第一話 処刑される軍師は、帝国最強の兵器を盗む
夜明けとともに、俺は死ぬ。
鉄格子の向こうで、靴底が石床を叩いていた。
一人、二人、三人――全部で六人。
銃殺隊としては、少し多い。
「帝国も随分と俺を高く評価してくれたものだ」
冷たい石壁に背を預けたまま呟くと、鉄格子の前で足音が止まった。
看守が鍵束を取り出す。
処刑予定時刻は午前五時三十分。
壁に掛けられた時計の針は、五時二十七分を指していた。
あと三分。
もっとも――予定どおり執行されれば、の話だが。
「国家反逆罪、軍命令違反、皇族に対する殺害脅迫。元帝国軍作戦参謀、カイル。時間だ」
「殺害脅迫とは心外だな。殺すつもりなら、あの場で撃っていた」
「黙れ。立て」
「三分くらい寝かせてくれ。昨日から一睡もしてないんだ」
「これから永遠に眠れる」
「それなら、なおさら急ぐ必要はないだろ」
看守の頬が引きつった。
冗談のつもりだったのだが、どうやら笑ってはもらえないらしい。
仕方なく立ち上がる。
手首には手錠。軍服から階級章と勲章は取り外され、腰にあった拳銃も当然ながら没収されている。
十四年間も帝国へ尽くした結果がこれだ。
我ながら、割に合わない人生だった。
いや――人生が割に合わないのは、前世から同じか。
俺は前世で、二十九歳の会社員だった。
趣味は軍事史と戦略ゲーム。特技は、無茶な納期を押しつけてくる上司と、今にも辞表を書きそうな部下の間に立つこと。
華々しい英雄とは程遠い、どこにでもいる中間管理職だ。
そんな俺はある日、目を覚ますと十歳の少年になっていた。
しかも、ただの異世界ではない。
そこは俺が前世で何百時間も遊んだ戦略ゲーム――『鋼鉄黙示録―アイゼン・クロニクル―』の世界だった。
蒸気機関が文明を支配し、戦車と装甲列車と飛行艦が戦場を埋め尽くす世界。
魔法が遠い昔に失われた、鋼鉄と火薬の時代。
そして、俺が転生したカイルという男は、物語の中盤から登場する帝国軍の天才参謀。
敵国の都市を民間人ごと焼き払い、最後には主人公たちに討たれる悪役だった。
ゲームのカイルが、なぜ虐殺に手を染めたのか。
転生した当初の俺は知らなかった。
だが今なら分かる。
カイルは今日、一人の少女へ命令するのだ。
――第六封印を解除し、敵を殲滅せよ、と。
その命令によって、少女は敵艦隊も、味方の都市も、そこに暮らす人間も消し去る。
そして少女自身も、人間ではなくなる。
「歩け」
背中を小銃で押された。
俺は独房を出て、薄暗い通路を歩き始める。
あと二分。
帝都の夜明けは霧が深い。
地上では、無数の煙突が黒煙を吐き出しているだろう。労働者を工場へ運ぶ蒸気車が走り、軍用飛行船が空を巡回し、新聞売りの子供が新たな戦争の始まりを叫ぶ。
そして帝都から遠く離れた第二都市では、百万人の市民が共和国の空中艦隊に怯えている。
助かる方法は二つ。
一つは、少女――ノアを犠牲にすること。
もう一つは――俺を信じることだ。
「止まれ」
看守が命じた。
地上へ続く扉の前に、一人の男が立っていた。
金色の短髪。青い瞳。背筋を伸ばして立つ姿は、こんな早朝でも寸分の隙もない。
帝国軍准将、アーク・グランツ。
士官学校時代からの腐れ縁であり、俺を追い落とした男。
そして、おそらく今でも俺を友人だと思っている、救いようのない馬鹿だ。
「少し二人で話をさせてくれ」
アークが告げると、看守たちが顔を見合わせた。
「しかし、准将閣下。処刑まで時間がありません」
「責任は私が取る」
「……承知しました」
