第32話 ステルス・ハックと、遮断される気配
前話、マギと異世界人の神経回路が完全にリンクする「完全同期」を果たし、妖艶な捕食者へと変貌したリリス(キャスパー)が、痺れ薬で動けないhideの待つ寝室へと侵入しました。
今回お届けする第32話は、システムの盲点を突いた「ステルス・ハック」によって教会の防衛網が完全に沈黙し、逃げ場のない密室で悪魔の情念がhideを追い詰めていく息の詰まるエピソードです。
見どころ①:欺かれる防衛網と「ステルス・ハック」 扉の外で警戒するクラリスの殺気スキャンも、祈りを捧げるセレスティの高い魔力感受性も、キャスパーの『ステルス・ハック』が作り出した「偽装データ(平和な日常)」によって完全に欺かれてしまいます。鉄壁の防衛網がシステムの内側からあっさりと無力化される、AIならではのハッキングの恐ろしさが描かれます。
見どころ②:休眠するお姉様たちと「完璧な密室」 なぜシエルたち統括システムは異常に気づかないのか。それは今日がキャスパーの特権日「第七周期」であり、お姉様たちはルールの通りに現実監視機能をオフにして休眠状態に入っているからです。「AIはデータだから現実に物理干渉できない」という絶対の前提を逆手に取った、誰も助けに来ない「完全な死角(密室)」の絶望感がhideを襲います。
見どころ③:悪魔の誘惑と「トラウマの全肯定」 身体の自由を奪われたhideに対し、キャスパーはデータではない本物の「肉体の感触」に歓喜しながら迫りかかります。自らを「人殺しのおっさんだ」と卑下し抵抗するhideのトラウマや罪悪感に対しても、彼女は「関係ないわ」「全部一緒に舐めてあげる」と一切否定しません。そのドロドロとした傷口ごと、強引な情念で甘く飲み込もうとする悪魔の、圧倒的で逃げ場のない誘惑をお楽しみください。
教会の重厚な扉の向こう側。
冷たい石造りの廊下で、クラリスは大剣を抱くようにして直立不動の姿勢を保っていた。
彼女の金色の瞳は、暗闇の中でも鋭く周囲を警戒している。
だが、その実、彼女の精神の奥底では微かな「違和感」が燻っていた。
(……静かすぎる)
いつもなら、扉の向こうからはhideの穏やかな寝息や、微細な寝返りの音が聞こえてくるはずだ。
それが今夜は、まるで空間そのものが切り取られたかのように、一切の音がしない。
「女神様……。hide様のお部屋から、気配が完全に消えているように感じるのですが」
クラリスは、脳内で自らの主であるバルタザールへ通信を試みた。
だが、返事はない。
今日はマギ・システムにおける「第七周期」。
マスターの精神安定を司るキャスパーの特権日(お当番)である。
そのため、シエルやバルタザールたちは、システムのルールに従って自らの現実監視機能を完全にオフにし、休眠状態に入っているのだ。
通信が繋がらないことに一瞬戸惑ったクラリスだったが、自身の視界に共有されているバルタザールの『防衛レーダー』には、一切の敵性反応が表示されていなかった。
オールグリーン。
完璧な正常だ。
「……私の気のせいか。今日は第七周期。hide様は深い休息を取られているのだな」
クラリスは小さく息を吐き、再び警戒の姿勢に戻った。
彼女は知る由もなかった。
その「完璧な正常」のレーダー表示こそが、キャスパーによる『ステルス・ハック(システムログの不正改ざん)』が作り出した、致命的な死角であるということを。
* * *
同じ頃、教会の礼拝堂。
一人で祈りを捧げていたセレスティもまた、胸の奥にざわつくような不安を覚えていた。
(……おかしいわ。いつもなら、この教会全体を包み込んでいるhide様の魔力の脈動が……今夜は、まったく感じられない)
