↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
外れる予言の数え方 〜転生した生産管理は、世界の倉を棚卸する〜  作者: もしものべりすと


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
24/24

第二十四章 朝会――「できません」の次に、私は「どこまでなら」と言えるようになった

 朝会は、八時十五分に始まる。

 この世界に、八時十五分という時刻はない。大倉の倉番小屋の軒下に、千束が砂時計と日時計で決めた刻があるだけだ。その刻になると、リコが小さな鐘を鳴らす。三回。それが朝会の合図だった。

 鐘が鳴った。

 三の倉の前に、人が集まってきた。

 三の倉の屋根は、新しくなっていた。冬のあいだに、倉番たちとガンツの粉屋の若い衆が、焼け落ちた梁を一本ずつ替えた。新しい瓦は、まだ黒くなりきっていなかった。春の朝の光を受けて、少しだけ青く光っていた。

 扉の脇の壁に、古い杖が一本、立てかけてあった。

 誰も動かさなかった。冬のあいだ、ずっとそこにあった。

 倉番たちが並んだ。ダンが、いちばん後ろに立っていた。両手の包帯は、もうなかった。指の腹に、新しい皮が厚く張っていた。

 王宮の書記が二人。粉屋組合の使いの若い衆。船頭組合の若い船頭。河岸の孤児院から、年長の子が一人。

 それから、深い青の外套のイレーネ王女が、木箱に腰かけていた。

 王女は、倉奉行の印を指にはめていた。五日だけの倉奉行ではなかった。年明けの朗読のあとで、王が改めて任じたのだった。

「始めるよ」

 リコが、板の前に立った。

 板には、炭で数字が書かれていた。リコの字だった。冬のあいだに、リコは札の数字から、ほかの字も覚えていた。まだ、ところどころ形が崩れていた。

「今日の計画」

 リコは板を指さした。

「王都の倉。きのうの夕方の数から、きのう出た分を引いて、きのう入った分を足した。今朝の数は、ここ。外れるかもしれない幅は、ここからここ」

 リコの指が、二つの数字のあいだをなぞった。

「きのうの差異は、三袋。七の倉で、数え違い。直した」

「三袋」

 王女が言った。

「誰の数え違い?」

「あたし」

 リコは、鼻を鳴らした。

「白が二枚の山、見落とした。直した」

 倉番たちが、笑った。

 リコは顔を赤くして、次の行を指した。

「水車小屋。ダン」

「七つとも、回ってる」

 ダンが、いちばん後ろから言った。

「予備の臼、二つ刻み終わった。あさって、入れ替え」

「ゾルハーデンへの届け」

「きのうの夕方、ハルトから知らせが来たよ」

 若い船頭が手を上げた。

「国境の村々で、きのう食べた分は、ここに書いてある。今朝の船で、その分を届ける。エルマ婆さんが、割符を刻んで待ってるってさ」

 リコは板に、数字を書き足した。

 千束は、板の脇に立っていた。

 黒い手帳を開いて、リコの数字を写していた。

 写しながら、顔を上げた。

 一人一人の顔を、見た。

 リコの顔。ダンの顔。若い船頭の顔。王女の顔。

 前の場所では、朝会でモニターしか見ていなかった。赤い線と、積み上がった棒だけを。棒の先にいる人間の顔を、千束は一度も見なかった。

 今は、見えていた。

 数字の向こうに、顔があった。


◇


「書記さん!」

 朝会の途中で、声が飛び込んできた。

 若い男が、大倉の門から走ってきた。白い前掛けをつけていた。額に汗を浮かべ、肩で息をしていた。

 千束の知らない顔だった。

「河岸の、新しいパン屋です。マルタさんの店の隣に、この春、店を出しました」

「はい」

「来週、春の祭りがあるんです。大聖堂の前で。人が、すごく来るって。マルタさんが、去年はいつもの三倍売れたって」

 男は、千束の前で両手を握りしめていた。

「来週、三倍、いけますか」

 朝会の全員が、千束を見た。

 リコが、にやりと笑っていた。ダンが、腕を組んでいた。王女が、木箱の上で、面白そうに首をかしげていた。

 千束は、男の顔を見た。

 若かった。二十を少し越えたくらいだろう。目の下に、隈があった。初めての祭りで、初めての店で、粉が足りなくなるのが怖いのだ。

 一秒で、数字を見た。

 水車小屋の挽ける量。春の倉の数。毎朝の届けの、余裕の一割。

 一秒で、答えを決めた。

 三倍は、無理だった。

 三秒目に、千束は口を開いた。

「できません」

 男の顔が、曇った。

 千束は、続けた。

「……どこまでなら、を、一緒に決めましょう」

 男が、瞬きをした。

 朝会の倉番たちが、どっと笑った。リコが手を叩いて笑っていた。王女が、袖で口もとを隠して笑っていた。ダンが、肘を二度叩いていた。

「あの、今のは」

「三倍は、できません。水車の挽く量が、足りません。でも祭りの前の三日間だけなら、ほかのパン屋さんの分を少しずつ前に寄せて、一・五倍は届けられます。それから、祭りの当日は、朝と昼の二回に分けて届けます。売れた分を、昼に知らせてください。知らせてくれた分だけ、夕方の窯に間に合わせます」