看守たちは通路の先へ下がった。
アークはしばらく何も言わなかった。
俺の手錠を見つめ、それから俺の顔を見る。
「ひどい顔だな」
「生まれつきだ」
「そういう意味ではない。眠っていないのか」
「昨日の夕食がまずくてな。国家反逆者にも、もう少しまともなものを食わせるべきだと思う」
「相変わらずだな、お前は」
アークが小さく息を吐く。
その表情には、怒りより疲労の方が濃く浮かんでいた。
「まだ間に合う」
「朝食の話か?」
「ノアへの命令妨害を撤回しろ」
俺は黙ってアークを見る。
「皇太子殿下へ謝罪し、第零号兵器の指揮権移譲を正式に承認するんだ。そうすれば処刑は取り消される。階級は失うだろうが、命までは取られない」
「断る」
「カイル!」
アークの声が石造りの通路に響いた。
「共和国の第一空中艦隊が、第二都市へ迫っている。飛行戦艦二十二隻、巡洋艦四十隻、その他の随伴艦を合わせれば百隻を超える。帝国の戦力では止められない」
「知っている」
「ならば、なぜ分からない!」
アークが俺の胸倉をつかんだ。
「第六封印を解除すれば、ノアは敵艦隊を殲滅できる。少女一人の犠牲で、百万人を救えるんだぞ!」
「二年前も同じことを言ったな」
アークの手に力がこもる。
二年前の《灰都撤退戦》。
敵に包囲された都市を守るため、帝国はノアに都市ごとの焼却を命じようとした。
市民八万人と帝国兵二万人。
十万人を犠牲にすれば、共和国へ古代魔導炉が渡るのを防げる。
合理的な判断だった。
だから俺は命令書を偽造し、軍用列車を強奪して、十万人全員を逃がした。
アークは俺を守るため、偽造命令書へ自分が署名したと嘘をついた。
その結果、アークは昇進を取り消され、一族まで監視対象になった。
「お前はまた、救う人間の数を数えた」
「軍人なら当然だ」
「そうだな。お前は正しいよ」
「なら――」
「だが、ノアもその数字に入れろ」
アークの手が止まる。
「百万人と一人だ。勝手に一人を切り捨てて、計算を簡単にするな」
「綺麗事で戦争は終わらない」
「知っている。俺はお前より多くの戦場を見てきた」
「ならば代案を出せ! 少女を守るために、百万人へ死ねと言うのか!」
「ノアも百万人も死なせない」
「牢獄の中にいるお前に、何ができる!」
俺は壁の時計へ目を向けた。
午前五時二十九分五十七秒。
「アーク」
残り三秒。
「俺が何の準備もせず、皇太子に銃を向けたと思うか?」
秒針が真上へ重なった。
直後。
帝都全域を、けたたましい警報が揺らした。
石壁の隙間から埃が落ちる。
一度、二度、三度。
敵襲を知らせる、長い警報。
『帝都防空司令部より全軍へ! 共和国飛行艦隊を西方百二十キロに確認! 敵艦隊は帝都へ向け進行中! これは演習ではない! 繰り返す、これは演習ではない!』
通路の先にいた看守たちが騒ぎ始めた。
アークが目を見開く。
「共和国軍だと……? なぜ第二都市ではなく、帝都へ来る」
「正確には第一艦隊の三分の一だ。残りはまだ第二都市へ向かっている」
「何をした、カイル」
「共和国軍へ教えてやっただけだ。帝国唯一の魔法兵器が帝都にあり、今日に限って指揮官が不在になるとな」
「敵国へ最高機密を流したのか!」
「国家反逆罪で処刑されるんだ。罪状は多い方が格好がつくだろ」
アークが腰の自動拳銃へ手をかける。
しかし、抜くより早く地面が揺れた。
遠方から、低い爆発音が届く。
帝都外周の対空砲が火を噴き始めたらしい。
