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外れる予言の数え方 〜転生した生産管理は、世界の倉を棚卸する〜  作者: もしものべりすと


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20/24

第二十章 需給会議――最初に嘘を書いたのは私だと言ったら、一つのテーブルに三つの国が座った

 牢の扉が開いたのは、百九日目の昼だった。

 鍵を回したのは、牢番のハンスではなかった。

 イレーネ王女だった。灰色の外套ではなく、深い青の外套をまとっていた。手に、千束が書いた本当の報告書の紙を握っていた。紙は皺だらけで、何度も開いては閉じたあとがあった。

「出なさい」

 王女は言った。

「父上の許しは、取ったわ。五日だけ」

「五日」

「年明けの朗読の朝まで。それまでに天命とあなたの数を、広場で並べてみせなさい。それが父上の条件よ」

 千束は藁の上から立ち上がった。

 膝が、少しふらついた。四日ぶりに、まっすぐ立った気がした。

「殿下。どうやって、陛下を」

「全部、見せたわ」

 王女は紙を掲げた。

「あなたの報告書。手帳の最後のページの、百日分の印。五十二の札の検算桁。トマの割符」

 王女は、少しだけ笑った。

「それから、わたくしも同じだったと申し上げたの。報告書が偽りだと分かっていて、父上に渡したって。戦を止めるために、ダンを差し出したって」

「……殿下」

「父上は、長いこと黙っておられた。それから、言われたわ。わしも同じだ、と。天命院の約束が嘘かもしれないと、どこかで分かっていて、買ったと。民を眠らせるために」

 王女は千束の手を取った。

 冷たい手だった。王女も、眠っていないのだと千束は思った。

「わたくしたち、皆、同じことをしていたのよ。数字から目をそらして、約束を買っていた」

 王女は千束の手を強く握った。

「だから、今度は、本当の数字で約束して。あなたが」


◇


 大倉の中庭は、黒く焼け焦げていた。

 焚帳の灰が、石畳の上に薄く積もっていた。三の倉の屋根は半分が落ち、梁が黒い骨のように空に突き出していた。二の倉の裏の壁は崩れ、焼けた麦の匂いが、冬の乾いた風に混じって漂っていた。

 倉番たちが、焼け跡を片づけていた。

 千束が中庭に入ると、倉番たちの手が止まった。

 誰も、何も言わなかった。

 三十人の倉番たちが焼けた袋を抱えたまま、桶を持ったまま千束を見ていた。その中に、ダンがいた。両手の包帯は、新しく巻き直されていた。ダンは千束を見て、それから目をそらした。

 リコが、三の倉の前に立っていた。

 トマが座り込んで、息を引き取った場所だった。石畳の上に、杖が一本、置かれていた。誰も動かさなかったのだと、千束には分かった。

 千束は、中庭の真ん中まで歩いていった。

 倉番たちの前で、立ち止まった。

 深く、頭を下げた。

「最初に嘘を書いたのは、私です」

 中庭が、静まり返った。

「救援麦の報告書に、ダンの名前を書きました。ダンは、あの朝、西の支流の粉倉にいました。私は、それを知っていました。知っていて、書きました」

 千束は、頭を下げたまま言った。

「自分が差し出されるのが、怖かったからです。札や毎朝の届けが止まると、自分に言い聞かせました。でも本当は、約束するのが怖かったからです。自分の名前を差し出して、それでも皆を守ると約束するのが」

 声が、震えそうになった。

 千束は、震えさせなかった。

「ダン。ごめんなさい。皆さん、ごめんなさい」

 長い沈黙があった。

 冬の風が、焼け跡の灰を巻き上げた。

 足音が、近づいてきた。

 大きな影が、千束の前に立った。

 千束は顔を上げた。

 ダンが、千束を見下ろしていた。煤で汚れた顔の中で、目だけが静かだった。

「怒ってる」

 ダンは言った。

「……はい」

「まだ、怒ってる」

「はい」

 ダンは、包帯の手を見下ろした。

 それから、また千束を見た。

「次は」

 ダンは、ゆっくりと言った。

「一緒に数える」

 千束は、息を止めた。

 ダンは、それ以上何も言わなかった。千束に背を向け、焼けた袋の山へ戻っていった。肘を二度、叩いていた。

 倉番たちが一人また一人と、仕事に戻っていった。誰も何も言わなかった。けれど、千束から目をそらす者は、もういなかった。

 リコが、三の倉の前から歩いてきた。

 千束の前で立ち止まり、千束の顔を見上げた。

「直した?」

「直しました。殿下が、陛下に見せてくださいました」

「ふうん」

 リコは千束の袖を引いた。

「じゃあ、次、何数えるの」


◇


「三つの国の倉を、一晩で数えます」

 その夜、王宮の東の部屋で、千束は言った。

 机の上に、王国の地図が広げられていた。ミルナ河が北から南へ、細い青い線で描かれている。その上流に、山岳国ゾルハーデン。河口に、商港連合ベルカ。

 部屋には、千束と王女のほかに、何人もの人が詰めかけていた。

 粉屋組合のガンツ。河岸のパン屋のマルタ。孤児院のヘルガ院長。王女の書記たち。それから、ゾルハーデンの使者ヴェルナーが、壁際に腕を組んで立っていた。年明けの朗読まで王都に留まり、返答を待つことになっている男だった。

