↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
外れる予言の数え方 〜転生した生産管理は、世界の倉を棚卸する〜  作者: もしものべりすと


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/24

第七章 リードタイム――国境の船頭頭領は、毎朝竿を差し直す

「注文は四日で届く。麦は九日かかる」

 国境の船着き場で、ネーヴァはそう言って竿を河に突き立てた。

 大きな女だった。千束より頭一つ背が高く、肩も腕も船頭の男たちより太い。日に焼けた顔に、細かい皺が笑ったときの形のまま刻まれていた。髪は短く刈り込み、首に赤い布を巻いている。年は四十を少し越えたくらいだろう。

 竿は、河の底に当たって止まった。

 ネーヴァは竿に刻んだ目盛りを指でなぞった。

「三尋と半分。昨日より手のひら一枚ぶん浅い。上で雨が降らなかったんだな」

「毎朝、測るんですか」

「毎朝だよ。天命は今年の河を『水少なし』と言ったけどね。天命は河の底まで見ちゃくれない」

 ネーヴァは竿を抜き、水を切った。滴が朝の光の中で散った。

「流れは読めん。だから毎朝、竿を差し直す」

 千束は、手帳にその言葉を書いた。

 王都を出て三日目の朝だった。


◇


 国境へ行くと言い出したのは、千束だった。

 書記の任命状を受け取った翌日、イレーネ王女の部屋で、千束は地図の上の青い線を指でたどった。王都カレドから河を上ると、三日で国境の村ハルトに着く。そこから先は山岳国ゾルハーデン。さらに九日上れば、ゾルハーデンの都がある。

「国境から、飢えの知らせが届いていると、殿下はおっしゃいました」

「ええ。ハルトの村長からの書状よ。麦が足りない、と」

「その書状は、いつ書かれたものですか」

 王女は棚から羊皮紙を一枚取り出した。

「日付は……十二日前ね」

「書状は、早馬で何日かかりますか」

「四日、と聞いているわ」

「麦を船で送れば?」

「上りだから、三日」

「では、今日この書状を読んで麦を送っても、届くのは書状が書かれてから十五日後です」

 王女は黙った。

「書状を書いた日から、届く日まで。注文してから品物が手元に届くまでの時間を、リードタイムといいます」

「りーど、たいむ」

「物が届くまでの、待ち時間です。この時間が長いほど、注文する側は不安になって多めに頼みます。届くまでに足りなくなったらどうしよう、と。十五日分足りなくなるかもしれないなら、二十日分頼んでおこう、と」