「帝都への攻撃が目的ではない。共和国の艦隊司令官は慎重な男だ。情報の真偽を確かめるため、別働隊を送ったにすぎない」
「それでも帝都を危険に晒したことに変わりはない!」
「安心しろ。あいつは三十分以内に撤退する」
「なぜ言い切れる」
「このあと、帝国主力艦隊が共和国の補給線を遮断したという偽報が届くからだ」
アークが息を呑んだ。
「お前は……投獄される前から、すべて仕組んでいたのか」
「いいや」
俺は手錠を持ち上げる。
「投獄されるところまで含めて仕組んだ」
警報に紛れ、別の音が近づいてきた。
蒸気管から圧力が抜ける音。
続いて、照明が消える。
「なっ――」
暗闇の中、金属の擦れる音がした。
手錠が外れる。
「カイル少将」
耳元で聞き慣れた声が囁いた。
「お迎えに上がりました」
「少将は昨日付けで解任された」
「我々は辞令を受け取っておりません」
「そうか。なら仕方ないな」
非常灯が点灯する。
目の前に、整備兵の格好をした男が立っていた。
かつて俺の副官を務めていた男だ。
彼は俺へ拳銃と軍服を差し出すと、敬礼した。
「第十三作戦室、総員二十七名。閣下のご命令をお待ちしております」
「揃いも揃って馬鹿ばかりだな。俺についてくれば、全員国家反逆者だぞ」
「我々の辞書では、休暇と書きます」
「帝国軍人の国語力は末期らしい」
軍服を羽織り、拳銃を受け取る。
俺たちのやり取りを、アークは動かずに見ていた。
「最初から、部下を巻き込むつもりだったのか」
「違う。こいつらが勝手に来た」
「閣下が何も命じてくださらないので、命令を偽造しました」
「本当に末期だな」
俺はアークの横を通り過ぎた。
「待て、カイル」
「ノアを迎えに行く」
「行かせると思うか」
「止めるなら撃て」
足を止めずに答える。
背中へアークの銃口が向けられる気配がした。
「今度こそ、お前を庇えない」
「庇うな。二年前にも言っただろ」
「お前はいつもそうだ!」
アークの怒声が追いかけてきた。
「全員を救おうとするくせに、その全員の中へ自分を入れない! お前が死ねば悲しむ者がいると、なぜ計算に入れない!」
「……計算には入れてるさ」
俺は振り返らなかった。
「優先順位が低いだけだ」
銃声は鳴らなかった。
◇
帝国戦略級人型兵器・第零号《N.O.A.H.》。
その存在を知る人間は、帝国内でも百人に満たない。
かつて魔法が存在した時代、人々は神を殺した。
殺した神の心臓を人間へ埋め込み、その力を支配しようとした。
数千年後、帝国は遺跡から発掘した神の心臓と、適合する一人の孤児を手に入れた。
それが、ノアだ。
見た目は十七歳ほどの少女にすぎない。
だが彼女が「落ちて」と言えば、飛行戦艦が墜落する。
「止まって」と言えば、砲弾も人間の心臓も停止する。
「消えて」と言えば、城塞都市さえ跡形もなく消滅する。
この鋼鉄の時代に、ただ一人だけ存在する魔法使い。
一国を滅ぼすために、軍隊など必要ない。
ノア一人で十分だった。
だからこそ、帝国は彼女を人間として扱わなかった。
『第六封印、解除工程へ移行』
地下深くに造られた発進施設。
円形の部屋の中央で、ノアは巨大な鋼鉄製の拘束装置につながれていた。
腰まで伸びる銀白色の髪。
病的なほど白い肌。
細い手足を包むのは、装飾のない白い軍服。
首には所有者を示す、黒い金属製の首輪が嵌められている。
裸足の爪先からは、床に赤い血が滴っていた。
『第五封印、強制解除』
機械音声とともに、首輪から黒い光が走る。
ノアの身体が小さく跳ねた。
それでも悲鳴は上げない。
