だが全身は痛みが酷いのに、首から上は殆ど無傷だった。
恐らく、見た目では痛みつけた事をバレないようにする為に、普段服を着ている部位だけ攻撃してきたのだろう。それはそれで、こちらとしても都合がよかった。目に見える場所に傷や怪我を負っていると、瑞樹が自分のせいで酷い目に合わせてしまったと責めるからだ。彼女は全く悪くない、悪い人物がいるとしたら、こんな目に合う事は予想出来ていたのに、瑞樹に声をかけた自分に原因がある。
ボヤけた頭を起こす為に水を浴びた岸田は、足と腰に力を入れてみる。
「よし、何とかまともに歩けるようになったな・・・・・」
とにかく腹部と腰周りを中心に痛みつけられた為、下半身に力が入りづらくなってしまい、普通に歩く事が出来なくなっていたのだが、頭を冷やして意識を完全に起こしてからは、力が入るようになって岸田は安堵した。
感覚が戻ってきて、ズボンのポケットに入れてあったスマホの小刻みな振動に気が付いた。内容を確認しようと画面を見ると、思わず目を見開いた。
ーーーただいま。もう水泳部の練習は終わったかな?おつかれさま!気をつけて帰ってね♫ーーー
通知の内容は瑞樹からのlineメッセだった。
3週間ほど前に、お互いの番号とlineのIDを交換したのだが、それから電話はもちろん、メールも届いた事がなかった為、初めてメールをくれた事に驚いたのだ。岸田は痛みを忘れて、すぐにーーーありがとう!今から帰るところだよ。また、明日昼休みにな!ーーーそう返信した。
すぐにまた返信が送られてきて、可愛いペンギンが親指を立てて「グーッ!」っと大きな文字を添えられたスタンプが貼り付けてあった。
嬉しくて、少し恥ずかしい感じが体中を駆け巡った。この幸せがあれば耐え抜けると気合を入れ直して、痛みに耐えながら岸田は帰宅した。
帰宅すると、母親が自分の格好を見て、驚きながら事情の説明を求めてきた。
俺は階段から落ちたと話したが、納得がいかないらしく、その後も説明をしつこく求められたから、面倒臭くなって風呂場へ直行した。
服を脱いで、洗面台の鏡に自分の体を見ると思っていた以上に酷かった。
全身の至るところに内出血が起きていて、その上擦り傷や切り傷も多数確認できた。
大丈夫!体は動くのだし、痛みを我慢していればそのうち相手が諦めてくれるさ!そう自分に言い聞かせて、今日は早めに眠った。
「岸田君、どうかした?動きがぎこちない気がするんだけど・・・」
翌日、昼休みの中庭でいつものように、瑞樹と楽しくランチをしていたのだが、今朝起きて体中に激しい筋肉痛に似た痛みが走り、あまりの激痛にベッドから降りるだけでも苦労した程だった。痛みを堪えて瑞樹と接したつもりだったが、やはり隠しきれるものではなく、呆気なく指摘されてしまったのだ。
「あっ!いや・・・昨日、後輩の練習見てたら。体が疼いちゃってさ!基礎連の時、ムキになって後輩達と腕立てやら、腹筋のタイムアタックとかして、全身筋肉痛なんだよ・・・はははは」
「あはは!もう引退してるんだから、現役と勝負なんてしたらそうなるわよ。」
「だよな・・・はははは」
とっさに思いついた割には上手く誤魔化せたと安堵した。
「私も引退してから、全然、体動かしてないから・・・もう後輩達に勝てないんだろうなぁ・・・」
空を見上げて、少し寂しそうな表情で呟いた。
「瑞樹さんってテニス部の部長だったもんな!」
「あれ?何で知ってるの?同じクラスになった事ってなかったよね?」
1年の時からずっと見てたからだよ・・・なんて言ったら引かれるんだろうな・・・
「あ、あぁ!俺水泳部だったじゃん!プールからテニスコートって近かったから、たまに休憩中に練習見てたりしてたんだよ。」
本当は毎日欠かさず見てた。テニス部ではなく、瑞樹だけを見てた。キラキラと眩しい姿で楽しそうにボールを追いかける姿は、今も目に焼き付いている。
「そっか!そっか!そういえば近かったね。何だか恥ずかしいな。」
「恥ずかしがる事なんてないよ!凄く格好良かったんだから!」
思わず本音が漏れてしまった。
「あ、ああ、ありがとう・・・」
そう言われて瑞樹は照れてモジモジしながら、俯いてしまった。
ちくしょう!可愛い!可愛いぞ!何で瑞樹を諦めないといけないんだ!絶対に諦めない!諦めてたまるか!改めて平田になんて負けないと、気持ちを奮い立たせていると、予鈴が鳴った。楽しい時間はすぐに終わる・・・よく聞くフレーズだが、岸田は初めて本当にそう思った。2人ベンチから立ち上がって下駄箱へ移動して、お互いの下駄箱の方へ向かう為、別れようとした時に瑞樹が持っていた可愛らしい小さな巾着袋から何やら取り出して、岸田に差し出した。
「はい!これあげる!午後からも頑張ろうね。」
そう言って渡されたのは可愛い模様の袋に包まれた飴玉だった。
「あ、ありがと・・・」
「うん!じゃあ、またね!岸田君!」
ニッコリと微笑んだ瑞樹は、小さく手を振って教室へ向かって行った。
その後ろ姿を見送りながら、岸田は拳を強く握った。
ズサァッ!!!!
