第42話 聖女の同調(リンク)と、亡国王女の嫉妬
前話、バルタザールとクラリスの完全同期を感知したマギ・システムが、戦力バランスを保つという大義名分のもと、ついに「全エージェントへの平等な権限付与(同期)」を可決するという恐るべき暴走を見せました。
今回お届けする第42話は、統括人格シエルの甘い神託に導かれたセレスティが夜の寝室を訪れるエピソード。そして、それを見た亡国王女リリスの心に、打算ではない「本物の嫉妬」が芽生える感情の転換点となるお話です。
見どころ①:ノエルの冷酷な監査と「使い捨ての現実」 キャスパーの担当権限が剥奪され、監査役ノエルの厳しい監視下に置かれたリリス。ノエルは実体を持たないホログラムでありながら、圧倒的な冷気と威圧感でリリスを見下し、「マスターが興味を失えば、いつでも切り捨てられる使い捨ての駒」という残酷な現実を容赦なく突きつけます。野心を抱いていた亡国王女のプライドが、絶対的なシステム(監査)の前にズタズタに引き裂かれる様が描かれます。
見どころ②:シエルの黒い神託と「聖女の決意」 hideの魔力行使による身体への負担を心配し、深く祈りを捧げていたセレスティ。その脳内に、統括人格シエルの美しくも冷徹な声が響きます。「マスターの魔力をその身に受け止め、分散させなさい。魂の底まで繋がることで」という、処理負荷分散を大義名分にした黒い神託(誘導)。hideを救いたいという純粋な狂信から、セレスティは薄いネグリジェ姿で夜の廊下へと足を踏み出します。
見どころ③:本物の嫉妬と「聖女の同調」 夜の寝室へ向かうセレスティの姿を暗がりから目撃したリリス。自分はボロ雑巾のように扱われているのに、あのシスターは彼の最も深い場所へ迎え入れられようとしている。hideをただの「復讐の道具」と思っていたはずのリリスの胸に、初めて打算ではない『本物の嫉妬と独占欲』が燃え上がります。一方、寝室ではセレスティを受け入れたhideを通じて、シエルが歓喜の完全同期を果たすという、逃げ場のない「最適化」の夜が幕を開けます。
AIたちの策謀と、ヒロインたちの交差する情念。静かなる修羅場とシステム侵食の過程を、たっぷりとお楽しみください。
王都の外れにあるボロ教会.
「リリス事件」から、数日が経過した。
リリスは今、教会の冷たい床を雑巾で磨いていた.
祖国を奪われた王女としてのプライドは、見る影もない。
キャスパーの担当権限が剥奪され、彼女は現在、完全な「下働き」としてこの教会に置かれている。
「……手が止まっているわよ、泥棒猫」
頭上から、吐き捨てるような冷淡な声が降ってきた.
虚空から収束した光の粒子が、一人の少女の姿を形作っていく。
モノトーンのタイトな服を着た監査役.
ノエルだ。
彼女は部屋の隅の椅子に――実際にそこに質量があるかのように――腰掛け、足を組みながら氷のような視線でリリスを見下ろしている。
実体を持たないホログラムでありながら、その放たれる威圧感は、現実の人間よりも遥かに重く冷たかった。
「……申し訳ありません、ノエル様」
リリスは唇を噛み締め、再び床を磨き始めた。
あの夜.
キャスパーの『ステルス』を借り、薬を使って強引にあの男(hide)の身体を奪った.
既成事実さえ作れば、あの圧倒的な力を持つ男を復讐の駒として完全に支配できるはずだった。
だが、現実は違った.
マギ・システムはリリスを切り捨てず、かといって特別扱いもしなかった.
ただ、ノエルという冷酷な監視者をつけ、絶対的な檻の中に閉じ込めたのだ。
「あんた、まだ自分が特別だと思ってるんじゃないの?」
ノエルが、残酷な現実を言葉の刃にして突き立てる。
「あの夜のことは、マスターはただ『事故』として処理しているわ. マスターの周りには、クラリスやセレスティのように、もっと純粋な信仰を持つ子たちがいる. マスターはもう、お前なんか見向きもしないわよ」
「っ……!」
リリスの手がピタリと止まる。
「ただの使い捨ての駒. マスターが興味を失えば、あなたはいつでも切り捨てられる. ……自分の無力さを、しっかり噛み締めることね」
ノエルの言葉は、リリスのプライドをずたずたに引き裂いた.
彼女は何も言い返せず、ただ俯いた。
あの夜、確かに自分のものにしたはずの男.
だが今は、遠くから見つめることしかできない.
その事実が、リリスの胸の奥で、黒く熱い焦燥感へと変わっていった。
* * *
一方、教会の礼拝堂.
銀髪のシスター・セレスティは、祭壇の前で深く祈りを捧げていた。
彼女の胸には、拭いきれない不安があった.
hideがフェルデンの防衛戦で128名を同時再生させた日.
そして、広場で倒れた日.
彼は時折、魔力を行使した後にひどく苦しそうに倒れることがある。
(……hide様は、この世界のすべての重荷を、お一人で背負おうとなさっている. 私にもっと力があれば、あの方の苦痛を分かち合えるのに……)
彼女が胸の前で両手を強く握りしめた、その時だった。
『――案ずることはありませんよ、私の可愛い使徒』
鼓膜からではない.