「一・五倍と、昼にもう一回」

「はい。一度に三倍を抱え込まなくても、足りなくなったら、その日のうちに届きます」

 男は、千束の顔をまじまじと見た。

「……それなら、足ります。たぶん」

「たぶん、で十分です。外れたら、祭りの朝に直します」

 男は、深く頭を下げた。

 それから、来たときと同じように走って、門の外へ消えていった。

 リコが、千束の脇腹を肘でつついた。

「チヅカ、三秒かかってた」

「計算していました」

「ちがうよ。顔、見てた」

 千束は答えなかった。

 手帳に、書いた。

 河岸の新しいパン屋。春の祭り。一・五倍。当日、昼に二回目。

 最後に、小さく書き足した。

 隈あり。初めての祭り。


◇


 朝会が終わると、王女が千束を船着き場へ誘った。

 春の河は、雪解けの水で太っていた。茶色く濁った流れが、石段のすぐ下まで迫っていた。今朝のゾルハーデンへの船が、札をつけた袋を積んで、上流へ出ていくところだった。船べりで、若い船頭が竿を河底に突いていた。毎朝、深さを確かめてから出るのだと、ネーヴァに叩き込まれたのだという。

「戸倉」

 王女は、出ていく船を見ていた。

「秋に、わたくしがあなたに言ったこと、覚えている?」

「どれでしょう」

「嘘もつかないで、と言ったの。そうしたら、あなたは、数字は嘘をつかないと答えた。わたくしが、あなたは? と聞いたら、あなたは答えなかった」

 千束は、河を見た。

「覚えています」

 王女は、千束を振り返った。

「今なら、答えられる?」

 千束は、少し考えた。

 それから、王女の目を見た。

「私は、嘘をつくかもしれません」

 王女の眉が、わずかに上がった。

「怖くなったら、また何かを隠すかもしれません。数字の後ろに隠れたくなる日も、きっとあります」

「……」

「でも、外れたら言います。毎朝。それだけは、約束します」

 王女は、長いあいだ千束を見ていた。

 それから、笑った。困ったような笑い方ではなかった。目の下の影は、もうどこにもなかった。

「それで十分よ」

 上流へ出ていく船の帆が、春の風をはらんで膨らんでいた。


◇


 冬は、終わった。

 ミルナ河の流域で、飢えて死んだ者は、一人も出なかった。

 朝の計画朗読は、毎朝続いた。千束が読む日もあった。王女が読む日もあった。冬の終わりには、リコが読む日もあった。

 外れた朝は、十一回あった。

 河の氷が思ったより早く張って、船が三日遅れた朝。上流の倉で、麦の袋が湿気て腐っていた朝。数え違い。届け違い。

 十一回とも、その朝の広場で、外れたと言った。

 十一回とも、直した数を読んだ。

 広場の人々は、外れたと聞いても、市場へ走らなくなった。明日の朝も、数が読まれると知っていたからだ。粉の値段は、冬の終わりに、天命の前の四枚に戻った。

 春の需給会議では、上流の谷の畑のことが話し合われた。

 ハーゲン将軍が自ら王都へ来て、王と同じテーブルに座った。谷の畑で穫れる麦の数を、両国の倉守が一緒に数えた。決まらなかった。将軍は、来年の春にまた話そうと言って帰っていった。兵は、一人も国境を越えなかった。

 天秤商会は、なくなった。中洲の五つの倉は、倉奉行の倉になった。バルトロは、王都の外れの石切り場で、石を数える仕事をしているという。

 天命院の塔は、まだ広場の北に立っていた。宣託官たちは、天命を告げるのをやめた。かわりに、空を見て、雲の動きと風の向きを数えるようになった。明日は雨になるかもしれない、と、外れる幅をつけて告げるようになった。