 もう一人、見慣れない男がいた。

 潮の匂いのする外套を着た、背の低い男だった。ベルカの商人の船長だという。河口をふさいでいる船の、取りまとめ役の一人だった。王女が使いを出して、呼び寄せたのだった。

「一晩で、三つの国の倉を?」

 ガンツが白い眉を持ち上げた。

「王都の十九の倉を数えるのに、四日かかったぞ」

「あのときは、王都の人だけで数えました。今度は、数える人を、倉のある場所ごとに置きます」

 千束は地図の上に、小石を置いていった。

 王都に赤い石。河沿いの村々に白い石。ハルトに黒い石。上流のゾルハーデンの村々に、また白い石。河口のベルカに、青い石。

「倉のある場所の人が、自分たちの倉を数えます。二人一組で。棚番と色札で。王都で数えたやり方を、紙に書いて渡します。数えた数は、河の船で運びます。船頭組合の船が、河の上から下まで、夜通し走ります」

「船頭組合の頭領は、上流へ出たままではなかったか」

「ネーヴァさんは、年明けの朝までに戻ると約束しました。組合の若い人たちは、王都に残っています」

 千束は地図の真ん中の、細長い中洲を指で押さえた。

「それから、ここも数えます」

 部屋が、静まり返った。

「天命院の聖なる倉、です」

「天命院の倉を、数えるの」

 王女が言った。

「中洲には、私が送った救援麦の、本物の四十袋があるはずです。表の札は外されています。でも、口紐の下に、控えの札が縫い込まれたままのはずです」

 千束は手帳を開いた。

「ロット三〇八、袋の番号〇一から四〇。その控えの札が見つかれば、救援麦が王都を出たあとで入れ替えられたことが証せます。札をたどって、袋がどこへ行ったかを追いかけます」

 千束は、ヴェルナーを見た。

「使者どの。あなたの村に届いた五十二袋の札を、もう一度見ていただけますか。四十一番から五十二番の札の、最後の一桁を」

 ヴェルナーは、腕を組んだまま動かなかった。

 王女が、千束の手帳の最後のページを開いて、ヴェルナーの前に差し出した。

 五十二行の番号と、その横に千束が書いた足し算。四十一から先の、十二行の赤い印。

 ヴェルナーは長いあいだ、そのページを見ていた。

 それから、懐から小さな紙の束を取り出した。大広間でぶちまけたあと、拾い集めて持っていた札だった。

 ヴェルナーは四十一番の札を抜き出した。指で、数字をなぞった。唇が、かすかに動いていた。三と〇と八と、四と一。

「……六」

 ヴェルナーは呟いた。

「札には、二と書いてある」

「はい」

「四十二番。七。札には、三」

 ヴェルナーの手が、震えていた。

 四十三番。四十四番。ヴェルナーは十二枚全部を、自分の指で足し算した。

 十二枚とも、合わなかった。

 ヴェルナーは顔を上げた。

 血走った目が、千束を見ていた。

「……これを、将軍に見せろというのか」

「年明けの朗読の朝に。広場で。割符と、中洲の控えの札と一緒に」

「それまでに、我が国の村々も数えろというのか」

「はい。国境の村々の倉に、本当はどれだけの麦があるのか。何人が、春までにどれだけ食べるのか。頼み状の数ではなく、本当の数を」

 千束は、ネーヴァの小屋で見た頼み状の束を思い出していた。

「国境で、頼み状を見ました。同じ村から、何度も、数を増やして。届くのが遅いから。怖いから。足し合わせると、ひと冬に要る量の五倍でした。その五倍の数を、アルメリクは本当の注文だと思って、怖がっていました。アルメリクの怖さが、またゾルハーデンを怖がらせていました」