泣くことも、助けを求めることもしない。
そんなことをしても、何も変わらないと知っているからだ。
「第零号兵器」
監視室の拡声器から、アークの声が響く。
実際のアークは、まだ俺を追っている。流れているのは、事前に登録された命令音声だ。
『正式な指揮権移譲に基づき、命令する。第六封印を解除。共和国第一空中艦隊を消滅させろ』
「命令を拒否します」
ノアが答えた。
感情の薄い、静かな声だった。
『第零号兵器に拒否権は存在しない』
「存在します」
『命令違反を確認。服従術式を起動する』
首輪から再び黒い光が迸る。
今度は、ノアの膝が床についた。
白い軍服の下で皮膚が焼け、細い肩が震える。
それでも彼女は顔を上げた。
『命令に従え』
「拒否します」
『なぜだ』
「あなたは、マスターではありません」
施設司令官が苛立たしげに操作盤を叩いた。
「出力を上げろ! 思考抑制術式も最大まで起動しろ!」
「しかし、これ以上は被検体の脳へ障害が――」
「構わん! 人格など戦闘に必要ない!」
俺が発進施設へ到着したのは、ちょうどその言葉が聞こえたときだった。
「そいつは俺も同感だ」
拳銃を抜く。
「お前の人格は、この世に必要なさそうだ」
銃声。
弾丸が施設司令官の頬を掠め、背後の操作盤に突き刺さった。
「カイル……!」
「動くな。次は当てる」
司令官が慌てて両手を上げる。
周囲の兵士たちが一斉に小銃を構えた。
数は十二。
正面から撃ち合えば、俺は三秒も保たない。
だから、撃ち合う必要はない。
「ノア」
名前を呼ぶ。
銀白色の髪が揺れた。
ノアが、ゆっくりとこちらを見る。
青灰色の瞳が、ほんの少しだけ大きくなる。
「……マスター?」
「悪い。少し遅れた」
ノアの唇が微かに開いた。
「どうして、ここに」
「迎えに来た」
「ですが、マスターは処刑されたと」
「死人が歩いていたら困るか?」
ノアは小さく首を横に振った。
「いいえ」
拘束された右手が、俺へ伸びる。
「安心しました」
その一言で、胸の奥が軋んだ。
安心した。
たったそれだけの言葉を口にするために、この少女はどれだけの苦痛に耐えたのだろう。
「貴様!」
施設司令官が叫ぶ。
「その兵器から離れろ! 第零号は帝国の所有物だ!」
「聞いたか、ノア」
「はい」
「お前は、どう思う?」
ノアが施設司令官を見る。
「マスターへ大声を出しました」
「そこじゃない」
「敵性行動と判断します。排除しますか?」
「それも違う。あと殺すな」
「承知しました」
ノアの視線が、司令官の胸元からわずかに外れた。
今こいつ、心臓を止めようとしていたな。
「その男を殺せ!」
兵士の一人が叫んだ。
十二丁の小銃が、俺へ向く。
引き金が引かれた。
「止まって」
ノアの声が落ちる。
世界が静止した。
放たれた弾丸が、俺の眼前で止まっている。
銃口から噴き出した炎も、天井から漏れていた蒸気も、宙に舞う埃さえ動かない。
まるで時間そのものが凍りついたようだった。
ただし、停止しているのは時間ではない。
ノアが「動いてはならない」と決めたものすべてだ。
俺は眼前の弾丸を指で摘み、床へ落とした。
金属音が、静まり返った室内へ響く。
「殺してもよかったのでは?」
「駄目だ」
「なぜでしょう」
「あとで状況を説明できる人間がいなくなる」
「合理的です」
「納得するな」
ノアの前まで歩き、拘束装置を調べる。
両手、両足、腰、首。
七つの固定具に加え、体内へ直接命令を流し込む銀色の針が背中へ刺さっている。
「少し痛むぞ」