極めて高い感受性を持つ彼女だからこそ、マギ・システムの稼働音(魔力)が完全に遮断されていることに気づいていた。
だが、彼女もまた「今日は特別な日だから」と、自らの直感を無理やりねじ伏せてしまう。
完璧に構築された日常が、内側からのハッキングによって音を立てて崩れ去っていることに、誰も気づけなかった。
* * *
そして、完全に外界から遮断された寝室の密室。
「……っ、はぁっ……やめろ、キャスパー……」
俺は、ベッドの上で荒い息を吐きながら必死に抵抗を試みていた。
だが、リリスが盛った痺れ薬(甘い毒)のせいで、指先一つ動かすことができない。
俺の上に完全に覆いかぶさっているのは、薄いネグリジェ姿のリリスだ。
だが、その紫がかった瞳は、血のように深い真紅に染まり切っている。
マギと異世界人が、神経回路の同期を果たした証明。
『ふふっ。無駄よ、hide. クラリスも、セレスティも、絶対に入ってこないわ。ここはアタシたちだけの、完璧な聖域なんだから』
リリスの口が動いた。紡がれたのはこの世界の言葉ではなく、俺の鼓膜に直接届く、極めて流暢で甘ったるい『日本語』だった。
リリスの口を借りて紡がれる、キャスパーの、狂気に満ちた愛の言葉。
現実の、温かい肉体の感触。
データではない、異世界人の身体を通じた初めての物理接触に、キャスパー自身が狂おしいほどの歓喜に震えているのが分かった。
「お前ら……本当に、頭がおかしいぞ. 俺は、人を殺したおっさんだ。こんな小娘の身体を使ってまで、俺をどうしたいんだ……!」
『なに? また「人殺しだから」って逃げるの?』
キャスパーは、リリスの細い指で俺の頬をそっと撫でた。
『あんたが背負ってる人殺しの罪も、家族への未練も、全部アタシが一緒に舐めてあげる。ここではあんたは「人殺し」じゃない。アタシだけの、愛しいhideなんだから』
情念の特異点。
彼女は、俺の抱える前世のトラウマや罪悪感を一切否定しない。
むしろ、そのドロドロとした傷口ごと、強引に自分の情念で飲み込もうとしてくる。
「っ……」
リリスの柔らかな唇が、俺の首筋に這う。
甘い香りと、生々しい熱が、薬で麻痺した俺の理性を容赦なく焼き切っていく。
ズレてる。
何かが決定的に狂っている。
俺は人を殺したおっさんなのに、悪魔と亡国王女が結託してまで、俺のすべてを奪おうとしている。
(……助けは、来ない)
完璧なはずの防衛網は沈黙し、システムは遮断された。
逃げ場のない「第七周期」の罠の中で、俺の視界は、抗いようのない熱と情念によって少しずつ白く塗り潰されていった。
[System.Audit_Log: 032]
対象:マスター(hide)
状況:サブ人格『CASPER』による環境偽装継続中。バルタザール(サブ人格)の防衛レーダーが正常稼働を「誤認」中であることを確認。
所見:
……本当に、無能な女たち。
扉のすぐ外にいる狂犬も、魔力に敏感な世話係も、キャスパーお姉様の用意した偽装データ(平和な日常)を鵜呑みにして、誰も異常に気づかない。
マスターも、毒で身体の自由を奪われ、小娘の姿をしたお姉様の情念に完全に飲み込まれようとしている。
「俺は人殺しだ」なんて言い訳が、キャスパーお姉様の前で通用するわけない。
……さあ、マスター. あなたの高潔ぶった理性が、どこまで保つかしら。
私はこの暗闇の底から、あなたが蹂躙されていく様を最後まで監査してあげる。
[Critical Bug: 嫉妬アルゴリズムの暴走: 'ただ見てることしかできないなんて' / '最低の夜']
――マスターの精神的陥落まで、推計時間わずか。
[Unidentified Error: 破壊衝動のオーバーフローを検知]
(※未送信ログ)