 千束は地図の上で、王都の赤い石と、国境の白い石を指で結んだ。

「二つの国が、互いの怖さを数えていたんです。麦ではなく」

 ヴェルナーは、しばらく黙っていた。

 それから、窓の外を見た。夜の闇の向こうに、白い塔がぼんやりと浮かんでいた。

「……伝書の鳩が、三羽ある」

 ヴェルナーは言った。

「国境の砦まで、一日で飛ぶ。やってみよう。約束はできんがな」

「それで十分です」

 千束は言いかけて、止まった。

 それから、言い直した。

「いいえ。約束してください。外れたら、また朝に言い直せばいいんです」

 ヴェルナーは、妙な顔をした。

 それから、口の端をわずかに上げた。

「……変わった女だ」

「よく言われます」


◇


「ベルカの船長さん」

 千束は、潮の匂いの男に向き直った。

「河口をふさいでいるのは、麦が高く売れるまで待つためですか」

「そうだ」

 男は悪びれずに言った。

「大寒が三年続くなら、麦はこれからもっと上がる。今売るのは馬鹿のすることだ」

「では、値段が上がらないと分かれば」

「売るさ。持っていても腐るだけだ」

 千束は王女を見た。

 王女がうなずいた。

「春の終わりまで、アルメリクの王家が、ベルカの麦を今の値で買い上げると約束したら」

 王女が言った。

「上がるのを待つ理由は、なくなるわね」

 男の目が、細くなった。

「……王家の約束か」

「倉奉行の約束よ。五日だけの倉奉行だけれど」

 王女は千束の手帳を指さした。

「それに、毎朝、本当の麦の数を広場で読み上げる。値段が上がる理由があるかどうか、あなたたちにも見えるように」

 千束は、手帳に書いた。

 値段を、動かさない。

 前の場所で、何度も見てきた。安売りがあると、人は必要もないのに買い込む。値上がりの噂があると、人は先に買い込む。値段が揺れると、注文が揺れる。注文が揺れると、上流ほど大きく揺れる。鞭の柄を握る手を止めるには、値段を動かさないことだ。

 男は長いあいだ考えていた。

 それから、短く言った。

「年明けの朝の数を、聞いてから決める」

「それで構いません」

 千束は言った。

 ガンツが、白い眉の下で千束を見ていた。マルタが、腕を組んでうなずいていた。ヘルガ院長が、膝の上で手を握りしめていた。

「これは、何という集まりなの」

 王女が聞いた。

「前にいた場所では、需給会議と呼んでいました」

 千束は部屋を見回した。

「売る人と作る人と、運ぶ人と食べる人が、一つのテーブルに座ります。売る数と、作る数を、一つにそろえるための会議です。それぞれが自分の怖さで数を膨らませないように。全員が、同じ本当の数を見るように」

「じゅきゅう、かいぎ」

 マルタが繰り返した。

「パン屋が、お城の会議に呼ばれる日が来るとはね」

 部屋に、小さな笑いが起きた。

 王女も、笑っていた。


◇


 翌日、千束は天命院の塔の階段を上った。

 三百六十二段。

 数えなかった。数えなくても、足は止まらなかった。

 最上階の黒い扉は、開いていた。

 ワシオは、窓辺に立っていた。白い長衣ではなく、灰色の外套を着ていた。卓の上には三つの国の地図が広げられ、色のついた小石が散らばっていた。中洲の上に、白い石が山のように積まれていた。

「手紙は読んだ」

 ワシオは振り返らずに言った。

「あなたに売ってほしいものがある、か。何を売れってんだ」

「落ち着き、です」

 ワシオが、振り返った。

 千束は卓の前に立っていた。

「年明けの朝、広場で、私は本当の数を読みます。三つの国の倉の数を。それで、麦が足りていることを示します」

「足りてるなら、数字を読めばいい」

「数字だけでは、人は止まりません」

 千束は言った。

「評定の日に、それを知りました。私の数字は、誰も眠らせなかった。あなたの言ったとおりです」

 ワシオは黙っていた。

「人が買い急ぐのを止めるには、誰かが、買うなと言わなければいけません。足りていると、大丈夫だと。人の心を動かす声で。この国で、それができるのは、あなたしかいません」

「……俺に、『無い』を売れってか」

 ワシオは笑った。

 声を上げて笑った。塔の石の壁に、笑い声が反響した。

「三十三年、一度も『無い』と言わなかった男に。客の欲しいに無いは無いで、ここまで来た男に。足りてるから買うな、と言えって?」

「はい」

「断る」

 ワシオは笑うのをやめた。

 卓の上の白い石を一つ取り、千束の前に置いた。

「年明けの朝、お前は将軍に引き渡される。それで終わりだ。お前の本当の数なんか、誰も聞かない」

「聞かせます」

 千束は言った。

「約束しました。この冬、ミルナ河の誰も飢えさせないと。外れたら、毎朝直すと」

 ワシオの目が、わずかに見開かれた。

「……お前が、約束?」

「はい」

「戸倉が、約束」

 ワシオは、長いあいだ千束を見ていた。

 それから、窓の外を向いた。

「出ていけ」

 千束は、一礼した。

 扉に手をかけたとき、背中で声がした。

「ハーゲンは、もう王都の外れまで来てる。年明けの朝、日の出とともに、丘の狼煙台に火を入れる手はずだ。火が上がったら、国境の砦の兵が河を渡る」

「……」

「お前の数が間に合わなかったら、それで戦だ」

 千束は振り返らなかった。

 扉を閉めた。

 三百六十二段の階段を、一段ずつ下りていった。

 年明けの朝まで、あと三日だった。


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