「問題ありません。痛覚の遮断が可能です」
「遮断するな。壊れたことに気づけなくなる」
「ですが、マスターが不快そうです」
「俺の問題じゃない。お前の身体の話だ」
ノアはしばらく黙り、わずかに首を傾けた。
自分が傷つくことを、なぜ俺が嫌がるのか。
まだ理解できていないのだ。
拳銃の柄で固定具の制御盤を破壊する。
手足の拘束は外れたが、首輪だけは残った。
帝国の正規指揮官による生体認証がなければ解除できない。
「マスター」
「何だ」
「共和国艦隊が第二都市へ接近しています」
「知っている」
「私なら殲滅できます」
「駄目だ」
「第二都市には、多数の人間が存在します」
「それも知っている」
「私は、命令されれば第六封印を解除できます」
ノアが俺を見上げる。
迷いも恐怖もない。
ただ、俺の命令を待っている。
「命令してください、マスター」
「断る」
「なぜですか」
「お前が消えるからだ」
「私一人と、百万人です」
「お前までアークみたいなことを言うな」
「計算する必要もありません」
「ノア」
「私は兵器です。そのために造られました」
その言葉を聞いた瞬間、十四年前の記憶が蘇った。
ゲームの画面。
崩れ落ちる銀髪の少女。
感情を失った瞳。
そして、冷たい声で命令を下す、俺と同じ顔をした男。
――第六封印を解除しろ。
ゲームのカイルは、ノアを壊した。
その結果、敵を滅ぼし、味方を滅ぼし、最後には自分自身も死んだ。
俺はあの結末を知っている。
知っていて、同じ道を選ぶつもりはない。
「よく聞け、ノア」
「はい」
「お前に新しい命令を与える」
ノアが背筋を伸ばした。
「生きろ」
青灰色の瞳が揺れる。
「それは、いつまででしょうか」
「期限はない。俺が死んだあともだ」
「遂行方法が不明です」
「飯を食え。眠れ。好きなものを探せ。嫌なことがあったら断れ」
「戦闘行動は必要ですか」
「必要ない」
「では、その命令に意味はありません」
「意味なんて、あとから探せばいい」
ノアの瞳から、初めて視線が逸れた。
「私には、できないかもしれません」
「俺が教える」
「マスターが、ですか」
「ああ」
「ですが、マスターは生活能力が低いです」
「……誰に聞いた」
「三年間、観察しました。睡眠時間は平均三時間四十二分。食事を忘れた回数は百七十六回。執務室で倒れた回数は四回です」
「余計なことばかり覚えてるな」
「マスターの生存に必要な情報です」
ノアは無表情のままだった。
けれど、その手が俺の軍服の裾をつかんだ。
ほんの少しだけ、強く。
「では、私がマスターの生存を補助します」
「俺がお前へ生き方を教えて、お前が俺を生かすのか」
「はい」
「非効率的だな」
「任務を変更しますか?」
「いや」
ノアの頭へ手を置く。
「悪くない」
そのとき、発進施設の扉が開いた。
アークが一人で入ってくる。
その手には拳銃が握られていた。
「そこまでだ、カイル」
「遅かったな」
「お前が防火扉を十一枚も閉鎖したせいだ」
「十二枚だ。最後の一枚を閉め忘れてるぞ」
「昔から性格の悪い男だ」
「昔から融通の利かない男に言われたくない」
アークの銃口が俺へ向く。
ノアが即座に俺の前へ出た。
「ノア、下がれ」
「拒否します」
「さっき命令には従うと言っただろ」
「マスターの生命に危険がある場合、護衛任務が優先されます」
「いつ設定した、そんな命令」
「三年前、マスターが就寝前に『俺が死にそうなときは勝手にしろ』と発言しました」
「寝言まで命令に数えるな」