「……それが、悪いの」

「全員がそうすると、悪くなります」

 千束は地図の上の、国境の村を指で押さえた。

「国境で何が起きているのか、私はこの目で見ていません。書状の数字は十二日前のものです。今日の数字は、誰も知りません」

「だから、行くの」

「はい。三日上って、見て、二日で下ってきます」

 王女は千束を見つめた。

「約束はしないのね。いつ戻るとか」

「戻る予定は言えます。約束はしません」

 王女は小さく笑った。困ったような笑い方だった。

「ダンを連れていって。あの大きな倉番。ひとりで国境へ行かせたら、わたくしが父上に叱られるわ」

 リコは大倉に残ることになった。トマと二人で、札の仕事を続けるためだ。

「チヅカが落ちたら、ダンが拾うんだよ」

 出発の朝、リコは船着き場でダンの袖を引っぱって言った。

「チヅカ、泳げなさそうだから」

「泳げます」

「ほんとに?」

「計算上は」

 ダンが、鼻を鳴らした。


◇


 ハルトは、河の両岸にまたがる小さな村だった。

 手前の岸がアルメリク、向こう岸がゾルハーデン。河の真ん中に古い石の橋脚が三本だけ残っていて、昔は橋がかかっていたのだと分かる。今は渡し舟が行き来していた。

 村は静かだった。

 静かすぎた。家々の煙突から、煙がほとんど上がっていない。道端で遊ぶ子どもの姿もない。畑の麦はとうに刈られていて、切り株だけが冷たい風に揺れていた。

「刈った麦は、どこへ行ったんですか」

 千束が聞くと、案内についてきた村の若者が肩をすくめた。

「天命の荷車が持っていきました。大寒に備えて、王都の倉に蓄えるからって」

「村の分は」

「天命の数だけ残せと言われて、残しました。でも、天命の数じゃ冬は越せない」

 王都で天命院の使いが読み上げた言葉を、千束は思い出した。

 周辺の村々より麦を集め、冬至までに倉を満たせ。

 王都の倉を三倍にするための麦は、こういう村から運び出されていた。そして王都の倉は、もう物理的に満杯に近い。入りきらない麦は、どこへ行ったのか。

 千束は、塔の部屋の地図を思い出した。

 中洲に移された、白い石。

「倉守のエルマさんに、会えますか」

 千束が言うと、若者の顔が変わった。

「……どうして、その名前を」

「トマという人から、聞きました」

 大倉を出る前の夜、トマは千束に一つだけ頼みごとをした。ハルトに、昔わしが仕込んだ倉守がおる。エルマという。まだ生きておれば、わしの名を出せ。

 エルマは、村のいちばん奥の、崩れかけた石倉の中にいた。

 小さな老婆だった。腰が深く曲がり、白い髪を頭の上で団子にまとめている。千束がトマの名を出すと、老婆の皺だらけの顔が、くしゃりと歪んだ。

「トマ兄さんが……まだ生きてなさるのかい」

「生きています。毎晩、割符を刻んでいます」

「割符を」

 エルマは震える手で、倉の奥の藁の山をかき分けた。

 藁の下から、木の箱が出てきた。トマの床下の箱より、ひと回り小さい。蓋を開けると、乾いた木の匂いがした。

 割符が、ぎっしりと詰まっていた。

「あたしも、刻んでたんだよ」

 エルマは割符を一本取り出し、千束の手に握らせた。

「焚帳令のあとも、ずっと。兄さんが、いつか割符を合わせる日が来るって言ったからね。片方は村に残せって」

 千束は割符を握りしめた。

 二十年。

 国境の村と王都の倉で、二人の老人が、誰にも見られずに同じ数を刻み続けていた。いつか、合わせる日のために。

「……合わせます」

 千束の口から、言葉がこぼれた。

「いつか、必ず」

 言ってから、千束は口を押さえた。

 約束だった。

 エルマは目を細めて笑った。

「兄さんみたいなことを言う子だねえ」


◇


 エルマの倉を出ると、船着き場の小屋に、ネーヴァが紙の束を抱えて待っていた。

「あんた、数えるのが仕事なんだろう。これを見てごらん」

 紙の束は、ゾルハーデン側の村々から船頭組合に届いた、麦の運び込みの頼み状だった。どの紙にも、村の名と、欲しい麦の袋の数が書いてある。

 千束は小屋の床に座り込み、一枚ずつめくった。

 同じ村から、三通届いていた。一通目に百袋。二通目に百五十袋。三通目に二百袋。日付は四日おきだった。返事が来ないうちに、不安になって数を増やし、また書いたのだ。

 隣の村からも二通。その隣からも二通。

 千束は手帳に村ごとの数を書き、足し合わせた。それから、エルマに聞いた国境沿いの村々の人の数と、一人がひと冬に食べる麦の量を掛け合わせた。

「……頼まれている麦は、ひと冬に要る量の五倍です」

「五倍」

「同じ村が何度も頼んでいます。届くのが遅いから、届く前に次を頼む。数を足して頼む。頼まれたほうは、全部が本当の注文だと思って、もっと上の村や商人に頼む」

 ネーヴァは紙の束を見下ろした。

「じゃあ、本当に足りないのは」

「分かりません。この紙の数字は、怖さの大きさです。腹の減り方の大きさではありません」

 ダンが小屋の戸口で、腕を組んだままつぶやいた。

「怖さは、数えられるのか」

 千束は顔を上げた。

 ダンが自分から話すのを、千束は初めて聞いた気がした。

「……数えられます。こうやって、注文の紙に化けたときだけは」


◇


 その日の夕方、ネーヴァの船で河を渡った。

 ゾルハーデン側の岸は、アルメリク側よりもっと痩せていた。山が河のすぐそばまで迫っていて、畑にできる土地がほとんどない。岩だらけの斜面に、段々に石垣を積んで、わずかな麦を育てている。