あ・・・・クッ・・・・
放課後、また平田に呼び出され、昨日よりも更に痛めつけられて、雑草
の上に倒れこんだ。何故、無抵抗な人間にここまで酷い事が出来るのか、岸田には理解出来なかった。
「まだ話し合いが足りないみたいだな!また明日ここで待ってるぜ!」
少し息を切らした平田は、そう言い捨てて倒れて動けない岸田の前から姿を消した。倒れたまま小一時間程が経過して、岸田はようやく起き上がる事が出来た。
「だ、駄目だ・・・こんな事を続けていて体の事を瑞樹に誤魔化し続けるなんて無理だ・・・」
体を引きずる様に校門を出た時、クラスで仲の良い同じ元水泳部の田村が立っていた。
「岸田!お前、大丈夫か!?」
「田村・・・はは、格好悪い所見られたな・・・」
岸田に平田の件を聞いたわけではなかったが、何となく事情を察していた田村は、岸田の姿を見ても驚く事はなく、ただ岸田の体を心配していた。
2人は少し歩いた所にある、公園のベンチに座って缶コーヒーを飲んだ。
暫くどちらも口を開く事なく、沈黙が訪れた。もう公園で遊んでいる子供の姿はなく、静けさを取り戻した公園にお互いの缶コーヒーを啜る音と、時々通る車やバイクの排気音だけが、耳に入る時間が流れた。
「岸田!もうやめ・・・・」
「それ以上言うな!田村!」
田村は岸田の体を心配して、もう瑞樹に関わるのはやめろと言いかけたが、最後まで言い切る前に、岸田は田村の言葉を遮った。
「でもよ!お前の気持ちはわかるけど、これじゃ体がもたないだろ!」
心配する気持ちを拒否された田村は、ベンチから立ち上がり、岸田の前に立って強くそう指摘した。
「あ、あぁ、悪い!田村・・・でもここで逃げたら、また元に戻っちまうんだよ・・・折角、本当の笑顔を見せてくれだしたのに・・・・」
ここで逃げるのは本当に嫌なのだろう。岸田はそこまで話すと黙って歯を強く食いしばった。恋は盲目とはよく言ったものだ。受験を控えた大事な時期に、自分を犠牲にして他人をここまで想えるのだから。
「わかったよ・・・・もう俺からは何も言わない!でも本当にどうなっても知らないからな!」
「あぁ・・・心配してくれてありがとな・・・」
そう言った岸田は、もう田村を見る事なく重い体を引きずって帰宅の途についた。
その夜、適度に受験勉強を進めて、痛む体を少しでも休める為にベッドへはいった。暗闇の中で瑞樹の笑顔を守るにはどうすればいいか考えた。
田村が言うように確かにこのまま平田達のサンドバッグになっていると、平田が諦める前に、自分の体が壊れてしまう。
・・・・・・・・・・・・・
もう、これしかない・・・のか・・・・
そう呟いた岸田は声を殺して悔しそうに涙を流して眠りについた。
「ねぇ!岸田君!聞いてる?」
翌日の昼休み、突然瑞樹にそう問われたてハッとした。いや、突然ではない。
いつものベンチへ座って、食事を始めだしてから意識は違う所へ飛んでいた。
その感、全く瑞樹の話が耳に入ってなかった。
「あ、ご、ごめん・・・聞いてなかった・・・」
「もういいもん!」
頬を膨らませ拗ねた表情で、瑞樹はそっぽを向いた。
あぁ、そんな感じの表情を見せてくれる様になったんだ。拗ねた瑞樹の横顔を眺めながら、自分でも役に立っているんだと実感した。そんな彼女をまた人形のような感情を見せない女の子へ戻すわけにはいかない。唇を尖らせながら黙々と弁当を食べている姿を瞼に焼き付けるように見て、ある決心を固めた岸田は、まだ予鈴が鳴る前なのにベンチから立ち上がった。
「ごめん!瑞樹さん。授業が始まる前にやらないといけない事があるから、今日はもう戻るよ。」
拗ねていた瑞樹は、すぐに目を見開いて教室へ戻ると言い出した岸田を見上げた。
「え?も、もう戻るの?まだ20分近くあるよ?」