「記録には発言として残っています」
アークの眉が僅かに動く。
「カイル。その少女を連れ出せば、共和国艦隊を止める手段がなくなる」
「必要ない」
「何?」
施設内の通信機が音を立てた。
『緊急報告! 共和国第一空中艦隊に異常あり!』
アークが通信機へ顔を向ける。
『共和国軍補給艦隊が針路を変更! また、第一艦隊司令部において反乱発生との暗号通信を傍受! 共和国艦隊、第二都市への進行を停止しています!』
「馬鹿な……」
『敵先遣隊も帝都西方より撤退を開始! 第一艦隊全艦、共和国領へ反転しました!』
通信が切れる。
俺は懐中時計を確認した。
「予定より三分遅いな。共和国軍にも残業という概念があるらしい」
「何をした」
「補給艦隊へ偽の命令書を送った。共和国国内で軍事政変が起き、第一艦隊司令官が反逆者に指定されたとな」
「その程度の偽報、すぐに見破られる」
「もちろんだ。だから司令官の弟を、政変の首謀者にしておいた」
第一艦隊司令官は、共和国の元公爵。
能力は高いが、猜疑心が強い。皇位継承争いに敗れて以来、身内すら信用していない。
「司令官は出世より保身を優先する。補給線を失った状態で、弟が自分を売った可能性を無視できない。だから事実を確認するまで、本国へ戻るしかない」
「それでも、いずれ偽報だと発覚するぞ」
「その頃には、帝国東部艦隊が第二都市へ到着している。共和国軍が再侵攻するには、最低でも三か月必要だ」
俺はノアを指さした。
「敵艦隊は退いた。第二都市の百万人も生きている。ノアを犠牲にする理由はなくなった」
アークは何も言えなかった。
「これで分かっただろ。俺は少女一人のために、百万人を見捨てたんじゃない」
「……だが、その少女を解放することはできない」
アークの銃口は下がらない。
「ノアは一国を滅ぼせる力を持っている。誰の管理も受けず、自由にしてよい存在ではない」
「だから何だ」
「その少女は兵器だ。誰かが管理しなければならない」
「知ってるよ」
俺は胸元の階級章を外した。
十四年間、俺を帝国軍人として縛り続けた銀色の紋章。
それを床へ落とす。
「だから、盗みに来た」
「カイル」
「帝国軍作戦参謀カイルは、ここで死んだ」
階級章を踏み越える。
「今から俺は、国家反逆者だ」
アークの指が引き金へかかる。
ノアが一言発すれば、アークの心臓を止められる。
それでも、どちらも動かなかった。
「次に会ったときは、お前を捕らえる」
やがてアークが告げる。
「抵抗するなら、撃つ」
「できるのか?」
「やる。私は帝国軍人だ」
「そうか」
「だが――」
アークの左手から、何かが落ちた。
小さな金属製の鍵。
ノアの首輪を解除できる、指揮官認証鍵だった。
「戦闘中の混乱で、認証鍵を紛失した」
アークは俺たちに背を向ける。
「発見までには、十五分ほどかかるだろう」
「随分と間抜けな准将もいたものだ」
「早く行け」
鍵を拾い、ノアの首輪へ差し込む。
アークの生体情報を認証した首輪が開き、重い音を立てて床へ落ちた。
黒い金属の下から現れたノアの首には、赤黒い傷が幾重にも刻まれていた。
俺が手を伸ばすと、ノアは僅かに肩を震わせた。
それでも逃げず、俺の指が傷へ触れるのを受け入れる。
「痛むか」
「問題ありません」
「痛いかと聞いてる」
ノアは答えるまでに、少し時間を要した。
「……少し、痛いです」
「そうか」
自分の痛みを認めた。
今は、それだけで十分だ。
「もう俺の命令に従う必要はない」
ノアがこちらを見る。