「この国は、麦の半分をアルメリクから買ってるんだよ」

 ネーヴァは竿を操りながら言った。

「代わりに、山で掘った鉄と銅を下ろす。持ちつ持たれつってやつさ。それが今年は、アルメリクの麦が来ない。大寒に備えて、アルメリクが自分の倉に抱え込んだからね」

「ゾルハーデンも、蓄えているんですか」

「蓄えてるとも。天命は三つの国全部に告げられたんだ。こっちの村も三年分を抱え込もうとしてる。でも、抱え込む麦がない。だから、隣の村の倉を疑う。隣の国の倉を疑う」

 岸の上に、兵士の姿が見えた。

 槍を担いだ男たちが、十人ほど。岩の上に立って、こちらの船を見下ろしている。鎧の胸に、山の形をした紋章が刻まれていた。

「ハーゲン将軍の兵だよ」

 ネーヴァが声を落とした。

「国境の砦に、毎日少しずつ兵が増えてる。アルメリクが麦を隠してるなら、取りに行くしかないって、将軍は言ってるらしい」

 千束は兵士たちを見上げた。

 兵士たちの頬も、こけていた。

「戦争に、なるんですか」

「さあね。わたしは河のことしか分からない」

 ネーヴァは竿を河底に突き、船の向きを変えた。

「でも、腹の減った人間は、怖がりになる。怖がりは、先に手を出す」

 船は流れに乗って、アルメリク側の岸へ戻り始めた。

「あんた、王都の書記なんだろう」

「はい」

「じゃあ、王都に戻ったら、何をするんだい」

「数えます」

「数えて、それから?」

「……記録します」

「記録して、それから?」

 千束は答えられなかった。

 ネーヴァは竿を引き抜き、水を切った。

「わたしはね、毎朝、客と約束して船を出すんだ。何刻にどこへ着く、ってね。河はわたしの言うことなんか聞いちゃくれない。外れる日もある。外れたら、謝って、また次の朝に約束して出る」

「外れると分かっていて、約束するんですか」

「外れると分かってるから、毎朝するんだよ」

 ネーヴァは笑った。顔の皺が、笑ったときの形に深くなった。

「一度した約束を一生守るなんて、誰にもできやしない。毎朝し直すから、守れるのさ」

 千束は手帳を握りしめた。

 毎朝し直す約束。

 前の場所で、千束は毎朝の朝会で計画を確認していた。計画は毎日崩れ、毎日組み直した。それなのに、千束は一度も、計画を約束だと思ったことがなかった。

 崩れるものを、約束にしてはいけないと思っていた。


◇


 二日後、ネーヴァの早船で王都へ下った。

 下りは速かった。流れに乗って、両岸の景色が飛ぶように後ろへ流れていく。ダンは船の真ん中に座り込み、両手で船べりをつかんで目をつぶっていた。

「酔ったのかい、大男」

「酔ってない」

「顔が青いよ」

「生まれつき」

 ネーヴァが腹を抱えて笑った。

 千束は船首に座り、手帳を広げていた。国境の村で見た数字を書き込んでいく。刈り取られた畑の広さ。村に残された麦の袋の数。煙の上がっていない煙突の数。ゾルハーデンの兵の数。

 最後のページを開くと、湿った札が一枚挟まっていた。

 あの夜の、黄色い保留札。

 インクはもうほとんど消えかけていた。上下逆さの「出荷」の二文字だけが、かすかに読める。

 千束は札を手帳に挟み直した。

 王都まで、あと半日というところで、河の真ん中に中洲が見えてきた。

 細長い島だった。葦が茂り、その奥に石造りの倉が一棟だけ建っている。倉の壁に、何かの紋が描かれていた。遠くて形までは分からない。

「あの倉は、誰のものですか」

「さあね。昔は渡しの番小屋だったんだが、いつの間にか倉が建ってた。近づくなって、王都の船頭仲間には言われてる」

 中洲。

 塔の地図の上で、白い石が置かれた場所だった。

 千束は身を乗り出した。

 そのとき、葦の茂みが揺れた。

 風を切る音がした。

「伏せな!」

 ネーヴァの叫びと同時に、帆が裂けた。

 一本の矢が、千束の頭のすぐ上を通り抜け、帆布を突き破って向こうへ抜けていった。二本目が船べりに突き刺さった。三本目が、ダンの足元の板に食い込んだ。

 葦の中に、人影が見えた。弓を構えた男が、三人。四人。

 ネーヴァが竿を河底に突き立て、全身の力で船を回した。船が大きく傾いた。

 千束の体が、船べりから浮いた。

 手帳を胸に抱えたまま、千束は冷たい河へ落ちていった。

 水は、思っていたよりずっと冷たかった。

 耳の中で細かな泡が鳴った。光が、頭の上で揺れながら遠ざかっていく。千束は黒い手帳を離さなかった。紙が水を吸って、胸の前で重くなっていく。

 計算上は泳げる。

 その計算に、晩秋の河の水の冷たさは、どこにも入っていなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。