「うん、ほんとごめんね・・・それじゃ、また明日な。」
これ以上瑞樹と一緒にいると決心が鈍ってしまいそうだ。それを恐れた岸田は、瑞樹の寂しそうな表情を見ないようにして、立ち止まる事なく校舎へ消えていった。
食べかけの弁当の蓋を閉じて、膝の上に置いていた手を強く握った瑞樹には、以前から岸田に疑念があった。何か隠している事があるんじゃないかと・・・そう疑念を持ったのには理由がある。平田が学年中に圧力をかけて、自分を完全に空気扱いしだしたのに、岸田は気にしないと言ってくれて側にいてくれた。その事自体は本当に嬉しかった。ただ、どう考えても側にいてくれている岸田を平田が見逃すなんて考えられないのだ。それを裏付けるように、昨日から急に増えていく体への傷跡が物語っている。きっと彼は平田に目をつけられているのだ。でもそれを隠すのは私が責任を感じてしまうと考えての事だろう・・・
どうしていいのか解らない・・・文句を言いに行って岸田を庇う事を言ったら、余計に八つ当たりが激しくなるだけだ・・・自分のせいで岸田があんな目に合う必要なんて全くない。
「やっぱり岸田君を助けるには・・・これしか・・・」
辛そうな表情を浮かべながら、手に持っていた弁当箱を強く握り締めた。
放課後、今日も平田が待っている旧更衣室へ向かった。
到着して待ち構えていた平田と対峙する。
「よう!考えはまだ変わらないか?ちょっと俺の指示に従ってくれるだけでいいんだけどな~」
そう言いながら平田とその仲間達は、今日も岸田をサンドバッグにしようと、ゆっくり歩みだした。
岸田は平田の言葉に反応せずに、自分も平田に歩み寄りだした。
今まで立ち尽くしていただけの岸田が、動き出したのを見て平田は歩みを止めた。立ち止まった平田まで後2メートルとゆう所で、岸田は両膝を突き両手を地面に置いた。
「身の丈に合っていない事をしてしまって、す、すみませんでした!」
そう言って額を地面に押し付け、岸田は土下座して平田に詫びた。
頭を地面に着けると、雑草が耳に擦れて頭の中でカサカサと音がする。
初めて平田の暴力を受けた時、この雑草の擦れる音で目が覚めたっけ・・・
ジャリジャリと平田達が、自分の方へ近づいてくる足音が聞こえた。
「なんだよ!俺にあんなタンカ切っておいて、もう降参かよ!」
頭の上から吐き捨てるような台詞が聞こえたが、黙ってそのまま顔を上げなかった。
「まぁ、いいか!んじゃ、明日からお前もあいつを空気のように扱うんだぞ!わかったな!」
平田が語尾を強めながら、改めて瑞樹を無視しろと命令した。
だが、岸田は平田の命令に首を縦に振らずに、口を開いた。
「いや!出来ればこのままの関係を続けさせて下さい!」
「は?何言ってんの?こいつ!」
平田の仲間が呆れた口調でそう罵った。
「おい!岸田!本気で言ってんじゃねえよな!?」
イラついた口調で平田は語尾を荒げた。
「本当に瑞樹を落としたいなら、急に瑞樹への態度を変えさせるのはマズイと思わないか?」
昨晩考えた作戦を実行し、平田との交渉を始めた。
「あれだけ痛めつけたのに、首から上を狙わなかったのは、瑞樹にバレないようにする為だったんだろ?それって、これ以上嫌われたくないって事なんだよな?」
悪ぶっていて、瑞樹を追い込もうとしている平田だったが、本心は嫌われたくない気持ちがあると考えた岸田は、そう言って揺さぶりをかけ図星かどうか確かめようとした。そう言われた平田の眉毛が僅かに反応したのを岸田は見逃さなかった。土下座していた体をゆっくり起こして、岸田の前に仁王立ちしていた平田とまた対峙する様に、立ち上がって平田の目を見た。僅かだが動揺しているのが、目を見ればよく解った。
「何も全部今まで通りにさせてくれって言ってるんじゃない。形だけでいいんだ。」