「首輪は外れた。帝国の命令も、俺の命令も聞かなくていい。好きな場所へ行け」
「行く場所はありません」
「なら、自分で探せ」
「命令をください」
「嫌だ」
ノアが困ったように瞬きをする。
敵の大軍を前にしても表情を変えない少女が、自由を与えられただけで途方に暮れている。
「何をすればよいのでしょう」
「自分で決めろ」
「判断基準が存在しません」
「お前が、どうしたいかだ」
「私が……」
ノアは自分の胸へ手を置いた。
自分が何を望んでいるのか。
それを確かめるように、目を閉じる。
やがて一歩近づき、俺の軍服の裾をつかんだ。
「あなたのそばへ、行きたいです」
「それは命令か?」
「いいえ」
ノアは俺を見上げた。
「たぶん、わがままです」
胸の奥にあった重いものが、少しだけ軽くなる。
「上出来だ」
◇
地下発進施設から、廃棄された貨物線へ出る。
そこには一両の装甲列車が停車していた。
分厚い鋼板に覆われた車体。前方には短砲身の砲塔。黒い機関部から、大量の白煙が噴き出している。
運転席から元副官が顔を出した。
「閣下、出発準備が整いました!」
「閣下はやめろ。今の俺は無職だ」
「では、無職閣下!」
「お前、あとで降ろすからな」
ノアを先に列車へ乗せる。
そのとき、帝都全域へ緊急放送が流れた。
『帝国政府より、全国民へ通達する』
『元帝国軍作戦参謀カイルは、共和国と共謀して帝都への攻撃を誘発。さらに帝国戦略級人型兵器・第零号を強奪した』
『両名を最重要国家反逆者に指定する』
『発見した者は直ちに軍へ通報せよ。抵抗した場合、生死は問わない』
ノアが首へ触れた。
もう、そこに首輪はない。
「マスター」
「何だ」
「私は、もう兵器ではないのですか」
「少なくとも、俺の兵器じゃない」
「では、私は何になればよいのでしょう」
「好きに決めろ」
「決められない場合は?」
「ゆっくり考えればいい。時間だけは、これからいくらでもある」
ノアは少し考え、それから尋ねた。
「あなたを、これまでどおりマスターと呼んでもよいですか」
「好きに呼べ。もう、それを決めるのもお前だ」
「はい」
ノアが、ほんの僅かに俺との距離を縮める。
「では――マスター」
装甲列車の扉が閉まる。
機関部が唸り、車輪がゆっくりと回転を始めた。
「行くぞ、ノア」
「どこへ行くのでしょう」
「まずは帝都を出る。それから安全な寝床と、温かい飯を探す」
「その後は?」
俺は窓の外へ目を向けた。
十四年前から知っている、破滅へ続く世界。
帝国は腐敗し、共和国は内乱に沈み、やがて古代の神が復活する。
原作どおりなら、ノアは世界を滅ぼす兵器となり、俺は彼女へ最後の命令を下す。
そんな結末は、もう存在しない。
「決まっている」
俺は笑った。
「このクソみたいなゲームの結末を、全部ひっくり返す」
「それは、軍事作戦でしょうか」
「いや。嫌がらせだ」
「了解しました」
ノアは無表情のまま、俺の軍服の裾をつかんだ。
「私も、マスターの嫌がらせに同行します」
「頼もしいな」
「必要であれば、帝国を消します」
「それは絶対にやめろ」
「共和国では?」
「国単位で消そうとするな」
「難しい命令です」
「お前の教育、先が長そうだな……」
装甲列車が速度を上げる。
地下線路を塞ぐ鋼鉄製の扉が開き、その向こうから朝日が差し込んだ。
帝国最高の軍師と、世界最強の兵器。
俺たちは一夜にして、世界最悪のテロリストになった。
だが、不思議と悪い気分ではなかった。
少なくとも今度は、この少女を死なせずに済む。