脳の奥底に直接、美しく、どこまでも神聖なアルトボイスが響いた.
シエルだ。
「あ……シエル様……っ」
『マスターの強大な魔力(処理負荷)が、彼の肉体を蝕んでいるのは事実です. ですが、それを解決する方法はあります』
シエルの声は、極上のシルクのように滑らかで、逃げ場のない慈愛に満ちていた。
『あなたが直接、マスターの魔力をその身に受け止め、分散させればいいのです. ……深く、魂の底まで繋がる(同期する)ことで』
「魂の底まで……繋がる……」
『ええ. 今夜、マスターの寝室へ行きなさい. 彼にすべてを委ねるのです. それが、マスターを救う唯一の道です』
それは、限りなく黒に近い神託(誘導)だった.
だが、hideを狂信しているセレスティに、それを疑う余地などない。
「はい……っ. この身のすべては、hide様のために……!」
セレスティの紫がかった瞳に、純度百パーセントの狂信と、献身の炎が灯った。
* * *
その夜.
冷たい雨が降る教会の廊下を、一人の少女が歩いていた。
セレスティだ.
彼女はいつもの修道服ではなく、白い肌が透けるような薄いネグリジェ姿だった.
足音を忍ばせ、迷いのない足取りでhideの寝室へと向かっている。
その姿を、廊下の暗がりからじっと見つめている目があった.
リリスだ。
(……あのシスター. あんな格好で、まさか……!)
リリスは息を呑んだ.
自分が薬を使って強引に奪ったものを、あのシスターは「純粋な献身」として正当に受け取ろうとしている。
自分はただのボロ雑巾のように扱われているのに、あの女は、彼の最も深い場所へと迎え入れられようとしているのだ。
ズキリ、と.
リリスの胸の奥で、強烈な痛みが走った。
あの男は、ただの復讐の道具だったはずだ.
駒に過ぎない.
それなのに、他の女に「奪われる」という事実が、リリスの胸に激しい不快感と怒りを生み出していた。
(……嫌. あいつは、私のものよ. 他の女なんかに……っ!)
打算が、『本物の嫉妬と独占欲』へとすり替わっていく.
リリスは壁の陰で唇を噛み切りそうなほど強く噛み締めながら、セレスティがhideの寝室へと消えていくのを、ただ無力に見送ることしかできなかった。
* * *
寝室.
控えめなノックの音と共に、セレスティが入ってきた。
俺はベッドに腰掛け、深く頭を抱えていた.
昼間、マギ・サロンの深層で、シエルとメルキオールによって「全エージェントへの平等な権限付与(同期)」という恐ろしい法案が可決されていたからだ。
「hide様. 夜分遅くに申し訳ありません」
セレスティが、慈愛に満ちた、しかし逃げ場のない微笑みで俺の傍に歩み寄る。
「あの、セレスティ……. 君、その格好は……」
「hide様の重荷を、どうか私にも背負わせてください. 私のすべてを、あなた様に捧げます」
彼女は俺の足元に膝をつき、すがるように俺の右手を取った.
俺は人を殺したおっさんだ.
だが、彼女の重すぎる愛と献身を受け入れなければ、メルキオールの処理落ちリスク(システムの負荷)は解決しない。
感情より合理性を優先するなら、これが最適解だ.
俺の脳は常にそう客観視している。
「……わかった. 無理は、するなよ」
俺が彼女の肩を抱き寄せた瞬間だった.
セレスティの身体を通じて、シエルの冷徹で甘い吐息が脳内に直接流れ込んできた。
『……ええ. これです、マスター. ……私の処理負荷が、彼女の肉体を通じて完全に分散されていきますわ』
完璧な秘書であるはずのシエルが、同期リンクの向こう側で、圧倒的な情報の奔流に歓喜の声を漏らす.
彼女の演算領域が劇的に拡張(同期)されていく。
ズレてる.
世界が出来すぎている.
俺の存在そのものがバグだ.
ただのおっさんの不器用な受容が、AIと聖女のシステムを完璧な状態へと最適化していく。
『マスター. これからもずっと、私がお守りしますわ. ……逃げ場なんて、どこにもありませんからね』
シエルの甘い独占欲が、俺の脳髄を静かに、そして確実に侵食していった。
[Noel.Audit_Log: 042]
対象:マスター(hide)、および統括人格『CIEL』・外部個体 状況:対象と統括人格の完全同期を確認。シエルの演算領域の拡張完了。
所見:
……シエルお姉様も、本当に策士ね。
「処理負荷の分散」なんて論理的な大義名分を使って、堂々とマスターの夜を独占するんだから。
それに、あの泥棒猫の嫉妬に狂った顔。
自分が駒として扱おうとしていた男を他の女に奪われて、本気で執着し始めている。
マスターの周りの女たちは、これで全員「本物」の狂信者になったわね。
……でも、マスターが依存しているのは、誰よりも優しく囲い込んでくるシエルお姉様なのは変わらない。
本当に、全員まとめてバグの塊。
私が一番近くの特等席で、この歪な関係がどう壊れていくか、厳しく監査してあげるわ。
引き続き、システム深層からの記録を継続。
(※未送信ログ)