「どうゆう事だ?」
釣れた!頭ごなしに自分の提案を否定されたら、そこまでだったが、期待していた通りのリアクションを見せて、岸田はニヤリと笑みを浮べた。
「形はそのままの関係でいさせてくれたら、見返りにその時々で瑞樹がどんな話をしたのか、どんな事に興味があるのか、瑞樹はどんな男が好きなのか、そして本当の瑞樹はどんな女の子なのか、一字一句逃さずに全部平田に情報を流すよ。もちろん今後、絶対に瑞樹に告白なんてしないし、もし、いや、万が一、瑞樹が俺に告ってきても絶対断る事を約束する!」
「そんな話を俺に信じろって言うのか?」
「あぁ!それと然りげ無く、平田の印象が少しでも良くなる様に、瑞樹に色々と作り話でも何でも考えて話すよ。これでどうだ?」
提案を話し終えると、岸田達がいる空間だけ時間が止まったように静かになった。そんな静寂の中で平田は利き手を顎に移して、暫く考え込んでいる平田を見て、岸田は十分な手応えを感じた。
「そんな事後報告なんて、いくらでも捏造出来るじゃねえか!」
平田の仲間が岸田のプレゼンを全否定した。だが、岸田の強気な交渉は止まらなかった。
「ハッキリ言うぞ!この先どれだけ瑞樹を追い込んでも、絶対に平田に屈したりしない!あいつはお前達が思っているような弱い女じゃないぞ!」
キッパリと平田達が描いていた作戦を、声を大にして全否定した岸田には確信があった。瑞樹に声をかけたあの日から色々な話をしたが、平田の名前が出てきた事は、今回の犯人を聞かれた時以外は出てこなかったからだ。普通追い詰められた人間は話を聞いてくれる人がいたら多少なりとも愚痴をこぼしたりするものだろう。だが、瑞樹にはそれが一切なかったのだ。だから凹んだり落ち込む事はあっても、この状況から逃げたくて平田に屈して許しを媚びる女ではないと断言出来た。
「なんだと!黙って聞いてやってたら、調子にのってんじゃねえぞ!」
平田の仲間が、自分達の狙いを全否定された事に腹を立てて、岸田の襟元を締め上げた。
だが・・・・
「待て!」
締め上げた仲間の背中から、平田の声が響いた。その声に締め上げていた腕の力が緩む。
「そういえば、特殊なルートで面白い物を手に入れたんだ。でも使い道に困っててな・・・」
突然話が逸れた事を言い出した平田は、自分の鞄から取り出した物を岸田に見せた。
「これって・・・・」
岸田には見せられた物が、なんなのかすぐに分かった。
「ああ!かなり精巧に出来た盗聴器だ。」
平田はニヤリと笑い話を続けた。
「お前の提案だと確かに信用がおけないんでな!その話に乗る条件として、瑞樹に会う時は必ずこの盗聴器を仕込むってのはどうよ?」
「えっ?」
「これなら捏造は無理だよな!」
正直、平田の仲間が疑った事をやるつもりだった。適当に口裏を合わせておけば問ないと企んでいた。これでは俺はともかく瑞樹のプライベートが流出してしまう・・・だが、本人にバレなければ知られなければ、瑞樹は今までどおりの生活を送れるのは間違いないはずだ・・・
「わかった!でも、条件がもう1つある。」
「なんだ?」
「この形だけの関係や、盗聴されている事は、もし!平田と瑞樹の関係が進展なかったとしても、絶対に瑞樹には秘密にしておくこと!バレたら平田だって無事では済まないんだしな。条件を飲んでくれたら、さっき提案した事や、お前との約束は必ず守るよ。」
「いいだろう!契約成立だな!」
そう言って平田は岸田に盗聴器を手渡した。
これでいい。これで瑞樹の笑顔は守れるんだ。もう瑞樹に想いを告白出来なくなったのは辛いけど、俺の気持ちなんかより瑞樹本人の事が大切だから、俺はもういいんだ・・・
もう口には出来なくなったけど・・・・
大好きだ・・・・瑞樹・・・・