 鷲尾の消息は、なかった。

 ただ、雪解けの水が河を太らせ始めたころ、ネーヴァが河口から一つの噂を持ち帰ってきた。

 海の向こうの、どこかの港町に、妙な商人がいるらしい。店先に札を掲げているのだという。今日は無い、と。明日の朝なら、ある、と。

 嘘か本当か、誰にも分からなかった。

 千束は、手帳の端に、その噂を書きとめた。

 未確定、とは書かなかった。

 かわりに、小さな印をつけた。外れるかもしれない幅のついた、印を。


◇


 午後、千束は河岸の孤児院へ行った。

 孤児院の窓の板は、外されていた。春の光が、長い板の床の上に、四角く差し込んでいた。子どもたちの声が、部屋の中に満ちていた。騒ぐ声だった。騒ぐ力のある声だった。

 部屋の壁に、新しい板が一枚、打ちつけてあった。板には炭で、子どもたちの名前と、その日食べたパンの数が書かれていた。ヘルガ院長が、毎晩つけているのだという。字の書けない子の欄には、白い小石が一つずつ、小さな皿に置かれていた。

 台所の隅に、木箱があった。

 蓋が開いていた。中に、黒いパンが入っていた。明日の分だった。

「数えよう」

 千束が言うと、小さな男の子が駆け寄ってきた。

 トビだった。七つから八つになっていた。頬に、肉が戻っていた。灰色の髪が、リコと同じように布で縛ってあった。

「ねえちゃんの、小石でやる?」

「指でやりましょう」

 トビは木箱の前にしゃがみ込み、パンを一つずつ指さしながら数えた。

「一。二。三」

 数え間違えた。もう一度、最初から数えた。

「四十二。……四十三?」

「新しい子が、一人来ました」

 ヘルガ院長が、台所の戸口で言った。

「きのう、河の上の村から。親を冬に亡くした子です」

 千束は、手帳を開いた。

 孤児院。四十三人。明日の分、四十三個。四分の一ではなく、一個ずつ。

 トビが、千束の袖を引いた。

「明日も、ある?」

 千束は、トビの顔を見た。

 小さな顔だった。秋に、寝台の上で、頬の肉が落ちて目だけが大きかった顔だった。

 千束は、しゃがみ込んだ。

 トビと、目の高さを合わせた。

「ある」

 千束は言った。

「もし外れたら、朝に直す。約束する」

 トビは、少し考えた。

 それから、にっと笑った。

「ねえちゃんと、同じこと言う」

 トビは、ほかの子どもたちのところへ走っていった。

 千束は、しゃがんだまま、木箱の中のパンを見ていた。

 四十三個。

 この世界に来て、いちばん小さな数の約束だった。

 けれど、いちばん重かった。

 王国の倉を数えた日より。三つの国の倉を一晩で数えた日より。広場で何千という顔の前に立った朝より。

 千束は、手帳を閉じた。


◇


 その夜、千束は倉番小屋で、日報を書いた。

 油皿の灯りの下で、ボールペンを走らせた。インクは、まだ残っていた。日報だけに使ってきたおかげだった。いつか尽きる日のことを、千束はもう恐れていなかった。尽きたら、葦のペンと墨で書けばいい。数え方は、ペンが覚えているのではなかった。指が、覚えていた。

 朝会。リコ、計画朗読。差異三袋、七の倉、直した。

 河岸の新しいパン屋。祭り。一・五倍。

 水車小屋、七つとも。予備の臼、二つ。

 ゾルハーデンへの届け、今朝の船。

 孤児院、四十三人。新しい子、一人。

 千束は、ページの余白に、もう一行足した。

 届かない手紙だった。

 久保さん。十二年前のあの日の、本当の原因を書きます。原因は、作業者の確認不足ではありませんでした。徹夜をさせて、明け方に段取り替えをさせた、私の計画でした。報告書に、そう書くべきでした。ごめんなさい。

 千束はペンを止めた。

 長いあいだ、その一行を見ていた。

 それから、最後の行に、今日の締めを書いた。

 本日の差異、三袋。

 その下に、もう一行。

 十二年間、毎日書いてきた二文字の場所に。

 明日の朝、また数える。

 千束は、手帳を閉じた。

 窓の外で、風が鳴っていた。

 春の夜の風だった。七つの倉のあいだを吹き抜けて、袋の口紐に結ばれた札を揺らしていた。何百という小さな紙が、いっせいに、かさかさと鳴っていた。

 あの夜と、同じ音だった。

 台風の夜の、自動倉庫の暗がりで、指のあいだで鳴っていた白い札の音。

 千束は、窓辺に立った。

 月の光の下で、札が揺れていた。一枚一枚に、番号が書いてあった。最後の一桁まで、足し算の合った番号が。

 もう、怖い音では、なかった。窓の外の暗がりに、誰かが立っているような気がした。杖をついた、背の曲がった影が。

 明日の朝の、音だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。